B2話 夢、時々、約束【2】


 翌日の朝。


 生地がほつれ、チャックの締りが渋いリュックを手に持つ。


 中学で使用していた制服から筆記用具まで、殆どの物は先日の夜に和馬へと渡していた。もちろんこれから育っていく他の子達に使ってもらう為に。


 リュックに入っているのは、少しの私服とノート1冊、それと鉛筆が1本。


これからの仕事に備えてメモが取れるくらいの筆記用具は欲しかった総士は和馬に尋ねてみた。


 和馬には「それだけでいいのか?」と逆に心配されたのだが、経営がおぼつかないことを偶然にも知ってしまった総士としては不安が募るばかりなのだが………、


 ふと視界に入り込んだのは、先日受け取ったばかりの卒業アルバム。


 立派な表紙から伝わる重厚感とは反対に思い出は羽の様に軽い本。


 載っている8割は関係の無い人間の笑顔が映っていて、1.5割以上が顔も覚えていない見知らぬ人々。残りの0.5割未満に詰まっているのは陽葵との思い出や数少ない友人との思い出が詰まっている。そんなアルバムだ。


 総士は手に持ったそれを、動かす度にガリガリと音を立てるチャックを開けて丁寧に入れる。


 「ソウ、迎えが来たぞ」


 部屋の扉越しに聞こえてくる和馬の声。


総士は、その場で部屋を見渡す。


 中学入学と同時に広かった部屋の一つを合板と2×4材を使って間切りした掘っ建て小屋の様な個室。


和馬が「そろそろ個室の一つもあった方がいいよな?」と言い出したのがきっかけで、2人で共に作った部屋。


置いてあるのは布団と小さな折り畳みのテーブル、余った廃材で作った小さな本棚だけ。


 (……ほんとうにありがとう)


 「おーい、ソウ?」


 「あぁ、今行くっ!」


 これからは自分の足で歩き、生き方を決めていく。その為の一歩をしっかりと踏みしめ、総士はリュックを背負った。


 部屋を一歩出れば玄関へと続く廊下。廊下には壁に背を付け、俯いている陽葵。


 総士はまっすぐ前を見て足を進める。


 ただ一言。


 「絶対に迎えに来るから」


 「………ん、待ってる」


 お互いがお互いの言葉を一滴残らず胸に染み込ませ、声音を体に余すことなく刻み込む。


 玄関に辿り着くと、一年ぶりに会ったにも関わらずまるで変わっていないおじさんが人の良い笑顔を浮かべながら大きく手を振る。


 「総士君! 待ちきれなくて早く来ちゃったけど……大丈夫だったかい?」


 「えぇ、自分も楽しみでしたから」


 「そうか! それならよかったよ!」


 くたびれたシャツと黒縁眼鏡がやたらと似合うおじさん───田中たなか 誠二郎せいじろうは、顔のシワをはっきりとさせながら笑顔で総士を迎えた。



 それからは葦原園のみんなに見送られながら、田中が乗ってきた白のセダンへと乗り込む。見送りの時、陽葵がみんなの後ろで控えめに手を振ってた姿を見ながら、それでも車は進みだす。


 田中の家までは葦原園からは距離があるのか、総士を乗せた車は高速道路を2時間、それから下道を走ること1時間。慣れない車の移動は窮屈さと腰の痛みを我慢する羽目となった。


 それでも何とか耐えきった先にあったのは、木々に囲まれたログハウス風の家とその隣に家と同じ位の敷地面積の掘っ立て小屋の様な工場がぽつり。その二つの建物の前には砕石で固められた土地が目の前に広がっていた。


 「ここが僕の家と会社だよ」


 「……レトロな場所ですね」


 そう言って、ログハウスと工場を眺めた後に後ろを振り返ると、両脇を木々が埋め尽くし、終わりの見えない砂利道が続いているのを見て自分の意思とは関係なく身震いをした。


 高速道路も下道も、アスファルトの上を走っている時は退屈で腰が痛くなるだけでよかった。それもここに続く林道へと車が突入してからは天然のアトラクションと化していた。


 道にいくつか点在していた水溜りのへこみは三半規管を大きく揺らし、道中に見え隠れした木の根っこはシートベルトをしていなければ天井に頭をぶつけていただろう。


 それらの苦痛から解放されたのだから、足から伝わって来るゴツゴツとした石の感触や体を包み込むひんやりとした空気も、いつも以上に新鮮さを感じさせてくれたものの、これからのことを考えると少しだけため息を吐きたくなる。


 (……これは陽葵を迎えに行くときは何か考えないとダメだな)


