第12話 狂犬と人鬼
「……」
ワタシは森の中から一部分だけ見える星空を見ていた。木と木の隙間からかろうじて見える星空。それ以外は真っ暗で何も見えなかった。
右手にはランタンを持っていたが、明かりにしては乏しく光が足りない。
――既視感がある。
最初に思ったのはそれだった。深夜の深い森の中。過去に何度も来たことはあったが、この森がいつ見たものかは思い出せない。
それに、目線が少し低い気がする。普段よりも地面が近い。背が縮んだ……というよりは、自身の中にある記憶が夢として思い出されているのかもしれない。ということは子供のときの記憶が今再生されているのだろうか?
ワタシは死んだのだろうか?
「本当に出ていくのですか?」
聞き覚えのある女性の声が背後から聞こえた。
後ろを振り返るが、そこには何もいない。
「こっちですよ。相変わらず、察知能力が乏しいですね」
声の出元を探した。ふと視線をあげると、真っ暗な森の中に二つの赤い光があった。近づいてランタンを照らしてみると三つ足の鴉が木の枝にとまっていた。
「ココノ?」
「出ていくのは百歩譲っていいとしても、私に声をかけずに出ていくのはどういうことですか?」
鴉の姿なので表情は読み取りづらいが少し怒っている様子だった。
「必要ないと思ったから」
ワタシの意思と関係なく言葉がいつの間にか出ていた。どうやら、過去の記憶が自身の目線で再生されているらしい。
確かこのときは……自分が育った施設を誰にも言わずに抜け出そうとしていた。使い魔の契約を結んでいたココノにも言わずに。恐らく、ワタシが十歳ぐらいのころだった。
「必要ない?」
不機嫌そうにココノがそう言うと、黒い炎が飛んできた。突然飛んできたので身動きが取れずに茫然と立っていると、頬を掠めて背後に飛び何かに着弾する。振り向いてランタンで照らすと白い靄のようなものが消失しかけていた。
「……?」
「貴女の後ろにいたペリですよ。襲い掛かろうとしていたので燃やしました。自分の身を守れないような人間が、使い魔を必要ないというなんて随分と余裕なのですね」
「……ペリが人間を襲う?」
当時の自分はペリについての情報に疎かった。ワタシがいた施設にはペリの存在がいなかったわけではないが、人間に友好的な存在しかワタシは見たことがなかった。
施設外では当然、危険なペリの個体もいる。恐らくココノはそれを知っていて、ワタシを追ってきたのだろう。
「人間でも人を殺す輩がいるのと同様に、ペリにも攻撃的な個体はいます。貴女はワタシがいなければ、ペリを視認することもできない。そんな状態で〈魔女の家〉を出るなんてどうかしています」
「そうか。知らなかった。でも、ここに来たのは何故? わざわざそれを伝えるため?」
ワタシは淡々とそう答える。自分で言うのもあれだが、当時は随分かわいげのない子供だったのだろう。
「貴女、契約を結んだことを忘れたのですか?」
この時、ココノとワタシはすでに使い魔としての契約を結んでいる。契約内容はココノがワタシに自身の能力でもある炎を貸す代わりにワタシの影を住処として利用すること。契約を結んだことで、ココノの炎をワタシが浴びても特に害はないし、ココノはワタシの影に入ることができる。
「覚えている。だけど、ワタシが出ていくことを伝えることも、ココノが追ってくる理由もないと思った。怒らせたのなら謝る、ごめん」
「……何をそんなに急いでいるのです。ここ最近、貴女は書庫にこもって調べ物をしていたようですが、何かあったのですか?」
彼女は赤い目を細める。誤魔化すことは難しそうだ。
「……風の噂で聞いた。死んだ奴を生き返らせる方法を誰かが見つけたらしい」
「……」
ココノは黙ってこちらを見ていた。
ワタシは言葉を続ける。
「アイツとの約束を守るには、魔女の家にいては駄目だと思った。自分で動いて、見つけ出す必要がある。早く、約束を守るためには抜け出す必要があった。だから今ここにいる」
拙い言葉で当時のワタシは必死に説得した。ここでココノに止められたとしても抜け出すつもりではあったが、施設の管理人にばれたくはなかった。
当時のワタシは正しく使い魔関係について理解はしていなかったが、信用できるペリであるという認識はしていた。だから話せばわかると無意識に思ったのかもしれない。
約束は守るもの。そう教えられたのは物心ついたころからだった。
多分、あのろくでなしから〈約束は守るもの、双方で決めたものは果たすように努力しなければならない〉としきりに言われ続けたから今のような思考を持ったのだろう。
アイツはワタシのことを友と呼び、知識を与えてくれた。腕もたち、頭もよかった彼は一見すると親切な奴にも見えた。
しかし、一度決めたことは意地でも曲げずに人の話を聞かないこと。他人任せの部分が多かったところが致命的な欠点だろう。読み書きや知識を与えたのも、自分が楽をするためと後から聞いたときは多少怒りを覚えたものだ。ワタシがアイツのことをろくでなしと言っている所以でもある。
だが、アイツは約束だけは一度も破ったことがなかった。恐らく、あのろくでなしの中で越えてはいけないラインだったのだろう。
「頼み事や一方的に言ってきた向こうの願いは無視してもいい。それは自分が納得してなかったら、叶えなくてもいいことだ。だが、約束は相手と自分が納得して交わすものだ。たとえそれが結果的に果たされなくても、やり通すために努力しなければならない。自分が納得して同意したものだからな」
かつて、アイツが言っていたことだ。聞いてもいないのに一方的に話してくることは多かったが、この手の話は耳にタコができるほど聞いた。
だから、ある程度の性格がうつったのだろう。
◇
「意思は……固そうですね。ですが、ペリが見えない貴女を放っておくのも気が引けます。何より、住処がなくなるのも不便ですし、私も共に行きます」
「止めに来たんじゃないのか?」
「私は貴女に死なれては困るだけです。生きてさえいれば、貴女のやることを否定するなんてことはしませんよ」
ココノはそう言ってワタシの肩にとまる。
「ですが、自分の身を守れないのはこっちとしても困ります。そう簡単に死なないようにしてもらわないと」
「そう言われても……人一人じゃどうしようもない時ぐらいあると思う」
「ホント、人とは脆いのですね」
ココノは呆れ気味に首を横に振ってそういう。彼女は人間に何を求めているのだろうと今では思う。
「いくら鍛えても無理なものは無理。本にもそう書いてあったし、管理人にもそう言われた。だから、死んだらごめん」
「貴女はそうやってすぐに諦める癖をやめなさい。その時は私が何とかします」
「なんとか?」
ワタシは肩にいるココノを見る。彼女も赤い目をこちらに向けていた。
「えぇ。ですから、私が助けに入るまでは死なないよう努力してください。約束できますか?」
「自信はないけど……それでもいいなら」
当時のワタシは特に何も考えずにうなずいた。
それが、彼女と最初に交わした守るべきことだった。
◇
「――イ、ヒスイ!」
突然声が聞こえ、薄目を開ける。
ここはどこだ? 死んだはずではなかったのか?
