第14話 脱出
「チッ」
とっさに狂犬はこちらに方向転換をしてカゴメに向かって大剣を振り下ろすが、カゴメは刀で受け流して距離をとる。
さらに攻めようと狂犬はカゴメを追いかけるが途中でゴーレムが割って入り、行く手を阻む。
「どけ!」
大剣で薙ぎ払うようにゴーレムを斬り、ただまっすぐカゴメに突撃する。
やがてカゴメに攻撃が当たる距離まで迫り、大剣に力を込めて振り下ろす。
「これは受けたらただでは済みそうにありませんね」
カゴメは刀で受けず、横に跳んで避けた。
大剣はそのまま地面に向かって振り下ろされ、地面にぶつかった衝撃で少しひび割れた。どんな力で振り回せばそうなるのだろうか。
「外したか」
苛立つような声でそう言ったが、切り替えるように素早く大剣を構えてカゴメに攻撃を仕掛けるが、ゴーレムにまた阻まれる。
「ガラクタどもが! オレの邪魔をするんじゃねぇ! 鬱陶しい!」
狂犬はそう叫び散らしながら、カゴメをひたすら追いかけて斬るという行為を繰り返している。
単純に追いかけて攻撃を当てるのでは速さはカゴメの方が上手。その上、ペリと人間ではいずれ狂犬の体力が限界を迎えるだろう。
だが、ワタシはもっと使えない状態だ。正直自分でも生きているのが奇跡だと思う。ココノが応急処置をしてくれたケガに合わせ、また新たに大ケガを負ってしまった。脇腹からの血が止まらない。今の状況では焼いて傷口をふさぐこともできない。
「クッ……」
痛みでふらつき、また倒れてしまう。脇腹を貫通され、猛毒に蝕まれている。
棘だらけのウジ虫が今度は全身を巡っているような感覚だ。歯を食いしばって我慢するが、指一本でも動かせば痛みがさらに増す。
幸いなことにゴーレムもカゴメも狂犬を集中的に攻撃しているため、こっちには襲ってこない。
今のうちに打開策を考えなくてはいけない。
だが、状況が悪い。何度も何度も倒しても復活してくるカゴメ、あれをどうにかしなくてはいけない。
先ほどよりも痛みがひどくなってきた。
頭や体のいたるところに釘を打たれているような痛みがする上、手足に重りを結び付けられているかのように体が重い。視界は先ほどよりかはマシにはなったが、時々はっきりせずにぼやけて見える。
動けないのであれば倒す所の話ではない。
せめてあと一つ、何かあれば……。そんなときに、狂犬の戦闘が目に入った。
狂犬は咆哮を上げ、ただひたすらにゴーレムをなぎ倒しながらカゴメを追っていた。一瞬アイツがゴーレムに攻撃するときに微かに大剣が光っているように見えた。
「あれは……?」
人の身である狂犬は、魔法は使えるが使い魔がいるわけではない。自身の持つ魔力を最大限に利用しているだけだ。音魔法もアイツ自身の魔力を用いた魔法で威力は大きいが連発はできない。
それに人間が使える魔法はかなり限られる。そんな奴がカゴメやゴーレムと戦うときに何か魔法を使っているとしたらかなりの消耗になるはずだが、狂犬の表情に苛立ちはあるものの疲れている様子は見られない。
ということは元々あの大剣だけが特別なものだったか……あるいは魔力の消耗が少ない何か要素をつける付与魔法か……。
攻撃力を上げる、耐久力を上げるなどなら割と簡単な部類の魔法だと聞いた気がする。
ワタシは魔力がほぼないのでその魔法を覚えても仕方がないと思い、覚えていないが……。
「ん……?」
何かいい方法がないかと腰のベルトに固定している装備品を確認すると、先ほどココノからもらった黒い羽根を手にする。
確か……命の危機にさらされた場合『焦がせ』と唱えろと言われた気がする。だが唱えた後、何が起きるかはわからない。彼女のことだ。意味のないものは渡さないと思うが……。
「使うのは……今じゃない」
仮にこれが切り札になるとしたら、それはいまではない。むやみに使っても、形勢を逆転できなければそれは切り札になり得ない。
この羽根が攻撃魔法の類だとしたら、これはとどめ用だ。とどめをさす前に有利な状況を作っておかなくてはいけない。
それに、カゴメが何度も復活する理由も見定めなければならない。彼女自身の刀を使っても、ワタシの刀を使っても死ななかった。一度目はともかく、二度目はちゃんと黒い炎の能力を用いて完全に消滅させたのにも関わらず、蘇生していた。ウタが仕掛けた罠の可能性もあるが、カゴメにとって核となる部分を攻撃していなかった可能性もある。
前者の場合ではどうすることもできない。ウタが現状姿をくらましている以上、彼を探し出して殺めるという手段は得策ではない。何より、彼も正体不明の蘇生に成功している。恐らく何度殺めようと結果は同じだろう。
後者の場合だとまだ希望はある上、何度殺しても復活する理由になる。しかし、肝心のどこを壊せばいいかがわからない。少なくとも、カゴメ自身に攻撃しても意味はないことはわかっている。
「何……か。ほか……に」
意識が朦朧としてきた。頭が回らない、薬の効果が切れかけているのだろうか。このまま意識を失えば今度いつ目覚めるかわからない。
『一応、この魔法だけは覚えていて』
「モモ……?」
不意に彼女の声が聞こえた気がして、名を口にするが反応がない。幻聴か……?
