序章 日常

第1話 幼馴染、時々、死神【1】


 いつもの風景、いつもの騒がしいクラスメイト達。


 その中でも神童治 総士しんどうじ そうしは気怠さを必死で繕いながらも担任である女教師である島津しまづ先生の終礼など聞いていない。


 島津先生は田舎っぽさを残した外見で赴任当初は目立つことも無かったけど、生徒一人一人と向き合う姿勢と朗らかな雰囲気のおかげか、今では休憩時間にもなると男女関係なく生徒達に囲まれる教師だ。


 そんな教師の終礼はいつも決まり文句で終わるもので。


 「──では今日の連絡事項は以上です。最近は物騒ですから帰り道は気を付けてくださいね」


 このありふれた言葉が島津先生の決まり文句である。もちろん生徒達もそれに元気よく「はーいっ!」と、これもお決まり。


 その最中でも、総士はまるで関係の無いことが頭の中を埋め尽くしていた。


 (やっぱり大人は嫌いだ……)


 総士から見ても島津先生は素晴らしい大人の部類だと頭の中では分かっている。それでも理解できるというだけで、大人に対してあまり良い思い出の無い総士には受け入れずらい。


 クラスメイトがガヤガヤと席を立ち、思い思いに行動しようとするのを見計らって総士も自身の持っているリュックへと机の中身を移し始める。部活動をしている訳でもなく、クラスメイト達のノリにもついていけない総士に駄弁る様な友人が此処にいる訳も無い。さっさと帰るのが吉なのだ。


 「───そうだっ! 神童治君はこのあと職員室に寄っていくようにね」


 突然、思い出したように島津先生が大きな声を上げると、少しの間だが生徒達が一斉に総士へと視線を張り付ける。


 突然鳴り響いた声に反射的に振り向いただけなのだろう。そう思いつつも内心では胸いっぱいに気まずさを感じ、溜息を吐く以外にこの視線を乗り越える方法を知らなかった。


 「……はい」


 あまり大きな声を出したくない総士は視線を島津先生に合わせ、意志疎通が出来ているように見せかけるために殆ど声を出さずに口を開く。


 それで納得してくれたのか、大きく笑顔で頷いた島津先生は教室から去っていった。


 島津先生が教室を出ると自分に向けられていた視線が離れていき、今だっ、と言わんばかりに急いでリュックを背負いこみ、急ぎ早に教室の扉を潜る───と。


 「……ソウ?」


 ソウとはもちろん総士のことだ。そして愛称で総士のことを呼ぶ人間など、この学校には一人しか存在しない。


 「陽葵ひまり、今日は職員室に呼び出しがかかってすぐには帰れないっぽい」


 廊下の壁に背を預けた少女───胡堂 陽葵こどう ひまりは、頭に疑問符を浮かべながらも自然と総士の横に立つ。相変わらず柔らかそうなフワフワとした栗色の髪と嗅ぎなれた香り。大きな瞳も安定して動かない表情にか細い声も、全てがいつも通りの姿に安堵する総士。

 

 「………ん、職員室の前で待ってる」


 無表情のまま当たり前のように言い放った陽葵。


 安堵した総士は気持ちを切り替えて職員室に足を向けた……のだが、喧噪からざわめきへと変化した教室の声が耳に届くと、歩き出した足は少しだけ速度を上げる。


 「陽葵先輩ちっちゃくてかわいいよね~」

 「ほんとそれねぇ~。私……神童治君に汚されたら殺す自信あるわ……」


 「ねぇ、今日も一緒に帰るみたいよ」

 「なんであんないい子が陰険な奴と帰るのかしら」


 これは主に女性陣の声。


 「陽葵嬢もなんであいつとなんだ?」

 「さぁ~? 人を見る目だけが無いのかもしれないな……」

 「おいっ、陽葵さんに聞かれるだろっ」


 これが主に男性陣の声。


 (……相変わらず好き勝手言ってくれる)


 視線を隣に滑らせる。


 「気にするなよ」


 陽葵は中学の頃から男女共に人気がある。


 外見は幼いながらに口数は少なく、か細い声も男性諸君には保護欲をくすぐるのか、呼び出しを受けた回数は本人ですら覚えていないほど。女子からは同い年ながらも妹のように接してくる人が多いのだが、そのことを心のどこかで疎ましく思いながらも口に出せないのが陽葵である。


 「ん、気にしてない」


 陽葵が言いながら総士の手を握る。


 (……だよな)


