B3話 夢、時々、約束【3】


 「んっ……」


 控えめに言っても最悪な目覚めだった。


 鉛の様な気怠さは重力が何倍にも増したみたいで、背中から伝わる固くひんやりとした感触と寝違えた様な痛みが体を走り抜け、ぼんやりとだが意識が戻って来る。


 あまりの不快な痛みに重たい瞼を開ければ───。


 「えっ……」


 寝ぼけていた脳が一気に覚醒する。


 壁から差し込む月明かりだけが照らす薄暗い木造の部屋。


 まず目に飛び込んできたのは木肌がそのままの天井と、その天井すれすれまである赤い鳥居。


 なぜそんな物の真下に自分がいるのか。状況を確かめたくてすぐに天井に向けていた顔を戻して辺りを見渡したが、目に飛び込んできた異様な光景に震えた声が漏れ出る。


 「 ……なんだよ………これは?」


 窓から顔を覗かせる月明かりで夜だと気付いたが、その月明かりが照らした床には自分を中心に円を描くように真っ赤なミミズ文字だか象形文字。それとなぜか椅子に縛られていた自分。


 早くこの不気味な部屋から出たいという思い。


 言い表せぬ不安に狩られた総士はどうにか体を動かしてはみるも、椅子の足はL字金具とビスでしっかりと床に固定されていて、自分の足と椅子の足とが結束バンドで縛られている。両手両腕も動かしてみるが、背もたれの後ろに回された手は、手首の部分と指一本一本を結束バンドで丁寧に固定されているようだった。


 ───ぎぃぃ。


 扉が開く音が部屋中に響き渡り、反射的に視線を向けた総士は心臓が跳ねあがる。


 扉の先にはまるで軍人を彷彿させるような恰好をして、顔をフルフェイスで覆った2人の人間が立っていた。


 ───お前たちは誰だ!


 そう声に出したつもりで、口はパクパクと動くだけ。その口から声が出ることは無かった。


 その原因は至極簡単。


 軍人かぶれの様な2人の片割れが肩からぶら下げている物。


 月明かを浴びて黒光りするそれは先端が細い筒状で、動く度にカチャっと鳴る軽い音とは反対にどこか重量感を感じる。


 それはドラマや映画の中だけでしか見たことの無いアサルトライフルで、その先端は総士に向けられていた。


 ( ………何の冗談だ? )


 虐めや社会問題などはいつの時代も無くならないが、それでも平和とされている世界で銃など見る機会も無く、平和慣れした総士の口を塞ぐのには充分過ぎるほどの効果があった。


 1人が総士の前で足を止め、銃を抱えたもう一人は総士の後ろへと回りこみ、銃口を後頭部に突き付ける。


 総士の前に立った軍人かぶれが胸ポケットからスマホを取り出し、総士の前に突き出す。その光に眩しさで顔をしかめなるも、それも時間と共に慣れていった目が見たのは短い文章だった。


 【これから数枚の紙を見せる。理解したならば首を縦に振れ】


 総士は頷く以外に取れる術を知らなかった。


 それを見た軍人かぶれは背に回した手から新たな紙を総士に突き出してスマホのライトで照らす。


 【これから実験を行う。君にはそれを手伝ってもらうが拒否権はない。君が逃亡・反抗的な態度を見せた場合、罰を与える事になる】


 生唾をごくりと飲み込み、出された紙を精一杯に睨みながらも勇気を振り絞って口を開く。


 「罰……ってなんだ?」


 自分が思っていたよりも小さく、そして僅かに震えていた声でも静寂が支配するその部屋でも目の前の軍人かぶれに無事に届いたようで、出した紙を床に捨ててスマホに何か打ち込むと、その画面を総士の眼前へと突き付ける。


 突き付けられたスマホの画面にはどこかで録画したのか、ある動画が再生されている様だった。


 再生されている動画には、夕焼けが刺し込む小さな公園のブランコに座っている二人の男女が映し出されていた。


 (……こいつ、まさか)


 総士が目の前の軍人かぶれを睨みつける。


 目の前の軍人かぶれはサバイバルナイフを画面の中の陽葵へと押し当て、それで悟る。


 「………俺が我慢すれば、陽葵には手を出さないんだな?」


 これからどんな実験をするのかなんてまるで分らなかった。それでも、総士は陽葵に危害が及ぶかもしれないと考えたら………答えなんて1つしかない。


 (……なに、散々殴られたりしてきたんだ。今更だ)


 スマホに映る陽葵を見つめ、大きな深呼吸をした総士は目の前の人間を憎悪を込めて睨みながら口を開く。


 「1つ聞かせろ。田中さんはどうした? まさか殺したりしてないよな?」


 目が覚めてから姿が見えない田中。少なくても近くにいない。


 手に持っていたスマホを引き寄せ、何か文字を入力した軍人かぶれが再び総士に突き付ける。


 【田中は私達と同じ構成員。名前も外見も全ては偽り。今回の狙いは君一人だけだ】


 寂しそうに見えた姿も、柔らかい物腰も、全てが偽物だったという事実に不思議と自分の見る目の無さを受け入れられた総士は心の中で「俺はつくづく人を見る目が無いんだな………」と、自称気味にぼやく。


 その頭の中には、なぜか顔すら忘れた両親の姿が浮かんだ。


 思えば実の両親ですら自分を棄てたのだ。いくら葦原園で和馬の思いやりに触れ、同じ痛みを分け与えてきた仲間達や波長のあった陽葵に触れて得た絆があったとしても、心が重くなっていくのを止められることが出来ない。


 それでも陽葵は違う。


 昨日まで総士が真司や仂に手を出されても仕返しをしなかったのはそれらを壊したくなかったから。そして、今日からはそれが陽葵の未来を守るためになっただけ。


 胸に幾度も走る痛みに耐えながらも、目の前にいる軍人かぶれに視線を向けると更に紙がもう一枚出される。


 【1日、2カ所から4カ所、君の体にナイフを突き立てる。合計で1000カ所に達した日、君は解放される】


 (………はっ?)