そういえば書斎の鍵に入ったばかりの時、書斎に出入りするための鍵を渡されたと同時にいくつかの魔法呪文を覚えるように言われていた。
確か……。
「元気がないですね。どうかしましたか?」
背後からカゴメの声が聞こえる。とうとう狂犬の体力が尽きたか?
背を向けるのはまずい。ワタシは地面に手をつき、仰向けに倒れる形になる。
「返事をする気力もありませんか?」
カゴメは微笑を浮かべながらこちらを見る。初めのころのような隙だらけの状態ではない。油断を利用して攻撃するというワタシの戦法は通じなさそうだ。
「ゲホッ。考え事を……していただけだ」
「考え事? 今度はどういう卑怯な手で私を消滅させるか……といったところですか?」
「いいや? 現状報告を……モモにしないといけないなと……思っただけだ。仕事……だしな……ゲホッ」
「まだそんな減らず口をたたけるのですか?」
カゴメは持っている刀をワタシの首筋にあてる。
万事休すか……? いや、先ほど思い出した魔法呪文の中に使えるものがあった気がする。だが、肝心の呪文が思い出せない。
少し、時間を稼ぐか。
「ところで……狂犬はどうした?」
「狂犬? あぁ、大剣使いのことですか? あの人間とは仲が悪いのでは?」
「あぁ……死んでもらった方が……清々する。だが、死んでいるのなら……書斎に戻ったときに……仕事仲間に……報告しなきゃ……いけないからな」
「どこまでも愚かですね。あの人間ならゴーレムに包囲されて身動きが取れない状態になっていますよ。いくら強いとはいえ、無限に沸いてくる敵に対していつまでも攻撃できるような体力は持ち合わせていないでしょう?」
なるほど、だからカゴメはここに来ることができたわけか。確かに、奴は頭がよくない。包囲をしようものなら簡単にできるだろう。
「もう一つ……聞きたいことがある。お前は……ブルートに弱みを握られて……こういうことをやったのか?」
「死にかけの人間がそんなことを聞いて何になるのです? と言いたいところですが、それくらいなら答えましょう」
変わらず刀を向けたまま、カゴメは話し始めた。
「私はブルートで人工的に生み出されたペリです。元々弱みなんてありませんよ。この空間にいた子供の姿をした者たちも人工的に生まれたペリですよ。この結界の維持を手伝ってくれています。まぁ、貴女のお陰でこの結界を維持するものは少なくなってしまいましたが、この刀があれば問題はありません」
刀……。そうか、盲点だった。まだあの刀を破損させたことは一度もない。
ワタシが触れたら強烈な拒絶反応を起こした強い魔力がこもったもの。カゴメの体に核がないのであれば、最も可能性があるのは彼女の持つ刀。だが、あくまでも可能性だ。外す可能性だってある。これでしくじれば、もうチャンスは回ってこないだろう。
「命乞いはしないのですか? 実験材料としてなら喜んで生かしてくれると思いますが」
「冗談……だろう? それは生きて……いるというのか? ゲホッ……」
可能性があるのなら、かけてみる価値はある。刀を打ち砕くにはまず、この状況を打開しなければならない。
また目がかすんできた。もう少しだけもってくれ……。
チャンスは一度だけ。それを逃さないためにも、まだ気を失うわけにはいかない。
「そうですか。少しつまらないですね。では一撃で終わらせてあげます」
彼女は無表情でワタシの心臓めがけて刃を突き出す。
「アルカンシエル」
それと同時に、こっそりとベルトから取り出していた緑色の鍵をカゴメに向け呪文を唱えた。すると、鍵の先から虹色の光がまっすぐカゴメに向かって放たれる。
書斎に通ずる鍵にはそれなりに魔力が込められている。それは、鍵にも役割があるからだ。書斎の鍵に入るときに教えてもらった呪文はおそらくワタシの『書斎を守る』という役割を助けるためのものだろう。