 陽葵の精一杯の強がりを手に受けると、総士は自然と肩の力が抜けていくような気がした。手から伝わる温かさは心地よく、総士にとっては無くてはならないモノの一つとなっていたから。



 陽葵を廊下に残し、島津先生の元へと辿り着いた総士は職員室と繋がっている相談室へと案内された。


 無機質な部屋の無機質なパイプ椅子に腰を掛け、よくある木目の長テーブルを挟んで反対側に島津先生が腰を掛ける。持っていたノートを開いた所で呼び出した時の笑顔は無く、真剣な面持ちで口を開く。


 「神童治君、最近はどう?」


 総士は矢継ぎ早に答えることにする。


 「先生、入学してまだ一ヶ月とちょっとですよ? 流石に何も変わらないですよ」


 島津先生がたった一ヶ月だというのに、こんな質問を総士に投げかけたのには理由がある。


 総士だけではなく、陽葵も幼い頃から施設で育ち、同じ歳にも関わらず学年は陽葵の方が一つ上。担任として気にしない訳にはいかないのだろう。 


 「でもね、人って環境の変化に弱いものなのよ? 貴方一人をずっと見ていられたら気付けることもあるけど……。何か思うことがあったらすぐに言ってくれていいからね?」


 「その時は言いますから」


 そう言い放ち、島津先生の返事を待つことなく席を立つ。総士としてこんな時間よりも待たせている陽葵の方が気になる。


 「あっ、神童治君!!」


 背後から聞こえてくる声を無視して歩みを進めた総士に対し、島津先生は大きなため息を吐き出す。もちろん総士はそれに気付いたが振り向くことなどしない。



 職員室を出て陽葵と合流した総士はそのまま歩き出す。


 下駄箱に辿り着き、くたびれた運動靴をおもむろに地面に落とす。その音でピクリと体を跳ねさせた陽葵を繋いでいる右手から感じ「あっ、ごめん」と一言だけ伝えると陽葵は首を左右にゆっくりと振る。


 総士が靴に足を通したのを確認して、今度は陽葵の靴が入っている下駄箱へと向かう。総士とは対照的に陽葵は取り出した靴をそっと地面に置いてから足を通した後、目を合わせた二人は生徒達でごった返す下駄箱を潜り抜けていく。


 校門を過ぎた頃、湿気を含み始めたそよ風が頬を撫でる。木々が擦れる音が耳に届き、揺れる葉が総士の心を躍らせる。


 「……ソウ? 今日も行く?」


 気付かぬ間に足を止めていた総士を見上げていた陽葵。


 「あぁ、今日は昨日よりいいかもな……」


 何も言わなくても理解してくれて、文句の一つも言わずに付いて来てくれる幼馴染に感謝を唱えながら、いつもの場所へと向かう為に足を進める。


 学校から30分歩き、辿り着いた自然公園は二人がよく来る場所。


 県道沿いにあるそれは、入り口からレンガを敷き詰めた細道がいくつも枝分かれし公園の至る所に繋がっている。その中で決まった道を歩き、中央にある一段と開けた場所。そこは中央にある時計塔を囲む様にベンチが置かれていて、その中でも西日が射しこむベンチが総士達の定位置である。


 「…………」

 「…………」


 総士も陽葵も同年代から見て口数の多い方ではない。教室から職員室に行くまで、学校からここに来るまで、二人に会話という会話は無かった。それはこの自然公園でも変わらない。ただ時が流れていくのを二人で感じる時間。これが二人の幸せだといっても過言ではない。


 しばらく幸せを堪能した後、沈黙を破ったのは陽葵だった。


 「ソウ、夕飯……何食べたい?」


 「それならたまには俺が作ろうか?」


 総士の返答に納得がいかなかったのか、陽葵は珍しく総士以外にも分かる程度に表情を歪める。


 施設育ちである二人は、当時の施設長である森崎 和馬もりさき かずまの考えで家事は一通りできる。 ”手の空いている方が作ればいい” と、常日頃感じている総士にとって何気なく発した言葉ではあったが、それは陽葵にとって地雷だった様だ。


 「……私が作る」


 二人で暮らす様になってから陽葵の過保護が日に日に増しているのを感じながらも、頑固になった陽葵を宥める手段を持ち合わせていない。


 「わ、分かった」


 その返答で満足いったのか、陽葵はまた無表情へと戻り、それを見て胸を撫でおろした。


 (……洗濯物と風呂掃除くらいは譲ってもらうか)