軽く混乱する中、ぼやける視界が鮮明になっていく。
最初に視界に飛び込んできたものは赤い柱のようなものだった。やがてそれが鳥居を下から見たものだと理解する。どうやらワタシは本堂から運ばれて、鳥居の下で寝かされていたみたいだ。
「ヒスイ! 私がわかりますか?」
声の聞こえた方に視線を向けると、褐色の女性が必死に声をかけていた。珍しく、心配そうな表情をしている。
「コ……コノ?」
先ほどの夢、もしくは走馬灯で見た時と違い、人の姿をしているため少し戸惑う。しかし、体を起こそうと右手を地面についたときに鋭い痛みによって戸惑いはかき消された。
「まだ動いては駄目です! 応急処置は終わっていますが、治ったわけではありません」
「おい、ココノ。何で……結界内にいる? ワタシは……死んだんじゃ……?」
「貴女が死んでいたら、焦って傷の手当てをしようなんてしませんよ。何より……縁起の悪いことを言わないでください」
彼女はそう言うと、私の頭の横に置いてあるバックに広げていた応急処置セットを手際よく片づけていく。
軽く右腕を動かし、自身の右手を見ると包帯が巻かれていた。恐らく、左手や背中の傷なども手当てしてくれたのだろう。全身に違和感があるが、倒れる前より痛みはマシになっている。
ココノは荷物をまとめ終え、荷物を一つの鳥居の隅に置くとこちらに向き直った。
「さて、情報共有をしたいとは思いますが……」
ココノはそこで言葉を切ると鋭い目で辺りを探るように見る。数秒の沈黙の後、彼女は右手に黒い炎を球状に出現させ、背後に放った。
「キャハハ!」
子供の声が響く。ウタをかばって消滅したペリ以外にもまだ子供のペリは残っているみたいだ。
「見ての通り、ここでは落ち着いて話すことはできません。この辺は安全地帯がなさそうなので、一度彼らを追いはらいますね」
彼女は淡々とそう言い、炎を放った方に数歩歩いた。
「まっくろさんのおともだち?」
「わたしたちとおなじ、ぺりだけどにんげんみたい!」
「おもしろいね!」
姿は見えず子供のペリの声が周囲に響く。ペリの気配を探ることはできないが、まだかなりの数が残っているみたいだ。
カゴメが復活している理由は子供のペリも絡んでいると言っていた。彼らが残っている限り、カゴメを無力化してもすぐ復活すると仮定するなら、面倒だ。いくらココノでも全員の子供のペリを無力化することは難しいかもしれない。
「……かなり数がいますね」
ココノがぽつりとつぶやいた直後、魔法弾がどこからともなくココノへ飛んできた。ココノは黒い炎をまとい、鴉の姿に変化すると回転しながら上へ飛び、羽を広げる。
刹那、黒い炎は周囲へ飛ぶ。魔法弾は掻き消え、黒い炎はさらに燃え広がっていく。
「――――――ッ」
突然悲鳴のような音が聞こえた。何もない場所から小さな影がいくつも現れる。
「いたい! いたいいたいいたい!」
「きえる! きえちゃう!」
小さな影、子供のペリは黒い炎を受けて苦しんでいる様子だった。
黒い炎は魔力のみを燃やす消失の炎。体が魔力で構成されているペリがこの炎を浴びれば、消滅するのは時間の問題だろう。
「あぁ、そこにいたのですね」
ココノは姿を人型に戻し、地面へと降りた。
「追い払うと言いましたが、面倒です。一瞬で終わらせましょう」
彼女は薄く微笑むと指をパチンと鳴らした。すると、子供のペリに燃え移っていた黒い炎が一気に火力をあげ、火柱がいくつもたつ。
「――――――ッ」
子どものペリたちがあげる悲鳴がさらに増した。数秒経つと辺りは静かになり、子供のペリは一体もいなくなった。
「これですっきりしましたね」
涼しい顔でココノはこちらに向き直った。
わかっていたことではあるが、ワタシが苦戦した相手をこうもあっさり倒されると言いようのない気持ちになる。
「どうしました? ヒスイ。なにか妙なことでもありました?」
「いや、何も……それより」
ワタシはそこで言葉を切ると状態を起こす。立って歩くのはまだ厳しそうだが、痛みを我慢すれば多少動けるようになったみたいだ。
「今、どういう状況だ?」
「そうですね。今の内に話せることは話しましょう」
ココノの話を聞く限り、外でも大変だったみたいだ。