先ほどの魔法もその一つ。この魔法は本来緊急時に自分の居場所を教えるために使うものだ。簡易詠唱と長文詠唱があるが、今回は時間がないため簡易詠唱を唱えた。長文詠唱を唱えた場合は先ほどの光よりさらに強い光となるだろう。
「!?」
カゴメは光から目を守るために片腕で目を覆う。ワタシはその隙に地面に右手をつき、急いで立ち上がる。
「クッ……」
カゴメの視界が回復する前になんとか立ち上がろうとするが間に合わない。そんなとき、視界の端に影を捉えた。
「おい! 狂犬! 手を貸せ!」
「オレに命令するんじゃねぇ!」
狂犬は血だらけの状態だった。多少攻撃を受けたのだろうが本人は気にしていない様子だ。
奴は大剣をこちらに向けて投げた。そのままカゴメに向かって攻撃するのだろうと思ったが、大剣はカゴメよりも若干上をとんでいた。外したのかと思い、急いで攻撃準備をしようとするが、狂犬はワタシのすぐ横を通り抜けて跳び、空中で大剣を両手で持ち、そのままカゴメめがけて振り下ろす。
「まだあがく気ですか」
カゴメは目を見開き、寸でのところで狂犬の攻撃をよける。流石に時間をかけすぎたか。
ワタシは打刀を右手で持ち、渾身の力を込めてカゴメに攻撃をしかける。
「貴女は死ぬことを仕方ないことだと言いますが、そこまでして生きたいとも思っていないでしょう。何故ここまで必死にあがくのです」
「それは答えただろう……死ぬことに……抵抗はないが、死にたいと……思っているわけではない」
互いにかける力が等しいのか、刀の刃を合わせた状態から動かない。だが、こちらは片手でしか力をかけていないので、少しずつだが押され始めている。
「死にたいと思っているわけではない? 死ぬ直前の貴女の表情をお教えしましょうか? 安堵したかのように微笑んでいたのですよ」
「何……?」
その言葉に一瞬驚き、その隙にカゴメは後ろに跳び、ワタシの持っている打刀を弾き飛ばした。打刀はそのまま地面を滑るように遠くに落ちてしまう。
「本当に死を恐れているのなら、苦痛で歪むはず。ですが貴女は酷く穏やかな表情だった。貴女は死を恐れているのではなく、生を恐れているのではないのですか? 考えることが面倒、というのは現実逃避か何か。貴女は何かから逃げるために本当は死にたかったのではないのですか?」
「それは……」
違う。そう言いたかったが、言葉が詰まってしまう。確かにワタシは自分の死が迫っているとき、全てをあきらめきれればどんなに楽だろうと思った。生きることよりも死ぬ方が楽なのではと本気で考えてしまった。だが、ワタシにはそれができない。だから、他の……外因的な何かで死ぬことができるのなら、もしかしたら約束を破っても許されるのではないかと……。
「ごちゃごちゃうるせぇよ」
声が聞こえはっと顔をあげると、狂犬がカゴメに大剣を振り下ろしているところだった。カゴメは刀で大剣を受け流し、攻撃を避ける。
「細かいこと気にしてるから弱いんだよ。強いから生きて、弱いなら食われる。そんなこともわからねぇのか? てめぇもてめぇだ、人鬼。普段わけわかんねぇ詭弁ばっか並べているから肝心な時に刃が鈍るんだよ。今の状態のお前を叩き潰したところで何の面白みもねぇ。一丁前に口だけは達者で体はボロボロじゃねぇか。やる気あんのか? あぁ?」
「……」
前からこいつは馬鹿だと思っていたが、ここまでだとは思っていなかった。まさか説教される日が来るとは……本当に腹が立つ。
「本当に癪だな……」
「何か言ったか? なまくら女」
「むかつく馬鹿といった」
「あぁ? 今ここで叩き潰してやろうか?」
「やるなら後だ……ゲホッ状況を考えろ」
全身が痛い、次が最後の一撃だろう。外したら終わりだ。確実に攻撃を当てるには……短刀ではだめか……一体どうすれば……。
◇
狂犬と協力して、というのは無理だ。かといって、面と向かって戦う体力はもはや残っていない。何とか近づいて攻撃を当てるには……。
「ウッ……」
