第7話 自分にあるもの

「はぁ……はぁ……ゲボッ」

 ある程度走って逃げた後、ワタシは鳥居にもたれて休んでいた。

 本当はクナイやワイヤーを利用して何とか時間を稼ぎたかったが、咄嗟に左手を負傷させて短刀に自分の血をつけて投げるのが精いっぱいだった。

 ほとんど運頼みの方法だったが、本当に攻撃が通じるとは……。


 ワタシ自身には魔力がなく、魔法を使うにはココノがいなくてはいけない。それは前からわかっていたことだ。魔力がないということは、普段ワタシはペリを目にすることができない。幼い頃は確かにココノがいなければペリの姿が見えず、恐怖に近い感情があった。見えないのにそこに何かがあるというのは、想像以上に怖いものだ。

 だが、ある時からココノがいなくてもワタシはペリを目にすることができていた。はっきりとまではいわないが、うっすらと靄のようなものが辺りに漂うように存在している程度に。

 それに気づいたのは数年前のことだ。

 最初はそれがペリだとは気づかなかったが、色々と調べていくうちにココノがいなくてもペリが見えるというのがわかった。

 だが、何故今になって見えるようになったのだろうか。

 そう疑問に思ったワタシはココノが不在の時、モモにペリを目視できるようになったことを説明し、原因は何だろうかと聞いたことがあった。


「本当にココノさんがいない状態でも見えるようになったの?」

「ワタシが仕事関連でお前に嘘をついたことがあったか?」

 書斎にある来客用のソファに低いテーブルをはさんだ状態でお互いに座る。その時の彼女はどうやら書類整理がひと段落つき、時間が空いた様子だった。だから、相談にも乗ってくれたのだろう。

「まぁ、確かに……貴女は仕事だけは真面目だものね。仕事だけは」

「二度も言うな。それに関してはワタシが一番理解している」

「理解している上で直そうとしないのを私は咎めているのだけど……今はやめておきましょう」

 彼女はそこまで言うと

「そうね……」

といいながら考えるそぶりをする。こういう事例は初めてのことだろうか。

「ごめんなさい。貴女の話を聞いている限り、かなり特殊な事例だから言葉が見つからなくて……確証が持てればはっきり言い切れるのだけれど」

「確証……?」

「私は貴女とは対照的に魔力を大量に作ることができるけれど、肉体が脆いの。だからあまり体を動かすことはできないのだけれど、魔力感知に関しては自信があるわ。でも、貴女から魔力を感じることはできないの。貴女がペリを見たというのなら、貴女から魔力を感じるはずなのだけど……」

 なるほど、だから確証が持てないのか。

「でも、ペリを見たのは確かなのでしょう?」

「あぁ」

 そこまで言うと彼女は何か決意したように立ち上がった。

「……こういうことは一度試した方が早いわね。ヒスイ、ちょっとした実験に付き合ってほしいのだけど、いいかしら?」

「実験?」

「そう、実験。ここじゃ危ないし、ちょっと場所を変えましょうか」


 実験をしようと言われて連れられてきたのはモモが魔法道具を作る工房だった。ここには書斎で使われている照明のランプをはじめ、あらゆる道具が棚や机に埋め尽くされていた。作業場と思わしき大きな机には作りかけの道具らしきものが置きっぱなしになっており、道具の材料らしき色とりどりの鉱石が光り輝いている。天井は高いが、部屋の大きさ自体はそんなに広くはない。もっとも、それは棚や机に置かれている魔法道具が多く、狭いと感じているだけかもしれないが。

 モモは工房に入ると、部屋の棚を開けて何かを探し始めた。一体なにが始まるのだろうか。

「それで、実験って何をするんだ? あまり危ないことだと困るんだが?」

「そんなに不安がることはないわよ。あ、ここにあったのね」

 モモは棚から何かを取り出すとこちらに振り向く。彼女が持っていたのは小型のナイフだった。いや、ナイフというよりも医療などでよく使われるメスのようなものと形状は近いかもしれない。普通のメスと違うのは不自然なほど刃が真っ白なことだ。

「あーそれで、手首を切れと?」

「それでは死んでしまうでしょう? まぁ、切ってもらうという点は同じだけど」

「えーっと……話が読めないんだが……要は何をすればいいんだ?」

「指先を切る程度でいいから貴女の血液を採取してほしいのよ。このメスは微量な魔力でも反応する鉱石を磨いて作ったものなの。本来はその魔力の反応を見て、健康状態を見るものだったのだけれどね」

