第3話 鴉からの説教
「う、ん……?」
おぼろげな意識の中、ワタシはうっすら目を開ける。起き上がって周りを見てみると、そこは自分がほとんど使っていない自室だった。自分の部屋は必要最低限の家具しかなく、シンプルな引き出し付きの机と質素な椅子、部屋の隅には本棚があり、ある程度隙間はあるが本が収められていた。自分が寝ていたベッドはほぼ新品の状態で窓からは優しい光が入り込んでいる。
いったいどれくらい眠っていただろう。不規則な生活をしていたため一日中寝ていてもおかしくない。
「妙だな……確かソファで寝ていたはずなんだが……」
いくら寝相の悪いワタシでも寝ている間に歩いたりはしないはずだが。
ワタシは起き上がろうとベッドに手をついて力を込めた時、突然頭を殴られたと錯覚しそうなほど強烈な頭痛がした。
あまりの痛さに体勢を崩し、頭を抱えたまま布団に倒れこむ。
「なん……だ?」
突然のことで理解できず、ついそんな声を出してしまう。それと同時に
「やっと起きたのですね」
という不機嫌な聞きなれた声が聞こえた。
頭痛に耐えながら何とか声のした方向を振り向くと褐色肌の女性が不満気に立っていた。
片手には中身までは見えないがプラスチック製の洗面器を持っている。何が入っているのだろうか?
「ココノ……?」
「大丈夫ですか? 記憶はちゃんとありますか?」
彼女は質素な机に洗面器を置いてその前に置いていた椅子に腰を下ろす。
「全くあなたという人は……自分を大切にしないというのは分かっていましたが、ここまでとは思っていませんでしたよ……」
彼女は呆れてものも言えないといった様子でワタシを見ていた。
「ワタシは……もしかして体調を崩していたのか?」
少しだけ頭痛がマシになったので、頭を押さえながらなんとか起き上がる。
この様子からするに、ワタシは熱でも出していたのだろうか?
「そうでなければ貴女はここで寝ていないでしょう? 今まで全く意識が戻らないから肝を冷やしましたよ……全く、普段は頑なに休もうとしないのだから」
「それは語弊がある。ワタシは休もうとしない訳ではなくて休む暇がないだけだ」
「時間配分できない貴女が悪いんでしょう?」
「う……」
正論を言われて何も言い返せなくなる。昔からココノには口喧嘩で勝てたためしがない。こういう時は変に口答えしない方がいい。
ワタシは気まずい気持ちをごまかすために頭をかく。そういえば何か忘れていた気がする。
頭痛のせいで思考があまりまとまらないが、たしか……誰かに頼まれごとをされていた気が……。
「あ……」
思い出した……そういえば、あの夜和装のペリに頼まれごとをされていたんだっけ……。
まずい……。あの和装のペリのことも報告していないし、神社と廃工場の騒がしかった原因もいまだにわからず仕舞いだ。あの和装のペリが言っていたことが本当なら人身売買も行われている可能性が高い。そうなると……。
「どうしたのです? 急に……」
ココノは怪訝そうにそう話すがワタシは構わず
「すまん、意識がない間にモモから伝達なかったか?」
と聞いた。
モモからワタシに直接伝達ができない場合は、大抵ココノの方に伝達があるはずだ。何かがあれば、必ずココノが知っているに違いない。
彼女は一瞬きょとんとした後に、何を言っているかわからないような様子で
「は?」
と言う。
「いや、だからモモから伝達がそっちにいっていないか? 緊急の連絡とか」
そう言った直後、視界が急に真っ暗になった。目元が妙にぬれている感覚がする。しばらくすると視界を覆ったそれはぽとりとベッドに落ちた。どうやら、頭を冷やすために持ってきたのであろう濡れタオルを投げられたみたいだった。
「その前に貴女は少し体調管理というものをしてください! 不眠不休で数日活動して、昼間に配達の仕事、夜に見回りなんてどう考えたって倒れるにきまっているでしょう! 人間でもペリでも休息というものが必要なのですよ? そこのところわかっていますか!?」
とココノにすごい剣幕で言われた。どうやらワタシは彼女を怒らせることをしたみたいだ。
