B5話 夢、時々、約束【5】
少女の嗚咽が落ち着いて来た頃、噴水の様に溢れていた血は勢いを失っていた。
見えない手に押されたのではないかと錯覚してしまう程に唐突に揺れる視界。それを皮切りにイナミの頭に乗せていた手は髪の上から滑り落ち、何とか繋ぎ止めていた意識は暗転していく世界へと落ちていく。
「……に………ちゃんっ!!」
最後に聞こえたのは大きなイナミの声。叶うことならば元気な声を聞いて去りたかった。そう思いながらも暗転が止まることは無く、動かぬ口では掛ける言葉すら紡げない。
「───イナミは認めてない!! イナミから奪うのをイナミが
意識が途切れる直前、イナミの声に呼応するかのように噴き出した血がずるずると総士に向かって吸い込まれる。まるで血が意志を持って元の場所に帰りたがっている様に。
染み込む様に血が体内へと戻っていくのと同時に、凸凹していた皮膚も寄生虫が体を張っている様にうねうねと皮膚を揺らす。
その光景を見たならば誰もが嫌悪感を抱く光景ではあったが、寄り添っていたイナミは真剣な眼差しで1つ1つを見逃さないといった視線を浴びせていた。
「お兄ちゃん!! 生きてる!?」
聞こえてきた声と共に痛みが体を駆け抜ける。温かく、柔らかな感触を。
「……それは俺が聞きたいな。俺は……死んでないのか?」
ゆっくりと目を開くと、ぼやけた視界の中に小さな女の子が一人。一生懸命に体を揺する仕草が映りこむが、それよりも揺れる度に触れる毛先がどうにもくすぐったい。
「生きてたぁーーーー!!」
鼓膜を
視界に映りこんだイナミの顔には花が咲いていて、真っ赤に腫らした目と目尻に溜まった雫が自分を心配してくれてのものだと思うと口がやんわりと弧を描く。
「イナミは………もう大丈夫か?」
イナミの頬に手を伸ばし、そっと撫でるように触れる。手から伝わる柔らかい感触と温かさ。その感触は現実と共に、安堵感と冷静さを総士に送り届けた。
「うん……」
目尻に溜まった雫を垂らし、総士の手を両手で包み込むイナミ。
覆われた指の隙間から流れてきた雫。それは総士の指に触れた途端、燃える様な熱さを伝えてくる。
普通ではない熱さに、触れていた頬から手をゆっくりと引き抜き抜き、自分の手を眺めて違和感を感じた総士はすぐに体をあちこちと動かしてみる。
どこを動かしても痛みを感じないことに驚きながらも、違和感を覚えた総士は舐めるように自分の体を視線を這わせる。
服はボロボロなのに色は元通りに戻っていて、骨と皮だけになってしまった体はそのままに、刺傷と自然治癒を繰り返して出来た凸凹の皮膚は綺麗になっている。
「どうかしたの???」
「あ、あぁ。別にどうってことは無いんだ。何が何だか分からなくて混乱してるんだろ」
「そうなの??」
首を傾げるイナミに自然と頬が緩んだ総士はその場で胡坐をかく───と、なぜかイナミが胡坐で出来た隙間にちょこんと座り、見上げてきたイナミと視線が合う。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん名前はなんて言うの?」
「神童治 総士。君はイナミ……でいいんだよな?」
「そうだよ! イナミはイナミ! じゃあじゃあお兄ちゃんのことは ”ソウ” って呼んでもいい?? 人間って名前とかを短く呼んだりするのが仲がいいってことなんだよね??」
「ちょっと違う気もするけど……。イナミが呼びやすい様に呼んでくれていいよ。俺はイナミって勝手に呼ばせてもらってるしな」
「じゃあお兄ちゃんは今からソウっ!」
未だ目の周りは赤みを帯びてはいるが、無邪気な笑顔を作るイナミに安堵した総士は話題を切り替える。
「それよりも俺の体ってどうなったんだ? さっきまで傷だらけだったと思ったんだけど?」
