第2話 佐藤裕二(2)

 けたたましい目覚まし時計の電子音で目を覚ました。

 俺は隣人の迷惑になる、と慌てて目覚まし時計を叩いて止める。それからベッドの中でしばらくうーん、うんと声を上げる。ひとしきり唸った後で、ようやくいそいそとベッドから滑るように落ちて、必死の思いでカーテンを開けた。

 

 カーテンを開けると窓は結露で濡れていて、窓越しにも伝わる冬の冷気が足元を通り抜けていった。俺はベッドの脇に置いてあるガラスの鳥の置物に目を向ける。それからティッシュを一枚とって、鳥の頭の埃を丁寧に拭ってやる。

 窓から入る朝日にガラスが反射して、鳥は満足そうにキラキラと輝いていた。ここまでが俺の朝のルーティンだ。

 紙で散らかった床と、うっすらと積もる埃に埋もれる部屋の中で、少しでも美しい部分を保っていたかった。

 

 それからテレビのリモコンを手に取り電源ボタンを押すと、いつものニュース番組が映り込んだ。スタジオには申し訳程度のクリスマスツリーとリースのグッズが画面端に並んでいて、今日が紛れもなくクリスマスイヴなのだ、と告げていた。

 

「……最悪だ」


 そうなのだ。今日の夜、なぜだか仕事を終えた後に孝也と会うことになってしまっている。

 あのレジでの10年振りの再会の瞬間。口からうまく言葉が出ずにパクパクとしていた俺に対して、「久しぶり!」とか「いやーすごいな」と孝也はひとしきり興奮した様子を見せた。

 それから翌日———つまり、今日の予定を聞いてきたのだ。そこで、ようやく我に返ってきていた俺は「……仕事早番だから、18時上がりだけど」と、口に、声に、出してしまったのだ。


あんなにも会いたくない———と願っていたのに、俺は飛んだ大馬鹿野郎だ。いつまで経っても。


「……普通に断れただろ、あれは」


 それでも後悔しても仕方がない。俺は両の手で思いきり頬を叩くと、「よし」と気合を入れて、洗面台へと向かった。


 *


「サトさん、それで今日はメガネじゃないんすか」

「え?」


 時刻は17時半。レジが落ち着いたところで、バイトの水間くんに声をかけられた。水間くんは確か大学3年生、来年就活だと言っていたはずだ。180を超える長身、茶髪にピアスと威圧感強めの風貌は、およそドラッグストアの店員らしくもなければ、これから就活生という雰囲気でもない。ただやんわりと仕事場で煙たがられている俺に対しても、変わらない適当な敬語と、はっきり意見をぶつけてくる水間くんの姿勢を、存外好んでいた。


「あの基本低めな重野ちゃんが珍しくはしゃいでましたよ。昨日のサトさんの知り合い、めちゃくちゃイケメン~私タイプ本当にど真ん中なんですけどぉ~。……って、んな感じで」

「……タイプ、ね」


 およそ重野さんのモノマネをする気があるのかないのか、どうにも覇気を感じない水間くんの口調に俺は少しだけ笑う。

 それよりタイプと言いたいのは、こっちの方だ。そう、10年経っても孝也はやっぱり格好良かった。この話に乗れば、直ぐにでも何かのボロを出してしまいそうな気がして、俺は話題を替えることにした。


「それより基本低め? なのは、水間くんの方だと思うけどな」


 そう俺が返答すると、水間くんはキョトンとする。その表情は何となく驚いている様に見えた。水間くんにしてはちょっと珍しい顔。


「へー、俺の話をするんですね」


 水間くんはそういうと、ぐいっとこちらのレジの方まで身を乗り出して、俺の顔を覗き込んだ。

 顔が近い。水間くんの長いまつ毛がよく見えて、俺は少しだけ後ろにのけぞった。


「ちなみに俺は、サトさんは、いつもの方が可愛いと思いますけどね」

「は?」


 その言葉が先ほどのメガネの話題の話だと気づいてから、みるみると自分でも顔に熱が集まっていくのがわかった。

 容姿を褒められることなんていつ振りだろうか。それにしても30手前の男に向かって、可愛いと言うのもどうなんだろう。悪い気はしないが、こういうノンケは嫌いだ。まあ、もうそんなセリフに期待を抱いて勘違いしてしまうほど、子どもでもないのだが。


 俺は顔に集まった熱を放つように、大きくため息を吐いた。その場に屈むと、やりかけだったレジ袋の補充作業に手を戻す。


「あんまり大人をからかうんじゃないよ、全く。若者よ」

「別にそういうつもりじゃないんですけど。ちなみにそういう自虐、癖になりますよ、俺は嫌いす。……あ、噂をすればじゃないですか、ほら」


「あれ、噂ってまさか俺の?」

「……あ」


 そこには昨日と同じくバッチリと髪をセットして、スーツを着こなした孝也の姿があった。孝也は相変わらずキリッとした眼に、高い鼻。目じりの皺だけが少し増えた気がするけど、それも良い歳の取り方をしていた。端からどう見ても、誰もが羨むほどの整った容姿で、10年経った今は、あの時からより磨きがかかったようだった。

「サトさん、もう袋の補充はいいっすよ。あとやっとくんで、お疲れっす」

「ああ、すみません。気を遣わせてしまい」

「いえ別に、これからサトさんと飲み行くんですよね」

「そうなんですよ、実は10年振りで」


 そういって浮かべる孝也の笑顔は社交性100点。孝也と水間くんが喋っている横で、なぜか俺は置いてけぼりを食らっていた。


「サトさん、朝からテンション高かったっすよ」


 バカ、ふざけるな。水間。

 あやうく声を出しかけた俺は自らの手で口を塞いで静止した。

 それを見て完全に面白がっている水間くんと、「そうなの?」となぜだか嬉しそうな様子を見せる孝也に、俺は再び顔に熱が集まっていく。


「ごめん、裕二。少し早かったな。水間……さんも、お仕事中失礼しました。じゃ裕二、俺外で待ってるから」


 そう言って孝也は変わらない社交的な笑みで、水間くんに会釈をし、自動ドアの向こうへと消えていった。その完璧な笑顔に俺は思わず見惚れてしまう。

 相変わらず爽やか、だな。


「爽やかですね」

「え」


 心の声、漏れている。


「変なサトさん見られるの、ちょっと意外で嬉しいです」

「また水間くんは、バカなことを言うね」


 水間くんはレジに並び始めた客を見て「じゃさっさと行ってください」と、なんだか急に冷たく言い放つ。俺は水間くんの態度に驚きながらも「ありがと」とお礼を言って、持ち場を後に事務所へと歩き出した。

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