第4話 佐藤裕二(4)

「孝也のこと、好きなんだ」


 高校3年生の夏。俺は孝也に告白をした。

 あの日のことは今でもよく覚えている。学校からの帰り道だった。夏休みに入る前の登校最終日。夕方の蒸しあがったような空気の中、西日のオレンジが街中を染めていた。


 夏休み前の定期テストと模試の結果は散々で、なぜか俺以上に孝也が落ち込んでいた。「どうやったら裕二が勉強に集中できるかな」と真面目に考えてくれる優しい人だった。そんな孝也は、俺よりもずっと勉強ができた。


 ずっと考えていた。

 どうせこの気持ちを告げずに孝也とこの先別れるほど、俺は我慢強くない。少なくとも当時はそう思っていたんだ。抑え込んだ気持ちに行き場なんてない。毎日胸の中で膨れ上がっていく感情は、いつの間にか君を傷つける牙としか、俺にはもう思えなかった。


 だから言うならば、早いタイミングで。もう、このタイミングで言うしかないと思った。

 このまま四六時中孝也と一緒に居て、孝也のことを考えて、きっと俺は受験に失敗する。そんな俺を心配する孝也にも迷惑をかける。

 西日の真っ赤な熱が俺の頬を燃やす。俺の告白を聞いた孝也の横顔は西日に照らされて美しかった。


「どうして」

「顔だよ」


 考えられるパターンに対して、あらゆる回答を考えてきた。

 だからこれは最善の回答案。


 全部嘘だった。

 高校に入学して初めにできた友達が孝也だった。文化系でのんびり暮らしていければいい、そんなスタンスだったはずなのに。気づけばクラスの人気者でバスケ部の孝也と何故か馬が合っていた。好きなアーティストが一緒で驚いた、確かそんな些細なキッカケだったと思う。


 いつも一緒にいた。移動教室も。テスト前の帰り道も。毎日。毎日。1年生から3年生まで飽きもせず、毎日一緒に良く笑った。バスケをする姿が格好良かった。クラスの人気者なのが妬ましかった。好きだった。そんな感情を抱いた自分に戸惑って、毎日、毎日、戸惑ったままだった。


 ある日、俺の小さな秘密を共有した。誰にも見せることなんてない、と思っていたのに、孝也は「やっぱり裕二は俺の自慢」と褒めてくれた。その瞬間から、俺の中の好きは明確になっていた。はっきりと。

 

「俺の……顔?」

「そう、顔が好きだって、言っただろ。それだけ」


 早く振ってくれ。叶うはずのないこの恋に、さっさと終わりを告げてほしい。望みなんてないのだと、思い知らせてくれ。

 手が震えてどうしようもなかった。下を向けば、孝也の影が西日で大きく伸びている。真っ黒に塗りつぶされた地面を見つめる。


「……ごめんな、裕二のこと好きだし尊敬しているけど、そういう風には見られないよ」


 “見られない、そういう風には”。


 言葉が脳の中にこびり付く。

 顔を上げられなかった。

 孝也の顔が見られなかった。


 困った顔をしていても、優しい顔をしていても、笑った顔をしていても、拒絶している顔なんて見られるわけがない。


 はっきりと拒絶してくれた。

 それは俺の中で望むべき答えだったのに、手の震えは一向に止まらなかった。

 

 だって、本当は何の覚悟もなかったんだ。


 足元がグラグラと揺れて、めまいを引き起こしていた。


 早く、早く、次の言葉を続けないと。





「……俺ら、これからも友達、だよな」






 だから、本当は、その言葉は俺が言わなければいけないはずだったんだ。


 優しい孝也は俺の言葉を受け入れて、そう言うに違いないと思っていたから。万に一つ付き合おうと言われるか、万に一つ拒絶されることでもない限り、そのセリフは俺が告げるはずだったんだ。


 そのあとの帰り道の事はよく覚えていない。うん、と言ったのか、首を振ったのか、頭は真っ白で。まともな会話もせずに、あの日は家に戻っていた。

 


 自分から「これからも友達としてよろしく」と告げられなかった理由は、今ならよくわかる。


———怖い、と思ったからなんだ。


 もしも、受け入れられなかったら。

 心の中では俺に嫌悪感を示していたら。

 そう思ったら口が固まって、何の言葉も出てこなかった。 


 孝也はその翌日から俺に変わらず優しく接してくれていた。夏休みに入って毎日は顔を合わせずに済むのも救いだった。ぎこちないのは俺の方だった。

 孝也が俺を嫌っているかもしれない。そんなはずは無いと思いながら、それを信じ切れなかった。友達を演じられなかった。


 でもそれも今思えば、言い訳でしかなかったんだ。

 本当の理由は紛れもない “自分への嫌悪感” だった。信じられないのは自分の方だった。


 それから俺は露骨に孝也を避けた。そのたびに孝也は困ったような曖昧な笑顔を浮かべて、そのたびに胸が痛んで。孝也が別の友達のもとへと話しに行くのを見て、また胸が痛んだ。周りのクラスメイトはそんな様子を見て、夫婦喧嘩か、などと少しは囃し立てた。でも周囲の受験の空気に、一過性のネタは瞬く間に気にされなくなった。


 もう後は御察しの通り。卒業まで俺らはまともに話もしないまま、もう二度と会うことはないんだ、と。そう思っていたんだ。

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