 お金を貯めたとしてもこんなに田舎なら公共交通機関も怪しいし、原付の免許が現実的なのかもしれないがここに来るまでの道のりを思えば滑って転んで救急車だろう。


 「ははは……。両親から受け継いだ会社でね、少し古めかしいのは我慢してもらえると助かるかな」


 レトロ………と口にした総士だったが、それは田中に気を使ってのこと。


 外壁の木材は赤めの茶色ではなく、すっかりとくたびれた灰色。所々にペロンッとめくれた木の皮がアクセント。


 隣の工場は総士の腕位の太さの鉄骨で作られた物。屋根は暗みが強い青のトタンが渋さを醸し出し、隠れもしない細い鉄骨は勇気を振り絞って立ち尽くすむ屈強な老兵の様。その老兵を囲む様に張られた塩ビのトタンが身軽さの象徴であり、今にでも旅立つ準備は万全だ。


 (……もしかしなくても経営が苦しいのか?)


 そう思わずにはいられなかった。


 「詳しい話はまだだったね」


 田中が車に鍵を掛けながら口を開き、総士を見た後に家へと向かう。総士も新しい生活へと向けて足を踏み出す。


 「うちは代々木材の製材や加工製品、受注量にもよるけどオーダーメイド品なんかも作らせてもらっているんだよ」


 玄関を抜けると、そこには先程まで感じていた古めかしさが急激に薄れていった。


 正面には木目を最大限に生かした階段が存在感を放ち、手すりには等間隔に作られた鷹の様な彫刻が未だ色あせない美しさを放っている。


 それとは裏腹に、階段の隅や玄関の角には少しだけ溜まったほこりが生活感を演出し、総士は少しだけ頬が緩むのが分かった。


 「初めて総士君と出会った前の年に両親が亡くなってね、従業員は熟練の老兵が五人だけ。その今まで頑張ってくれている従業員も歳には勝てなくてそろそろ退職をさせてくれとお願いされているんだ」


 正面にある階段の横をすり抜けて右側にある扉を開け放つと、部屋の中央には8人程で囲めるほどの大きい木製のテーブルと、丸太から削り出して作ったであろう椅子が置かれていた。


 その椅子に腰を掛けた田中が言葉を続ける。


 「さぁ、座って。ここは今でも仕事の打ち合わせなんかにも使う部屋だから総士君にも慣れて欲しいしね」


 「はい、頑張ります」


 ” 仕事 ” と言う単語に気を引き締められるような気がした総士は、キョロキョロと辺りを見渡しながらもたどたどしく椅子に腰を掛ける。それを見た田中はくすりと笑いながらも、にこやかに笑顔を作った。


 「そんな他人行儀な言い方はよしてくれ。これからは総士君とは家族なんだから」


 「はい、頑張ります」


 総士の返答に目を丸くした田中だったが、少し間を空けて大きく笑いだす。


 「頑張っちゃダメじゃないか。───まぁ、それよりもこれからの話をしようか」


 「お、お願いします」


 田中の話を簡潔に言えば、婚期を逃し、跡取りのいない田中さんは親から受け継いだ会社を潰したくはないし、今でも取引のある昔なじみの会社に迷惑を掛けたくない。だから跡取りを探し総士と出会ったこと、これからは生産技術と営業を同時進行で憶えて貰うことを告げられた。


 「必要な物があればどんどん言ってくれていいからね。それとこれで話は終わり。ここに来るまで時間が掛かったから疲れただろう? 趣味にしている狩猟で鹿を捉えたんだ、鹿鍋の準備も出来てるから食べながら総士君のことを聞かせてもらってもいいかい?」


 「……いいんですか?」


 「遠慮なんていらないよ。僕たちは今日から家族なんだから」


 笑顔で言う田中に苦笑いで応える総士。


 なにせ総士は「鹿鍋、食べてもいいんですか?」と言う意味合いで言ったのだから。


 鹿鍋など話に聞いたことがあるだけで口にしたことなんて一度も無い。さらに経営がギリギリな葦原園では、肉と言えば鶏である。総士の口の中に涎が溜まっていくのも無理はないだろう。


 「じゃあ僕は準備をしてくるから。階段を上がって左に曲がった先の突き当りにある部屋が総士君の部屋だよ。荷物を置いて準備できるまではゆっくり休んでね」


 「お言葉に甘えて行ってみます」


 総士は田中が部屋を出ていくのを見送ったあと、軽く深呼吸をする。鼻腔を通り過ぎた空気は当たり前のように葦原園の物とは別物で、否応なしにこれから新しい生活が始まるのだと実感させられた。


 自然と頭を駆け巡ったのは控えめに手を振っていた陽葵。


 (早くこの生活に慣れるように俺も努力しないと……)


