第15話 追う理由

 ワタシが次に意識を取り戻し、最初に目にしたのは見慣れない部屋の天井だった。上体を起こし、周りを見ると白で統一された壁と天井、ワタシが横になっていたベッドの隣には木製の収納クローゼットのようなものが置かれていた。部屋の隅の方には引き出し付きの机と肘置きつきの椅子があり、机の上には数枚の書類が置いてある。

 先ほどまで誰かがいたのだろうか?

「それにしてもここはどこだ……?」

ユミカとある程度話し、彼女が姿を消したところまでは覚えている。だが、そこからの記憶が一切ない。体がなまっている感覚がする……。長期間動いていなかったからだろうか?

「それにしても……包帯巻きすぎでは……?」

ケガは全て治療されたあとらしい。自分の体を見ると、両手、胴体は包帯で巻かれて固定されている。少し動きにくいが、これは外さない方がいいだろう。何より、外した後が怖い。

 毒や薬の副作用は全て抜けきったらしく、頭は鮮明で傷による痛み以外は何も感じない。あれからどれくらいたっただろうか……あそこまで重傷なら一か月経っていてもおかしくはないが……。

「ヒスイ……?」

 部屋の出入り口から声が聞こえた。出入り口付近を見ると、少し目を見開いたモモの姿があった。彼女がいるということは、ここは書斎なのだろうか。だが、書斎にこんな医務室みたいな部屋はあっただろうか……?

 今まで書斎の鍵の仕事でケガをしたことは少なくはなかったが、軽いけがなら自宅に帰って自分で治療したり、少し傷が深ければモモに頼んで治してもらっていた。だが、その時にこのような部屋に案内されて治療された覚えはない。

「随分早く意識が戻ったのね。予定の二週間も早いわ」

 モモは椅子をワタシのベッドのそばまで浮かして移動させ、そのまま座る。

「どれくらい寝ていた?」

「そうね……大体二か月くらいかしら」

「二か月……? かなりの間使い物にならなかったんだな」

「自分を物みたいに扱わないの。貴女も人間なのだから、傷つけば倒れて当然でしょう?」

 自分が思っている以上に傷は深かったのだろうか。だが、あのあと二か月も意識を失っていたとなると、流石に傭兵たちは黙っていないだろう。あのあと一体どうなったのだろうか……?

「色々聞きたいって顔だけれど、その前に一ついいかしら?」

「ん? あぁ、別にいいぞ」

「私の工房にあった失敗作の強化薬……知らないかしら……?」

「あー……」

 そういえばココノからの応急処置を受けた後、体がまともに動かないからって薬を飲んでいたことを忘れていた。あれがまさに彼女が今聞いている失敗作の強化薬なのだろう。

 こればかりは言い訳しようがないが……さて、どういったものか……。

「貴女の反応から察するに、どうせ使えそうだからってこっそり盗ったのでしょう。せめてそれなら反応を見たいから今回のように隔離された場所で服用しないでほしいわ。サンプルがとれないじゃない」

「命に関わるからとかそういう類の説教ではないのか」

「ココノさんに散々言われている上、言っても治らないでしょう? その手癖の悪さとかね。あぁ、そういえばココノさんが、貴女が意識を取り戻したら言っておかなくてはいけないことがたくさんあるとか言っていたから、説教の覚悟はしておいた方がいいかもしれないわね」

「憂鬱だな……」

 ココノの説教はいつも長いが、今回は今まで以上に長そうだ。それなりの覚悟をしておいた方がいい。まぁ、どうせ聞き流すと思うが。だが、今回は彼女にもかなり心配をかけてしまった。そこだけは反省しなければならない。

「それにしても今回は相当厳しい戦闘だったの? 貴女がここまでの大けがするなんて正直思っていなかったから、急遽医務室を書斎に作ったくらいなのよ?」

 モモは少し声のトーンを落として聞いた。彼女が専用の部屋を作ってまで治療を施すとは……そこまで傷が深かったのだろうか。

「厳しいどころの話ではなかったが……色々と運がよかったのだろう。なんだかんだ助かったわけだし」

「適当ね……貴女当事者なのにどうしてそんな他人事でいられるの?」

「そう見えるか?」

「えぇ。別に貴女が気にしていないというのならとやかく言うつもりはないけれど。それより、結界内であった出来事を覚えている限りでいいから話してくれないかしら? ココノさんから聞いてはいるけれど、貴女が単独で行動していた時のことはまだわからないからね。それに、ブルートが関わっていると聞いた以上、放置はできないわ」