「イナミが治したっ!」
「俺の怪我を治してくれたのって……イナミなのか?」
「そうだよっ!」
状況からみてもイナミの言っていることに間違いはないだろうと薄々感じてはいたが、こんな綺麗に治る理由も治療法も分かるはずもない。
「やっぱりそうなんだな……。言うの遅くなっちゃったけどありがとうな」
「どういたしまして!」
「それにしたってどうやって治したんだ? あんな皮膚が凸凹だったのに……」
「えっ? だってイナミは死神だもん。治せるよ?」
総士の頭が疑問符で埋もれた瞬間である。
「……ん? 死神って……あれか? 大きい鎌を持って人をあの世に導くとかって言われてる死神?」
「死神ってそういう感じなの?」
お互いが首を傾げ、まるで時間が止まったような錯覚に陥った総士はこの部屋に来た時のことを順に思い出していく。
イナミが普通じゃないということはさっきの 「人間って名前とかって短く呼んだりするのが仲がいいってことなんだよね??」という言葉からもなんとなく理解はできる。
ただ、総士の顔を見た時に発した言葉は辺りを見渡しただけでは理解が出来なかった。
「なぁイナミ、俺がここに来た時に言った言葉覚えてるか?」
「ここに来た時って……。イナミ何か言った?」
「あぁ、《また来ちゃったの?》って言ってたんだ。俺以外にもここに来た人がいるのか?」
総士が言い終えた途端、イナミは視線を外して俯いてしまう。
イナミが口を開くまで総士は待つことにした。今まで来た人がどうなったのか聞いておかなければこれからの自分がどうなるかすら予想がつかない。
「……ソウみたいにここに来た人たちはみんなイナミの顔を見るとすっごく怖い顔をするの。最初はみんなイナミを遠くから見るだけなのに近づいて来るとみんなイナミに触って……みんな痛がって……みんな死んじゃうの……」
イナミの言葉はストンと落ちるように総士の中に納まった。
もしも自分の様に何度も体を刺されたあと、いつの間にかいた場所で出会った知らない子供。
人恋しさから近寄ったにしろ別の理由があったにしろ、触れた途端に血が噴き出したのなら、怯え、逃げ惑うだろうと。
そして、その姿を見たイナミもまた怯えて縮こまってしまったのだろうと。
総士はもう一度イナミを抱き寄せ、頭をゆっくりと撫でながら口を開いた。
「……怖かったし、寂しかったな」
イナミは視線を合わせる事は無かったが、体重を総士に預けて総士の言葉に返した。
「……ソウだけ。イナミを抱きしめてくれたの。ソウだけ………” 1人じゃない ” なんて言ってくれたの」
「そう……なのか……」
そのまま総士はしばらくイナミの頭を撫でることにした。
誰だって悲しい思い出や辛い記憶など絶対にある。だから弱音を吐くことだってあるだろうし、前に進むためには現実を受け入れる時間が必要だと知っていたから。それがイナミの様な小さな子であるならば尚更辛かっただろうと、締め付けられるような感覚に襲われながらも。
そんな静寂を崩したのは───。
”ぐうぅぅうぅぅぅう~”
「……ソウ、これってなんの音?」
「………腹が減った時になる音……」
そっと目を逸らした総士。お腹は空気を読んでなどくれないかったのだが、そんな気恥しさはすぐに遠くまで吹き飛んで行くことになった。
「お腹って減るんだぁ……」
「えっ? イナミは何か食べたりしないのか?」
「ソウ、食べるってなぁに?」
「人間って動いたりするのに野菜とかお肉を外から体の中に入れなきゃいけないんだよ。そういう行動を食べるって言うんだけど……。なぁイナミ?」
誰かと話すことで得られた不思議な安堵感と冷静さが総士に冷や汗を垂らさせた。
「なぁに?」
「ここってもしかして……食べられる物……無い?」