突然そう言われたのでワタシは戸惑い、硬直してしまう。
ココノは仕切りなおすかのように深くため息をつく。
「大体、どれくらい意識がなかったか自分でわかっていますか?」
「いや、全く」
「三日も意識がなかったのですよ!?」
「三日!?」
流石にワタシも驚いた。せいぜい半日か多くても一日と思っていたが予想を超えて三日。
三日も眠っていたのなら配達の仕事も書斎の鍵の仕事も溜まっている。この不調の体で何とか今日中に終わらせることはできるだろうか。
「ヒスイ、まさかとは思いますが今から書斎に向かうなんて言いませんよね?」
「え?」
自分の考えを見透かされて動揺し、声が漏れてしまった。しかし、別にサボって家にいるわけでもないし、むしろ稼ぎにいくなら問題ないはず。
そんな考えをしていると、ココノはその様子を見て突然笑顔になる。どうかしたのかと声をかけようとしたが、その前にワタシの目の前に立って額にデコピンをする。
かなり手加減されていると思うがそれでも威力が強く、反動でのけぞってしまう。ただでさえ頭が痛いのに、さらに悪化して額がジンジンと痛み出す。
「貴女は言葉が通じないのですか? 休息が必要だと私は言いましたよね? 自分が倒れるまで疲れに気づかないのなら私が貴女の意識を強制的にストップさせてもいいのですよ?」
ココノはにこやかな表情をしているが、それは喜びでもなんでもなく怒気を含めた笑顔をしていた。
「えーっと……何かよくわからないが怒らせて悪かった……?」
「何故疑問形なのです……」
ココノは呆れた表情でため息をついたあと、投げつけたぬれタオルを洗面器の中に置き、また椅子に座った。
「貴女が仕事馬鹿なのはよくわかりました。これからは危なくなる前に強制的にストップさせますから。わかりましたね?」
「いや、流石に次は大丈夫だと思うぞ?」
「その言葉何度聞いたと思います?」
「そんなに何度も言った覚えはないが」
「……」
ココノの目線が鋭い……これは信用していない時の目だ。
「ここ数日で何か変化はあったか?」
さらに気まずくなったので、一度ため息をついて仕切りなおすかのようにワタシはそう言った。
「変化ですか?」
ココノは考えるそぶりを見せた後
「大事というわけではないですが……いくつかあります。今日一日休むと約束できるなら教えますが」
「……わかった。緊急のことがない限りなら……休もう」
本当はすぐにでも神社に行き、確認したいことがたくさんあったが、これ以上動くと後が怖い。とりあえず今日はココノの言うとおりにしよう。
「わかりました。まぁ、少しでも外に出ようとすれば半殺しはやむなしというつもりなので」
「お前、本当にワタシの使い魔か?」
「貴女は頑丈ですから、それくらいしないと止まらないでしょう?」
下手したら命に関わりそうな気がするが、今は一旦置いておこう。
「それで、変化というのは?」
ワタシは話を進めるようにうながす。
「はい、まずはここ数日騒がしかった廃工場と神社のことです。貴女が見回りをしているときは確かに騒がしかったのですが、三日前ぐらいに廃工場と神社ともに静かになりました」
「静かになった? それはペリたちがいなくなったということか?」
「そうですね。しかし、元々騒がしかった時期にいたものはよそから神社に流れ着いたものが多く、神社に住んでいる者ではありませんでした。廃工場の方も同じです。自身の住処に帰った、という可能性もありますが……少々不可解ですね。あまりにも突然すぎます」
和装のペリが三日前に言ったことは人間たちが度々雑木林に出没するので追い払ってほしいという内容だった。となると、あのペリは元々神社に住んでいて人間たちに脅かされていたということ。
人間たちがペリを始末した可能性もあるが、本来は人間にはペリは見えないはず。見えたとしても実体のないペリを消すなんてことがはたしてできるのだろうか。
それに神社だけではなく廃工場の方も沈黙したといっている。神社と廃工場のペリが消えたのは少なからず関係性はあるだろうが、どう関係しているのかはまだわからない。
だが、どう転んでも人間が関係していることは確かだろう。