「なるほど。わかった」

 ワタシは順を追って境内に閉じ込められ、人身売買を生業にしていた人間たちを無力化したこと、カゴメや子供たちとの戦闘で苦戦を強いられたこと、ウタと名乗るブルートの研究員に組織の勧誘を受けたこと、狂犬が結界の一部を破壊したおかげでココノと合流ができたことを話した。一通り話し終えると、モモはしばらく考えると言って部屋をあとにした。



 モモが退室してから一時間くらいたっただろうか。部屋にある壁掛け時計は六時過ぎを指していた。といっても、ここには窓がないので午前六時なのか午後六時なのかはわからないが。

 二か月……か。長い間意識がなかったから、配達の仕事はどうなっているのだろうか。町のペリは下手なことをしていなければいいが。

「それにしても暇だな……無断で外に出ると怒るだろうし、かといってここに暇を潰せるようなものはないし……二か月前もこんなことがあったな……」

 漠然とそんな独り言をつぶやいていると、バンッという勢いよくドアが開かれる音が聞こえた。音に驚き、つい布団から出て、しゃがんでベッドの影に隠れる。

「ヒスイ! いるのはわかっているのです! 出てきなさい!」

 ココノは取り立てのようにそう言って医務室に入ってきた。

 おそらくモモからワタシが意識を取り戻したことを聞いたのだろう。普通けが人がいる部屋でそんな殺人犯を追い詰めるような感じで来るだろうか。条件反射で身を隠してしまった。

「ココノさん……仮にもけが人なのでせめて声量を落としてあげてください」

 たしなめるようにモモがそう言う。仮にもという部分に異議を唱えたいところだが、今はやめておこう。恐る恐る声のした入り口付近をのぞいてみると、モモと人型のココノがいた。ココノがこちらを見るとワタシに気づいた様子で近づいてきた。

 まずい。何がまずいのかはわからないがとにかく直感的に自分に危険が迫っているというのはわかる。

 とりあえず、何か言い訳を……いや、何が悪いかわかっていない状態で謝るのは得策ではない。かといってこのままくどくどと言われるのはしんどい。

 そう一人で軽いパニック状態になっている間に、しゃがんでいる状態のワタシをココノは見下ろしていた。

「貴女という人は……」

 何か弁明を考えようと必死に頭を働かすが、最終的に思いつくのは言い訳をして逃げることだけだった。だが、そんなことをすれば後が面倒だ。ここは甘んじてお小言を受けるか。

 ワタシは半分諦めるように立ち上がり、言い訳の一つでも言おうと口を開いたとき、急にガッと肩をつかまれて

「全く、心配させないでください……」

と今にも消え入りそうな声で言われた。ワタシは理解ができず、両手をあげて放心状態になる。

「……ココノ?」

「貴女は……自分が脆いことも理解せずにいつも無茶ばかりして……いつもケガばかりして……今回は本当に心配したのですから」

 彼女の声は酷く震えていた。普段のココノを知っているワタシにとってはとても信じられなかった。本当にココノなのかと疑うレベルだ。

「……よくわからんが、悪かった……?」

「何故疑問形なのです。もう」

 彼女は困ったように眉尻を下げ、こちらに向き直る。

「まぁ、いいです。意識が戻ったのなら」

「そうか。それはそうと手を放してくれるとありがたい。ちょっと……いや、かなり痛い」

「あぁ、ごめんなさい」

 ココノは手を放し、鴉の姿に戻る。人型の状態の限界だったのだろうか。

「ヒスイ。唐突で申し訳ないですけど、一度影に戻って休ませてください」

「それは別に構わないが、本当に突然だな?」

「お気になさらず。少し疲れただけです。では」

 ココノはそう言うとワタシの影の中に飛び込み、消えた。

 嵐のように表情をころころと変えた彼女がいなくなったことで辺りが静かになる。一体何があったのだろうか。今まで似たようなことはあった気もするが、ここまで表情が変わることはなかった。説明を求むようにモモを見るとモモは困ったような顔をして話し始める。

「ココノさん、本当に貴女のことを心配していたのよ? 意識がない間もずっと容体を心配して、門番の役割も二か月間肩代わりしてやっていたの。魔力の浪費が激しいはずなのに、ずっと人型で過ごしていたからひどく疲れていると思うわ」