 密かに心に決めた総士だった。


 「ん……。たまにはソウの好きな物作る?」


 総士が好きな物、それは鍋全般である。


 殆どの食材が邪魔をせず、それぞれの味を引き立てるばかりでなく出汁さえ作ってしまえば手間もかからない素敵な料理。ただ、それは手間や時間などを総合的に考えた場合である。


 「いや、俺の好きな物っていうなら陽葵の作った物なら全部好きだしな……」


 のろけ話のような会話であっても、総士は心の底からそう思っている。


 施設にいた頃、日頃から家事の練習で食事を作っていた。当時1番年上であった総士と陽葵は食事を作る機会が多く、総士にとって自分の味以外では陽葵の味が家庭の味なのだ。


 「あっ……」


 その小さな声を最後に視線を逸らした陽葵がだんまりを決め込む。頬が赤くなっているのは西日のせいで気付かないのは総士だけかもしれない。


 (そんなに悩む位なら俺が作ってもいいんだけどな)


 そう考えた時だった。


 (───ソウ、誰かに見られてる………かも?)


 (またか……)



 隣の陽葵にも聞こえない声。それもそのはず。聞こえてきた声の主は総士の中にいるのだから。


 そして、その声の主は───自称、死神。


 「ソウ?」


 「陽葵、悪い」


 時間はあまりないだろう。


 陽葵の肩を掴み、自分に引き寄せる総士。


 その行動に陽葵は驚きと同時に体が熱くなるのを感じていた。加速した焦りに身を任せて見上げれば、真剣な表情で遠くを見ている総士。


 陽葵の抱き寄せた総士はというと───。


 ( イナミ、頼めるか? )


 ( えぇ~……。ソウのお願いならいいけど…… )


 ( ありがとう。その代わり……あとで何かイナミの好きなことでもしようか )


 ( ホントっ!!? じゃあイナミ頑張るっ!! )


 イナミの大きな声が体内で木霊している中、総士の目の前に暗闇が広がり、その闇が去ると同時に少女らしき子供が姿を現す。


 地面まで届きそうな程に長い髪は闇夜を張り付け、膝上までの真っ白なワンピースを着た少女は、深紅に染まった眼は真っすぐに一点を見つめながらゆっくりと歩を進める。


 その瞬間───。


 「───イナミは認めてない・・・・・よ?」


 イナミを狙って放たれた物なのか、それとも射線上にいた後ろの二人なのかは定かではなかったが、風を切りながら寸分も無く迫っていたはずの弾丸はイナミの言葉と共に眼前で消え去ると、同じくして届いた ” パスッ” っと鳴ったわずかな音が二人に届いた頃に少女の長い髪がさらりと風に流される。


 それを見て、イナミは総士たちへと振り返ると………。


 「ねぇソウ、あの人も消していいんだよね?」


 「そう簡単に人を消さないでくれよ。イナミのおかげで誰も怪我してないし」


 「むぅ~……ソウを傷付ける奴なんて嫌いなのにぃ~。………それよりもソウ?」


 言いながら総士の元へと戻るイナミ。

 その幼い外見からは想像できない程に視線は鋭く、大きな瞳は濁っていた。


 総士の横に腰を掛けたイナミは ”ゴキッ” と音を鳴らしながら総士の腕を引っ張り、自分の胸の中へと運ぶ。


 「ソウの隣はイナミ……だよね?」


 見上げてくるイナミに苦笑いを返し、反対の手を陽葵からイナミの頭へと滑らせゆっくりと撫でる。


 手から伝わってくる感触と体に伝わる温もりが施設時代を彷彿させる。


 総士たちが暮らしていた施設、葦原園あしはらえん森崎 和馬もりさき かずまが当時勤めていた会社の退職金を元手に始めた私営の児童養護施設。総士が施設にいた頃は総士と陽葵が他の子供たちの面倒もよく見ていた。


 だから沢山子供たちの頭も撫でたし、泣いていた時には泣き止むまで抱きしめていたこともある。


 ( あいつらは今元気にしてるかな…… )


 総士が施設を離れて約二年。頭を撫でる手が少しだけ物悲しくなる。


 「……ソウ? 大丈夫?」


 ただでさえか細い声に更に心配を含ませた声音が隣から聞こえてくる。イナミの頭を撫でながらもそちらに視線を向けると表情を曇らせた陽葵が見上げていた。


  ( これだけ表情を動かす日も珍しいなぁ……… )


 「あぁ、大丈夫だよ。───もう辺りも暗くなってきたし………そろそろ帰るか」


 「うん」


 「イナミが隣だからねっ!」


 イナミを見て再度苦笑いを返した後、三人で自宅へと向かうのだった。


 

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