虚構の不一致

 本とは、人と人との出会いのようなものである。


 人が本を開くとき、そこにはなんらかの意図や目的が見え隠れしている。

 それはただの暇つぶしだとしても、である。

 しかしながら本というのは、読めば読むほどいわゆるハズレといわれるような作品に当たる可能性が増えてくる。

 素晴らしい作品を求めて数を読み進めていけば、自身が優れた読み手として昇華されてしまい、今までなら楽しめた作品も楽しめなくなってしまっているかもしれない。

 それでも人は本を求め、読み解こうとする。


 人がハズレと感じる作品は多種多様だ。

 自分の好みに合わなかった、文体が気に入らない、主人公が嫌い等々……。

 そして今回、不幸にも秋松隆司あきまつ りゅうじという二十二歳の男性がそれを引き当てたのは、朝の通勤電車の内でのことだ。


 きっかけは昨日の些細ささいな会話だった。


「隆司君って、結構本読む人だよね? これ、今流行っている映画の原作。面白いから読んだら感想聞かせて」


 そう言って文庫本を押し付けてきたのは会社で二つ年上の先輩だった。

 総ページ数四百近くになる少し厚めの文庫本。

 感想を求められている以上は読まない訳にもいかず、比較的暇な通勤の電車内でこの本を広げたのが運の尽き。

 どうしようもなく平凡で面白くもない内容に、ページを進める手は次第に油の切れた機械のようにぎこちなくなり、きれいに整えたまゆ時折ときおり、気が狂ったようにその直線を折り曲げていた。

 いわゆるハズレ本である。

 と言っても、主に女性読者に人気があるのは事実で、映画化する前の段階でそれなりの数は売れていたらしい。

 映画公開が始まった後には主演の有名女優と男優の影響もあってか、映画の広告がデカデカと描かれた帯に『百五十万部突破!』の文字が踊っていた。

 しかし、百五十万部売れようが売れまいが、隆司にとってはハズレ以外の何物でもなかった。

 まだ中盤の二百十一ページまでしか読んでいないにも拘らず、もうお約束のオンパレードなのだ。

 主人公は口が少し不自由な入社一年目の女性会社員。

 彼女が好きになるのが、同じ会社内で別部署にいる四年先輩の営業マン。

 ふとしたことから会社外で出会った二人は、お互いに同じ会社で勤めていることを知り、少しずつ親しくなっていく。

 しかし、お約束のようにその営業マンを狙う女性がいて、少しいい雰囲気の主人公との中を割こうと画策する。そして更に、口が不自由であるということで周囲の目が冷たいという事実にも悩まされて……。