「そう、だったのか」

 心配されること自体が初めてだったわけではない。だが、あそこまで感情を表に出していたのは見たことがなかった。

「ココノさんのことも含めて、意識がなかった間のことを話すから座って。ついでに包帯も巻きなおすわ」

「あぁ、わかった」



モモはワタシの左手の包帯を巻きなおしながら話し始めた。

「まずは何から聞きたい?」

「そうだな……まず、傭兵たちが天池町内にいたことはお前、知っていたのか?」

「えぇ。何故かバラバラでいたから警戒していたのだけれど、今回は特に何も起こらなかったわ」

 確かにあの時は頭が回らなかったが、普通に考えて結界内に三人がバラバラにいれば警戒もするか。特にあの狂犬を放置すれば後々どうなるか考えたくもない。モモはそっちの対応に追われていたのだろう。

「あ……」

「ん? どうしたの?」

「いや、傭兵で思い出したんだが……ワタシがココノの羽根を使ってカゴメっていうペリを倒したとき……狂犬も巻き込まれていた気がしてな。別に死んでも一ミリも心は痛まないが、その場合傭兵どもが攻めてきたりとかしないか?」

 あの時は無我夢中だったので周りがあまり見えていなかったが、黒い炎の攻撃範囲内にいたはずだ。魔法を発動した後、姿が見えなかったのは巻き込まれていた可能性がある。万が一、ワタシが狂犬を殺していた場合、最悪傭兵がこちらに攻め込んでくるかもしれない。特にシノは危険だ。彼女の性格はまっすぐで仲間思いであるが、それは裏を返せばひとたび仲間を傷つければ逆鱗に触れ、どこまでも殺しにやってくることを指す。ユミカも書斎の鍵を潰す理由付けとして引っ張り出し、全力で攻めてくるだろう。

「あぁ、それだったら大丈夫よ」

 ワタシが悶々と最悪の事態を考えている中、モモは淡々とそう言った。

「大丈夫……? その理由は?」

「貴女が脱出した時、町中に傭兵たちがいることはこちらもわかっていたのだけど、その時にちゃんと月島 影の姿も確認しているわ。他二人に比べてやけに傷だらけだったけれど、貴女の話を聞いてやっとつながったわ。結界内に入って戦っていたからだったのね」

よくあんな至近距離で魔法を発動したのに生きていたなアイツ……正直あれは人の扱える魔力量じゃなかったぞ?

「そうそう。それと例の結界についてだけど……かなりの強度と規模だったわ。残骸を調べただけでもかなりの魔力が消費されている。この町にある結界とほぼ同じ強度ね。それを一人の人間を閉じ込めて殺すために使われるなんて……それほど貴女が警戒されていたということかしら?」

「警戒? そこまでするほどか? あくまで凄いのはココノであってワタシではないだろう?」

 自分が警戒されているというのはわかる。敵からすれば、ワタシを倒さなければ天池町で自由な動きができないからだ。だが、そこまで警戒されるほどの力はワタシ個人では持ち合わせていない。今回生き残れたのは偶然が重なったからに過ぎない。だから正直、ブルートの奴らがワタシにここまで警戒していたのが不思議だった。

 いや、よくよく考えてみると相手はワタシの命を獲りに来ていたのだからここまで入念に準備をするのは当然か。

「そうだとしてもよ。むしろ使い魔の主である貴女が狙われるのは当然でしょう? だから貴女にターゲットを絞って結界に閉じ込めて殺そうとした。今回ばかりは傭兵たちに感謝しないといけなさそうね。月島 影がいなければ貴女は確実に敵の手におちていた」

 淡々と事実を告げるモモの言葉にワタシはうすら寒い感覚を覚える。万が一、敵の手におちていればワタシは赤い戦車の材料になっていただろう。何度か死にかけていた時があったなか、本当によく生き残ることができたと思う。

「まぁ、仮に敵によって殺されかけてなおかつどうしようもなくなったときには、敵もろとも吹っ飛ばすようにして自害するよう努力をするから安心してくれ」

「そういう問題じゃない。というか生き残る努力をしなさいよ」

「敵の手におちて傀儡になるくらいだったら、自身の肉体を使い物にならないくらい壊して死んだ方がよくないか? 特にワタシが変に生きていたらココノが悪用されて大変なことになるぞ?」

「貴女はどうして自分自身についてそう他人事のように話せるのか不思議で仕方ないわ」

 モモは呆れるように首を横に振る。何かまずいことでも言っただろうか?