ふらつく足を何とか踏ん張って立つ。痛みで今にも気が遠くなりそう。思考はクリアとはいかない。痛みが邪魔となり、答えが見つからない。
カゴメに近づいて刀身だけ破壊するなんて都合のいい方法があるのか? 書斎に通ずる鍵も先ほどの魔法で魔力を使い果たした。今持っている短刀とクナイは鉄製のもの。血をつけて投げれば効果はあるが、相手はそんな暇を与えてはくれないだろう。
時間が経てば経つほど勝機は遠のいていく。だが、最後の一撃はどう加えるべきかワタシにはわからない。
打刀は先ほどカゴメによってはじかれたせいで取りに行くのはリスクがある。今手持ちの武器でカゴメと戦うのは流石に無理が……。
「戦う……?」
ふと頭痛がやまない頭に違和感が残る。
いや、そうか。無理してカゴメ自身を無力化する必要はない。要は刀身を折ればいいだけの話だ。
クナイを二本左手に持ち、深く息を吐く。勝機を逃さないために少しでも呼吸を整え、タイミングを図る。
「……」
しびれを切らしたのか、先手を打ったのはカゴメだった。
彼女は一瞬で間合いを詰めて斬りかかろうとする。
「!?」
今までぼやけていた視界が一瞬クリアになった。ワタシは無意識に左手に持っているクナイを二本同時に投げる。左手は元々負傷していたため、クナイはある程度ワタシの血がついているはず。攻撃自体は効果があるはずだ。
しかし、視界がある程度見えるようになったとしてもウタが盛った毒の影響はすさまじく、クナイはカゴメの頬と腕を掠めて地面へと落ちる。
「チッ」
ワタシは短刀を構えて攻撃に備えるが、このままでは再び短刀をすり抜けてあの刀の餌食になるのを待つだけだ。だからといって避けるほどの体力は残ってない。
判断を迷っているうちにカゴメは刃を振り下ろそうとしていた。捨て身の攻撃を覚悟し、来るべき痛みに備えた。
金属音が響く。
「今回だけは手伝ってやるよ。何より飽きたからさっさととどめさせ」
気が付くと狂犬が大剣でカゴメの一撃をはじいていた。
ほんの瞬きの時間、隙が生まれる。
ワタシは踏み込み、カゴメの懐へ飛び込む。
「無駄です! 満身創痍の貴女では速さで私には勝てません」
彼女はそう言うと再び刀をこちらに向けて振り下ろした。
「あぁ、そう……だろうな」
ワタシは短刀を捨てて左手でつかみ、刀を受け止めた。
普通であれば、ワタシはこの刀に触れることはできない。しかし、それが高い魔力を保有するワタシの血がついていれば別だ。現に最初にワタシを斬ったときも、脇腹を貫いたときもワタシの血が刀身についていた。であれば、ケガをして出血している左手であれば触れることができると踏んだわけだ。
重ねてワタシはコートと全く同じ性質を持った手袋をはめている。この手袋も多少魔力はあるため、相乗効果で今の形にでると賭けた。
「クッ……」
「な!?」
全身の痛みよりも鋭く、焼ける痛みが左手から強く感じた。
「速さでは……勝てない。だが、捕まえることは……可能だろ?」
「この、離しなさい!」
カゴメは力づくで刀を引こうとする。焼けるような痛みに耐えながら刀をつかむが、力は圧倒的に向こうの方が強い。
だが、彼女がワタシを振りほどく前に詠唱する方が圧倒的に速い。
「焦がせ」
ワタシがそう呟くと、腰のベルトに固定している羽根から黒い閃光が放たれる。直後、羽根は黒い炎に変わり、ワタシを巻き込んで黒い火柱が辺り一帯を飲み込んでいった。炎の威力は収まらず、大きな炎の竜巻となってありとあらゆるものを破壊していった。
◇
収まったのは体感で三分後くらいだろうか。ワタシ以外のものが跡形もなく灰になっていた光景が広がっていた。
「ココノの奴……こんな威力のものを……普通ワタシに持たせるか……?」
ワタシは左手を見ると、先ほどまで受け止めていた刀が黒炭となっていた。少し力を入れると刀はボロボロと地面に落ち、消滅してしまった。
刀以外にも周りを見ると、黒い炭の状態になっており、上を見ると所々亀裂がはいっていた。今にも結界が解かれそうだ。