彼女はワタシと神社で別れたあと、言われた通り雑木林の探索を始めたとのこと。日が暮れるまでの間何か異変がないか探したが、雑木林では特に何も変化が見られなかったらしい。
すぐにそのことをワタシに知らせるために神社の境内へ引き返そうとしたが、ココノはなぜか境内に入ることはかなわなかった。彼女の言葉を借りるなら、見えない壁が行く先を阻んでいるような感じらしい。
様子がおかしいことに気づき、ココノはモモに状況を説明するために念話をつないで報告。その後モモは調査をしたが、神社周辺に結界が張られていることぐらいしかわかることがなかったようだ。その間、ココノはこの空間に入るための準備を備え、すぐに動けるようにしていたらしい。
◇
「ちょっと待て。結界が張られていることは、お前がモモに報告しなかったら気づかなかったのか?」
「はい。最初は耳を疑ったのですが……本当のようです。モモさんに限って、町の魔力の流れを読み間違えることはほぼありえません。となると、この結界を張った人物たちは相当のやり手なのでしょう」
ココノは表情を曇らせてそうこぼした。
モモが気づけなかった。それが事実ならば、相当まずい状況だ。
ワタシは天池町を直接的に、モモは間接的に守ることが役割だ。間接的にというのは、魔法等を用いて町に結界を張ったり、異常がないか調べたりすること。モモは人一倍体が弱い代わりに、魔力量は常人の倍以上ある。魔力の感知能力もかなり異常なほど敏感で、町中で起きたことであればすぐに気付けるはずだ。何故……? 彼女が気づけなかった?
「これは推測になるのですが……おそらく、敵はモモさんの結界範囲を移動させて、自分たちの結界を作り出したのではないですか?」
考え込んでいたワタシは、その声で意識が引き戻される。危うくまた周りが見えなくなる所だった。
「何故そう思う?」
「モモさんが魔力感知できる範囲は広いとはいえ、結界内に限られています。だからといって、結界を無力化しようとすればモモさんは感知し、対策を打ってくるでしょう。となれば結界の効果範囲を縮小させるように移動させて、その空間に結界を作った……とか?」
ココノは視線を少し落とし、考えながら話している様子だった。
確かに、流石のモモも結界の範囲外であれば魔力感知は難しいだろう。だが、ココノの仮説は少し無理がある。
「それだったらおかしくないか? 天池神社は町の東に位置しているが、最東端ではない。敵の結界の範囲はあくまで神社の境内のみだったら、モモの結界をその部分だけ移動させるなんて無理だろ?」
ワタシは疑問をそのまま口にした。
「いえ、結界は神社の一か所だけではないです」
「一か所じゃない?」
ココノは一つうなずく。
「そもそも、私達が神社の境内に来たのはペリが異常なまでに集まっているからでしたよね? 貴女が倒れる前にもう一か所、神社と同じくペリが集まっていた場所があったでしょう?」
「廃工場か」
情報を整理しつつワタシはそう言った。
となると、ココノの話も合点がいく。廃工場はギリギリモモの結界の外にある。あそこに結界を張られても、モモが気づかないのは無理がない。廃工場を拠点にして、モモの結界を解析し、形を変化させてこの境内まで道を繋いだのであれば、ありえない話ではないだろう。
だが新たな疑問も生まれる。何故、わざわざこんな回りくどい真似をしたのか。モモに感知されずに長期間どうやってこんな大掛かりな結界を張ったか。
いや、この辺は考えていてもわからないだろう。
ワタシは一度頭を振り、思考を切り替えた。
「話を遮ってしまったな。ここまでに来た経緯の続きを聞かせてくれ」
「はい。モモさんに報告して、一度書斎に戻り準備を終えた後、すぐに神社に戻ったのですが……天池神社の鳥居の下に不可解な穴が空いていまして」
「穴?」
「時間が経つごとに縮小していっていたので、黒い炎を集中砲火して穴を広げてこの空間に入りました」
「お前が一度書斎に戻ったときにその穴はあったのか」
「いえ、ありませんでした。だから不可解なのです。結界の穴を見つけたときは無我夢中だったので、深くは考えていませんでしたが……私達以外の部外者がこの空間に紛れていてもおかしくはないですね」
「そうか……じゃ、早いところここから出ないとな」
――――――――ッ!!!