「と、話が大分それたわね。それで傭兵たちの動向なのだけれど、彼女たちは合流した後、特に何もせずに帰っていったわ。恐らく、用事があったのは町中にできたブルートの結界であって私たちではなかったのでしょう」

「そうか」

 シノやユミカが言ったことは嘘ではなかったのか。だが、あれだけ傷ついたワタシを見てモモにコンタクトを取らないというのは不自然だな。何か裏があるのだろうか?

 いや、深読みはやめておこう。何より面倒だ。

「あとは行方不明になった人たちとペリのことだけど、彼らは戻ってきていないわ。恐らく、結界の材料にされて使い潰されたか……あるいは赤い戦車の材料にされたか……どのみちいい話ではないわね」

 モモは声のトーンを落としてそう言う。よほど悔しかったのか、包帯を巻く手がすこし震えているようにも見えた。

 やはり、戻ってこなかったか。一度形を崩されて材料にされたのなら当然の話ではあるが、彼らには申し訳ないことをした。

「それとブルートの研究員が貴女を勧誘したというのは本当なの?」

「あぁ。当然蹴ったがな」

 しつこいぐらい彼はワタシをブルートに誘ってきた。恐らく実験のモルモットにでもするつもりなのだろうが、それにしても何故ワタシなのだろうか。

「そう」

 モモは深く追求せずそう短く返事をする。心なしか表情が一瞬曇ったような気がしたが、すぐに切り替え

「それにしても貴女の血液中には魔力があるとは言ったけれど、本当にそれが役に立つとは思っていなかったわ。この話をしたのは数年前でしょう? よく思い出したわね」

と明るい声で言った。

 ワタシもそれに関しては同意見だ。体内に魔力があるという話は正直ワタシも半信半疑だった。

 あの時は藁にも縋る思いだったのでもし何も思いつかずに死んでいたら、現状どうなっていただろうか。

「よし、巻き終わった。これでしばらくは大丈夫かしら。外しちゃだめだからね?」

「わかってる。何より外すと後が怖い」

 ワタシはそう言って自身の影を見る。今ココノは休んでいるが、また起きたら小言を言われるに違いない。病み上がりから彼女の説教を聞くのはさすがに堪える。

「そういえば、貴女に渡さなくてはいけないものがあるんだったわ。ちょっと待っていてね」

何かを思い出したかのようにモモは一度医務室を出ていき、そして黒い箱を持ってきた。

「……何これ?」

 ワタシは黒い箱をまじまじと見ながらそう言った。

 大きさは手の平に収まるぐらい。モモの手に収まるぐらいということは結構小さい部類だろう。箱の形は立方体で模様も一切ない真っ黒な箱だ。

「ココノさんから頼まれて作ったものよ。私が留守の間にヒスイについてくれる分身を作ってほしいって言われて」

「この箱が?」

「そうよ。初めて作ったから少し自信ないけれど、ココノさんに色々と教えてもらいつつ作ったのよ。黒い炎をベースに形作っていくのは大変だったのよ?」

 そういうとモモはワタシの左手に箱を置いた。すると箱は一瞬で黒い炎が燃え上がる。

「な!?」

 黒い炎は魔力に関わるものを腐食させ燃え広がっていく性質を持つ。ワタシは慌ててかろうじて動かせる右手で押さえつけ、鎮火しようとするが炎は消えそうにない。

 ワタシにはこの炎は通じない。しかし近くにモモがいる以上、これを放り投げるわけにもいかない。黒い炎が万が一モモに当たれば大変なことになるのは容易に想像できる。

「おい、モモ。これはなんだ? というか危ないだろ。なんてもの持ってきてるんだ」

「まぁまぁ、見ていればわかるわよ」

 彼女はそう言ってワタシが手に持っている黒い箱を指さす。炎は大分収まり、手を開いてみるとそこには先ほどあった黒い箱ではなく、白いコウモリの姿があった。コウモリは箱とほぼ同じ大きさで羽を器用に折りたたんで周りをきょろきょろ見渡している。

「コウモリ? 何故箱が?」

 突然のことで思わず声が漏れてしまい、茫然としているワタシに対し、モモは喜びの声をあげる。

「よかった! 成功した。動物の姿になるのか少し心配だったけれどこれで一安心ね」

「おい待て、説明をしろ。この小動物はなんだ? ココノが作れと言った時点でもう嫌な予感しかしないが」

 ワタシの問いに対してモモは得意げに指を立てて説明を始めた。

「ココノさん曰く、今回のようにヒスイだけが隔離された場合、緊急時に魔力が使えるようにそのコウモリにココノさんが使う火の四割の力を込めたそうよ。コウモリの姿になったのは狙ってではなくてたまたまだけどね」

「へぇ……」

 ワタシは自分の手に収まっているコウモリを見る。コウモリはあちこち見回した後、丸まって白い毛玉のような姿になる。ココノの炎から生まれたペリという認識でいいのだろうか?

