第2話 幼馴染、時々、死神【2】


 背丈ほどの高さに積み重ねられたレンガの壁が囲む洋風の平屋。


 お世辞にも大きいとは言えない平屋だが、辺りには他に家も無くて、灯ったオレンジの漏れ出る明かりが灯台のように辺りをほんのりと照らしている。しかし、森林に囲まれたような場所でも田畑がせしめる場所でもなく、家の周りはしっかりとアスファルト舗装がされていて、一見してみれば広い土地になぜか小さめに建てた家。


 そんな場所に建てられた家からは、かすかに漏れ出る和風出汁の香りが辺りを漂っていた。


 「「いただきます」」


 リビングの中央に設置された長方形の大きなテーブル。その中央には小さな土鍋が一つ。蓋にある小さな穴からは一筋の湯気がゆらりと立ち上がり、それを見つめる視線が二つあった。


 一つは蓋を開けるタイミングを見計らっているのか、普段通りを装いながらもどこか真剣さを感じる視線。


 もう一つは「いただきます」と、普段通りのか細い声で言ったにも関わらず、相向かいに座っている男性に向ける視線。


 二人の視線の理由は他愛のない理由だ。


 帰宅後、おでんを作るといった片割れは台所へと向かい、今までの経験を総動員して鰹節ベースで出汁を取り始め、醤油、みりん、料理酒。隠し味に柚子胡椒を少量。そこからは具材を入れ、味が染み込むまで待つだけ。


 ふと気になり、相方の姿を探してみるもリビングに姿は無かった。


 (……どうしたのかな?)


 そう感じた彼女は家の中を玄関に靴があることを確認し、家の中にいると確信を得てから捜索に赴いた。


 捜索と言ってもこの家には二人の部屋とリビング、風呂場とトイレしか存在しない。探すまでも無く見つかるのが当たり前だ。


 そして、予想通り片割れを見つけるまではそう時間もかからず、風呂場で見つけることに成功するのだが………それが問題である。


 「……ソウ? 何してるの?」


 見つけた片割れは小さな女の子を背におぶり、メラニンスポンジを片手にカランを磨いていた。背におぶっている少女は蕩けた顔のまま鼻をスンスンと動かし、総士は動かしていた手を止める。


 「……たまには……ね?」


 帰宅前、「ソウはゆっくり休んで」と確かに伝えたはず。その数時間前の記憶を念のために確認したが、間違いなく伝えている。


 ただでさえ、彼は銃弾から今日も私を守ってくれたのだからゆっくりして欲しい。


 彼女はそう考えていたのだが、想いは伝わらず。


 いや、彼は手持無沙汰だったのかもしれない。そうは考えてみるが、自分の考えを全く持って無視されるというのは存外気持ちの良いものでは無い。結果として彼女は気の晴れないまま今に至る。


 打って変わって当事者のはずの総士だが、彼は土鍋から香る出汁の匂いで口いっぱいに溜まった涎をゴクリと飲み込んだ。


 無限に感じる静寂の間。


 せっかく陽葵が作ってくれたおでん。陽葵が手間暇を惜しまない事も知っている身としては、目の前の土鍋の中が美味しい物であることは疑う余地のないこと。それならば躊躇うことなく蓋をあけるべきだ。


 とはいえ、今の陽葵の不機嫌さは自分が原因であることは言うまでもない。


 いや、ここで躊躇っていてはいけない。


 ───今大事なのは陽葵の料理想いを無駄にしないこと。なれば俺はどんなことを言われ様とも蓋をあけないくてはいけないんだ。


 そう自分に言い聞かせ、ありったけの勇気を絞り出して手を蓋へと伸ばす。



 ───ピンポーン♪



 蓋に手が届く直前、唐突に聞こえてきたのは呼び鈴。

 この呼び鈴をタイミングが良かったと思うべきか、それとも悪かったと思うべきなのか。唯々ため息を一つ吐き出してから玄関へと向かう事にする。


 玄関に向かう途中、リビングを出ようと引き戸に手を掛けたところで総士の背から声が掛かる。


 「ソウ、忘れてる」


 「あっ……」


 総士は引き戸に伸ばした手を止め、後ろを振り返る。


 一緒に暮らし始めた時、陽葵と交わした2つ目の約束。


 それは ” 家の中以外では二人で行動する事 ” だ。


 陽葵の中では玄関は家の外という扱いらしく、玄関を開ける時も二人で行動することになっていた。さっきまでのプレッシャーから解放された時に頭の中から抜け落ちてしまった総士は「ごめん」と謝り、陽葵へと手を差し出す。


 普通ならこんな約束をすることは無いが、この約束をすることになった理由が自分にあるのだから、総士がここで謝る以外の選択肢はまず無かった。


 心配なのは社会人になって働き出したらどうするつもりでいるのか。それだけは約束を交わした日からの些細な悩み事ではあるのだが。



 隣に来た陽葵の手を取り玄関へと向かう。


 住宅街から外れた家に来る客などほとんどいるはずも無く、念のために警戒しながらのぞき穴を覗く。


 のぞき穴から見えた人物は黒尽くめのスーツを着用し、髪はオールバックにきっちりとセットした人物。普通と違うのはスーツがはち切れんばかりに隆起した筋肉と、黙っているだけで人を殺してしまいそうな鋭い眼光だろうか。