「「!?」」
一瞬鼓膜が破れたと錯覚しそうなぐらいの轟音。音は一瞬だけだったが、しばらく耳鳴りがやまず無意識に片手で耳を押さえる。
「今の……音は……」
ワタシはこの音を知っている。過去に何度も耳にしてきた不吉の予兆のようなものだ。
「あの狂犬女、この空間に来やがったのか?」
思ったことをそのまま口に出した。
直後、目の前の地面から材質が石と土でできた人型の何かが這うように出現する。
「!?」
最初に動いたのは近くにいたココノだった。彼女は咄嗟に地面を蹴って人型の何かの頭部を蹴った。
鈍い音が響くと同時にゴーレムの頭部は体から離れて地面へと落ちる。同時に、彼女は地面へ着地した。
「ヒスイ!」
「逃げるんだろ? 何とかして走るからお前は鴉で先導しろ」
「え、大丈夫なのですか? 意識を取り戻したばかりでしょう?」
言うより前にワタシは急いで立ち上がり、石の化け物が出てきた反対方向に駆けだした。立ち上がった途端視界が一瞬揺らぐが、構わずワタシは一歩を踏み出し、走る。
しかし、回り込んだかのように前方からも石の化け物が地面からせり出し、行く手を阻む。
「チッ」
ワタシはどう避けるかを考えながら速度を落とすが
「全く、傷口が開いて取り返しのつかない状態になってもしりませんよ」
とすぐ横で声が聞こえた。
一度立ちどまり視線を横へずらしたその瞬間、前方から赤黒い炎の柱があがる。
「ヒスイ、走れますか? その炎は貴女には通じないはずです。敵が集まる前に行きましょう」
火柱の向こう側から彼女の声がした。確かにこんな派手な火柱があれば、カゴメがすぐにかけつけるかもしれない。
「相変わらずだな……」
圧倒的な力を見せる彼女に対して少し苦笑いをしながら、ワタシは彼女の後を追った。
◇
ある程度走ること数分。ココノの先導で何とか本堂にたどり着くことができた。本堂は子供のペリに案内されて通った道ではなく、また別のルートを通って本堂の裏にたどりついた感じだろう。
「ひとまず、今のところ追ってきてはないですね。大丈夫ですか?」
ココノは鴉の姿から人型に戻っていた。肩にはワタシを応急手当てした時に頭の近くにおいてあったバッグを持っている。
「病み上がり……というより、意識が戻った直後に……走ったら……だめだな」
肩で息をしながらワタシはそう返す。
生死をさまよったすぐ後に走れば当然こうはなると予測がつくとは思うが、敵地にいる以上そうは言っていられない。
「だから運んであげますよって言ったじゃないですか」
「意識がある状態で……お前に運ばれるのは……なんか嫌だった」
「地味に失礼ですね、貴女」
ココノとそう話しながらワタシは周囲を見る。
さきほどまで追ってきた石の化け物はいない。一体あれは何だろうか?
ペリ……にしてはあまりにも機械すぎる。俗な言い方をすればロボットのようなものに近い。
それにさっきの轟音……狂犬がこの空間にいるのは間違いないだろう。
「ココノがこの空間に入るときに使った穴。あれは狂犬があけた穴かもな。どうやってモモの結界を無視してきたかはわからんが」
ワタシはそう呟きながら建物の壁に背を向けて座る。
「モモさんの結界をどのくらい無力化されているかはわかりませんが、傭兵が町中に入っているのは少々まずいですね。出る手段はわかりますか?」
「そんな手段がわかっているなら、とっくに出て書斎に戻っている」
「まぁ、そのケガを見た時から薄々思っていましたが……想像以上に手ひどくやられていて驚きましたよ」
ココノはワタシのケガを一瞥した。
「魔法弾だの特殊な刀だの、次から次へと攻撃を仕掛けられる身にもなってくれ。少ない武器と知恵で生き延びただけでも奇跡だぞ?」
「だからって大けがの中、灼熱止血法を自分で施しますか……? 確かにこの方法は処置が比較的手軽にできますが、後処理方法を間違えれば傷口を悪化させる危険性もあるのですよ?」
「手持ちのもので止血する方法がそれしかなかったんだよ。針と糸があれば縫えたかもしれないが、今回は持ってきていなかったし……大体、ただの見回りのつもりがこんな戦闘になるなんて誰が予想した?」
「そうですか。まぁ、貴女の言い分もわからなくはありません。ところで」
そこで言葉を切ると、彼女はこちらを向いて指をさしながら
「別れる前に約束したこと……覚えていますか?」
と低いトーンで言った。
「……」
無言で視線を逸らし、立ち上がる。さて、どう言い訳をしたものか……。
約束内容は覚えている。決して無茶をしないことだ。だが、こればっかりは仕方ないと思うが……果たしてココノは許してくれるだろうか……。
「ヒスイ?」
「はいはい、どうせ約束を破ったって言うんだろ? お前が一方的に言ってきたことではあるが、守る努力はしたぞ? だが状況は最悪だった。武器も限られていたし、無茶をしなきゃ確実に死んでいた。立場が逆ならお前も似たようなことするだろ?」
意識を失う前は諦めかけていたが、生き延びる努力はしてきた。命を守る努力をしなければ無茶をするしない以前の問題だろう。
ココノは腕を組んで鋭い目でこちらを見た後、諦めたように深くため息をついた。
「いいでしょう……、今回は許してあげます。何より……生きていてよかった」
彼女はそう言って微笑んだ。ココノが怒らずにそう言うなんて珍しい。ワタシがいない間に何があったのだろうか。
「変なものでも食ったのか?」
「人が心配しているのにそんなことを言うことないでしょう?」
彼女は微笑みを消してすねたような表情になる。
「お前人じゃないだろ」
「今は人型だからいいのですよ。それで? これからどうするのです?」
これから……か。何とか生き延びたが、脱出はできたわけではない。ココノが来たお陰で傷の方はなんとかなったが……正直、戦えるかどうかも怪しい。
「どうしたものか……」
「そういえば、貴女はこの空間に入ってからどういう経緯でこの建物にたどり着いたのです?」
「必死すぎてあまり覚えていないことも多いが……」
そう前置きした後、カゴメや子供たちについて、ブルートが関わっていたことなどを簡潔にココノに話した。
「なるほど。つまり、先ほどの子供たちとカゴメとやらを対処すればこの空間から出られるということですか?」
「お前が入ってきた穴からの脱出は不可能なのか?」
「確かに侵入はできましたが……時間が経つごとに狭くなっていてもう脱出することはできないです。試しに内側から私の炎で攻撃してみましたが、反応がありませんでした。恐らくこの空間は中の者を外に出さないように作られているのでしょう。しかし、脱出は不可能ですが外部と繋がる穴は空いています。念話は通じると思いますよ」
「本当か? だが、ここはモモの結界の範囲外なんだろう? 魔力のない私は念話すらできないぞ?」
「そのために私がいるのでしょう?」
そう会話していると
[ザー……]
という音が聞こえた。この音は念話が通じるときに聞こえる音だ。
しばらく待っていると、聞きなれた女性の声が聞こえた。
[ヒスイ!? やっと繋がった!]