「今は話すことはできないけれど、言葉は理解するわ。ペット代わりに可愛がってあげてねとのことよ」

「世話をするのはワタシかよ……動物育てたことないからなんもわからんぞ……」

「その子の名前どうするの? 流石に呼び名がないと不便でしょ?」

「勝手に作っておいて名前は決めなかったのか?」

「育てるのは貴女だから」

 モモは笑顔でそう言った。なるほど……何か起きても一切責任を負わない気だな……。

「名前ねぇ……その辺はセンスないからココノにでも頼んだ方がいいんじゃないのか? ワタシの名前も本名を忘れたから適当に名乗ってるだけだし」

「それは初耳。それっぽい名前だからてっきり本名かと思っていたわ」

 言った通り、今の名前は本名ではなく、あるときに名前がないと色々と困るということがわかったので自分で適当につけた名前だ。

 名前の方は割と昔からココノにそう呼ばれていたので名付け親はココノかもしれないが、苗字に関しては成人してから苗字がなければ怪しまれやすいとわかったので適当に自分で及川と名乗った。今ではそれが本名のようなものだが幼い頃はまた別の名前で呼ばれていた気がする。

「そういや天池町にいる人間もそうだが、この辺に住んでいる人たちはワタシのような名前の形が多いが、モモにはそういう苗字らしいものはあるのか?」

「それは……」

 そうワタシが聞くと、彼女は一瞬暗い顔をして何か言おうとしたがすぐに頭をふって

「特にはないわ。私が生まれた地域では苗字はなくて、名前しかないの」

と言った。何かありそうだと思ったが特に興味もなかったので追及はしなかった。

「それで、何て名前にするの? その子」

「え、結局ワタシが決めるのか?」

「飼い主でしょ?」

 他人事だと思ってコイツは……。

「さてと、私はそろそろ書斎の仕事に戻るけど、貴女はどうするの?」

「どうするのって……動いていいのか?」

「流石に外は駄目だけれど、書斎内だったら大丈夫よ。二か月も寝ていたのなら体を動かしておかないと仕事に復帰できないわよ? あぁ、当然だけれど書斎内の物を無断で持ち出すのは厳禁だからね」

 モモは呆れたような目でこちらを見る。

「あぁ、善処はする」

 ワタシは目線を逸らしてそう返した。何で思惑がばれたんだろうか。

「貴女って本当、表情は変わらないのにわかりやすい時ってあるわよね……。危険物もあるから、不用意に触れないように。いいわね?」

 モモはそう言い残して医務室を去った。

 ワタシは手の中で眠っているコウモリを見る。コウモリはすやすやと寝息を立てて気持ちよさそうに寝ていた。全く人の気持ちも知らずに……。

「少し歩くか……」

 書斎内を散策しようと思い、ベッドから出ようとすると手の中で寝ていたコウモリが目を覚まし、一番安定するのか頭の上に移動した。

「……」

 名前……名前か……。考えるのは苦手なんだよな……。

 そもそもコイツはワタシの見張り役みたいなものだし、やっぱりココノに頼んだ方がいい。

 ある程度動けるようになったらまたココノによるあの地獄のような戦闘訓練が始まるわけだし、その時にアイツに決めてもらうか……。

 漠然とそんな考え事をしながらワタシはリハビリがてら書斎を少し見て回った。



 ワタシの意識が戻ってから数か月ほどたったころにようやく外出が許可された。表向きの仕事である何でも屋はマスターがうまいことしてくれ、門番の方はココノが代わりにやってくれたおかげで仕事の復帰はスムーズにすることができた。

ボロボロになった仕事用の黒コートはモモが予備を作ってくれていたおかげで、今はその予備を身に着けて活動している。多少、小言を言われたがそこは流そう。

[ヒスイ? 久々の天池町だけど変わった様子はある?]

[異常なし。静かなくらいだな]

 ワタシは天池町の路地裏を歩き、町の見回りをしながらモモに報告していた。

 ブルートが起こしたあの事件からは何の騒ぎもなく、静かだ。ただ、カゴメが作り上げた結界のエネルギーに変えられたペリや人間はやはり帰ってきていない。

 表向きでは失踪事件として色々と騒ぎになってしまったが、数日経つとそれもぴたりと止んだ。モモが情報操作でもしたのだろうか……。

 騒ぎになった神社にも廃工場にも今は何も不審なことはない。まるであの事件が嘘かのように。

[体の調子はどう? 何か違和感とかはない?]