 いきなりのことで頭の回らない総士は口をポカンっと開けて固まった。周りから見れば間抜けなように見えたかもしれないその仕草。それは軍人かぶれ達にとってただの好都合でしかなかったようだ。


 後頭部から銃口が離れてすぐ、総士の口はロープを口に噛ませる形で縛られる。


 猿ぐつわの役目を見事に果たしているロープのせいで声にならない喚き声をあげるも、目の前の軍人かぶれは淡々と新たな紙を出すだけだった。


 【それでは今日の分を始める】


その短い文章を突き付けられてすぐ、背中から痛みが走る。


 「うぅーーーーっ!! んんんぅぅぅーーーーっ!!」


 それは熱を帯び、ゆっくりと少しずつ体の中に入っていく。今までに感じたことの無い痛みと熱量。そこから溢れる液体が自身の温かさを無意味に知らせてくるが、少しもすれば冷たくなり、鉄錆の様な匂いが鼻に残る。


 ゆっくりと時間をかけ、背中1カ所、左腕1カ所、両ふくらはぎ2カ所。


 余りの痛さに「やるなら一気に刺してくれっ!!」と言いたいが猿ぐつわのせいで「うー!!」としか響いていない。


 最後のふくらはぎを刺される時など、月の姿を張り付けたサバイバルナイフを見た瞬間に目を逸らすのが手一杯で、ロープを噛み締めて耐える以外の気力は総士にはなかった。


 そして最後に突き出された紙。


 【今日はこれで終了。明日、また会おう】


 (勝手にしやがれ……)


 声を出す元気などあるはずも無く、心の中で毒づくも徐々に赤く染まっていく自分を見ることしかできなかった。





 初めて刺された夜からいくつの月を眺めただろうか。


 最初に教えられた通り、夜になると軍人かぶれが必ず訪れた。


 毎日違う場所を刺され、その度に勝手に動く体。既に着ていた服の殆どはボロボロで、服の色は自分の血で真っ赤に染まり、鉄錆の様な匂いにも鼻が慣れていた。


 【1日、2カ所から4カ所。君の体にナイフを突き立てる。合計で1000カ所に達した日、君は解放される】


 あの日、軍人かぶれが見せた紙が頭の中によぎり、総士は自分の体を朧げな目で見回した。


 かさぶたになっている傷跡。既に治ってぷっくりと膨らんだ皮膚。とろりと赤く流れ出る傷口。どこを見ても凹凸しか見当たらない自分の体。


 それでもまだ、生きている。


 本当に殺す気は無いのだろう。


 猿ぐつわを取ることはしないが、1日1回の栄養剤を点滴で済ませる日々。もちろん出るものは全て床が吸ってくれていたが、部屋に充満する匂いは常人に耐えられるものではないのだろう。今日に至るまでに耐えられなくなったであろう軍人かぶれが窓を開け放っていた。


 それよりも、食べ盛りの十代である総士が栄養剤だけで足りることは無く、ここに来るまで健康的だった体はすっかりと痩せ細り、ナイフで刺されればすぐに骨に到達してしまう程だった。


 栄養失調気味となったその体では思考が働くこともなくて、今では自分で考えていることなのか状況が考えさせていることなのか、それとも全てが夢なのかさえ判断がつかないでいた。


 (……俺は……何をしてるんだ?)


 変わりゆくのは小さな窓から覗く陽か月明かりのみ。


 (俺は……なんで生きてるんだっけ?)


 窓から差し込む月明かりを視界に納めながら問う。


 (和馬は ”誰だって幸せになっていいんだ” ……なんて言ってたっけ……)


 葦原園に入居するようになってから和馬によく言われていた言葉を思い出す。


 森崎 和馬は結婚して子供もいた。過去形になっているのは車の事故だかで二人を一瞬で失い、一時期は途方に暮れていたという話は葦原園の誰もが知っている話だ。


 そんな経験があったからなのだろう。和馬は新しい子を迎える度に決まった言葉を送っていた。


 ” お前たちがどんな目に遭ったか……。俺には想像しかできない。同じ経験をした訳じゃないからな。でもな、誰だって不幸を抱えて、みんなが幸せを探して生きるんだ。誰だって幸せになっていいんだ。だから自分達を責める時間があるなら、俺と笑って暮らそうぜ ”


 幾度も聞いた言葉だった。


 それも、今では否定する考えしか浮かばない。


 (和馬……。これはどう考えても…… ”世界が俺に死ね” って言ってるように感じちまうよ……)


 流す涙も、血も、希望も、夢も、全て。


 その全ては流れ出る血の様に体から抜け落ちていく。


 (陽葵……。陽葵さえ、陽葵さえ無事なら……。それだけで生きている理由になる……か)




 それ以降、総士は考えることを辞めた。

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