決闘前
結局その日は何をしても集中出来ず、上の空になってしまったこともあり俺はさっさと家に帰って広いお風呂に浸かっていた。湯舟に浸かっているだけは様々な心配事も頭から出ていって安らかな気持ちになる。
だが、湯舟を出ると途端に王子との決闘の事実が頭に戻ってくる。俺は自分の実力に自信はあるが、ハルトの実力は未知数だ。本当に勝てるのだろうか。俺が勝ったらどうなるのだろうか。
するとがらがらと風呂のドアが開く。
「だ、誰だって……セーナ!?」
入ってきたのはメイド服姿のセーナだった。
彼女は悩んでいた俺を真剣な眼差しで見つめる。
「色々悩んでいらっしゃるようなので。私も例の件、話に聞きましたのでよろしければお背中でも流しながら話を聞かせていただければと」
「その気持ちは嬉しいんだが、風呂じゃなければもっと嬉しかったんだが」
突然のことにどう対応していいやらでとりあえず俺はタオルで前を隠す。
セーナはよく堂々としているなと思って彼女の顔を見ると、彼女も少し顔を赤くして緊張しているようだった。だが、それでも彼女はきっぱりと言う。
「いえ、お風呂だからこそ気持ちが開放的になって話しやすいということもあると思います」
「それはそうかもしれないが……」
むしろそれ以外のことに意識を持っていかれて話すことに集中出来ないんだが、と思うがセーナは引く様子はなかった。
とはいえ、エリサとのことは王宮の人には相談しづらい。そういう意味ではセーナに話を聞いてもらうというのは悪くないのかもしれない。
「分かった、頼む」
「はい、喜んで」
そう言ってセーナは少し嬉しそうにタオルをとると俺の背中をこすり始める。彼女は力の入れ加減がちょうどよく、心地よかった。
「実は……」
俺は今日あったことをセーナに語る。
「……という訳なんだ。王子の言葉にかちんときて啖呵をきったはいいものの、冷静に考えたら事の重大さに押しつぶされそうだ」
「なるほど。色々言いたいことはありますが、メルクリウス様は少し鈍感すぎですよ」
俺が話している間はうんうんと相槌を打つだけのセーナだったが、話が終わるなりそんなことを言う。
「どういうことだ?」
「エリサ殿下は絶対メルクリウス様に『結婚して欲しくない』というようなことを言って欲しかったはずです」
「そういうものなのか?」
いまいちぴんと来ない。するとセーナは少し苛ついたように言った。
「はい、エリサ殿下は周りの人が皆結婚に前向きで孤独を感じているのです。ですから本音を打ち明けているメルクリウス様ぐらいは自分の我がままに同調して欲しいと思っていると思いますよ」
「なるほど」
言われてみればそんな気もする。
「……とはいえ、その辺はメルクリウス様がどうしたいかにもよりますが」
「というと?」
「決闘でハルト殿下がいいところを見せればエリサ殿下の気持ちも変わるかもしれませんし、逆にハルト殿下が無様なところを見せれば結婚自体が流れるかもしれないということです」
セーナの言葉で俺はようやくそのことに思い至る。仮にも一国の王子が婚約相手の教師に因縁をつけて決闘を挑んだ末、無残な返り討ちに遭えば評判の失墜は免れない。評判の落ち方によっては結婚が流れることもありえる。
その言葉を聞いて俺は目から鱗が落ちた。
「……なるほど、いいこと言うな」
「もちろんどちらをとるかはメルクリウス様次第ですが……その様子だとすでに心は決まっているようですね」
セーナは俺の顔を見て言う。言われてみれば、セーナの言葉を聞いた時の俺は驚くほど自然に「それならどうやって王子を倒そうか」と考え始めていた。もちろん王子に馬鹿にされたからという気持ちもあるが、俺は心の底ではエリサの結婚の話が流れて欲しいと思っていたらしい。
「私としては複雑な気持ちですが」
不意にセーナがぽつりとつぶやく。
「どうしてだ?」
「い、いえ、何でもありません、今のは聞かなかったことにしてください!」
なぜか急に顔を真っ赤にして慌て始めるセーナ。
「わ、私はメルクリウス様のお役に立てるだけで満足ですので! それでは悩みも解決したところで失礼いたします!」
そう言ってセーナは慌てて駆けだそうとする。
「お、おい、ふろ場で走るのはあぶな」
「きゃあっ」
俺が言い終わらぬうちにセーナは足を滑らせて派手に転倒する。
ぱしゃん、と軽い水音を立ててセーナは転んだ。幸い手をついているので怪我はなさそうだ。
「だ、大丈夫か?」
「は、はい……」
が、倒れたセーナは全身が濡れてしまったせいで服のところどころが透けている。
どうも彼女は着やせするタイプのようで意外と胸が大きい。
それに気づいたセーナは慌てて胸の辺りを両腕で隠す。
「私は大丈夫なので、見ないでください!」
そう言って今度こそセーナは風呂場から出ていった。
こうしてハプニングこそあったものの俺の心は決まった。幸い決闘内容を決める権利は俺に与えられている。こうなった以上俺は自分の得意分野で勝負するだけだ。
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