第85話

 小屋の中はちょっとしたパニック状態てんてこ舞いだった。抱き締められ唇を奪われた俺、娘のキスシーンを見て固まる夫妻、俺の手元の原稿が気になるフープさん、昏倒したリストさんを介抱するナリンさんにそれを適当に手伝うステフ……といった具合で誰も外を気にしていなかった。

「やあ、どうも」

 リストさんの顔を何かで扇いでいたステフが軽く手を上げその老人に挨拶の声をかける。どんな状況にも動じないこの子の精神は非常にありがたいが、不幸な事に彼女の手には俺のとは別の原稿があった。

 タイガー&タイガーの主人公二人が、大開きのコマでくんずほぐれつしているシーンの原稿が。

「じゃ……邪神の信者どもじゃー!」

 それを見た老人が腰を抜かして後ろへ跳ね跳び、這うようにして小屋の外へ飛び出す。

「みなの衆ーっ! 邪教徒たちが恐ろしい儀式をしとるぞー!」

 止める間もなく、老人はそう叫びながら村の中へ駆け出して行く。

「失礼な! ウチの作品のどこが邪神やっちゅーねん」

「先生、それどころではないみたいですよ?」

 憤るフィーさんではあったがフープさんの指摘は正しいようだった。村の方で人々が次々と目覚め、何かを準備している気配があった。

「監督さんの方から事情を話して沈静化できまへんか?」

「えっ? いやそれはちょっと……」

「そやね。逃げるしかないやろね」

「この人数で!? しかも画材やら置いてく訳にはいかんで!?」

 フィーさんは青ざめた顔でそう叫ぶ。そうだ、部屋には大量の道具があるし昏倒したリストさんもいる。

「諦めや。命あっての物種やろ」

「でもここでこれらを失ったら連載完結は一年どころやなく延びてしまうで」

 フェルさんは何とかフィーさんを説得しようとするが、奥さんは頑なに首を縦に振らない。まあ気持ちはちょっと分からないでもない。

「仕方ないなー」

 混乱する部屋の中に、言葉とは裏腹に楽しそうなステフの声が響いた。

「アタシが時間を稼いでやるから、残りの皆で手分けしてあの抜け道まで全部運べ。あ、ショーキチだけは借りようかな?」

 そう言うとステフはナリンさんの旅装から弓矢を拾って俺に投げ、リストさんの腰から双剣を鞘ごと借りて外へ向かう。

「安心しな。『相方』には傷一つつけずに返すからよ」

 その言葉はレイさんに向けたものかリストさんに向けたものか分からなかったが、声には何の緊張も無かった。


 小屋の中に他の全員を残し、ステフは俺だけを伴って外へ出た。イリス村へ続く道からは、松明の群が迫ってきている。

「ショーキチ、弓だけ構えろ。まだ矢をつがえて張らなくて良いぞ。腕が疲れてぷるぷる震えると可愛いからな」

 ステフはそう助言しつつ笑ったが、俺の足の方は既に震えそうだった。松明の群は「武器を持った20名以上の人影」という明確な姿をとりつつあったからだ。

「あの子じゃ! アイツが邪神のイコン肖像さ掲げていただ!」

 先頭に立つさっきの老人がそう叫んで一同を連れてくる。背後の集団は怒りとも恐怖とも分からない表情で距離を詰めてきた。

「はい、そこまでー!」

 暴徒――と言っても良いだろうか?――が10m程度の距離まで来ると、ステフは手を上げて彼らに声をかけた。

「アタシらはお前等が考えているような怪しい集団じゃない。いや、怪しいって部分は否定できないか」

 そう言ってくっくと笑う。

「まあ取り敢えず、危害を加えるつもりは無い。武器を収めて帰ってくれれば、こっちも今日を限りで綺麗さっぱりこの小屋から去り、二度とこの村に近寄る事はない」

「嘘さつけ!」

 集団の半ばから反論の声と一枚の絵が上がった。

「これは前々から村さ周囲で発見されたしんぼるだべ! 邪教はずっと……この村を狙っていたんだべ!」

 薄暗くて分かり難いがその男性の手には、フランプ先生の絵が握られていた。フープさん……資料を落としてたな!?