 というものだ。

 純愛が歌われている作品なので、間違いなくこの後に主人公はハッピーエンドになることが解りきっているのもマイナスポイント。

 隆司はため息を一つついて、活字から逃げるように目をそらした。

 電車の中は朝の早い時間ではあるが、それなりの人が利用している。

 首都圏の通勤ラッシュのような、酷いすし詰め状態ということはないのが救いだ。

 隆司が目をあげた先には、髪に白いものの混じったスーツの男性が新聞を四つ折りでひろげ、その斜め前ではスーツの女性が化粧のチェックに余念よねんがない。

 吊革広告は新しいマンションの広告の他、今週発売の週刊誌のごちゃごちゃした見出しが躍っていて、目がチカチカする。


 そして、ここで彼は自分の右隣の女性が本を読んでいることに気が付いた。


 人の読んでいる本というのは結構気になるもので、カバーで隠されている本は特にだ。

 その女性の持っている本も例に漏れずカバーがされている。

 もっとも、カバーがされていなかったとしても彼の目線の高さから表紙を覗き見ることは出来ない。

 彼は女性の読んでいる本の左ページの斜め上を盗み見る。


 『それは言葉にならない』


 書かれていたタイトルに、隆司は軽い驚きを覚えた。

 正に、今自分自身が読み進めているそれだったのだ。

 ただ、今流行りの恋愛小説ということもあり、隣の人がその本を読んでいるという可能性も低くは無いだろうと、隆司は自分を納得させる。

 しかし、その女性も箸休めがてら本から視線を離した所で、彼の視線と手にした本本が同じものだと気付いた。


「……」

「……」


 ささやかな偶然に、これほどの重たい沈黙が降りるものなのか。

 その気まずい空気を破ったのは、隆司の方だった。


「同じ……本ですね」

「……ええ、偶然ですね」

「面白いですよね……この本」

「……ええ」


 ぎこちないながらも、会話が成立したことは僥倖ぎょうこうだったかもしれない。

 しかし、彼は困ってしまった。

 彼女がこの本を面白いと肯定した以上、下手に話題が振れないのだ。


「それ、もう何度か読んだんですか?」

「いいえ。でも、映画は見に行きました」


 隆司は、ますます窮地に立たされる。

 映画を見てから原作を読んでいるということは、映画の脚本が原作から大きく変わっていない限り、一通り読んでいるのと変わらない。

 隆司は映画を見ていないので、内容を話題に出来ないのだ。

 そこで、彼は正直に答える事にした。


「まだこれは途中までしか読んでないんですけど、映画の方はどうでした?」

「……良かったと思いますよ?」


 彼女の方も探り探りといった感じで返事を返して来る。

 隆司としては、映画は原作に沿っているか、というニュアンスだったのだが、うまく伝わらなかったようだ。

 しかし、彼女の口から映画と原作との対比の言葉が出なかったところを見れば、全く別物というわけでもなさそうだ。

 自分の降りる駅まで後三駅。

 彼女がどこで降りるかは知らないが、こんな尻切れで話を終わらせる訳にはいかず、隆司は無難な所から話を進めることにした。


「この主人公の頑張りが伝わってくる感じがいいですね」

「確かに。凄く丁寧に描写されていますから」


 ちなみに、この感想は本音である。

 この作品で唯一褒められる点といえば、各登場人物の内面や心理の描写の緻密ちみつさだ。残念なことに、登場人物が複数いるような場面でその長所が生かせてないのが残念ではある。

 その後もつたなく歯切れの悪い会話が続き、一つ目の駅を通過した。

 残念ながら彼女が降りることは無かった。

 話題の方も、比較的表面的なことしか言えない分、すぐに尽きてしまう。

 相手が良い点や話題を振ってくれれば相鎚あいづちが打てるものの、彼女から作品について言及することはついに無かった。

 そして到着した二つ目の駅。


「それでは、ここで降りますので……」


 そう言って彼女は駅のホームへと降り立つ。

 隆司は電車が発車してから大きくため息を一つ吐き出した。

 仕事前だというのに、精神的に疲労した状態で体を電車に揺られつつ、「もう彼女と二度と話をすることは無いだろう」と彼は確信していた。


 実際、彼と彼女がこの後、言葉を交わす事は無い。

 しかし、もしもこれが別の機会であったのなら、あるいはもう少し言葉選びがうまく運んでいたのならば、二人の道は再び交わったのかもしれない。

 

 今回、問題にすべきは電車の中で偶然、隣にいた人が自分と同じ本を読んでいたということではない。

 その状況がどういうもので、どのように対処できていればよかったのかということである。

 例えば、もしこれが互いにいい本と認められるものだったのなら、今回の結果は大きく変わっていただろう。

 彼が発言した「面白いですよね……この本」という台詞が別のものであったのなら、展開は大きく変わっていた。


 ここで、確認しておかなければいけないことがある。

 例えば、あなたの目の前に人がいて、その人が本を読んでいたとしよう。

 その場合、あなたは無意識に「その人が読んでいる本は、きっとその人が好きだから読んでいるんだ」と思ってはいないだろうか。

 先ほどの隆司のケースを振り返ってみてほしい。

 彼はあくまで、先輩に半ば強制されていた為にその本を嫌々読んでいたのであり、決してその本が好きな訳ではなかった。

 嫌いだと思った本を途中で投げ出す人は少なくないが、その本を買った以上はそれを最後まで読もうと考える人もいる。

 そうなってくると、その人が本当に好きでその本を読んでいると確認する方法は、本人に直接聞くしかない。

 普通の雑談の場でなら、自分の思ったままに好き嫌いを答えるだろう。

 しかし、今回のケースでは別の要素が自由な回答を阻害した。

 それは両者が同じ本を開いていた、という点である。

 何もない状態で「その本は面白いですか?」と聞かれるのと、その本を実際に読んでいる人に「その本は面白いですか?」と聞かれるのとでは、返答の幅が大きく違ってくるのだ。

 ここまで説明すれば、皆様はもうおわかりだろうと思う。

 


 つまり彼女もその本が嫌いだったのだ。

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