第3話 佐藤裕二(3)

「飲み物。何にする? ていうか、裕二ってお酒飲めるのか?」

「別に飲めるけど。人並みには」


 あれから俺は孝也に連れられて、駅前の個室肉バルに居た。先ほどの店員とのスマートなやり取りを見るに、どうやらすでに2人分の予約はされていたらしい。「個室のお部屋になります」と俺らは奥へと案内された。

 隣の席とは完全に空間が隔たれていた。隣にカップルらしい客が居た気がしたが、話し声は聞きとれなかった。店内はどことなく少し薄暗い。完全にデート向きだ。これならいっそオープンな席の方がマシだった。 


 孝也も俺もとりあえずのビールを注文して、特別食べたいものはないという俺に「とりあえず少し適当に頼むよ」と孝也がいくつかを選んだ。注文を終えると早速気まずい雰囲気になって、俺はたまらず口を開いた。


「孝也は普段からそんなスーツ、ビシッと着こなしてんの。やっぱり、似合うんだね。……俺とは大違いだよ」


 そのセリフに少しだけ孝也の眉が動く。しかし直ぐにそれも元に戻る。

 孝也はスーツの上着だけ脱いで壁に掛けていたものの、きっちりとベストは着用したまま、紺の落ち着いた色のネクタイをしていた。それは十分に孝也の品の良さを現していた。

 高校時代、バスケ部だった時と変わらず身体は引き締まっていて、それがより一層スーツを引き立たせている。きっと俺がその恰好をしたら「完全に着られてますね」と、水間くんあたりに絶対突っ込まれるだろう。


 俺はと言えば、通勤服などないため、完全なる私服だ。それでも少しだけ人前に来て恥ずかしくない服装をしてきたつもりだ。だけど先ほど、ドラッグストアの店前でピカピカに磨かれた革靴を目にしたら、自分のスニーカーが余りにも貧相で、みじめな気持ちになった。


「俺、実はさ、この前転職してさ」

「へー、そうなんだ」


 孝也は俺の意地悪な物言いに臆することもなく、俺に触れることもなく、自然と話を持っていく。やっぱり完璧だ。孝也のこういうスマートに話を持っていく所が好きで、それでいて分かっていて優しく他人の傷に触れない気遣いが苦手でもあった。


「……ああ、やっぱり知らないよな。それまで、いわゆる大手のメーカーにいたんだけどさ。まあ簡単に言えば、ブラックってやつで」

「なるほど」

「それで今はベンチャーにいるんだ。給料はめちゃくちゃ落ちたけど、ずっとやりたかったこと、ようやくやれてるって思う。……ああ、ごめん、いきなり語っちゃって。つまりといっちゃあれなんだけど。この世界、人脈が大事だから。今はいつでもしっかりとした恰好しておこうと思っててさ」


 はぁ、そうですか。それでドラッグストアの店員と飲むのにも、ベストとネクタイを着用。俺と人脈を作っても、恐らく孝也のメリットになる物は何もないですよ。最近おすすめの化粧水でも紹介しますか。

 そう軽口を叩いても良かったのだけれど、うまく口に出せなかった。

 だって実際、なぜ孝也が俺をこうして誘ってきたのか、俺には一ミリも検討がついていなかったからだ。それとも、まだ孝也は俺のことを友達だと思ってくれているのだろうか。————俺は孝也にひどい事をした、というのに。


「なんで会社を辞められたんだ?」

「え?」

「いや、辞められた、っていうか辞めようと思ったっていうか。ほら、ブラック企業に居ると、それが当たり前になって辞める選択肢を見失う人が多い、っていうからさ。辞めるエネルギーがない、とか。……まあ俺には、どれもわかんねえけど」


 その時、ガラガラと個室の引き戸が開く音がして、店員がマグロのカルパッチョと、サラダ、そしておしゃれな細長いグラスに注がれたビールを運んできた。俺がそれを眺めていると、孝也が端に重ねてあった箸と皿を俺の目の前に渡す。


「……まぁつまんない話はいいじゃん。乾杯しよう、10年振りの再会にさ」

「……うん、そうだな。乾杯」


 俺と孝也はビールグラスを重ねると、グイッと呷った。喉越しばかり楽しんでいたビールが、いつもよりやけに華やかに感じられて、口に残った苦みがなんだか心地よかった。

 今日自宅でyoutubeクリスマス企画を見ながらチキンと一緒に飲むはずだったビール。なぜかオシャレなお店でこいつと飲む羽目になっている。クリスマスイヴにどうしてなのか。精々2時間、うまくやり過ごせよ佐藤裕二。


 そう心の中で決意した俺だったが、「たしか裕二さ、トマト嫌いだったよね」と早速皿を回収してサラダを取り分け始めたイケメンの甲斐甲斐しさに、早くも心が折れてしまいそうだった。

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