「ソウの言うお肉とか野菜って分からないけど……ここから見えるものしかないよ?」
イナミの言葉に辺り隅々まで見渡すも、見渡す限り真っ白な場所。
「……まじかよ」
「??? 食べないとどうなるの?」
「……餓死。つまり……死ぬ」
無邪気に首を傾けながら総士を見上げたイナミに対して真剣身を帯びた表情で応える総士。
訳の分からない儀式を受けている時は一日に一回の点滴のみ。見ての通りの骨と皮だけになった体に脂肪などいう贅沢な物はひとかけらも存在はせず、このままでは死までのカウントダウンがいつ訪れてもおかしくはない。
「何とかここから出る方法とか知らないか? 元の場所に戻れば……たぶん死ぬことはないと思うんだけど……」
言いながらも、自身が置かれた状況を思い出して言葉を躊躇う。
ここにいれば遠くない未来に餓死。もしも元の場所に戻ったとしたら本当に帰してくれるかは謎でしかない。それでも生きる事を前提に考えるのであれば可能性が高いのは言うまでも無く後者だ。
「ソウいっちゃうの!? いっちゃやだっ!! イナミを一人にしちゃやだぁーーっ!!」
跳ねる様に振り返ったイナミがどすんっと総士の胸に顔を埋める。力強く抱きしめられたせいなのか温かさが骨と皮だけになった体には良く染みた。
ともあれ、総士は誤解を招いたことに深く反省しながらイナミを抱きしめ返し、頭を撫でながら誤解を解くために口を開く。
「あーごめん、勘違いさせちゃったな。出れるならイナミも一緒にだよ」
「……イナミも一緒にいっていいの?」
「当り前だろ。こんな所にイナミ一人置いて行けるわけないだろ」
イナミの表情はすぐに晴れる。
(……やっぱり笑ってる方がいいな)
イナミの表情は今まで見たどんな花よりも心を躍らせてくれた。自分のことを死神と呼んだ子が何故こんな場所に一人でいたのか。総士には分からないことばかりでしかなかったけど、目の前にいる死神はただの幼さの残る女の子にしか見えなかった。
「そっちの方がいいよ」
「そっちって?」
「さっきの笑顔。イナミは笑っていた方が可愛いよ」
「……可愛い?」
「あぁ、さっきの笑顔は可愛かったよ」
「……はじめて言われたぁ……」
総士の言葉に耳まで真っ赤にしたイナミは顔を俯かせ、総士の背に回した手がモジモジと動いているのが背中から伝わってきた。もちろん子供特有の可愛らしさという意味で口にした総士にはなぜそこまでモジモジとなっているのかが分からずに首をかしげる。
「どうかしたか?」
「ううん! なんでもないっ。それよりもここから出たいんだよね??」
「あぁ。ただ必ず二人で、だ」
「じゃぁでよっ!! ここからでよっ!!」
遊園地を前にした子供みたいなイナミに自然と笑みがこぼれた総士だが、疑問も同じくらい自然と湧いてきた。
「イナミはここから出る方法を知ってたりするのか?」
「うんっ! イナミ知ってるっ!!」
思わずツッコミを入れたくなった総士。
「じゃあ、なんでイナミはずっとこんな場所にいたんだ?」
「だってイナミ1人じゃ出られないもん」
一人だと何故出れないのか知るのはずいぶん先となるが、この時の総士は「………まぁ一人は寂しいからってことか?」などと呑気に考えていた。
「……そうなのか?」
「うん……。でもソウが一緒ならへいきっ!!」
言い終えたイナミが総士の首を両腕で包み込む様に抱きしめ、触れた頬から柔らかな感触と熱が伝わってくる。
「……イナミを認めて?」
さっきまでの元気な声ではなく、外見よりも遥かに大人びた声。
(急に何を言っているんだか……)
総士はイナミの頭に手を乗せてゆっくりと撫でながら口を開いた。
「認めてるよ。イナミはここにいるだ───」
総士が言い終える前、体に感じていた重みが消え失せると同時に、さっきまで感じていた柔らかな感触も触れていた温かさも全てが消え去る。