「なんだよアイツ、管理の方はなってないな」

 同感だ。ステフはその言いながらがっくりと肩を落としたが、やれやれと首を振ると急に表情を変えた。

「ほう、そういう事ならなっ!」

 ステフは一瞬の動き炎と冷気を放つ剣を抜き放ち地面に刺した。続く動作でさっとマントを脱ぎ捨てたその両手には、いつの間にか投げナイフが3本づつ握られている。

「力ずくでも止めさせて貰おう。この小屋には近づけない」

 交渉決裂っぽい。俺は彼女の言葉に併せて弓に矢をセットした。なんとなくこんな感じだろう? という構えだが。

「相棒は弓の達人でな。一挙動で何本も矢を放つことができる。最大、何本だっけ?」

「3本」

 咄嗟の事なのでサンフレッチェ三本の矢広島しか脳裏に浮かばなかった。

「(そこは嘘でも5本以上、言っておけよ……)」

 ステフは非難する目で俺を見たが、すぐに群衆の方へ向いた。

「相棒は3人、アタシは両手のナイフで6人を殺れる。つまり一瞬で9人が物言わぬ死体になる訳だ。その間にお前等も距離を詰める事ができるかもしれないが、前列の奴らの死体が移動困難の地形になるから良くて20ft程度しか前進できないだろう。その間にアタシ等も矢弾を装填してもう9人餌食にする。お前等は半減してるな」

 ステフの言ってる事が俺にも全部は分からなかったが、脅しとして有効だったようだ。暴徒たちの気配が目に見えて萎む。

「その後は遠隔武器では機会攻撃を喰らうから接近戦だな。こちらのフレイムたん炎の剣アイスたん氷の剣の出番だな。おすすめは氷の剣の方だ。ひやっとして痛くない。炎の方は熱いし……火傷も残るぞ?」

 ステフはぞっとするような笑みを浮かべた。

「武勇伝武勇伝、デンデンデデンデン! にまた一つ加わるような戦いでも始めようか?」

 彼女は楽しそうに暴徒たちに語りかけた。そして誰から餌食にかけようかと悩む素振りを見せるが、俺は全然別の事で悩んでいた。

 いったいどうしてこんな事態になったんだ……? いやそれより暴徒が減ってないか?

「あれあれ? お前等、こんなに寂しかったっけ?」

 村人たちの先頭に立っていた例の老人が振り向きギョっとした表情を浮かべた。いや実際の所、ステフの最初の口上の頃からポロポロと何人か抜けつつあったのだ。

「なんだつまんねーの」

 ステフは両手の投げナイフをさっと仕舞うと、炎の剣を拾って集団に近付く。逃げ出す人数は一気に増えた。

「あー、それは置いて帰って!」

 ステフが声をかけるまでもなく、先ほど絵を掲げていた村人がそれを投げ出し逃げ去った。勘違いしたか、武器や松明を捨てて村へときびすを返す奴らもいる。

「良かったよかった。あ、そういやさあ」

 最後に残ったのはただ一人、最初に小屋で俺達を発見したお爺さんだった。ステフは地面に落ちた絵を拾い、裏返して向こう側に剣の炎をかざす。

「『裏返して透かして見るとデッサンの狂いが分かる』て本当なのかな? そもそもデッサンって何?」

 ステフとしては光源を紙に当てているだけだが、老人には威嚇に見えたのだろう。

「ひぃ!」

 という悲鳴を上げて最後の一人も駆け出した。

「あらら誰もいなくなった」

 その通りだった。人々が消え、小屋の付近には以前の暗闇と静寂が戻っていた。

 助かった……と大きくため息を吐く俺に、

「なあ、アタシって十分に『鹿島れた』か?」

 馬車の中で俺とナリンさんの会話を聞き齧っていたのだろう。ステフはやや自信無さ気に聞いてきた。

「ああ、十分すぎるほどに鹿島れたよ……」

 俺は弓矢を降ろして答える。小屋の中からレイさんが撤収完了の合図を送ってきた。

 うん、生涯で観た最高の時間稼ぎだったよ。


第五章:完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る