第3話  ハロー、エイリアン


 長瀬敦也の住む港中央という町は、昨年に港中央市と葛田市が合併し日達中央市と名前を変え発足した町である。

 葛田市は日達製作所の企業城下町として発展した工業の町、港中央市は海に面している事かたら水産業の町として知られており、長瀬敦也は旧港中央市の海沿いに住んでいた。

 県内四位の面積を持つ都市と言えば聞こえはいいが、隣に位置する県庁所在地である水津市のベッドタウンとしての側面が強く、学生が遊ぶような場所など数えるほどしかない。

 長瀬敦也の住むアパートも海沿いと言えば聞こえは良いが、実際は水産加工場に近い立地で磯の匂いが漂い、築年数のわりに海風に煽られ見た目よりも洒落たものではなくなっていた。

 浜の町の雰囲気は気っ風が良いと言えば活気があるように聞こえるが、接してみれば言動も態度も老若男女、荒い部分が目立っている。

 都会的な要素は町にも住人にもなく、端的に表現するならば肩書ばかりが立派な田舎町に他ならなかった。

 そんな街に住む学生は大きく二つに分かれる。

 こんな田舎町からは早々に出ていこうという、反骨心や向上心を秘めるタイプ。

 もう一つはこの町に染まり、この町の中で生きていこうと思うタイプ。

 そして、どちらのタイプにも言える事がある。

 この町がつくる環境に諦めのようなものを持っているという点だ。

 長瀬敦也は後者のタイプだった。

 先ほど月島と話したような災害などが降りかからなければ、この町は大きな事件は起きないし、起きたとしても自分には係わる事はないだろう。

 自分の人生は培ってきた常識のカテゴリーの中で完結する。

 考えた事ではなくても、心のどこかで思っていた。

 そんな長瀬敦也の深層心理が覆された。


 時刻としては二十時を少しまわった頃。

 人通りが少ない裏路地とはいえ、周囲の家には人の生活が感じられる。

 暗闇とは言えない程度には街灯が路地を照らしていたし、声を上げれば誰かに届くだろう。

 痴漢に注意という看板が通学路にあるのは敦也も知っているが、敦也は男であるため大きく気にもとめていなかった。

 いや、痴漢だったらまだ良かっただろう。

 敦也の目に、ソレが最初は猿か何かに映った。

 猿だったとしても、敦也にとっては重大な事件である。

 ソレが猿ではないと気が付いた時、長瀬敦也はやっと歩みを止めた。

 小さな人影だった。

 ソレが鈍く光を反射している。

 反射材の類ではない。

 頭部が不自然に大きく、服装の影がない。

 立ちすくむ敦也とソレと目が合う。

 洞のような黒く大きな瞳。

 それは敦也が宇宙人と聞いてイメージするソレの姿をしていた。

「ひっ」

 敦也は短く悲鳴をあげた。

 人の持つ根幹の恐怖。

 体格的に優れていて、自分の手で殺す事ができるとわかっていてもゴキブリに対して悲鳴をあげるのと同じである。

 既知の存在でさえ、そうなのだ。

 未知の存在と、普段の日常というシチュエーションで巻き込まれたのならそれは当然の反応だった。

 頭も回らず、体も動かない。

 面白おかしく、ゴシップのように騒ぎ立てる雑誌や番組の知識しか敦也も持ち合わせていないが、人体実験や労働奴隷など物騒な言葉だけが頭の中を反芻していた。

 その時である。

 宇宙人に意識を集中していたからか、後ろから近づいてきたであろう存在に気が付く事ができなかった。

 敦也の前に別の人影が躍り出る。

 艶やかで長い金髪がふわりとたなびく。

 背格好はそこまで大きくはない。

 黒いジャケットに黒いズボン、敦也はロックバンドのファンを思い起こした。

「三歩後ろに下がってな!」

 女性の声。

 驚きが上書きされる。

 自分を守ろうとしているであろう存在が女性である事、そして彼女の手には、まるでSF映画で見たような光る刀が握られていたからだ。

 そして彼女は飛んだ。

 飛翔したわけではない。

 何かに弾き飛ばされたように、水平に、一直線に、自らを射出した。

 そして宇宙人とすれ違うと同時に刀を振る。

 瞬きするくらいの速さの一瞬の出来事。

 この一瞬は網膜に焼き付いて離れる事はないのだろうと、敦也は確信した。

 なぜなら先ほどまで身体を支配していた恐怖心など、もはや一切無かったからだ。

 振り向いた彼女に息を飲む。

 碧眼と赤眼の左右に違う瞳。

 日本人離れした特徴をしているというのに、日本人であると理解できるあどけない顔立ち。

 一度でもすれ違っていたなら、絶対に記憶に残っている彼女。

 確かに初対面だというのに、彼女を目にするや、どこか懐かしい気持ちが込み上げてきていた。

 先ほどの恐怖を思えば涙が出ても自然ではあるが、敦也の心にはそれとは違う得たいの知れない感情が込み上げてきて、それで涙が溢れそうだった。

 彼女は言う。

「お前は……誰だ?」

 敦也は答えた。

「僕の名前は長瀬敦也です」

「俺の名前は斎藤雷電、よろしくな」

 彼女は釣られるように、おおよそ女性らしくない雷電と名乗った。

「いや、よろしくじゃねぇか。今の事は忘れろ? いや、あれ、どうなってんだ?」

 雷電は何かに困惑しているようだった。

 それは本来ならば敦也がするべきリアクションである。

 状況が全くわからない中で、敦也は雷電に一歩踏み込んだ。

 その瞬間、敦也の首筋に衝撃が走る。

「おっと!」

 昏倒する敦也を雷電が抱き止める。

「おい、不死子いきなり何だよ」

「何だよとは、何じゃ。心配してこっそりこそこそ見に来てみれば、見つめあう視線のレーザービームしおってからに。吾輩が止めに入らなかったら色とりどりの」恋模様を夜空に描いちゃうところじゃったろ!」

 不死子と呼ばれたのは、雷電よりもさらに小柄な女性。

 いや、少女だった。

 栗色の膝の裏まである長い髪を左右の三つ編みに束ねた和装の少女。

 そんな少女が時代錯誤な喋り方で雷電を叱責するが、言葉の選び方が独特で可愛らしく、ふざけているようにしか見えなかった。

 話が通じない人間を宇宙人と揶揄するが、そういう意味ではこの唐突に表れた不死子という少女もまた、宇宙人と呼ぶに相応しい存在感を醸し出していた。

「……さて、吾輩ったら勢いで気絶させちゃったけど。どうしたもんじゃろう?」

「知るかよ」

 雷電はぶっきらぼうに呟いた。

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