「消えたペリというのは元々そこにいたペリか?」
「いえ、流れ着いたペリが多いようです。ですが元々そこにいたものもいくつか消滅しています。原因は全く不明。魔力の残滓らしきものは感じたのですが……なにせ魔力感知は苦手なので詳しくはわかりませんでした。細かい調査はモモさんが進めてくれています」
原因不明の失踪。
そもそもペリは何でできているか。まず、彼らの体は魔力で形成されている。しかし、ペリの中心となるのは魔力ではなく、魔力とは異なった未知なる力が核となり、それを取り囲むように魔力で肉体が形成されていく。ペリは人間と違い、核を潰されない限りは消滅しない。
核を潰す以外で彼らが消滅する条件は魔力、またはそれに関連する力が完全に消え去ったときだ。
魔力の量が多ければ多いほど肉体の形を強く持ち、消滅するのに時間はかかってしまうが、あくまでもそれは完全に消滅する時間が長いか短いかの違いで大した差はない。
神社も廃工場もペリが完全に失踪したものがいくつかいるのなら、誰かが魔力目的でペリをエネルギーに変換した……なんてこともあるかもしれないが、この町で魔力を感知できる人間なんているのだろうか。
それに魔力をエネルギーに変換したとして、そいつにとってのメリットとは何だろうか。
「二つ目はその完全にペリが失踪する現象が廃工場と神社のみだけではなく、町中で起こっていることです」
「町中だと?」
ペリが失踪する現象が町中で起こっている……? 範囲を絞って廃工場と神社のみでペリの失踪が起きているのならまだ人為的というのに納得がいくが、町全体となるとどちらだろうか。
だが、仮に自然に起こっている現象なら、モモが三日前の段階で何かしら読み取って未然に防いでいるはず。彼女が気づいていない、または後手に回っているということはこの町によそ者が紛れ込み、何かをしようとしているということ。しかも相当やり手のものだ。素人ならモモがこの町に張っている結界すら越えることはできないため、この町に入ることすらかなわない。
「そして三つ目。これは人間側のものですが、最近行方不明者が増大中のようです。貴女の意識がない間でも五十人は行方不明になっていると聞きます」
「五十人……」
赤い戦車の材料となる人間の数と同じ。明らかに、ワタシがいないとわかって起こっていることだ。どこかで情報が漏れたとしか考えられないが、噂好きでイタズラ好きのペリがそんなことを言ったとしても三日で五十人なんて数にはならない。
「ここ数日だとそのくらいですね。補足しておきますと、貴女の意識がない間は私が代理としてこの町の見回りはしていましたが、やはり感知能力が低いため異常を感じることができませんでした。今までの情報はモモさんが教えてくれたことが大半なのですが、どういう手口で人間をさらっているか、ペリを失踪させているかは依然わからないままです。力及ばず、すみません……」
ココノは申し訳なさそうに頭を下げる。意識がなかった間、ずっと見回りとワタシの看病をしていたのだろう。むしろ、彼女がいなければ事態はもっと悪化していたかもしれない。
「いや、ココノが悪いわけじゃない。意識がない間、すまなかったな」
ワタシは少し頑丈なだけで頭はあまりよくない。現在あるだけの情報でわかることは少ない。
しかし、今ワタシは外に出ることができないため、確認ができない……どうしたものか。
「ココノ。見回りをしていたと言っていたが、件の神社にも行ったのか?」
「はい」
「その神社の裏手にある雑木林に人間はいたか?」
この不可解なことにあの和装のペリが言っていた人間たちは関係している気がする。人身売買をしている奴らが現れたのは今から六日前。ココノが目を光らせていたとはいえ、行方不明者が出ているならその人間たちが天池町の住民を攫っている可能性がある。
仮にそうでなかったとしても、どのみち人身売買をしている以上捕らえなければならない。
「雑木林に人間ですか。確か……見回りの時間が深夜なので、それくらいの時間にいた気がしますが、どうしてそんなことを?」
