第11話 神頼み、時々、神鬼【3.5】


 うっすらと月明りが照らす廃校の教室。


 壁に寄りかかったままの男は、静かに外を眺めていた。


 総士に四肢を焼かれて何もできないというのもあるが、今は考えることで頭が精一杯なのだ。


 総士に言ったことは嘘ではない。たまたま目が離せない女性がいた。彼にしては珍しく、順調に進んだ二人の関係は、将来を見据えた話も上がる程だった。


 その時になって、彼は初めて考えてしまった。


 自分は何の為に生きていたのだろうか?


 自分の考えのもと、何よりも熱意を燃やし改革に勤しんできた。それは助けを求める立場になった今でも自信を持って言える。


 ただ、今はそんな自分の意志よりも彼女が大切になってしまっただけ。ただそれだけなのだ。


 だからもういらない。自分が誇れる自分になりたいだとか、死ぬ時に後悔はしたくないだとか。そんなちっぽけな物はもういらない。


 ただ彼女の隣に立って笑顔を見れるだけでいい。


 彼はそう感じたからこそ、今回の行動に全てを投げ売った。


 想いに駆られ、組織の中でも親交が深い友人へと相談したところ、思想省の人間を紹介された。


 思想省と言えば、自分たちが魂を掛けて戦い続けた敵。


 ───何故敵に助けを乞わなければいけないっ!


 怒りが体を駆け巡った。だが、友人に相談する前に覚悟は決めたはず。そう自分に言い聞かせることでどうにか感情を鎮める。


 そんな自分を見てか、友人はいつもの様に軽口を開いたのだ。


 「敵の敵は友人だろ?」


 友人である彼は昔から軽口をよくたたく。そのことを充分に理解していたなら、彼が言いたいことはすぐに理解できた。


 本当に組織から逃げたいなら組織ちからを頼れ───と。


 彼だって本当に友人だなんてこれぽっちも思っていない。


 自分の置かれた状況、逃げ出した後の生活。どれを考えても人一人の力でどうにか出来るはずもなく、そのことに気付かされた時にはなんて自分は視野が狭くなっていたのだろうと少し恥ずかしくなってしまった。


 彼の手引きで思想省側の代理で来たという二人の男女と会って話を聞けば、思想省側もおもむろに助ける訳にはいかないがそちらの情報は欲しいということだった。


 我儘な話だ………と思いながらも、情報を渡す代わりに新しい名前を準備してもらうことを約束して話が付いた。


 問題はこれからだった。何しろ謎が多すぎる。


 男女から渡された一枚の写真に写る青年。その写真の裏には日付と時刻、簡単な地図が書かれていた。


 「彼は人とは違う。君が生き残れるかは彼の気分次第だ」


 一体なんのことだと首を傾げる。すると続けざまに助けるまでの物語あらすじと、これが一番自然な流れだということを伝えられた。


 頼む相手は体だけは大きく育った見た目もパッとしない世間を知らない子供。名を神童治総士と言うらしい。顔写真を見れば陰険そうな雰囲気を感じさせる、そんな少年。


 そんな彼に命を預けてもよいのだろうか?


 いや、道が開けるのであればなんでもいい。すがれるのならなんにでもすがってやる。


 組織の仕事上、閲覧したデーターを必死で思い出し、うろ覚えなまま向かった先で発見した総士という少年。彼は女性を連れてベンチへと腰を降ろした。


 態勢を低くして木々に隠れながら眺めていた男は、持っていたハンドガンにサブレッサーを取り付け、狙いを定める。


 現在進行中である千刻の義。


 その現場でしかチャンスが無いことを伝えられていた彼にとっては段取りこそが命綱。味方に悟られれば裏切り者として殺されるのは間違いない。


 彼は様々なことを想定はするが、総士と言う少年の実力を知らない自分には予定や作戦が組めない。だからこそ、買い出しの合間にこうやって思い当たる節を当たっていたのだから。


 引き金に指を掛ける。


 彼の隠れている木々の隙間から総士が座るベンチまで、距離は二百五十メートルと言ったところだろうか。この距離であれば風の影響などほとんど受ける事は無い。


 ならば、と彼は総士の脇腹を狙う。風の影響を受けないのであれば比較的ヒットしても支障が少ない場所を。


 引き金を引く。


 小さくパスッと鳴った音と同時にバレルから射出される弾丸。それは間違いなく狙い通りの場所に向かい始める。


 瞬間、引き金を引いたはずの男は開いた口が塞がらなかった。


 総士が隣にいた女性を抱き寄せると、空中に現れた小さな女の子が一人。黒髪は夕焼けを反射し、その燃える様な双眸は確実にこちらを見ていた。


 その少女が口を動かしたかと思うと、いつになっても着弾する音が聞こえない。彼はすぐに耳を澄ませて音を拾っていく。


 すると、着弾する音や人の叫び声の代わりに違う音を拾ってしまった。


 「ねぇソウ? あの人達も消していいんだよね?」


 (───バレてる!?)