 そういうとモモはワタシにメスを手渡す。

「なるほど、わかりやすいな」

 ワタシはメスで手の平を切る。するとメスの白い刃がワタシの血に染まっていき、やがて刃全体が赤く染まりきった……のだが……。

「あ、深く切りすぎた。これ大丈夫か?」

 自分の手の平から絶えずドクドクと血が流れる。それを見て、ズキズキと傷口から痛みを感じ始めた。そもそもメスというのは切れ味が普通の刃物よりもいい。普通にナイフで切るような感覚でやってしまえば、切りすぎてしまうのは当然だろう。骨まで到達していないのが幸いといったとこか。

「何やっているの! 指先だけで良いって言ったでしょう? もう」

 モモは急いでワタシの手をつかみ、治癒魔法を使う。彼女の手は白い光を帯び、ワタシの切った傷に向かって手をかざすと、みるみる傷がふさがり、数秒もしないうちに完全に治ってしまった。

「おぉ、流石。すぐに治るものだな」

「全く……指先だけで良いって言ったのに、どうして手の平なんかを切ったりしたのよ」

「その方が切りやすかったから。それで? これでどうなるんだ?」

「……メスを見てみなさい」

 モモは若干呆れ気味に指をさす。彼女が指し示した方を見ると、メスの色が先ほど赤く染まっていたはずだが、赤黒く染まっていた。今思えば、その色はココノの魔力の色と一致している。

「これは……?」

「魔力の色よ。ちょっと貸してくれるかしら?」

「あぁ」

 ワタシはメスをモモに手渡す。するとモモは

「ちょっと時間貰うわよ」

と言って、作業机に向き合った。

 彼女は作業机の引き出しからいくつか道具と小瓶を取り出した後、指を鳴らす。すると魔導書が出現し、勝手にページがめくられていく。

 一体何が始まるのだろう。そう思い、ワタシはまじまじと作業を進めるモモを見る。まぁ、見ていても何をしているのかはわからないのだが。

 モモは開いた魔導書をある程度読むと、メスの刃先を小瓶に向け、呪文を唱える。するとメスは刃先から赤黒い液体になっていき、やがてメスは原型を失って完全な液体になってしまった。

「さて、と。ちょっと今から危ないことするから、悪いけど客間で待っていてくれる?」

「今度は何をしでかすつもりだ?」

「さっきしでかしたのはどちらかというと貴女でしょう? 大丈夫よ。ちょっと大きな音が聞こえても気にしないでね」

「?」

 彼女の言い分に多少疑問を感じるが、言われた通り工房から一度出る。その直後、落雷が轟いたかのような大きな音が部屋の中から聞こえた。

 不安しか残らないが、言いつけを破って文句を言われるのも面倒なのでワタシは気にせず、客間の方へ向かった。


 それから三十分ほど時間が経った頃だろうか。モモは満足そうな表情で戻ってきた。何故か白衣の一部が焦げていたのは気にしないでおこう。

「いい結果でも出たのか?」

 吸っていたタバコを折り畳み式の灰皿に入れながらそう聞いた。

「えぇ。順序良く説明していくわね」

 彼女は向かいのソファに座り、白衣のポケットから赤黒い結晶の入った小瓶を取り出した。

「そもそも、貴女はココノさんの炎をもろに浴びても全く影響を受けない。魔力自体に反応する消失の黒い炎はともかく、赤黒い炎の方は一般的な普通の火と何ら変わりない特性を持っている。だけど、貴女は熱いとも感じない。それが不思議で仕方がなかった。使い魔の契約でどうこうできる問題かとも考えたけれど、そうだったとしても肉体の方に何らかの変化があってもおかしくはないわ。たとえ、元々魔力がなかったとしてもね」

 そう言い、結晶の入っている小瓶をワタシに手渡す。まじまじと見てみると、結晶の色は光の入り方によっては赤色にも黒色にも見え、妖しく光っていた。

「それはさっき貴女の血液から取り出したもの。解析したところこれは魔力の塊だった。恐らく、ココノさんと契約した時にヒスイの体が黒い炎と赤黒い炎を使えるように変質した。そのせいか血液中で魔力が結晶化したのかもしれないわね」

「結晶化した? 魔力が?」

「えぇ。随分と特殊体質よ? 魔力を探知できないのに保有しているなんて今まで見たことない」

「そうなのか? イマイチ理解できないが」

 特殊体質と言われても眼前にいるモモも特殊体質だ。ワタシからすれば、魔力を常に生成できるほうがどうかしてる。

「そもそも、魔力は人間のどの部分に蓄積されると思う?」

「どの部分……? 肉体全体にあるんじゃないのか?」

 唐突に聞かれ、ワタシは面食らってしまう。どの部分と聞かれてもその辺は全く勉強していないのでわからない。勉強不足はわかってはいるが……自身に扱えないものを頭にいれても仕方がないと無意識に感じているせいで、勉強が億劫になっているのだろう。