ワタシはココノに和装のペリが話していたことをそのまま話した。彼女はある程度相槌をするだけで深くは追及しなかった。
「なるほど、そんなことが……。ですが目視で確認したわけではなく、あくまで気配がする程度でしたのでよくはわかりません。私の持っている情報は以上です」
人間が確実にいたというわけではない。となると、神社に出没していた人間たちはこの不可解な現象とは無関係なのだろうか……。
そうなると、犯人はわからなくなる。ペリは同族殺しをしないとは言い切れないが、少なくともこの町にいる連中でそんな気性の荒い奴らはいない。
傭兵の奴らがついにこの町に手を出したか? あいつらならやりかねない。ただ……この町を潰せばモモの怒りを買うようなもの。ペリだけではなく、同族の人間を攫ってまでそんなことをするだろうか。
そう悶々と考えていると「グゥー」とワタシの腹の虫が鳴ってしまった。
「そういや腹減ってたの忘れてた」
急に空腹感がやってきた。三日も何も食べていなければ当然空腹にはなるか。
「なんでそんなに他人事なのです……というか、空腹なら早く言ってください。何か栄養を取らなければ治る体調も悪化するだけですよ?」
「ワタシも今気づいたから仕方ないだろ?」
「全く……雑炊か何かなら食べれますよね? ちょっと作ってきますから、『安静にして』待っていてくださいね? 血迷っても仕事をしようなんて思わないでください」
ココノは笑顔でそう言うと部屋を出る。
「そこまで仕事好きってわけじゃないんだけどな……」
なにも、ワタシは仕事を好きでやっているわけではない。どちらかといえば、面倒ごとが嫌いな自分の性格上、仕事は積極的にやる人間でもない。
だがワタシの中で最も面倒……というより、苦手としているものがある。それが睡眠だ。
食事と同じく、定期的に取らねば死んでしまうような睡眠が苦手と言えば、端から見ればおかしいと思うが、これには理由がある。
一言でいえばトラウマだ。ワタシは物心ついたころからココノと行動を共にしていたわけだが、昔のココノは今より少し……いや、かなりスパルタだった。
というのも、ワタシは生きる術の一部をココノから教えてもらっていたのだが、その中には戦闘技術も含まれていた。
最近は人型の姿をしていることが多い彼女だが、元は三つ足の鴉のペリ。それに昔の彼女は人間がどれほどの力量か、もっとわかりやすく言えばどれほど脆く、弱い生き物かをわかっていなかったのだ。
だから何度か彼女からの訓練で死にかけたことはあったが、その中でもトラウマ級に記憶に残っているものが、ワタシが眠っている間、体に重りを結び付けて川に落とすという一歩間違えれば殺人になりかねないものだ。何が起きたかもわからず、勝手に体が川底に沈んでいき、川面がどんどん遠ざかっていくあの光景。呼吸ができず、大量の水が体内に入っていく恐怖。それは今でも鮮明に覚えているほどトラウマになっていた。
それ以来、「睡眠をとる」という生物としてしなければならないことができなくなってしまった。睡眠を取ろうとすると、あの時の恐怖を思い出して眠れないうえ、無防備に休息をとることすら拒否反応を起こしてしまう始末。
苦肉の策として出した自分なりの答えは「疲れ果てて倒れるまで動き続けること」だった。そうでもしなければ、自ら意識を失うなんてことはできない。
トラウマを植え付けた張本人は
「あの時は未熟だったのですよ、今ならもう少しマシな訓練法を思いつきます」
と、反省の色がない。むしろ、倒れる前に寝ろというぐらいだ。
最初はどの口がほざいているのかと思ったが、言っている内容としてはココノの方があっているし、むしろ自分のようなタイプが珍しいのだろう。何より、言い訳をするのも面倒だ。
睡眠をとるために仕事を限界までするなんて、普通は誰も考えついても実行はしない。
「ま、今回ばかりはおとなしく休むか……。眠れるかどうかは別として」
ぽつりとそう呟くと、ワタシは新品同様のベッドに横になった。
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