 総士は田中に言われた通りに自分に割り振られた部屋へ向かうことにした。


 部屋の扉の前には木彫りで《総士》と書かれた小さく控えめなドアプレートがぶら下がっていた。この部屋で間違っていないことを確認して扉を開けると、真新しい木製のベッドに大きな机と椅子が置いてあった。正面の壁の中央には奇麗に磨かれたであろう大きな窓。どれも総士の心を躍らせるには充分過ぎる部屋だった。


 ベッドを手で撫でまわし、意味も無く椅子に何度も座ったり立ち上がったりを繰り返し、さっきまでいた外を窓越しに眺める。


 しばらくそんなことを繰り返していると大きな声が家の中に響き渡る。


 「おーい!! ご飯の準備ができたよー!!」


 朝からなにも食べていないお腹は素直で、聞いた瞬間にぐぅぅぅ~っとだらしない音を鳴らす。


 「はーい! すぐ行きまーす!」


 急ぎ早にさっきまでいた部屋へと向かい、辿り着いた部屋の扉を開けると、鍋敷きの上に大きな土鍋を置いてるエプロン姿の田中がにこやかに総士に笑いかけた。。


 「その顔は気に入ってくれたかな?」


 「はいっ!。あんな素敵な部屋だとは思っても見なくて……。本当にありがとうございますっ!」


 「そう言ってくれると準備した甲斐があったよ。なにせあの部屋にある物は全部僕が作ったからね」


 初めて見た自信満々の田中の笑顔に総士は固まった。


 「えっ……。あれって全部田中さんが作ったんですか?」


 「そうだよ。僕の会社は木材加工だよ? それに言ったじゃないか、受注量にもよるけどオーダーメイドも受けてるって」


 そう言って自慢げな笑顔のまま大きく笑った田中。それを聞いて嬉しい気持ちが100%。自分も作れるようにならなきゃいけないという気持ちが100%。総士の脳はショートしていた。


 「さぁさぁ、せっかく作ったんだ。冷める前に食べよう」


 「はぁ……」


 総士が言われるままに椅子に腰を掛けると、田中が取り皿と箸を目の前に置いてから土鍋の蓋を開ける。


 立ち込める湯気と香りに喉を鳴らし、今にも箸を伸ばしたくなる衝動を抑えるのに必死になる。里親とはいえ、初日からがっつくのには抵抗があったのだが、長年の眼光はそれを見越した様だった。


 「ははは、我慢しないで食べてくれていいよ。僕も今日は用がないからお酒でも飲みながら食べようかな。僕はお酒を取りに行ってくるから総士君は先に食べててくれ」


 「じゃあお言葉に甘えてお先に頂いてます」


 田中が部屋を出るの同時、総士は取り皿を片手に箸を鍋へと伸ばす。


 様々な具材がある中、食欲に負けた総士は迷いなく薄切りしてある鹿肉を掴み口へと頬張る。


 ピリ辛のだし汁が口の中を駆け巡り、噛むごとに広がるしつこ過ぎない肉の甘い油。独特の食感と鹿肉のいい所だけを前面に出しきった料理に感動すら覚える。


 次に近くに置いてあったレードルでだし汁を取り皿へと移し、一気に流し込む。ピリ辛のだし汁は額からうっすらと汗を浮かべさせ、それでもまだ飲みたいと思わせるだし汁に感服した。


 (こんなに美味しい物があるとは思わなかったな……。醤油と豆板醤は分かる。他は何を入れてるんだ? って………あ…れ?)


 口の中に広がる幸せを噛みしめながら頭の中で一人料理談義を始めた総士だったが、急激に頭の中に靄がかかったようにぼんやりとし始める。


 今日は初めてのことばかりで、少し疲れが溜まったのかも。そう考えていた総士に後ろから声が届く。


 「総士君? どうしたんだい? だいぶ眠そうな顔してるけど……」


 振り向けば、一升瓶とグラスを片手に持った田中が不思議そうな視線を送っていた。


 「いえ、少し疲れたのかもしれません」


 総士はさっきよりもハッキリしない頭を片方の手で支えた。


 その姿を横目に反対側に腰を掛けた田中は持ってきたグラスに酒を注ぎ、一口飲むも総士の変化に不安を覚えたのか、鍋越しに覗き込む様に総士へと視線を送る。


 「総士君、本当に大丈夫かい? 疲れたのなら早めに休んだ方がいいよ?」


 「えぇ、そう……ですね。そう……させてもらい……ます……」


 初めて感じる睡魔の深さに総士も違和感を感じ、自身の部屋へ戻ろうと足に力を入れた瞬間、頭を支えていた手は滑り、立ち上がろうとした足は動かしたと同時にもつれ、テーブルに頭をぶつけてゴンッと鈍い音を響かせたのを最後に、総士の意識は途切れた。


 「───総士君!?」


 田中が総士の元へと駆け寄り、体を揺するも反応が返って来る事は無かった。


 




 


 

 


 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る