 彼は可能な限り早く、音を立てずにその場から消える様に去っていく。


 バクバクと動く心臓を一生懸命に抑え、車に乗り込んだ男は悪夢でも見たかの様に冷や汗が止まらなかった。


 (……あれが死神)


 口を開いただけで銃弾が消える。消せる質量や大きさ、様々な条件があるのかもしれない。それでも一瞬で消されてしまえば頭を下げて懇願する時間すらない。


 難易度だけが跳ね上がる。


 ────タイミングだけ、タイミングさえコントロールできれば……。


 彼は呪文の様に何度も心の中でそう呟いた。


 総士が手紙を発見する時間、そこから現場まで辿り着くまでの時間。それら全てを計算して自分と総士がぶつかる時間。それを割り出さなければ自分の生存確率はかなり低いだろうと予測した。


 理想を言えば、仲間全てが殺された後に自分だけが彼の前に白旗を掲げて姿を現すこと。そして男はそうなる様に出来るだけタイミングを見て動いたつもりだった。


 それが蓋を開けてみたらどうだっただろうか。


 本来なら総士が教室に入って来る五分後には屋上の仲間と交代し、仲間がやられたと同時に白旗を上げる算段だった。


 それが気付けばあれよあれよという間に手足を焼き尽くされ、仲間は目の前で首と胴体が別れを告げていく。


 咄嗟に総士から見えづらい場所へと移動したことが功を奏したのか、質問が最後になっていなければ今こうして息を吸っていることは無かったのだろう。


 そう考えれば考えるほど、恐怖に怯えながら頭を回し続ける以外にできることが無い。


 総士は言った。


 「一応は連絡をつけてやる。その代わりお前の知る情報を全部吐いてもらう。それと、今お前が俺に言ったことに嘘が一つでもあった時は覚悟しておけ」


 ────嘘は言っていない。嘘は言っていない。嘘は言っていない。


 ただ、言っていないことがあるだけだ。


 彼にとって、総士が元仲間を殺していく瞬間は目に焼き付いていた。


 鮮烈な光景だけではなく、殺している時の彼の横顔。


 組織の人間もそうだが、殺すという言葉は脅し文句の場合が多く、実際には多少なりとも勇気がいる。


 それにもかかわらず総士は「死ね」と言ったとほぼ同時に殺した。” 殺す ” ではない。” 殺した ”だ。


 総士との会話の時、少しでも何かを疑われた瞬間、自分の胴体と首は別れを告げるのだろう。想像するだけで冷や汗が出てくる。


 一番の山は乗り越えた。そのはずなのに。冷や汗は止まらない。


 その時だった。


 ───ガラガラ。


 扉の開く音に心臓が跳ねあがる。彼は出来るだけ平静を装いながら口を開く。


 「思ったより早かったじゃねーか。上はかた……づい……たの…か?」


 扉に視線を向けると、そこにいたのは総士ではなかった。


 「よぉ。あいつらならまだ時間が掛かると思うぜ。なんかあいつに会いたいって奴がいたしな。───吸うか?」


 「なんでここに……?」


 扉から入ってきたのは、紺と黒の縦ストライプ柄のスーツにロングコートを羽織った白髪混じりの中年男性。


 白髪混じりの男はタバコを一本取り出し、総士へと命乞いをした男───柳日りゅうひへと差し出す。


 「あぁ。手足……やられちまったんだな。しょうがねー。ほれっ。火ぃーつけてやるから落とすなよ」


 「い、いや、そんなの吸ってたらここに来たのがバレんだろ」


 手足の無くなった自分がどうやったら煙草をに火を着けられるのか。そんなことをすれば総士に「誰が来た?」などと聞かれ、つかなくていい嘘までつかなくてはいけなくなる。


 あともう少しでこんな陰った道ではなく、明るい日差しが差し込む道を大好きな人と歩けるのだ。自分から危険を侵すような真似など出来るはずもない。


 「あーそんなこと気にしてんのか。そんなの ” 組織の奴が来たんだけど見捨てられた。餞別に煙草を一本だけ寄こした ” とか適当に言っとけばいいだろ? まえっからまじめだったよな……。なぁ柳日りゅうひ?」


 言いながら柳日の隣で胡坐をかく。


 柳日にとって彼は特別だった。ノーフェイスに入ってから知り合った白髪交じりの男。彼は今回の組織脱退に手を貸してくれた男なのだから。


 「俺が真面目だったら組織なんかに入ってないだろうが。………でも、本当に今回は助かった。手足を失ったとはいえ、今もまだ息をしてるんだぜ? それに初めて知ったんだけどな、……痛くないんだよ。手足失ったのにさ」


 「あぁ、俺も噂程度だがそんな報告を受けたな……」


 二人は吸い込んだ煙を味わう様にゆっくりと吐き出す。


 「……柳日、俺の知ってる限りじゃその手足は何とかなるはずだ。だからゆっくりと抱きしめてやれ。そして二度と離すんじゃねーぞ」


 「……どうにかなる……もんなのか? まぁどうにもならなくても生きてる限り離すつもりはねーよ」


 白髪混じりの男はタバコの火を革靴の裏でしっかりと消すと立ち上がる。


 「それがいい。───お前の事は死んだと報告しておく。惟神大社の方で新しい名前を準備してもらうのを忘れるなよ。………あぁ、それと俺の情報とかも流していいけど名前だけは言うんじゃねーぞ?」


 「あぁ、分かってるよ。そんな恩を仇で返す様な真似はしねーよ」


 柳日の言葉に笑顔で頷いた白髪混じりの男は笑顔で「幸せにな」と一言告げると、入ってきた扉ではなく窓から外に飛び降りるのだった。



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