第5話 神鬼、時々、思想省【3】
惟神大社。本殿地下5階。
「はぁ……はぁ……」
畳が敷かれたバスケットコート4面分もある修練場。その中心には白い道着を身に着けた総士、袴姿の空璃、Yシャツ姿になった志執郷が対峙していた。
「総士殿、少し鈍っとる様じゃな」
どこかつまらないといった表情をした空璃。ヒョロヒョロとした体からは汗の一つも垂れず、涼し気な様子で座り込む総士を見下ろしていた。
「……空璃様、総士様1人に対して私達2人というのは……」
「郷や、甘えは厳禁じゃぞ。───手を抜くのもじゃ」
「……申し訳ありません」
「それと総士殿。しつこいようじゃが、自分を守ることの重要性をもう少し理解するんじゃ。それが嫌なら大人しく護衛をつけることじゃ」
総士が今の生活を送る条件として出されたのが《空璃からの修業、または護衛をつけるか》のどちらかだった。その問いに対して修業を選んだのは総士自身である。それでも24時間、休むことなく総士と陽葵は監視されているのだが………。
「それだけは勘弁してくれ」
監視だけならまだしも、ずっと近くに他人がいると言うのは落ち着かないどころの話ではなくなってしまう。
「ならば総士殿が強くなるしかないの~」
空璃が総士に念を押すのにも理由がある。
総士たちを保護したのは空璃個人や惟神大社ではあるのだが、惟神大社とも深く関りがある思想省が支持をしている。
もちろんその理由は偽善的な物ではなく、貴重な観察対象としてだ。
思想省は人道的に総士たちを調べるも、解明されたことは限りなく少なく、殆どが検証を終えても机上の空論となりつつある。
本来の依り代の定義は自然崇拝や
最近では《イナミ様が神だとし、総士様が依り代だとするならば、依り代を失った場合神はどうなるのか?》という疑問で賑わう思想省だが、総士は見ざる聞かざるである。
実際問題、議論に決着がついたところでどんな判断を下されるのかなんてことは総士には分からないし、なってから考えることだと思っている。
ちなみに、神蔵の様な降神巫も稀有な存在ではあるのだが、依り代ではなくて神降ろしの様な物だと位置付けられているし、イナミの様に意思疎通ができる訳ではないのだから、総士とイナミの様に議論を湧き起こすようなことは無かったりする。
「……分かったよ」
「ならばこの後は実戦と行こうかのぉ~。───のぉ、
いつの間にか空璃の後ろから姿を現した老人。空璃よりは幾分か若そうに見える老人だが、蕩けた様な目つきやぬるりと歩く姿が悪寒さえ感じさせる。
「……やっと某の出番」
今の時代では見ることが無くなったの侍の様な格好をした老人───桑折は空璃のボディーガードであり、志執郷と空璃と共に総士の修業を見ている者の一人である。
桑折は空璃の横に並ぶと腰に挿してあった脇差の鞘を投げ捨て、抜身になった刀身を蕩けた目で見つめ始める。
「……
「総士殿、
「お二方、流石に ” あれは ” 私の手には余りますので下がらせて頂きます」
空璃が蕩けた様な表情を織り交ぜ始めたのを見て、郷は静かに頭を下げると脱兎のごとく陽葵とイナミがいる壁際へ移動し、それを見ていた総士は額から溢れてくるヒ冷や汗を原動力に叫ぶ。
「じじぃ! やるならせめて時間を決めてからにしてくれ!」
「そうじゃな……。では30分位としておこうかのぉ~。桑折もそれでいいじゃろ?」
「……承知」
「だそうじゃ」
総士を囲む様に移動を始めた桑折と空璃。二人は円を描くように移動しながらも指をワキワキと動かし、挟み込むように位置取る。
「総士殿、今日は楽しませてくれるんじゃろ? もうワシも我慢できんからの……」
「……同じく」
総士を前後に挟んだ二人は蕩けっきった顔を隠すことも無く佇んでいた。
( 前門の変態に後門の変態かよ……… )
心の中で毒づきながらも言葉を発する。
