第473話

「学院の……先生!?」

 俺は彼女の差し出した身分証に書かれた『アリス』という名と、職業欄の教師という記載に目を丸くして叫んだ。

「ふっふっふ。頭が高い! ひかえい控えい!」

 そのエルフ女性、アリスさんは控える事を知らない胸を張ってふんぞり返る。うむ、記載によると間違えなくレイさんポリンさんがお世話になっている学院だ。しかしこんな先生もいたのか。知らなかったぞ。

「ははーっ! って担当は中級魔術に文学か。そりゃ縁は無いわな」

 俺はちょっとだけ付き合って頭を下げつつ、別の部分を読んで呟く。ポリンさんは分からんがレイさんは文学、っていう柄でもないし魔術もまだ初級の筈だ。

「まさかそんな職業を偽造する訳もないし、本物なんでしょうね。ありがとうございます、仕舞って頂いて結構です」

「ふむ。分かればよろしい! って分かるの!?」

 俺の許可を得たアリスさんは鼻息をふんと吹いて身分証を胸の谷間へ仕舞いかけたが、急にその手を止めて訊ねてきた。

「分かります……って本当だ、何で分かったんだろう? 眼鏡もかけてないのに! それに翻訳の魔法でもかけてたんですか?」

 今や身分証を凝視する事は彼女の胸を凝視するのも同じだ。俺はそっちを見直すのも憚られて、アリスさんの顔の方を見た。

「違うよ! 日本語だよに・ほ・ん・ご! やった! 君、日本語が読めるんだね! 本物の身分証明書の裏に日本語版書いてたけど、分かって貰えた事なくてさー!」

 教師のエルフは満面の笑みを浮かべてそう叫ぶ。そして見つめ合う形になるとより一層、笑顔の花を咲かせた。いや裏に勝手に書くなや。

「あ、えっとですね」

 至近距離で見るアリスさんの顔は明るく美しく、どことなくカイヤさんを思い出させる。俺は少し恥ずかしくなって目を逸らし、今度は自分のIDカードを懐から取り出し見せる。

「実は俺、地球からきた日本人で今はエルフ代表監督をやってるんです」

「あーっ! じゃあ君があの!?」

 いやどのか知りませんけど。しかし彼女が驚きながら言った言葉で、そこそこ知られているのは分かった。じゃあ次は、と。

「貴女は日本語も教えているんですか?」

 俺の正体がバレるのも良くないし彼女の語学力もチェックしたい。俺は翻訳のアミュレットを苦労して――鎧の隙間に手を突っ込むのは不慣れだ。いや服の隙間もだけど――外し、問いかける。

「貴女なんて他人行儀だなあ。アリスで良いよ! うん、日本語も教えて……あ、教えてはないかな。趣味!」

 アリスさんは少しつっかえながらも綺麗な日本語で返してきた。理解も作文もできているようだ。と言うか日本語のレベルとしてはルーナさんやステフよりも上かも知れない。

「趣味ですか。あー、文学?」

「そう! あ、ちょっと待って……」

 アリスさんはそう言うと側に置いた紙を一枚手に取り、何か唱えたあと指でさっと書き記し俺に見せる。

「『定型に 心を込めて 五七五』どう?」

 そこには彼女が読み上げた通りの日本語が、なんと墨で書いてあった。

「ほう、俳句ですか、凄い! 季語はないけど」

「そうだよ! ……で季語ってなに?」

 彼女は再び自慢げに胸を反らした後、首を傾げて聞いてきた。ずいぶん見切り発車な会話が多いエルフだな。

「自分もそんなに詳しくはないのですが、俳句には季節を想起させる単語を入れる事になっているんです。それが季語。どの季節にはどの、というのが決まっているのでそれで俳句の背景を想像できるんですよ」

 恐らく彼女の日本語も俳句もクラマさんが教えた筈だが、最後まで全てという訳ではなさそうだった。しかし彼に関しては適当な仕事をして! と怒る気持ちにもなれない。いろいろ忙しかった人だし。

「ふーん、そうなんだ~。それは良いことを聞いたよ! メモメモ~」

 アリスさんは俺の説明を聞くと、再び座席から紙を拾い指で何かを書き始めた。

「そう言えばその紙は何です? 何の為に今日、ここに来たんですか?」 

エルフの女教師がお尻を突きだした格好で何か書いているので、俺はまた角度を変えながら聞く。

「ああ、明日の試合に招待してくれたでしょう? ありがとね! それで結構な数の生徒を引率して座らせる事になるから、今日の間に席の割り振りを書いて貼っておこうと」

 アリスさんは上機嫌に鼻歌を歌いお尻を振りながら前屈みになって、椅子の背に紙を貼り付け始める。なるほど、賢いな。

「そうか、明日も来られるんですね」

 ちょっとその賢さに便乗してみよう。俺はある事を思いついて彼女に訊ねた。

「うんうん」

「で、貴女は日本語が分かって文字も書ける、と」

「だからアリスで良いって! どうしたの?」

 こちらに突っ込みを入れるように振り返ったアリスさんは、俺の考え込む顔を見て再び首を傾げた。

「実は明日、俺も観客席で観戦する予定なんですよ」

「そうなんだ! じゃあ一緒に観られるね! どこに座る? 席を割り振ってあげるよ!」

 アリスさんは嬉しそうに飛び上がると、手元の座席表を睨んで検討を始める。

「貴女……アリスさんの隣でも良いですか?」

「えっ!? それってデートのもうしこみ? いやきいてはいたけどずいぶんてがはやいというかなんかその~」

 急にアリスさんは挙動不審になり言葉も不明瞭になる。だが俺は自分の思いつきに夢中であまりはっきり聞き取れず、考えを話し続けた。

「そこで、俺が出す指示の伝達役になって欲しいんです!」

「それにわたしかれしいるしれいちゃんのきみへの……何? 伝達役?」

「ええ。俺が話す内容をエルフ語に翻訳して、ボードに書いてベンチ方面へ見せて貰えれば」

 俺は彼女が脇に置いた紙を見ながら言う。さっきの俳句もどきが書かれたヤツだ。本来の指示のやり方であれば俺が日本語でメッセージを書き、ナリンさんに見て貰う予定だった。ただそれだと目視して確認できるのは試合中いそがしいコーチだけであり気づいて貰えない可能性がある。

 だがアリスさんの手を借りて俺の日本語をエルフ語に書き替えられたら……チェックするのはエルフの誰でも良くなるのだ!

「ああ、そんな事か。いいよ、代わりに日本語とかいろいろ教えてくれれば!」

 アリスさんは笑顔で頷き、片手を差し出す。ここでも即答か。先生としてはちょっと不安だが、ノリが良いのは助かる。

「それは全然オッケーですよ。宜しくお願いします」

 俺もつられて笑顔になり、彼女の手を握る。そうして互いに手を上下に振りながら、ふとアリスさんが怪訝な顔をした。

「それは良いけど……なんでそんな格好? 監督、クビになってバイトしてんの?」

 今更かよ! あと縁起が悪いことを言わないでくれ!

「これは、話せば長い事ですが……」

 俺は彼女に頼る事をやや不安になりながらも、説明を始めるのであった……。


第26章:完

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