[モモか?]
そんなに時間は空いていなかったがこうも瀕死状態になっていると、聞きなじみのある声というのは安心する。
内心ほっとしていたのもつかの間、怒涛の勢いでモモは色々と話し始めた。
[今どこにいるの? 全く、心配させないでよ……町中探しても影も形もないから何事かと思ったわ]
[お前にも心配するっていう感情あったんだな]
[失礼ね、ワタシだって人並みの感情くらいはあるわよ]
[人の目玉をくりぬこうとしていた人間がよく言う……]
呆れ気味にワタシはそう言う。こうしていると、現状が深刻だということを忘れそうだ。
切り替えるようにひとつ咳払いをした後、モモに状況を説明した。
[いくつか問題があるけれど、一番の問題としてはブルートが関わっていることかしらね。向こうから姿を現すとは思わなかったけれど]
モモは声のトーンを落としてそう言った。ブルートは書斎の鍵にとっては倒すべき相手だ。気を引き締めて対処しなければならない。
[それで? 殺るのか? 正直いまの体力でできるか自信はないが]
[貴女、普段は命を獲らない主義じゃなかったの? いつも仕事の時は敵であろうと生かして帰すじゃない]
[必要があれば手は汚す、これもワタシの仕事だしな。ただ、むやみやたらに命を散らすのは好きじゃない]
それに人の命を奪えば、誰かが悲しみ、復讐を決意してワタシに攻撃を与えてくるという負の連鎖が続いてしまう。誰かを殺すというのはその負の連鎖と向き合っていかなければならない。生きている以上、命を奪うということに抵抗はないが、負の連鎖と向き合うほどの器量はワタシにはない。
[そう。だけど、戦況を考えると今はかなり不利ね。今いる場所は敵の結界で、カゴメというペリは攻撃しても回復する。おまけにブルートの研究員がいるのなら、まだ向こうには策がある可能性が高いわ。研究員が戦えないと言っているのに戦場にいるということは無策ではないという証拠よ]
なるほど……だとすると、まだ攻撃手段が向こうには残されているということになる。対してこちらは体力的に厳しい。人一人殺すにしても、無策で突っ込むのは少々辛い相手だ。
[じゃあ脱出優先でいいのか?]
[現状そうなるわね。できれば月島 影がいるならある程度の情報を引きだ……]
[絶対嫌だ]
ワタシはモモの言葉を遮るようにそう断言した。
[……まぁ、そういうと思ったけれど。傭兵の情報は聞いていて損はないのよ?]
確かに、情報は多いに越したことはないだろう。彼女の言い分もよくわかる。だが、あの狂犬から得られる情報で助けられるなんて考えただけでも虫唾が走る。
[アイツ嫌い。できれば言葉も交わしたくないし、視界にもいれたくない]
[もういい大人なのだからそんな子供みたいなこと言わないの]
[どちらかというとお前の方が子供っぽいけどな。身長的に]
[フフッ。隕石落とすわよ?]
声は笑っているように聞こえるが、これは怒っているな……つい口が滑ってしまった。
[とにかく、脱出優先で動いて生きて戻ってくること。脱出できたらすぐに念話でこっちに連絡。すぐに貴女を書斎に転送して治療するから。いいわね?]