「はぁ……はぁ……流石にもう動けんな……」
ワタシはその場に倒れ込む。狂犬の姿がないことが幸いだが、ココノがいないのではもう何もできない。狂犬はどうせ死にはしないだろう。奴のことだ、またしぶとくワタシの前に現れて攻撃をしかけてくるはずだ。それにしても、この空間に入ったときは生きた心地がしなかったが、何とか生き残れてよかった。
しかし安心しているのもつかの間、黒炭になったはずの地面からゴーレムがまた数体現れ、こちらに向かっているのが見えた。
もう動くこともかなわないワタシは一撃でも攻撃されれば死ぬだろう。
「嘘……だろ……?」
流石に笑えない状況だ。今日は何度死にかければいいんだ。
その時、真上から黒い炎がまっすぐ落ちてきた。落ちてきた黒い炎は瞬く間に辺りを覆うように広がり、数体いたゴーレムを残らず消滅させる。
やがて炎は一つにまとまり、一羽の三つ足カラスに変化してこちらに近づき、聞きなれた声で話しかけられる。
「遅くなりました。って、先ほどよりもケガが増えていませんか? 私が渡した羽根は役に立ってよかったですが、使ったうえでこの大けがはどういうことです?」
「説教は……あとで聞く……悪いが動けない。外まで……運んでくれるか……?」
「言われなくてもそのつもりです。人型の状態で貴女を背負って走ります。揺れが激しいのでちゃんと掴まってくださいよ?」
「けが人に……無茶を言うなよ……」
ココノは宣言通り人型の状態になり、ワタシを背負うとすぐに走り始めた。手に力が入らず、時々振り落とされそうになりながらも、何とか結界の亀裂から外に出ることができた。
◇
結界から脱出した先は、以前神社と同様に一時期ペリが騒ぎを起こしていた町はずれの廃工場だった。
ココノはワタシを降ろして寝かせ、体内を蝕んでいる猛毒となる魔力を黒い炎で打ち消すなど、簡単な手当てをしてくれた。おかげであの強烈な毒の痛みはなくなったが、まだ動くことはできそうにない。完全に治癒するには少し時間がかかりそうだ。
「全く、目を離せばすぐこれなんですから……一体何をしたらあんなにボロボロになるのです?自傷行為がお好きなのですか? そんな風に育てた覚えはありませんよ?」
「そんなマゾになった覚えはないし、育てられた覚えもない。お前の教育法で死にかけたことはあるがな」
「それは貴女の体があまりにも脆いことをしらなかったからですよ。今なら貴女にあう訓練法を提供できますよ?」
「勘弁してくれ……」
思い出しただけでも寒気がする。寝ているとき川に突き落とされたのは、もうだいぶ前のはずなのに今でも鮮明に思い出せるほどトラウマになっていることをいい加減に分かってほしいものだ。
「さて、そろそろ移動しましょうか。一度上体を起こした方がよさそうですね。起き上がれますか?」
「まぁ、一応右腕は動かせるから立てるはずだ」
ワタシはそう言い、地面に右手をつけて立ち上がろうと一度上体を起こす。
刹那、一瞬強い殺気を感じた。ココノはワタシを守るように黒い炎で囲み、臨戦態勢をとる。新手だろうか? だが、ここはもう結界の外。残党がいたとしてもモモが黙っていない。
「あら? 黒い炎ということは狂犬ではないようね」
女性らしい凛とした声が聞こえた。この声には聞き覚えがある。
「あれは、門番さんじゃない? ユミカ。やっぱりここ天池町だよ。どうしよう、月影ちゃんが結界の中に入ってから結構時間が経つけれど、まだ戻ってきてないよ?」
幼さが残る少女の声。間違いない、彼女らは傭兵の……しかも狂犬と組んでいる矢野 弓華(やの ゆみか)と一守 獅乃(いちもり しの)だ。
声のした方向をみると大きなつばの広い深緑色の帽子をかぶり、白銀の髪色を持ったユミカと両腕に素肌が見えないほど包帯を巻いているシノの姿があった。