[特には。数か月前と何も変わりない]

[そう、よかったわ。ミドは? ちゃんとお世話してる?]

[他人事だと思ってお前は……。世話はどうかしらんが、ワタシの頭の上が気に入ったのか、さっきから張り付くように頭にしがみついてるぞ]

 ワタシはそう言い、頭の上にあるものをつまむ。見える位置まで持ってくると、白いコウモリが羽を羽ばたかせていた。

 このコウモリは「ミド」と名付けた。ココノに比べて戦闘能力は低いが、探知能力が優れている。ある一定の範囲内であれば、人間やペリがどこにいるのかがわかるらしい。ただ、問題点がある。ミドは話すことができない。人間やペリを探知しても、まだコミュニケーション能力が乏しいため、正しく情報を理解することができない部分がある。そこは時間をかけて知っていけばどうにかなるかもしれないが……。

「はぁ……」

 ワタシはつまんでいる手を放し、ため息をつく。

 ミドは羽ばたいてそのまま飛び、元のワタシの頭の上に戻った。

[あら、お疲れ気味ね? ちゃんと寝てるの?]

[お前が変なの作ったから疲れてるんだ]

[それはごめんなさい? でも、ココノさんの頼みだったから断れなかったのよ]

 頭に響く声は嬉々としている。絶対に嘘だなこれは。

[……そろそろ切るぞ。何かあったらまた連絡する]

[えぇ、ありがとう。それじゃあ]

 その言葉と共に念話は切れた。

「やっと一息つける……」

 ワタシは路地裏の建物の壁にもたれ、タバコとマッチを取り出して一服する。

 タバコを吸うのは久々だ。結界内に隔離されたときはこうやってゆっくりまたタバコを吸えるとは思っていなかった。

 書斎の鍵に入ってから町での戦闘はあったが、あんな大掛かりなことは一度もなかった。

 水面下で何かが動いている可能性がある。書斎の鍵はそこまで有名ではないのにもかかわらず、ピンポイントでワタシを狙ってきたのがいい例だ。

 モモも対策を打とうと色々と案を出しているが、敵側がそれまで待ってくれるかどうか……。

「今そんなこと考えても仕方ないか……」

 ため息交じりにそう言い、ワタシは折り畳み式の灰皿を取り出し、それにタバコを入れて町の見回りを再開した。

 この先、ブルートたちがこの町に攻撃をしかけてくることがあるだろう。今回は後手に回ってしまったが、次の攻撃は町に影響が出る前に未然に防がなくてはならない。

 ブルートという組織を追ってからもう何年になるだろうか……。

 あの組織には謎が多すぎる……。せめてもう少し情報があれば……。

「ヒスイ?  聞こえてますか?」

 声の聞こえた方向を見ると、そこには鴉の姿をしたココノがいた。彼女はその場を飛び立ち、ワタシの肩にとまる。

「あぁ、すまん。考え事をしていた。それで異常はあったか?」

「いえ、特に異常はありませんでした。ペリも落ち着いていますし、不審な動きをする人間もいません」

「それはよかった。久々に復帰した時にまた面倒ごとが起きるのは流石に辛い」

 ワタシは苦笑いしながらフードを被った。

「リハビリがまだ足りませんでしたか?」

「お前の即死級の攻撃を避け続けることがリハビリだと言うのであれば、お前はリハビリの意味をはき違えているぞ?」

「心身の回復を目的とした訓練ですよね? 生半可な攻撃では訓練にならないと思いまして」

「直撃したら寝込む期間が延びていたところだぞ……。頼むからワタシと訓練するときはもう少し手加減してくれ。いつか死にそうだ」

 最近マシになったとはいえ、ココノはまだ人間の扱い方というのに慣れていない時がある。特に、人間の強度という部分は抜けている部分が多い。

復帰する前にリハビリがてらココノと戦闘訓練を行ったが、先ほどワタシが言った通り、ココノが即死級の攻撃を打ち込み、ワタシがひたすら避けるというシンプルなものだった。基本的に彼女の扱う炎はワタシには効かないので、それ以外の魔法等を用いて彼女はワタシを攻撃したのだが……正直カゴメと戦ったときと同等の辛さはあった。ココノが訓練相手である以上、こちらは攻撃を受け流す手段はほぼほぼない。本当にひたすら動き続けて攻撃を避けるしか生き残る手段はなかった。リハビリはあくまでも治療行為、あれを治療行為と呼ぶのであれば相当頭のネジが狂っているか、そもそも常識が違うかのどちらかだろう。