[はいはい、善処はしますよ。善処は]
そういうと念話を切る。
ワタシは腕や肩を動かし、どのくらい動けるか確認する。動かすたびに痛みを感じるが、全く動かせないほどの強い痛みではない。歩く、走るといったことはできるが、戦闘となると少々厳しいかもしれない。
◇
「それで、今後の方針は決まりましたか?」
念話が切れたタイミングでココノは辺りを警戒しながらこちらに話をふった。
「まぁ、一応。脱出優先と指示を受けた。となると、最低でもカゴメと子供たちをどうにかする必要がある……か」
―――――――ッ。
刹那、空気が震える。咄嗟に両耳をふさいで鼓膜を守るが、その行為自体意味がないかのように耳が痛い。音がやんだ後も耳鳴りがやまず、数分経った後やっと静かになった。
「どうやら近いようですね」
ココノは肩にかけていたリュックを地面に降ろし、何かを探し始めた。
「ところでお前、なにを持ってきたんだ?」
「モモさんが持っていくように指示したものですよ。治療セットもその中の一つです」
彼女はそう言って、リュックの中からクナイ数本と短刀一振りを取り出してこちらに差し出す。
「これはモモさんから借りた重量と大きさをある程度無視できるカバンです。念のため予備の武器も持ってきましたが、正解でしたね。あとマスターから預かりものです」
ココノの話を聞きながら短刀とクナイを受け取り、腰のベルトに装備しなおしたときに彼女は一振りの打刀を差し出した。一瞬カゴメの持っていたものかと思ったが、どうやら違うようだ。
「この刀は?」
「数か月前に貴女が壊した刀ですよ。マスターに頼んでいたでしょう?」
「あぁ、そういえばそうだったな」
ワタシは刀を受け取り、鞘から抜いて刃を見るとそこには美しい曲線を描いた黒光りする刃があった。刀の刃が黒いのは、ココノの火を使って作った刀だからだ。この刀は彼女がいなくても黒い火の力を一部使うことができる。今までココノなしで現状と似たような状況があったのにもかかわらず、生き延びてきたのはこの刀の存在が大きいだろう。
だが数か月前、仕事の時に刀を折ってしまい、マスターに修理を頼んでいた。その日からしばらく戦闘時は短刀とクナイを駆使して戦っていたが、どちらかというとワタシは打刀の方が性に合っている。
「武器の方はこれで大丈夫だと思いますが……そもそもその大けがで動けるのですか?」
武器一式を装備し終えるとココノは心配そうにそう言った。
正直、得意武器を駆使してもカゴメとブルートの研究員ウタに勝てる自信はない。それほど受けたダメージが大きすぎるのだ。
だが、手をこまねいていても仕方がない。それに、あまり使いたくなかったがワタシには秘策があった。
「問題ないと言えばうそになるが、やらなきゃ死ぬんだったらやるしかないだろう」
打刀を鞘に納めながら自分を鼓舞する意味合いも込めてそう呟く。ココノにはこの策は黙っていることにした。かなり危険な方法なので、反対されるのが目に見えている。
「まぁ、それはそうですが……」
「ココノ。悪いが、お前は子供たちの相手を頼んでいいか?」
心配そうに声をかける彼女の言葉にかぶせるようにワタシはあえてそう言った。秘策を使うときは彼女に見られたくない。
「それ、本気で言っていますか?」
「この状況で冗談が言えると思うか?」
子供たちの相手はココノが最適だろう。たとえ向こうが数で有利だとしても、火力はココノの方が圧倒的に上だ。それに、彼女の攻撃は範囲が広い。子供たちが束になって向かってきても問題はないだろう。
「はぁ……わかりましたよ。私が戻ってくるまでに死んだりしていたら許しませんからね」
彼女はそういうとカラスの姿になり、目立たないようにその場を飛び去った。
「さて……ワタシも行くか」
◇
本堂の裏から中に入り、警戒しながらあるものを探す。建物の中は先ほどカゴメとの攻防があったせいもあってかなり荒れていたが、カゴメの姿はなかった。
壁に空いていた穴から外を見てもカゴメや子供のペリ、ウタの姿もない。
「退いた……とは考えにくいな」
ここに来るまでに襲ってきた石の化け物が現れた以上、まだワタシを殺すことは諦めていないだろう。全く、しつこい奴らだ。
ため息交じりに床を見ると黒い布の切れ端のようなものが目に入った。
「お、あった」
ワタシは黒い布を拾い、奇跡的に無事だったポケットの中から赤い液体の入った小瓶を取り出す。
これはモモの工房から盗った薬だ。小瓶には強化薬と書かれているが、保管されていた場所の近くにあったメモ書きには薬の効果と副作用が書かれ、メモ書きの最後には失敗作と書かれていた。
この薬の効果時間は約三十分。効果時間の間、ある程度肉体が損傷していても動かし続けることができるが、効果が切れると強制的に昏倒してしまうという。
つまり、薬が効いている間に全てを終わらせなければ勝てないということだ。
――――――ッ。
本堂の前から轟音が再び響く。
何とか両耳をふさいで鼓膜を守るが、場所が近いのか一瞬周囲の音が聞こえなくなったと錯覚するほど耳が痛い。
どうやら近くで狂犬が戦っているみたいだが……本堂の表にはいなかった。鳥居の方へと向かったのだろうか?
刹那、獣の殺気のような気配を感じた。思わずワタシはその場にしゃがんで周囲の警戒を強める。
殺気は本堂の表から感じた。音を立てずに壁の穴から外へ覗き込むと、人影が二つ見える。一つは和装の女性、カゴメだ。もう一つは身の丈ほどの大剣を持ち、長髪を後ろにまとめた人間。あれが狂犬こと月島 影(つきしま よう)だ。
一体と一人は刀と大剣を用いて激しく戦っていた。カゴメがスピードを生かして押しているようにも見えるが、一発でも狂犬の攻撃を受ければ一発逆転もあり得ない話ではない。今のところは互角と言ったところだろうか?
