灯台

 薄汚れて錆の浮いた灯台には、二つの影があった。


「今日は海が穏やかだね」

「ええ、彼が帰ってくるかもしれないわ」


 一人は、空虚な心を隠そうとはしない青年。

 そしてもう一人は、銀の髪を乱雑に撒き散らした少女だった。


「君が戻ってくると言ってから、もう一週間だ」


 空虚な少年は空の瞳で天を仰ぐ。

 薄汚れた灯台の遥か頭上には広大な星の銀河が広がっている。

 しかしその輝きですら、彼の心に何も残さない。


「あなたがやって来てから、もう一週間って事ね」


 少女は彼の妄言に付き合うでもなく、髪をかき上げる。

 それだけで、乱雑に広がった銀髪がより幾何学模様きかがくもよういた。


「その髪、切ってあげようか?」

「あなたがそんな事を言うなんて思わなかったわ」

「そうかな?」

「そうよ」

「それでどうする?」

「いらないわ。彼に切ってもらう事に決めてるの」


 なら仕方がないと、青年は再び空を見上げた。

 波の音がやけに大きく灯台の中へと残響する。

 青年は別として、少女はこの灯台に住んでいた。

 いつから住んでいたのか、それは聞いても答えてはくれない。

 きっと、長い間そうしていたという事は、髪の長さだけが証明している。


「この街から出ていかないの?」


 彼女の顔を隠すように垂れ下がった髪の間から、にごった藍色あいいろの瞳が青年へと向けられる。


「出て行きたくなったら、出て行くかもしれない」

「変なの」

「今はそんな気分じゃないな。ここで朽ちてもいい気がする」


 青年の心はやはり、なにも無かった。

 ただ流されるままにこの場所に辿たどりついて、そして居座った。

 最初はただの休憩だったのかもしれないけれど、今はそこに居るのが当然であるかのように、この場所に収まっている。


「旅人に憧れてたんだ」

「旅人。確かに良い響きだわ」


 少女は海の向こうの誰かを思う様に、歌う様に同意する。


「旅はいいわ。流れ流れてたゆたって、そして巡り巡って、出会って、触れて」

「そんなにいいものじゃないよ」

「それはあなたがそういう風にして来なかったからだわ」


 少女は自分の信じるものに絶対の自信を持っていた。

 だから、空虚くうきょな青年の言葉のほとんどは、会話が膨れる前に否定されて萎んで消える。

 勿論もちろん、青年も会話が弾むのを望んではいない。

 思うままに口にした事を、彼女が拾っているだけにすぎなかった。

 だから、二人の間で生産的な会話があるとするのなら、それは食料に関する事ぐらいだった。

 否、もう一つあった。


「そろそろ、蝋燭ろうそくあかりが消えるわ」

「そうだね、もうすぐ消えてしまう」

「一つ前は、私が新しいのを用意したわ」

「その一つ前とその前は、僕が用意した」


 どちらが新しい蝋燭を用意するのか。

 この時ばかりは、二人の意見は大きく対立する。

 蝋燭は既に一センチを切っている。


「あなたはいわば、居候いそうろうみたいなものでしょ」

「君はいわば、不法占拠ふほうせんきょみたいなものだろう?」

「そうね。でも、この灯台の主みたいなものよ。つまり、あなたが蝋燭をかえるべきなのよ」

「いや、主である君がその重要な役目をまっとうするべきだ」


 そうして無言が訪れる。

 いつもと同じ、数十回と繰り返したやりとり。

 違うのは、蝋燭を用意するのがどちらなのか、という事だけ。


「もう、待っている人は死んでいるかもしれない」


 結局、新しい蝋燭を持ってきたのは青年だった。

 そして、彼は皮肉にも似た言葉を駄賃だちんとして少女に浴びせる。


「それは無いわ。分かるもの」

「分かる?」

「ええ」


 悲惨な宣告にも、少女は動じなかった。

 ただ、乱雑に跳ねた銀糸を一本手繰り寄せる。


「私と兄は双子なの。だから、生きているかどうか分かるの」

「そんなものなのか」

「そんなものなのよ。素敵でしょ?」

「素敵、かなぁ?」


 少年は再び空を仰ぐ。

 見ているのは夜空なのか、それとも過去の自分の姿なのかは分からない。


「いいなぁ、双子」

「いいでしょ、双子」

「……ああ」


 そうして二人は、寄り添う事も無く眠りにつく。

 海のささやきが青年の幻想を流すまで、まだ若干の時間があった。



 ~おわり~

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