お届け物

 放課後から少し時間が経つと、玄関の方からカランという音が聞こえる。それがいつもの合図だった。あたしは郵便受けからプリントを回収する。


「そんな義理もないのに、よく届けてくれる……」


 顔も名前も知らない同級生がプリントを届けてくれる。引きこもっているあたしにはよくわからないし、引きこもる前でもやっぱりよくわからない感覚だった。

 何故ならあたしはクラスメイトが苦手だからである。

 どうも話が噛み合わず、変な空気になることもしばしばあった。それが例のごたごたでエスカレートした感じはする。だから届けてくれるクラスメイトが誰なのかは正直少しだけ気になっていた。


「夏休み終わるまではまったく行く気ないんだけどー」


 数日で始まる長い長い休みを前に学校に行くバカがいるだろうか、いやいない。外出は兄がいないときにしているが、それも必要に駆られてである。無駄な外出は避けないと余計な人たちに絡まれてしまう。


「かといってゲームも飽きたしなぁ……そろそろ仕返しの準備でもしようかなぁ」


 対人ゲームは楽しい。それは現実においても同様である。ただ勝ち負けの基準が曖昧になるだけなのだ。

 どうせやることは終わらせているので、そのことについて考えを巡らせることにした。兄はこういうことに疎いので相談しても無意味、無価値だ。兄に期待できることは本の知識だけである。

 そんなわけで仕返しの案。


 案の一つ目、見つからないように嫌がらせをする。

 具体的には小麦粉を詰めたジップロックを郵便受けの中に入れておくとか。家族会議に発展すればなおのことよし。簡単に出来る上に用意するものも安いのでお手軽家庭崩壊兵器である。問題は入れるところを見られていたらアウトだということ。


 案の二つ目、先生に言う。

 多少の効果はあるだろうけれど、具体的にどうこうされたという証拠がない。で、だいたいそういうときに学校側は対応が甘くなる。よって意味なし、逆効果に終わる可能性が非常に高い。


「案外ができること少ないなぁ……」

 引き下がるつもりはないけど思いつくこともない。人間関係には人間関係を以ってやり返したいのに、あたしは人間関係が苦手だった。今から人間関係を覚えるのは現実的ではなさすぎるので、別の方法を考えなければならない。


 あたしを排除しようとする空気を教室に作っている女子と戦った方がいいのかもしれない。喧嘩でもするか? あたしは腕っぷしが強くない。最近兄にくっついてる先輩とやらはフィジカルがあるそうだから、教えて貰うか。


「う~ん、ふつうに学校行かないことが一番の対抗手段に思えてきた」


 長めに引きこもれば学校に来ない理由が探られ始めるだろう。もう三ヶ月、そういう空気が出来ていてもおかしくはない。クラスの中では存在感はそれなりにあった方だと思いたい。いや、悪い意味で存在感があった自覚はあるけれど。


「考えるのめんどくさい……散歩しようかしら」


 夏の夕方、真昼のうだるような暑さが身を引き、ほんの少しの涼しさが主張しだす。散歩するにはちょうどいい。考えもまとまりやすいし冷静になれる。


「寝間着のままでいっかなー。どうせ誰にも会わないし会ったところで他人だし……」


 寝間着はジャージだしそのまま出ても何も問題はないと判断する。届けてくれたクラスメイトもそんな長く玄関先に居座るわけがない。一人でひたすらアスファルトに足音を刻む作業の始まりだ。


 そう思ってドアを開けると見知らぬクラスメイトがいた。クラスメイトと言っている時点で見知らぬ人ではないのだが、見知らぬクラスメイトだった。


 あたしはドアを閉めた。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 とりあえずインターホンを起動してそこに向かって話しかける。


「資料いつも届けてくれてありがとう、それじゃ」


「だからちょっと待ってくださいって東雲さん。あ、これ聞こえてるのかな」


 そこにいたのはクラスメイトの……クラスメイトの、何とかさんだった。クラスにいた覚えはあるけれど、生憎と名前を覚えていない。

 とにかくそのクラスメイトさんが玄関口にいるのでは散歩に行けないではないか。散歩自体やることないからやろうとしていただけなのだけれど、出鼻をくじかれるのは何かイヤだった。