「イナミ!? どこに行ったんだ!?」
( ソウ! ここだよ! )
「───おわっ!」
総士の焦りは自分の中から響いてきた声で驚きに変わった。
( おどろきすぎだよ~ )
クスクスと笑う声が総士の中から聞こえてくる。
自分の意思に反して響く声は、まるで指先で背中をなぞられるようなムズ痒さが体中を駆け巡る。
ただでさえ ” 慣れない感覚だな…… ” なんて考えていると、追い打ちをかけるように体に起きている異変に気付く。
「なぁイナミ、気のせいかもしれないんだけど……なんか俺の体から何か出てきてないか?」
総士の視界に映ったのは小さな火の粉らしき物が自分の体から湧き出ているように見えた。それをイナミに聞いてみたのだが、返ってきたのはなぜか照れたような声音を上げるイナミ。
( ……うん。……産まれたみたい )
「……ん? 産まれたって……何が?」
( ……ソウとイナミの子 )
「ん? イナミ、声が小さくて何を言ってるか聞き取れなかったんだけど……もう一度教えてくれないか?」
(う、うん! その子は ”
「かぐや??? 一杯遊んで……って言われてもな……」
唐突に話を逸らされて首を傾ける総士。それに火の粉の様なもと遊べと言われてもどうしていい物やらと言った状態だ。
( せっかくだから名前を呼んであげて欲しいなぁ )
「あ、あぁ。かぐ…や?」
イナミに言われ、なんとなく名を呼んでみた総士。それに呼応するかのように体から上がっていた火の粉が空を舞い、オレンジと黒が半々といった色に交じり合い、丸く形取ると総士の周りをフワフワと漂い始めた。
「……イナミ、なんか出たんだけど……」
( その子が迦具耶だよっ!! )
「そ、そうなのか……」
” その子 ” と言われても、変わった色の火の玉の様にしか見えなかった総士。
ただ、なんとなく。
本当になんとなく、触れようと手を伸ばした。火の放つ温かさに触れたかったのか、それとも火が放つ輝きが総士の心を搔き立てたのか。
「───っ!?」
吸い込まれた手は温かく、その感触は総士の知る言葉では言い表せなかった。そんな不思議な感触と共に、頭の中に響き渡るのは重くのしかかる声。
”
どこか悲し気に聞こえた声が反響を終えると、触れていた火の玉が周囲を飲みこむ様に膨張を始め、それは総士すら飲み込んだ。ただ、さっきのように総士が驚くことはなかった。
火の中で総士は温かさに包み込まれ、火は吸い込まれる様に総士の中へと消えていく。体の中に入っていくほど満ちていく安堵感。懐かしささえ感じるそれに身を委ねた総士は気付けば床に横たわっていた。
「……思い出せないな」
(どうかしたの???)
「自分でも分からないんだ。かぐや? に触れた瞬間に……なんか懐かしくなったんだ……。でも、それはすごく心地よかった。ただ……俺はいつ感じたんだ? こんな心地よさを?」
( イナミは分からないけど……ソウが喜んでくれたら嬉しいな )
「まぁ、嬉しい…ってことなのかな? ありがとうな」
( うんっ♪ )
総士は少しだけ楽観的になっていた。
イナミにしろ迦具耶にしろ、分からないことだらけの状況だけど、徐々に知っていけばいいだろうと。
迦具耶が炎の神だということ、舞う火の粉は自身を鼓舞する為、その果てに辿り着く一振りの狂気。それは火の祈りを一心に受けた意志の塊であるということを。
( ねぇソウ? そんなことよりここから出なくてもいいの? )
イナミの言葉で思い出したのは泣いた腹の虫では無く、陽葵の顔だった。
「そうだな、さっさと戻って会いに行かねーと」
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