「そういえばお前、今日はその姿のままなのか?」

「え? あぁ、そうですね。しばらく人型のままで活動していたので、たまにはこの姿のままでもいいかなと思いまして。少々疲れましたし」

 ワタシは彼女の方を見て、少し目を見開く。

「珍しいな。お前がそんなことを言うなんて」

「実際、ここ二か月近くは結構頑張りましたからね。人型状態を維持するのも割と魔力を使いますし」

「そこまでして、無理をする必要あったのか? 見回りくらいならモモの使い魔辺りに任せてもよかったんじゃないか?」

「それでは、外部からの侵入者にヒスイがいないことがばれてしまうではないですか。貴女の存在は町中でも抑止力として働いています。町の平穏を守るためにも私が貴女のふりをすることは必要なことですよ」

「まぁ、それはそうかもしれないが」

 彼女の言う通り、この町の門番としての役目は書斎を守ること。それは間接的に町を守ることでもある。町中のペリが暴走しないためにも、ワタシがいることは意味がある。ココノはワタシがいない間、代理の門番として活動していたのは必要なことだ。モモが使い魔を用いて町を守っていては、かえって町中のペリも不審に思うし、外部の奴らにも悟られる可能性がある。

 理屈ではわかっている。ワタシの使い魔である以上、代理役として最もふさわしいのは彼女だ。だが……いや、だからこそ気になっていたことが以前からあった。

 何故彼女はそこまでワタシについてきてくれるのだろうか。彼女は人間のことをどう思っているのだろうか。

 彼女は常日頃からワタシを含めた人間のことを脆いと言っている。人間の強さなんてものは彼女にとってはそこら辺の羽虫に等しいだろうに、わざわざその人間に対して使い魔関係を結んで十数年経っているなんて普通は考えられないことだ。

 ワタシは無意識に立ち止まる。

「どうかしましたか?」

「ココノ……お前は……なんでワタシについて来たんだ?」

「何故……とは?」

 すぐ横で彼女の声が聞こえる。ワタシはフードを深くかぶりなおし、正面を向いたまま言葉を続ける。

「ワタシは、人よりも魔力がない。戦う術を知らなければただの人間よりも弱い存在だ。そんなワタシをお前は十数年前に使い魔関係を結んでからずっとついてきてくれた。何故だ? 何故劣等であるはずのワタシを……」

「いくら貴女でも、それ以上自分のことを貶すのであれば許しませんよ」

 唐突に彼女は口を開き、言葉を遮った。

「貴女は自己評価が低すぎなのです。もっと自分に自信を持ちなさい。ワタシが貴女を選んだ理由は単純に相性がよかったからです。それ以上もそれ以下でもない。生まれつき優秀でも、努力を怠れば腐りますし、逆に劣等だったとしても、磨けば輝くものだってあります。自分のことを優秀か劣等かなんていうものは魔力だけで決まるものではありませんよ」

 ココノはそこで言葉を切ると、正面へ飛び、人型へ変化した。

「もし、魔力保有量で優劣が決まるのであれば、貴女は神社で閉じ込められたときに死んでいた。違いますか?」

 彼女は振り返ってまっすぐ赤い目で見据える。

「確かに貴女は脆く、弱い。だけどそれは肉体の頑丈さの話です。使い魔とうまく関係を結び、能力を用いて戦っている貴女は十分強さはあると私は思います。私の主なのであればしゃんとしなさい」

「お前が褒めるなんて珍しいな」

 ワタシは首をかしげてそう返す。

 正直意外だった。彼女はワタシのことをここまで評価しているとは思っていなかった。文字通り殺す気で育ててくれたからこそ、彼女は今のワタシをそう評価しているのかもしれない。魔力を持たないワタシは人一倍戦闘能力がなければ、生き残ることは難しい。だから、彼女は魔力だけにこだわらず、戦術等のことも教えてくれたのだろう。