「聞こえているけど」


「あの、東雲さん、最近学校来てないですよね。それって私が関係していたりしますか?」


 無視を決め込もうと思ったが、聞こえてくる内容が無視するには大きすぎる内容で、仕方なく返答することにする。


「あたしはあなたのこと覚えてないくらいだし、たぶん関係ないと思う」


「覚えてらっしゃらないですか……クラスメイトの橘香織です」


 そう言って自称橘さんはぺこりとカメラに向かってお辞儀をした。礼儀正しくて驚く。あたしならそこまで絶対にしない。名乗って終わり、下手したら名乗らない。


「ああ、丁寧にどうも……東雲鮮花です、ってそっちはあたしの名前知ってるか」


「はい、以前助けていただいたので」


「あたしは誰かを助けた覚えはないんだけど……」


 別の誰かと勘違いしているのではないだろうか。あたしはそこまで殊勝な人間ではないという自覚がある。人間関係がめんどうくさくて引きこもるような人だからね。兄はなんだかんだ言いつつ学校に毎日行っているからそこはすごいと思っている。


「覚えてないですか、あの、斎藤さんに私いじめられてたんですけど。そのときに助けてというか、それを止めていただいて」


「斎藤って今あたしのこと逆恨みしてるあの斎藤?」


 何か話が繋がってくる気がしてきた。


「いえ、だからそれは私のせいだと……」


 いつまでもインターホン越しじゃ失礼かと思い、とりあえず玄関まで戻ってドアを開ける。そして自称橘さんの腕を掴んで引っ張る。


「え、え、あの」


「上がってから話そう、ずっと立ちっぱだと疲れるし」


 〇


 ソファに適当に座ってもらって、適当な紅茶を作って、あたしも適当に座って話をする体勢に入る。


「まず最初に言っておくと、橘さん? は悪くないわ。首突っ込んだのはあたしの責任だし。引きこもってるのもただ単にめんどうくさいだけ。だからあなたが気に病んで資料を届ける必要はない」


「え、あ、そう、ですか?」


「上がってもらったのは今まで資料を届けてくれたことに対する感謝と、あと教室の現状が聞きたいからなんだけど……ごめんなさい。人と話すのに慣れてなくて、ちょっとあたし変かもしれないけど気にしないで」


「いえいえ! 変は変ですけど別に変じゃないといいますか……」


「そう? まあそういうことにしておいて、教室で斎藤たちはどんな感じかわかる?」


 あたしが男子に告白されて、その男子を好いていた斎藤が逆恨み、あたしをハブるような空気を作り始めたというのがあたしの認識だった。橘さんからの話を聞く限り、どうもそれだけではないような雰囲気がうかがえる。


「ネガティブキャンペーン? で合ってるでしょうか。そんな感じで何か東雲さんが斎藤さんの好きな男子を寝取ったみたいなことを言ってました。半ば共通認識になりつつあるというか、東雲ってそういう奴だったんだみたいなことを言っている人もいました」


「ふーん……随分とまあ動いてくれちゃって」


 発言力の強い人間がいったんそういう噂を広めてしまったら覆すことは難しい。当然そんなことはないとわかっている人もいるだろう。明らかにあたしそういうタイプに見えないだろうし。

 ただ話を合わせているだけの人間の方が比率的には多いはずだ。斎藤は別に好かれているわけではない。カーストのトップというだけ。

 気が強い女子は上に立ちやすい。中学生にもなればそういう感覚が何となく身についてくる。あたしにはよくわからない感覚だけど。兄がそういうのを避けて生きているタイプなので妹としては一切参考にならない。本当に兄か?


「あなたはその、あたしが何かしてから絡まれるようなことはなくなったの?」


「はい。私、元々影が薄いですから……全然目立たないんです」


「ならよかったわ」


 あたしが何かしていてそれで余計悪化していたなら申し訳ない。


 それからしばらくここ三ヶ月ほどの学校の様子を聞いていた。斎藤が幅を利かせていること、先生たちはそれをおそらく認知していないこと。あたしをハブる雰囲気は浸透しているものの、確実なものではないということ。


 斎藤の人望のなさを刺せれば仕返し出来るだろうか。わからないけれどそこらへんならやってみる価値があるかもしれない。


 そこまで考えたところで、玄関のドアが開く音がした。

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