「───
名を呼んだ瞬間、総士からは火の粉が湧き上がり、手には拳十個分位の長さもある深紅の刀が現れる。
「ほぉ……、初めて出した時よりも赤く輝いておるのぉ」
「……至極完美」
「まじで当たっても知らないからな」
「若造がよう言うのぉ。神が産み落としたとされる十束の剣とは言え……じゃ、主が使えるようになったのは最近じゃろ? それに……じゃ、総士殿がその刀を自在に扱えるようになったとしても………ワシらが負けるなんてことは想像ができないのぉ」
「……至極同意。……閃を越えてない」
桑折の放った言葉が総士の耳に届いた頃、総士の背中には悪寒が駆け巡る。
総士は背後から振り下ろされていた脇差を振り返る事なく体捌きで避けると、前方からゆらりと総士に向かって伸びる空璃の手。それも前転をすることで避ける。
「───クソっ、相変わらずだな」
姿勢を立て直しながらも視線で空璃と桑折を追う総士。
総士の追った視線は二人を包み込む様に総士にしか見えない深紅の軌跡となる。
(………迦具耶、遠慮はいらない)
総士は自分から伸びている深紅の軌跡を持っている刀で断ち切る。瞬間、深紅の軌跡は実態を持つと同時に激しい熱量を放つ。
それに触れた者はもちろん、近くにいるだけでも全てを塵と化す……はずなのだが。
「分かり易いのぉ~」
「……足りぬ」
総士の右横には刀を持った変態。左横には無手の変態。
「だからじじいは嫌いなんだよっ!」
心の底から叫ぶ総士だった。
───前門の変態、後門の変態に絡まれる事、30分後。
総士は所々焦げた畳の上で大の字で横たわっていて、それを見下ろしていた老人二人はどこかスッキリとした様な表情を浮かべていた。
「総士殿、もっと自然と力を使えないとダメじゃぞ?」
「……殺気の露見」
総士には二人の言っていることが毎度分からずにいた。
二人の老人曰く、総士が何か行動をする前には殺気を感じて動いているらしいのだが、殺気を放っているのかすら自分では自覚が無いのだからどうしていいか分からず、毎度二人に責め立てられるという苦行の時間となる。だからこそ始める前に時間を決めた訳なのだが、それでも体は限界を迎えていた。
「まぁあれじゃな。その歳で殺気も放たずに人を殺せるようになったら怖くて寝れなくなってしまうのぉ」
「……はぁっ……はぁっ……。うっ……せぇ……」
そんな日が来ないと知っていて言う空璃に、精一杯の反論をしたかった総士。
「鍛錬が足りん。疲れたじゃろうから今日は泊れるように手配しておくかのぉ。それと明日帰る前には一度顔を出すんじゃよ?」
それだけ言い終えると、空璃は来た時よりも軽い足取りで修練場を後にした。それを寝転がりながら視線で追いかける。
「ソウ!? 大丈夫!?」
ふと聞こえてきた方に視線を向けると、パッと空中に湧き出たイナミが奇麗な姿勢で正座をしている。
(……そこかぁ)
なぜ空中に、それも横たわっている総士の真上に現れたのか、それはイナミ本人にしか分からないことです。
そのままの姿勢で自然落下を始めれば普段ならこじんまりとした可愛い膝がすぐに凶器へと変わるのは言うまでもない。
「───おふっ!? ……だ、だ、大丈夫だ……」
重力と子供には勝てない総士なのだ。
鳩尾へと納まった膝を丁寧にどけながら息のできない苦しさに悶えていると、陽葵がせっせと総士の元へ駆け寄って来る。
「ソウ、これ」
悶絶している総士へ陽葵が差し出したのは冷水で濡らしたタオル。
一言「ありがとう」とだけ伝え、受け取ったタオルを顔へ運ぶ。ひんやりとした感触は乱れた息を少しだけ楽にしてくれて、冷たいはずのタオルは心は温かくしてくれるのを感じる総士だった。
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