今あそこに飛び込むのは得策ではない。下手をすればあの一体と一人を相手することになる。手負いのワタシではまず勝てないだろう。
子供のペリはココノが対応している。となると、必然的にワタシの相手は絞られてくる。
穴から視線を外し、ワタシは本堂の表へと出てウタを探す。
奴がいるとするならば安全地帯、なおかつ観察しやすい場所が一般的だろう。だが、ワタシが意識を失う前、奴は堂々と敵であるワタシの前に現れた。とすれば、まだ近くにいる可能性が高い。
気配を極力殺しながら視線をさまよわせていると、仮面をかぶった男が端の方でカゴメと狂犬の戦闘を観察していた。ウタの周囲には特に何もない。一見すると無防備にも感じる。
周囲に防御用の魔法を使用しているとも考えられるが、ワタシの持つ打刀はココノの炎のお陰で、大抵の魔法を無効化する効果が付与されている。
「試してみるか」
ワタシは小瓶の蓋を開けて一気に中身を飲み干す。
飲み干した後、鈍器で殴られたような衝撃がしたがすぐに落ち着き、全身の痛みが一気に引いた。
動作音をなるべく立てないように狙いやすい位置に動いた後、刀を抜いて一気に踏み込み、駆けだした。
体が羽根のように軽い。先ほどまでの重傷が嘘のようだ。
目測で十五歩。今のワタシだと相手にたどり着く時間は三秒ほど。
一歩踏み込むごとに周囲の音が消えていく。一歩踏み込むごとに視界が狭まっていく。
あと三歩。
しかし、彼はこちらを見て一切うろたえずにフッと声を出して笑うようなしぐさをした。
刹那、踏み込んだ地面が盛り上がる。咄嗟に攻撃を中断してバク転をして避けると、地面からは自分の身長より大きな体が岩でできた人型の化け物が出てきた。
「そう簡単にはいかないか」
ワタシは地面に着地した後、化け物を見ると頭部らしきところから二つの赤い光がこちらに向けられる。
「さて、久しぶりにコイツを使うが……切れ味はどれぐらいだ?」
化け物は腕を振り上げ、こちらに向かって殴りかかってきた。カゴメよりも速度は遅いが質量がある分、受ければかなりの痛手になるだろう。だが、当たらなければ意味はない。
◇
ワタシは迫りくる化け物の拳を横に跳んで避け、それと同時にクナイを一本化け物の頭に投げる。しかし、相手は石でできた化け物。流石にクナイは刺さらずに弾き飛ばされ無機質な音を立てて地面に落ちる。
化け物はこちらに赤い光を向け、再び拳を振り上げる。
「ワンパターンだな」
ぽつりとつぶやいたときにはもうすぐそこまで拳が迫っていたが、ワタシは飛ばずに今度はギリギリまで引きつけてから避け、そのまま懐に潜りこんだ。
化け物はうろたえて後ろに下がろうとするが、それよりもこちらの方が一呼吸速い。
ワタシは打刀を化け物の腹部に刃を上に向けて深く突き刺し、そのまま力を込めて上に斬り上げた。
石の化け物は腹部から顔にかけて真っ二つになり、石の残骸へとなり果てる。
「刃こぼれなし。流石マスター、いい仕事をする」
刀の刃を見ると、硬い岩同然のものを斬ったにも関わらず新品同様に黒く光っていた。修理したての状態で少し心配だったが、これなら問題はなさそうだ。
ワタシは再度、ウタを攻撃しようと方向転換して駆けだすが、先ほどと同様の化け物が三体も彼を守るように立ちふさがっていた。
「邪魔だ。どけ」
ワタシは腰にさしていた鞘を捨てて瞬時に短刀を引き抜き一体はバツ印に斬り、打刀を残りの二体のうち一体の胴体に深く刺し込み、そのまま刃を上に向けて斬り上げた。最後の一体は、肩から腰に掛けて斬り降ろした後、とどめに深く頭部を突き刺す。
「……」
無言で短刀をしまい、地面に刺さった打刀を引き抜くと刃先をウタに向ける。
「おや、随分と元気になったのですね。よく休めましたか?」
彼は全く動じていない様子だ。恐らく最初からわかっていたのだろう。
「やはり罠を仕掛けていたのか。こんな化け物も手下にしていたとは恐れ入る」
「手下? 違います、これは私が丹精込めて作ったゴーレムですよ。ですが、そうあっさり斬り捨てられると作った身としては悲しくなってきますね」
「そう思ってくれて結構だ。安心して死ね」
――――――――ッ!!
音爆弾でも投下したかのような音が耳に直撃する。かなり近い位置から聞こえ、防御も間に合わなかったこともあり、意識が一瞬飛ぶ。
しかし、何とか歯を食いしばり咄嗟に後ろに跳んで距離を取った。
「今のは……」
脳裏に思い描いた影に対して苛立ちを覚える。すぐに頭を切り替えて再度目の前にいる敵に対して攻撃を仕掛けようとするが、畳みかけるように今度は突然何かが鳥居を破壊しながら飛んできた。
刀を両手に持ち、飛んできた何かを刀の刃で滑らすように受け流して避ける。飛んできたものをちらりと確認すると、自身の身の丈ほどある大剣だった。
「はぁ……めんどくせぇな」
深いため息をつく。どうやら奴の視界に入ってしまった。
一応邪魔しないように気を使ったつもりだったが、無駄だったようだ。
「よぉ、なまくら女。随分とぼろ雑巾みてぇな恰好をしてるが、階段から落ちたのか? 人外みてぇな面してんのに、軟弱な奴だなぁ」
聴覚が徐々に戻り、最初に入ってきたのは聞きたくもない声と足音だった。
一々相手をするのも面倒だが、狂犬女を無視してウタを斬ろうとすればまず間違いなくワタシが殺されるだろう。
どうしたものか……。
「おい! 無視してんじゃねぇよ人鬼。それとも、オレの音魔法で耳がつぶれたか?」
「うるっせぇな。一々突っかかってくるなよ、鬱陶しい。ガキか? それとも犬か? キャンキャン吠えるなよ、少しは利口に待つことを知らんのか?」