「肉体全体……というのはあながち間違いともいえないのだけれど、より正確に言うのであれば体内の水分に蓄積されていくの。特に細胞ね」

「細胞……? 悪いがあまり専門的な話は理解できないぞ」

「そんな難しい話じゃないから大丈夫よ」

 モモはそう言うと、片手を前に出す。直後、光の球体が現れた。

「人間が魔法を扱うには手順がいるわ。力の流れからマハトを受け取り、体内に蓄積したマハトをフォルスに変換して体外に出す。言葉にすると難しく感じるけれど、私の手の中にある魔法はその行程を経て、こうして形になっているの。そこまではわかる?」

「あぁ、書斎の鍵に入った当初に聞かされた話だよな。それは何となくわかる」

 書斎の鍵に入って間もないころ、魔力についての話はモモから散々聞かされた。「力の流れ」というのは自然界のどこでもある魔力の源。人間もペリもそこから魔力を生成している。

「力の流れからマハトとして自身の肉体に魔力を溜めこむことは、実は誰にでもできるのよ。ただ、魔法が扱える人間と扱えない人間の違いとしては細胞の中にある魔力の濃度が違うの。魔法が扱える人間は常人よりも魔力濃度が高い。加えて、フォルスに変換できる機能があるかどうか。この二つは魔法を扱う上で必須事項になってくる。まぁ後者の変換機能は魔導書だったり、別のアプローチをすればできなくはないのだけど、今回は純粋にそういった補助なしの話で進めていくわね」

 モモは光の球体を消し、こちらに向き直る。

「ええっと、つまり? 人間が魔法を扱うには……それなりの魔力を溜めこむ機能と、溜めこんだ魔力を出す機能が生まれつき備わっていないとできないって話だろ? それとワタシがペリを見ることができるようになった話とどうつながるんだ?」

 そろそろ自分の情報処理能力が追い付かなくなってきた。知恵熱とまでは言わないが、一度に大量の情報を言われると頭が追い付かなくなる。普段はこういう話を聞き流しているので余計だろう。

「相変わらず、戦闘に関しては勘が鋭いのにこういう話になると鈍くなるのね……貴女は」

 モモは憐れむような目でこちらを見る。彼女からすれば簡単な話だろうが、こっちからすれば理解が追い付かない部分も多い。できればもう少しわかりやすくまとめてほしいものだ。

「うるせぇ、ほっとけ。で、関係あるのか?」

「当然あるわ。さっき言った魔法を扱う上での必須事項。ヒスイ、貴女はこの二つの必須事項をどちらも満たしていない。さっき調べてわかったけれど、貴女の細胞には魔力はかけらも溜まっていないの。本来であればマハトを体内に溜めこむ機能自体は誰にでもあるはずなのに、なぜか貴女には備わっていない。ヒスイが魔法を使うことができないのはおそらくそれが原因でしょうね」

「へぇ……ん?」

 ワタシは彼女の話を聞いて少し違和感を覚える。ワタシの肉体に魔力を溜めこむ機能がない。彼女は確かにそう言った。

「お前、ワタシの血液から採取した結晶が魔力って言ってなかったか? 魔力を溜めこむ機能がないなら、体内に魔力があること自体おかしいだろ」

「あら、こういったことは気づくのね」

 モモは意外そうに目を見開き、驚いたそぶりをする。

「馬鹿にしてるのかお前」

「いいえ、真面目にここまで聞いているのも珍しいと驚いただけよ」

「失礼な奴だな。事実ではあるが」

 ワタシは目をそらしながらそう言い返す。

 確かに、人の話を真面目に聞くことはあまり得意ではない。だが、今回はワタシから聞いたことだ。流石に聞き流す気にもなれない。

 彼女は話を続ける。

「魔力を溜めこむことができない貴女が、使い魔であるココノさんなしに魔法を使うことは不可能に近い。だけど、最近魔力の塊ともいえるペリを視認できるようになった。さっきも軽く言ったけれど、原因としてはココノさんの炎を浴び続けたからだと考えられるわ。正直、まだ憶測の域を出ない部分もあるけれどね」

「肉体が変質したってやつか? 心当たりはないんだが……」

「そりゃそうよ。徐々に変わっていくものだから気づかなくて当然だわ。いきなり変質なんてしたら人間の肉体は耐え切れなくなって、そのまま自滅してしまうわよ」

「そういうものか」

 確かに思い返してみれば心当たりはなくはない。ワタシの肉体が常人よりも頑丈なのも、それの副作用か何かなのだろうか?

