エリサの望み

 それから一週間が経った。実際はその間にミュリィやルネアとの初授業やあれやこれやがあったのだが、それはまた後で語ろうと思う。


 そしてついにテストの日がやってくる。

 俺たちは例の部屋で一週間ぶりに向き合って座った。


「準備は万端か?」

「このあたしがただの復習テストに負ける訳がないわ」


 やってきたエリサはそう言って胸を張ったが目の下にはどんよりとした隈が出来ていた。実際、王族であれば行事やそのほかの習い事もあるので色々忙しい中頑張ったのだろう。言うことを聞かされるのは嫌だが、出来るならば彼女の頑張りが結果に反映されて欲しい。


「とはいえ、こんなことになるならちゃんとやっておけば良かった」

「その思いを胸に俺の授業はちゃんと受けてくれると助かるんだが」

「それについてはあなた次第よ。では早速受けさせてもらうわ」


 こうしてエリサの復習テストが始まった。


 とはいえエリサが目の前で試験問題と睨めっこしている間、俺は何もすることはないので今後教える事項の確認などをしつつ彼女を見守る。

 一週間みっちり復習しただけあって俺が作った簡単な復習問題は次々と解かれていく。その勢いにこれなら満点もあるかもしれない、と思ってしまう。言うことを聞かされるのは怖いが、どちらかというと努力が報われて欲しいという気持ちの方が強かった。

 そして一時間ほど経った後、彼女は手を止めて顔をあげる。


「……出来たわっ」

「よし。じゃあ採点するがいいか?」

「もちろん」


 彼女が力強く宣言するので俺は答案を受け取って採点していく。俺が〇をつけていくのをエリサが射るような視線でじっと覗き込んでくるので少しやりづらい。


 順調に〇をつけていく俺だが、最後の一問でふと手が止まる。


「……もしかして間違っている?」


 俺の反応を見てエリサは不安げな声をもらす。


「いや、間違ってはいないんだが……」


 その問題は何てことない王国史の人名を問う問題だったし、おそらくエリサも正しい答えを分かっている。ただ睡眠不足のせいか緊張したせいか、スペルが間違っていた。

 やがて自分の解答を見つめていたエリサもそのことに気づく。


「嘘……」


 あまりに彼女の表情が青ざめていくものだから俺は可哀想に思った。きちんと採点するなら部分点というところだろうが、それではエリサは俺に勝利したことにならない。

 一瞬、ただのスペルミスだし大目に見てやろうかとも思ったが、この一週間真剣に勉強していた彼女のことを思うとその方が失礼ではないかとも思えてくる。


「……惜しかったな」


 結局、俺の口から出たのはそんな言葉だった。

 エリサは落胆した表情で溜め息をつく。


「はあ。まあ約束は約束。あたしから言い出したことだから仕方ないわ」

「一問ミスですんだのは素直にすごいと思う。でも、もし良ければ悩みを聞かせてくれないか?」

「そうね。本当はこれはあたしの、もしくは王家の問題だから無関係の先生に話したくはなかったんだけど、実はあたし、婚約者がいるの」

「婚約者か」


 貴族や王族の結婚は基本的に政略結婚である。権力がある王や貴族は正妻とは別に好みの女性を側室を迎えることもあるが、それはそれだし女性側がそれをするのは難しい。仮にそれが出来るとしても異性と初めて結ばれるということに不安があっても無理はない。

 確かエリサは今年で18だったはず。そろそろ結婚してもおかしくはない。


「相手は隣国のハルト殿下。評判は悪くないけど、一回も会ったことがないから実際どんな人かは分からない」


 政略結婚では顔も知らない相手と婚約させられるのはよくあることだ。確かにエリサの言う通り、それは俺にどうこう出来ることではない。


「その人と結婚したくないのか?」

「したくない……というよりはよく分からない、という方が強いかな。それでもうすぐその方が王都に来ることになったの。多分だけど、そしたら具体的な結婚の日取りも決まると思う。何がって訳じゃないけどそれが不安で」


 なるほど。確かにそういう悩みだとすれば俺に打ち明けることではないだろう。


「あたし、一応箱入り娘だからこれまで年が近い男性とすらあんまり会ったことがなくて。話したことがある大臣や近衛騎士団長みたいな人は大体妻帯者だし。だから年の近い男性ってどんな人かなと思ってあなたと色々話してみたけど、結局よく分からなかった」


 俺は全くそういうことは意識していなかったが、確かに俺とエリサは歳の近い男女ではある。

 そう言われてみると、護衛が近くにいるとはいえ二人きりの状況が急に恥ずかしくなってくる。


「だろうな。俺だってエリサのことはまだ分からないことだらけだ」

「そんなことない。あたしが悩んでいるのも見抜いていたし、それにあたしのことを信じてくれた」


 思ったよりも本気で否定されて俺は少し驚く。


「そんな大層なものじゃない」


 エリサは俺のことを過大評価しているようだ。

 エリサはテストでミスしたことも重なって少しナイーブになっているのだろうか。俺はどんな言葉をかければいいか悩みつつ尋ねる。


「もしかして、満点をとった場合の頼みっていうのもそれと関係あるのか?」

「本当に何でもお見通しなんだね。だからハルト殿下と会う前にあなたと一緒にどこかに遊びに行ってみたかった。そしたらどんなものか分かるかなって」

「なるほどな」


 俺と出かけたからといって異性の何たるかが分かるとも思えないが、何もしないで待つよりは気持ちは晴れるかもしれない。

 縁談の話はどうすることも出来ないが、それくらいなら出来ないこともない。それでエリサの不安が解消されるのであれば今後の授業にも身が入るかもしれない。


「それで、どこか行きたいところでもあるか?」

「そうだね……もし満点だったらアイリスの丘に行ってみたかった」


 確か王都の近郊にある景色のいい丘で、デートスポットとして重宝されていると聞いたことがある。そんなところに王女と行ける訳がない、と思ったがエリサは男性に対する不安があると言っているのでお互いをそういう風に意識するところに行くのはある意味で正しいのかもしれない。


「分かった。実は俺、王都に来たばかりで全然観光地に行けてないんだ。だから案内がてら一緒に行かないか?」

「いいの!?」


 俺の言葉にエリサは表情を輝かせる。いつも笑顔を絶やさぬエリサであるが、今回の笑顔はいつものものよりもいっそう心からのものに感じられて俺も少しほっとした。

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