苛立ち交じりにワタシはそう言って狂犬に向き直った。ウタに対して視線を外すことはなるべく避けたかったが、そう言ってられない。
「〝あぁ? ガキでも犬でもねぇよ。てめぇの目は節穴か? この場所に居る雑魚にぼろ雑巾にされてるやつはそういう判断もできねぇのか?」
視線の先には、黄色の瞳、長髪を乱雑に後ろにまとめた不機嫌そうな女が立っていた。
大剣を振り回すような奴ではあるが、外見はそんなに大柄ではない。
「判断? ハッ、お前が言うのか? 状況判断もろくに取らずに攻撃仕掛けてきたお前が? これは傑作だな。一周回って笑えない」
面倒くさい。本当に面倒くさい。もとより会話が成り立つとは思っていなかったが、そもそもこんな奴から情報を引き出すなんて無理に決まっている。
そんな時、突然狂犬の背後にカゴメが現れた。
本当はそのまま刺されて欲しかったが、ここから脱出するためにもカゴメは打ち倒さなくてはいけない相手だ。ワタシは攻撃準備をするが
「お前は後で潰してやるからどっかいってろ」
と狂犬は喉に手を当てて詠唱魔法を呟いた。
アイツがあの動作をした後にやる行動は一つ……。まずい、この距離では近すぎる。
咄嗟にその場から離れようと駆けだすが間に合わない。
「チッ」
ワタシは打刀を地面に刺し、しゃがみながら耳をふさぐ。それと同時に狂犬は音爆弾とも思えるような咆哮をあげた。吹き飛ばされそうなほどの突風が吹いた後、こちらは耳をふさいでいるのにもかかわらず、鼓膜が破れそうなほど痛い。カゴメはワタシよりも近くにいたので攻撃は直撃しただろう。通常のペリならこの攻撃で沈んでいてもおかしくはない。だが、カゴメは多少吹き飛ばされた程度で、こちらにまだ敵意を向けている。
実体がない分、ペリの方が受けたダメージが少ないのかもしれない。
「貴女は……薄明の旅団の方だったかな?」
緊迫した状態の中、穏やかな声が響く。ウタは先ほどの攻撃をものともしていない様子だ。周りに落ちている残骸から見て、あのゴーレムと呼ばれる岩の化け物で守ったのだろうか……?
「あぁ? そういやそんな名だったか? まぁ、名前なんざどうだっていい。とりあえずオレはそこのぼろ雑巾をぶっ飛ばせればそれでいい。てめぇに用はない」
嘲るように奴はこっちを向いてそう言った。この様子から見るとやはり共闘は無理そうだ。何よりワタシが嫌だ。
「ほぅ、貴女が先ほど使っていた魔法。私の見立てでは音魔法に似ていますが……」
「音魔法に似ているじゃなくて音魔法だ。手加減はしたけどな?」
狂犬は三日月のような黄色い目を細め、にやりと不敵に笑う。
音魔法とは、魔力を用いた魔法の一つで文字通り音を利用したものだ。大抵は楽器の音を利用し、一時的な肉体強化などの主に支援魔法として利用される。
しかし狂犬は楽器ではなく自身の声を使い、攻撃魔法として利用している。何故、そうしているかは全くわからないが、攻撃手段としては脅威だ。
音に魔力を乗せて相手にぶつけるため、防ぐ手段は音の聞こえない場所まで離れるか、防音の壁で自身の周りを囲うか、そもそも相手に使わせないように喉を潰しておくかしかない。
攻撃を許せば先ほどのように衝撃波が襲い、防御が遅れれば鼓膜が破れ、耳が使い物にならなくなるだろう。先ほど鼓膜が破れなかったのは多少距離があったのが幸いした。
「なるほど。音魔法を使ってですか。本来の用途とは違う使い方ですが、そういう利用方法もあったのですね。これは興味深い、我々ブルートでも取り入れるとしましょう」
ウタは大げさな動作をしながら狂犬に向かってそう言った。だが、奴はブルートという言葉を聞いた途端、自身の影からワタシに投げてきた大剣と全く同じものを取り出して斬りかかる。だが、その攻撃は地面から現れたゴーレムによって止められる。
「てめぇ、ブルートだったのか。どおりで癇に障る仮面なんかかぶっているわけだ! おい人鬼! てめぇは後回しにしてやる!」
狂犬は一度後ろに下がり大剣を担ぎなおすと、咆哮と共にまた攻撃を始める。
「ヒャッハハハハハハハ! 石ごときがオレの邪魔をするんじゃねぇよ!!」
耳障りな笑い声に交じり、大剣でゴーレムを攻撃する音が何度も何度も辺りに響く。やがてゴーレムは跡形もなく潰れ、そのままの勢いで狂犬はウタに向かっていった。
「……黙って戦えんのかアイツは」
攻撃するタイミングを計っていたがこれではかえって邪魔になるだろう。結果的にウタの相手をしてくれるのならそれは構わない。そうなると問題は……。
背後から射抜くような殺気を感じ、ワタシは地面に刺していた打刀を抜いて横に転がるように避ける。先ほどまでいた場所の地面には斬撃の跡があった。
「お前もそう思うだろ?」
ワタシは刀を構え、臨戦態勢をとる。視線の先には同じく打刀を持ったカゴメがいた。
ココノが子供たち、狂犬がウタの相手をしているのであれば、自然とワタシの相手はカゴメに絞られるだろう。
「あれだけの大けがを負って……まだ戦うのですか? あなた本当に人間なのですか?」
「何度も言っているだろう? ワタシは育ちが特殊なだけの頑丈な人間だ。まぁ、支給品がなければ少し危なかったが」
ココノの応急手当とモモから盗った薬がなければ今この場に立つことも厳しかっただろう。薬の効果時間はあと二十五分くらいだろうか。
使い魔のココノが奮闘しているのだから、ここでワタシが勝ち星をあげなければ、彼女の頑張りが無駄になってしまう。
「悪いが手加減はなしだ。本気で行くぞ」
「今度こそ沈んでもらいます」
お互いの言葉を合図に、戦いが始まる。
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