最悪のタイミングだ……。今の状態じゃ戦うどころか逃げることもできない。この二人は狂犬より話が通じはするものの戦闘能力は狂犬と同等。
ましてやここは人気がない廃工場。その気になれば証拠を残さずにワタシを消すこともできるだろう。
「随分と傷だらけですけれど、大きな戦闘でもあったのですか?」
こちらの様子をうかがうようににこやかにユミカが尋ねてきた。
表情は穏やかだが、先ほどの殺意を放ったのはコイツだ。油断していれば殺してくるだろう。
だが、隣にいるシノがいる限りはまだ何とかなりそうだ。シノはあの脳筋やユミカと違って書斎の鍵に敵意があるわけではなく、立場上敵対しなければならない人物。三人の中で最もまともだと思うが、それでもあまり信用できない。
「あんたら狂犬の仲間ならちゃんと首輪でもつないでくれませんかね? おかげでひどい目にあった」
本音をいうならアイツがいなければ結界内で死んでいただろう。一応感謝はするがそれとこれとは話が別だ。
傭兵どもは書斎の鍵を敵視している。たとえ同じブルートという敵を持っていても相容れない関係の組織だ。
「仲間? あれはただの同期にすぎません。たまたま同じ班に組まされただけで、仕事以外は顔も合わせたくないです」
声のトーンを落としてユミカはそう言う。空気も先ほどより張り詰めている。狂犬とユミカは仲が悪いとは知っていたがここまでとは……。
「ちょっとユミカ? 月影ちゃんは仲間だよ? 仲間が迷惑をかけたのならちゃんと謝らないと」
対してシノは変わらない態度でユミカをたしなめる。
「月影ちゃんがまた乱暴したのならごめんなさい。月影ちゃんはちょっと口が悪いだけで悪い人ではないんだよ。無断で天池町に来てしまったのは別に書斎の鍵に攻撃をしようと考えていたわけではなくて、奇妙な結界が張ってあったから調査に来ただけなの。でも無断で入ったのはこっちが悪かったよね」
申し訳なさそうにシノは頭を下げた。
奇妙な結界というのはおそらく先ほどまでワタシがいたあの結界のことだろう。こいつらの敵もブルートだ。少しでも手掛かりになるのなら些細なことでも調べるのは当然だろう。狂犬があの結界内にいたのもブルートの調査のためということならうなずける。
「あの狂犬なら神社の方にでもいるんじゃないか? 早く行ってとっとと帰れ」
ワタシがココノの羽根をつかってからアイツの姿は見ていない。正直、死んだかもしれないが……それを言えば流石のシノもこちらに殺意を向けるだろう。それに、モモがこちらに来る前にこいつらがこの町からいなくなればその方が楽だ。
「ホント!? よかった! ユミカ、早く行こう!」
シノは無邪気に喜び、ユミカの手を引くが彼女は
「そうね。シノ、先に行ってなさい。後で追いつくわ」
と言った。
「え? うん。わかった。早く来てね。門番さん、教えてくれてありがとう!」
シノを先に行かせ、先ほどとは一転してユミカはこちらを射抜くような目つきで見た。今にも殺しに来そうな勢いだ。狩人の目という表現がふさわしいだろう。
「どうしてここから離れるように促すのです? たしかに天池町というのはあなたたちが管理していると言っていましたが、何かやましいことでもあるのですか? 例えば、ブルートと裏でつながっているとか?」
「今まさにそのブルートの奴らに殺されかけたのにそれを言うか? アンタらしくもない」
ユミカは天池町の結界以外に別の結界が張られていることを察知して狂犬を送り込んだ。それは狂犬とシノが言っていたことで大体わかった。だが、そこからどうやったらブルートと書斎の鍵がつながっているという話が出てくる? 彼女は狂犬と違って思慮深い女だ。何か行動をとるとき、必ず理由がある。
シノを先に行かせたのも彼女がいれば聞きにくいからだろう。シノは争いを好まない。個人で書斎の鍵に敵意を持っているわけではない上、性格も純粋という言葉にふさわしい人間だ。こういった話をするには確かにユミカ一人の方がいいに決まっている。