「私はただ自分なりの評価をしているにすぎません。それに……」

「それに……?」

 彼女は後ろを振り向き、

「独りぼっちというのは、寂しいですから」

とぽつりとつぶやいた。

「独り?」

「……いえ、何でもありません。ただの戯言です」

「……そうか」

 ワタシは妙に思ったが、ココノが何でもないといったのなら追及しても何も言わない。

 ココノは過去を話さない。どれだけ聞いても答えてくれない。どういうものを見て、何を聞いてきたのか、ワタシにはわからないが、彼女が答えないのならワタシは知らなくてもいいことなのだろう。彼女自身が話したくないのなら尚更だ。だからワタシはこれ以上聞かないことにした。

「今度は私から聞いてもいいですか?」

「今更聞くことなんてあるのか?」

「えぇ」

 彼女は再びこちらを振り返り、真剣な表情で

「何故、ブルートを追っているのです?」

と聞いた。

「……ホント、今更だな。何でまた今のタイミングで聞く? 今まで聞かなかったじゃないか」

「最初は正直、貴女の目的に口を出すつもりはなかったのですが、今回の騒動で貴女が追っている組織がいかに危険か知りましたから。知る権利くらいは私にもありますよね?」

 彼女はまっすぐワタシを見てそう聞いてくる。

「目的はお前も知ってるだろ。ワタシの目的は魔女の家を出てから決まっている。お前も承知でそれについてきたんじゃなかったのか?」

「約束を守ること。その約束の内容……貴女本当にやるつもりなのですか? 下手をすればブルートの敵対だけでは済まなくなりますよ」

「構わない」

 ワタシは短くそう返す。

『必ず……俺を殺してくれ』

 それが彼の約束。最期に交わした、守るべきもの。

 あのろくでなしは死ぬ間際に厄介な呪いを置いて逝った。彼は、自分の命が潰える寸前に自分の命を殺せと言ったのだ。

 最初に聞いたときは意味が理解できなかったが、その数か月後にその言葉の意味がわかった。彼は文字通り、蘇生していた。

 信じられなかった。本来「死」というものは覆しようのないものだ。一度失った命が復元することは人間ではありえない。

 だが、彼はその事実をあざ笑うかのように蘇生していた。死んだということが元々なかったかのように。

 ワタシが取るべき選択肢は一つだった。

「彼を殺す。ワタシが今いる理由はそれだ。ブルートを追っているのも、書斎の鍵として活動しているのも、ついでにすぎない。アイツを探すついでにすぎない」

「……ブルートを追うと言い出したのは、死者蘇生法を知っている可能性があると踏んだからですね」

 あのろくでなしが約束を口走ったとき、彼はたしかに死んだ。それは間違いない。であれば、彼が蘇生したのは何かしらの原因があるはずだ。

 そんな時にブルートの噂を耳にした。彼らの宗教で死んだものを生き返らすことができる術があると。信じがたいことではあるが、ワタシは一度彼が死んだあとに生き返ったところを目にした。どんなに嘘くさい情報だったとしても、可能性があるのであれば潰しておかなければならない。

「貴女は、それでいいのですか?」

「約束を果たせずに死んだらワタシはそれまでの女だったってだけだ。たとえアイツが何度も生き返ろうとも、何度も殺してやる。今までもそうしてきたしな」

 今までワタシは彼を何度も殺してきた。

 そのたびにワタシは斬って、焦がして、壊して、潰して、しっかりと息の根を止めてきた。だが、彼は何度も現れた。何度も……何度も何度も何度も。死体が残らないようにしっかり処理しても、次会うときには必ず綺麗に完治している。これでは完全にいたちごっこだ。

 だから、この世にある蘇生術を全て使い物にならないようにすれば、彼とは二度と会うことはないだろう。

「何故? そこまでするのです? いくら約束を果たしたからといってそこまでする義理はないでしょう? 自身の命を危険にさらしてまで成し遂げることなのですか?」

「さぁな、価値があるかどうかは知らない。あのろくでなしがどういう意図であの約束を口走ったのか、今は知ることもできない。ただ、アイツの死ぬ間際に放った言葉を捨て去れるほど、非情になることはワタシにはできない。だが……」

 ワタシがここまでする理由。正直、それはワタシ自身にもわからない。ただ、無視ができなかった。何故か、無視ができなかった。

 心が擦り切れるような思いをしながら人殺しを続けても、果たさなくてはいけないと強く感じる。

 それはあのろくでなしが初めて死んだ時からずっと。殺さなくてはいけないと、ずっと脳裏に焼き付いて離れない。

「殺しは色々と面倒だから、できれば早めに約束事を果たしたいものだ」

 ワタシはそう言って自嘲気味に笑った。

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