 総士は見慣れた人物だったことに警戒を解き、すぐに玄関を開ける。


 遮る扉がなくなると黒尽くめの男は深々と頭を下げた。


 「総士様、陽葵様、夜分遅くに申し訳ありません。ちょうど近くに用がありましたので寄らせて頂きました」


 「郷さん、俺みたいなんに頭下げる必要はないですって」


 「そうはいきません。事実を知る身としては最低限の敬意は持っていますので」


 目の前の男────志執ししつ ごうは頭を上げるなりニカッっと破顔するも、元から空恐ろしかった顔がますます悪化した姿に「うっ……」と声を漏らしながら反射的に後ずさる総士。


 「……ソウがお世話になっています」


 総士が後ずさった隣で陽葵がちょこんと頭を下げると、慌てた様子で郷も頭を下げた。


 「陽葵様もお元気そうで何よりです」


 再び深く頭を下げた郷。総士はその姿を見て「相変わらず律儀な人だな……」と感じながらも気を引き締めた。目の前の男が理由も無しに顔だけ見せるなんて事はないはず。


 「それで郷さん、今日はどうしたんですか?」


 頭を上げた郷が鬼の様な顔から鋭い眼光へと戻る。


 「いつもなら電話で済ませることなので恐縮ですが、明日の夕方、神蔵様がお越しになるそうです」


 「あっ………もう一ヶ月経ったのか………」


 郷の言葉に盛大に顔をしかめる総士。


 神蔵 芽愛かぐら めあ

 彼女は総士の1つ年下で監視役みたいな人物。言い方を変えれば保護観察の担当官みたいな側面が強い。


 ただしこの神蔵と言う少女、育った環境が悪かったのか、それとも稀有な力のせいなのか、総士としてはかなり苦手な部類の人間。そんな人物が来ると分かれば憂鬱なだけだった。


 「今回は神蔵様から急に連絡を頂いたので私では要件までは分からのですが……」


 「あぁ、それは別に構わないですよ。いつも通りでいいんですか?」


 神蔵が会いに来る場合、夕方の6時にこの自宅に来るのが通例だ。簡単な家庭訪問の様な感覚と言えばいいだろう。


 「えぇ、その予定と聞いてます」


 「分かりました」


 総士から了承の返事が聞けたことで安心に繋がったのか、再び鬼の様な顔を作り「それでは失礼いたします」と一言告げると、音も無く玄関の扉を閉め、音も無く去っていった。


 郷を玄関から見送った総士は明日の憂鬱さに今日何度目かのため息を吐き出す。


 「おでん……冷める」


 隣から聞こえてくる声に顔を向けると少しだけ呆れた様な顔の陽葵。


 (不思議だな……)


 呆れられている様な表情を向けられているにも関わらず、なぜか陽葵の顔に、陽葵の声に心が軽くなったように感じるのはなぜなのだろうか。


 「……そうだな。戻ろうか」


 繋いでいた手の反対側で自分でも気付かないうちに陽葵の頭を撫でていた。その手の平から伝わって来るフワサラとした感触、それと温かさが伝わってくる。


 「……? ソウ?」


 「なんでもない。早く食べよう。さすがにお腹減ってきたしな」


 陽葵の頭からなんとか手を離してからリビングに向かう。



 陽葵の作ってくれたおでんを平らげ、膨れたお腹に充実感と心の安寧を感じながらも今日の体の疲れを流そうと風呂場へと向かう。その途中、いつもの様に内側から声が響いた。


 ( ねぇソウっ! 今日も一緒に入るんだよね!? )


 ( そうだな。その代わり体はしっかり温めるんだぞ )


 ( うんっ! )


 イナミが風呂を始めて体験した後から風呂に行こうとすると必ず声がかかる様になった。総士としてもイナミに普通を知って欲しいし、施設で子供たちと風呂に入っていたから懐かしさすら覚えてしまう。


 欲を言えば、もう少し広い風呂でイナミがはしゃいでいる姿が見たいと思っている総士だが、一般的な風呂では子供とはいえ一緒に入ったら窮屈になるのは至極当たり前の話である。さすがに総士も「いつかは……」と思っている程度で贅沢な願いだと諦め半分といったところだろうか。



 窮屈なまま、しっかりとイナミの肩が湯船に浸かっているのを確認した総士はメトロノームのように左右に首を振るイナミを見ながら物思いにふけていた。


 (イナミは幸せを感じてくれているのか……な)


 そう考えていた総士は、ふと自身の体の一部に視線を向ける。


 総士は昔から父に殴られることが多く、大抵の傷は殆どが消えたけど唯一右肩の切創は消えずに今でも皮膚が盛り上がっている。そしてその傷が原因で養護施設に入る菊花だったと記憶している。


 陽葵が制服のブラウスの下にTシャツを着ているのも、左の脇腹にある火傷の跡が見えないように、だ。


 だから二人は自然と願うようになった。幼い子たちが ”普通” を手に入れられることを。普通の幸せを。


 「ソウ? どうかしたの?」


 イナミが顔だけを総士へと向けて首を傾げていた。その首筋から覗く右鎖骨にある1cm位の青あざが顔を出す。


 (……死神に蒙古斑ってできるもんなんだな)


 すぐにイナミの顔へと視線を滑らせ、気を取り直した総士が笑顔で返す。


 「悪い、ちょっと考えごとをしてた。それよりそろそろ出るか?」


 気付けば額から汗が流れ、充分に体は温まっていた。


 「うんっ」


 その後、風呂を出たイナミは再び総士の中に戻り、少しの不安を抱えながらも明日に備えて早めに床に就くことにしたのだった。



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