「それは本当ですか? 貴女ほどのものが追い詰められるなんてよっぽどの強敵でなければないことだと思いますが」
「ワタシが敵対しているのはあくまでブルートだ。基本喧嘩を売ってこなきゃワタシは相手にしない。正直、アンタらと戦っている時間も労力も無駄だ。協定を組む気がないならないで別に構わんが、ワタシ達の邪魔はするな」
ユミカは少し目を細め、静かにこちらを睨みつけた。
疑っているのだろうか? まぁ、無理もない。敵対関係を持っている人間の情報を信じる方がおかしい。半信半疑といったところだろう。
隣にいるココノがユミカを睨み返す。
「ココノ。変なことするなよ」
小声でワタシは彼女を制す。
「ですが……」
「落ち着け。ここでお前がユミカを仕留めたら、シノと狂犬はどうなる?」
「……」
ユミカが攻撃態勢に入った途端仕留めるつもりなのだったのだろう。書斎の鍵と薄明の旅団はただでさえ関係が悪化している。その状態でココノがユミカを殺した場合、天池町は無事で済まないだろう。少なくとも仲間思いのシノが黙っているはずがない。恐らく、ユミカは仲間の信頼と組織の関係を見越して一人でここにいる。でなければ敵陣に一人だけという理由にはならない。
「では、書斎の鍵は潔白と証明できるのですか? 人に言えないようなことをしていないと言い切れるのですか?」
「人に言えないこと? それはアンタらにも言えたことだろう。得体のしれない力を体内に入れて力を得ているというのは聞こえがいいが、要は人体実験を平然とやっているということだろう? 今は合意を得て力を手に入れているんだろうが、昔はどうなんだろうな?」
「その情報に見合う対価を得ない限り、答えることはできませんね」
人に言えないこと……。ないと言えばうそになるかもしれないが、実際本当のことはわからない。書斎の鍵という組織はモモが立ち上げたものだ。立ち上げた当初にワタシはいない。だから、本当の意味でどうしてこの町にいて、何故この町を守っているのかというのはわからない。ブルートを追っているというのは本当だろうが、それだけではない気もする。
だが、人に言えないことはどの組織にもあることだろう。人が集まる以上、秘匿しなければならないことは多かれ少なかれ嫌でも発生するだろう。それは組織としてだけではなく、個人としてもそうだ。ワタシにも人に話していないことの一つや二つはある。
それを他人が知ったところで組織、または個人をゆするネタにはなるかもしれないが、所詮それだけのことだ。他人からの介入があったとしてもその人物が変わるわけではない。
第一、こんな偉そうなことを言っているがワタシは書斎の鍵について深くは知らないのだ。情報を提供したくてもできない。
「悪いがワタシから言えることは何もない。ワタシの役目はあくまでも町を守ること。それ以外はどうだっていいし、興味もない」
「自分が属している組織について知りたいとは思わないのですか?」
「考えるのは嫌いなんだよ。できることなら何も考えず、ただ平凡に生きていればそれでいい。たとえそれがかりそめの平凡だったとしても、ただいいように使われているだけだったとしても、自分の許容範囲内であればどうだっていい」
我ながら自分勝手な考え方だ。思わず笑いがこみあげてくる。
その様子をみて、ユミカは一つため息をついたあと
「そうですか」
と感情のない声で答えた。
そこまで言うと、瞬時に彼女の手には巨大な弓と淡く緑色の光をまとう矢のようなものが出現し、すぐにこちらに狙いを定める。
「では、最後の質問です。書斎の鍵は……いえ、貴女は国一つ消し飛ばせるような、一歩間違えれば厄災にもなりうる力を持っています。それほどの力を得て、貴女は何を成し遂げようとしているのです」
「物騒だな。そんなこと聞いて何になる?」
「答えなさい」
彼女は至って真剣だ。本気で殺そうとしている。