「長年ココノさんの膨大な魔力を浴び続けた貴女の肉体は、流石に魔力を受け流し続けることができなかった。でも細胞に溜めこむことはできない。そこで貴女の肉体は血液中に魔力を保存するように変質した。なるべく多くの魔力を保存できるように細かく結晶化することで、無理やり魔力を溜めこみ、多くの魔力を受けても肉体が傷つかないように」

「へぇ……じゃあ、ココノなしでペリが見えるようになったのって……」

「魔力の蓄積の結果でしょうね。私の推測だと、一部の結晶化した魔力が眼球付近ではじけて魔力を通すことで見えるようになったとかかしらね。そうなると、眼球付近の魔力回路はどういう仕組みになっているのかしら?」

 そう言ってモモはこちらを見る。目玉をよこせとでもいうのだろうか。

「言っておくが、目は取り外しできないからな?」

 今までココノのせいで何度も死にかけてきたワタシだが、痛みに慣れたつもりはない。ましてや自身の眼球を取り出すなんて狂気的なことできるわけがない。

「そう、ちょっと気になったけれど……貴女が言うならしょうがないわね」

 彼女は残念そうに、そう呟く。

 本気で取り出すつもりだったのだろうか……。

「ここまでで質問とかある?」

「情報量が多すぎて、いきなり質問あるかと聞かれても困るんだが……えーっと……元々ワタシには魔力を保有する機能がなくて、ココノの魔力を受けても外に流すだけだった。だが、肉体が変質して血管内に魔力を溜めこむようになって、その副作用でペリが見えるようになった……ってことか?」

「簡単に言えばそういうことね」

「血管内に魔力があるんだったら、魔法が使えるってことか?」

 少し期待を込めてそういうと、モモは気まずそうに苦笑いする。

「あー……実はそうでもないのよ……その結晶貸してくれる?」

「あぁ」

 ワタシは返事をした後、持っていた結晶の入った小瓶を返した。

「この結晶は確かに魔力の塊ではある。だけど、魔力として使用できるかと言われるとそうではないのよ。どういう仕組みかまでは解析できていないけれど、この結晶の外側は魔力ではない未知の成分で固められているわ。その未知の成分の中にあるものが魔力。この結晶を使って魔法を使うのであれば割って中身を取り出すしかない」

 モモは小瓶をこちらに見せてそう説明した。

「割る……?」

「そう割る。でもこれはこの小瓶の中にある結晶の話。貴女が聞いているのは戦闘中に魔法を咄嗟に使えるかどうかって話でしょう?」

「あぁ」

「その場合だと、自傷行為をして血液を外気に触れさせて使用するしかないわね。この結晶、実は外気に触れると壊れるのよ」

 そういうとモモは小瓶の栓を抜いた。すると、中にある結晶は一瞬にして赤黒い液体に変わってしまう。

「この状態であれば一応魔力として利用できるわ。でも、現実的ではないわね。出血多量で死んでしまう可能性だってあるし……」

 モモは苦笑いして再び小瓶の栓をしめる。

「話は以上よ。わかった?」

「まぁ、うっすら。とりあえず、自分がいかに魔法を使うのに適していないかと言うのはよくわかったよ」

 ワタシも苦笑いをしてそう返した。


「知識というのは案外馬鹿にできないな」

 当時は結局魔法が使えないとやや悲観的になっていたが、まさか本当にこの知識が役に立つ日が来るとは思っていなかった。

 ワタシは頭をかいて苦笑する。

 正直、自身の血液の中に魔力が存在するというのはさっきまで忘れていた。だが、和装のペリが持っていた刀を見て思い出した。

 あの刀はあくまでも魔力の塊で実体がない。短刀をすり抜け、自分の肉体に傷をつけたということは少なくともそういうことだろう。ワタシの肉体を傷つけることができたのは、理屈はわからないが魔力の有無が関係している可能性が高い。

 根拠としては刀についているワタシの血。先ほど思い出したことだが、ワタシの血液にはかなり純度の高い魔力が含まれているらしい。その話が正しいのなら、ワタシの血が刀に付着していることは納得できる。

 魔力が含まれているものを斬ることができるのなら、斬られたワタシの肉体には血液以外にも魔力が含まれているということなのだろうか。だが、ワタシの細胞には魔力が含まれていないとモモは言っていた。となると、和装のペリが持っていた刀自体に何らかの仕組みがあるのかもしれない。

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