メイドのセーナ

「はあ、緊張で死ぬかと思った……」


 国王の部屋から解放された俺は大きなため息をつく。ただ魔王討伐の報告に来ただけなのにまさかこのようなことになるとは思ってもみなかった。

 これまで幾多の強敵と戦場で戦ってはきたが、今回与えられた役目はそれとは方向が違う大変さがある。魔物があればどんな相手であれ倒せばいいわけだが、王女三人に物を教えるというのはそれとは別の大変さがある。

 しかも、いくら敬語を使うなと言われたとはいえ、言うことを聞かないからといって何かを強制することも出来ない。うまく教えられるだろうか、うまく教えられたとしてちゃんと俺の話を聞いてくれるだろうか、という不安がある。


「しかもあの三人、おそらく仲があまり良くないんだよな」


 もう一つの懸念はそれであった。三人は一緒に部屋に通されていたが、俺に親し気に話しかけてきたエリサやミュリィも、姉妹同士で会話することはなかった。

 だからといって仲が悪いとまでは言えないが、少なくとも良好には見えない。原因として思い当たるのは、やはり母親がそれぞれ違うことだろう。この国では王族や貴族は跡継ぎをたくさん作るために一夫多妻が当然であり、三人の母は全員違う女性であると聞いている。だから平民の姉妹のように一緒に仲良く育ったという訳ではないのだろう。


「まあ、その辺の事情は俺には関係ないし、とりあえずは勉強を教えることだけに集中しよう」

「メルクリウス様」

「うわっ」


 独り言を言っている時に突然声をかけられて俺は思わず声をあげてしまう。

 振り向くと、そこにはメイド服を着た女性が立っている。年齢は俺と同じくらいで、明るい茶髪とくりくりっとした瞳が印象的だ。俺が振り向くと深々と頭を下げる。


「わたくし、国王陛下よりメルクリウス様のお世話とご案内を申し付けられたセーナと申します。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む」


 見た目はちょっと活発そうな印象だったが、口調はメイドだけあって丁寧であった。

 元々俺は王宮に滞在するつもりがなかったので考えていなかったが、冷静に考えてみると教師をする以上俺も王宮で暮らすのだろう。そうなれば、勝手が分からないことだらけになる。


「まずは王宮を案内させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ」


 そう言ってセーナは国王の謁見の間や王族が暮らす王宮、大書庫や練兵場など様々な場所を案内してくれる。さすが王宮だけあってどこもすごい規模であった。


「書庫についてはメルクリウス様はご自由にお使いくださって構わないとのことです。ただ、外に本を持ち出すときは申請が必要です」

「なるほど」

「では最後にメルクリウス様が暮らすことになる住居にご案内します」


 基本的に大臣や将軍、その他貴族など立場が大きい人物は王都において王宮の外に自分の屋敷を持っているが、俺のように元々身分が高くなくて王宮に招かれている者は王宮内に住居が与えられるらしい。


「それは楽しみだな」


 セーラは王宮の主殿を出ると庭を横切り、小さな建物が並んでいるエリアへと向かう。小さいとは言ってもそれは王宮の主殿に比べての話で、庶民が住む家と比べれば二倍か三倍の大きさはある。

 俺はその中でも一番大きい建物へ通された。家の周りには手入れされた庭が広がっていて、外壁はきれいに白く塗られ、屋根はきれいな朱色の瓦で作られている。

 まるでちょっとした貴族か豪商の屋敷のようだ。


「おお、まさかこんな屋敷に住めるようになるとは」

「それくらい陛下はメルクリウス様にご期待しているということです」


 確かにそれくらいでなければ三人同時の教師など命じられることはないだろうが、今はその期待が重い。


 中に入ると、キッチンや寝室、書斎などの部屋がそれぞれ分かれている上に来客を招いてパーティーが出来るようなホールまである。嬉しいのは嬉しいが、そんなものがあっても俺はホームパーティーをする気はないので持て余すことになりそうだが。


 むしろ俺が嬉しかったのは、浴室が家の中にあったことだ。風呂は湯を沸かすのにはたくさんの燃料を使うか高価な炎の魔石が必要となるので、なかなか庶民の家にはない。しかも覗いてみると中は数メートル四方の浴槽が広がっていた。まるで大きな街の公衆浴場のようだ。


 さらに寝室に行くとそこには最高級のベッドが備え付けられている。試しに指で触れてみるとどこまでも指先が沈んでいきそうな柔らかさだ。こんな部屋で毎日暮らしていたらダメ人間になってしまいそうだ、という恐怖を覚えてしまう。


「いやあ、夢のような場所だ」

「あと、それからもう一つ陛下の指示を受けていることがありまして……」


 そう言って不意にセーナが恥ずかしそうに顔を赤くする。


「何だ?」

「もし殿下方に学業を教えている最中、どうしても我慢が出来なくなる時があれば、わたくしがお相手させていただきますっ!」

「ごほっごほっ!」


 いかにも勇気を振り絞ったというようにセーナが言い放つので俺は思わずむせてしまう。

 いや、俺が年頃の男である以上陛下の懸念はある意味正しいのであるが、初対面の女性にいきなりそう言われてしまうとはいそうですかお願いしますとも言えない。



「いや、俺は別に相手が誰でもいいという訳じゃない。そういうのはその気がない相手と無理矢理しても、う、嬉しくないだろ」


 俺は何とかそう言い訳する。

 そう言えば今日は王女三姉妹と出会ったのでハードルが上がっていたが、変なことを言われたせいでセーナのことも意識して見てしまう。彼女には王女たちにきれいさや美しさでは劣るが、愛嬌があって可愛らしい。

 今も俺の動揺と比例するように顔が真っ赤になっていき、気恥ずかしさと同時に可愛いと思ってしまう。


「も、もちろん今すぐという訳ではないので必要になったら言ってくださいっ! それでは私は夕飯を作ってきますので失礼いたしますっ!」


 そう言って動揺したセーナは走って部屋を出ていこうとする。そして焦ったせいかつまずいてばたんと音を立てながら転ぶ。


「痛っ!」


 そして立ち上がると少しだけ涙目になりながらこちらを振り向く。


「こ、今度こそ失礼いたしますっ!」

「あ、ああ。気をつけてな」


 最初に出会った時はもう少しお堅い人なのかと思ったが、何というか、思っていた人とは少し違うのかもしれない。


「まあ、本当に嫌だったらそもそもこんな仕事をお受けしないけど」


 去り際、セーナは小声で何かを言ったが詳しく聞き取ることは出来なかった。

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