攻撃態勢に入ったユミカを見てココノはワタシをかばうように前に出る。だが、ここまでの至近距離では流石のココノも無傷では済まない。先ほど釘を刺しておいたから、いきなり殺しにかかることはないと思うが……少し心配だな。
いや、心配している暇はないか。実際命の危機にさらされているのはこちらだ。
どう答えるのがベストだろうか。恐らく、この質問は薄明の旅団団員としての問いでもあるんだろうが、彼女個人としての質問とも受け取れる。だが……結局のところ正直に答えるしかないか。どう取り繕っても、ワタシはワタシでしかない。他の人間にはなれないのだから。
「アンタは勘違いしているようだが、そもそも順序が逆だ。ワタシは何かを成し遂げようと努力をして、力を得たんじゃない。力を得たから、その責任を負って現状があるだけだ。ブルートを追っているのは個人的に恨みがあるからであって、たいそうな理由なんてない。書斎の鍵に入っているのはモモと利害が一致しているから一緒にいるだけだ。ワタシはアンタのように物事を考えて過ごすような思慮深い人間じゃない。まぁ、狂犬のような本能で生きる人間でもないが」
「……」
ユミカは何も言わなかった。だが、弓矢はこちらに構えたままだ。納得しなかったのだろうか……だが、これ以上に理由はない。もっとも、理由らしい理由なんてないのだが。
「……わかりました。今は、そう納得します」
「今は……? 悪いが、これ以上もっともらしい理由付けなんてできないぞ?」
「こちらの受け取り方の問題です。お気になさらず」
ユミカは弓矢を消滅させ、攻撃態勢を解く。
「殺さないのか?」
「まさか。私が貴女を殺せばどうなるかくらい予想できます。聞きたい情報は聞けましたから。今日はおとなしく帰ります。バカの面倒も見なくてはいけませんし」
彼女は忌々し気にそう言う。まぁ、同じグループに狂犬のような奴がいれば流石のワタシでも殺しにかかるだろう。そんな奴相手に日々、仕事をしているのだから敵対関係を抜きにすれば素直にユミカは凄いと思う。
「では、私はこれで失礼します」
彼女はそう言うと姿が透けていき、やがて完全に見えなくなった。
◇
「危なかった……今日は何度死にかければいいんだよ」
「全くですよ……本当に肝が冷えました」
ココノはユミカの姿が消え、やっと警戒を解く。互いに殺せない立場だったとしても、ココノがいなければ真っ先に殺されてもおかしくない状態だった。本当に今日は厄日だった。早く書斎に戻らなければ……。
ワタシは右手を地面につけ、立ち上がろうとしたときまた異変が起きた。
「ウッ……」
急にまた視界が歪む。毒の効果は薄まったはず……どうして今……?
「どうしました?」
ココノが心配そうにそう声をかけてくる。意識が朦朧としている中、何とか声を絞り出して
「へ……いき……だ」
というが、ココノには逆効果だったらしい。
私の異常を感じ取ったのか、こちらをじっと見る。
「!?」
彼女は何かに気づき、驚いたような表情をした。
「何が……あった……?」
「……落ち着いて聞いてください。先ほど、私が炎で毒を消しましたが、対策をされていたのか、また別の毒が貴女の肉体を蝕んでいます。これは……」
ココノの表情が硬い。現時点で解毒は難しいみたいだ。相手が殺しにかかっているというのは最初からわかりきっていたが、ここまで執念深いと流石に嫌になってくる。
「眠い……」
毒の影響か突然睡魔に襲われる。眠いなんて思ったのは一体いつぶりだろうか。ここ数日、体調を崩して眠っていたとはいえ、人間として当たり前ともいえる睡眠をほとんどとってこなかった私にとっては眠いというのは酷く久しぶりのように感じた。
ココノの声が反響して聞こえる。もう、何て言っているのかがわからない。私は死ぬのだろうか?
その直後、私の視界が真っ暗になった。
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