凍えるほどにあなたをください

増田朋美

凍えるほどにあなたをください

凍えるほどにあなたをください

今日は正月だ。スーパーマーケットの中では、お箏の音が鳴り響き、神社では、初詣の参拝客で、賑わっている。正月なので休業している店舗も多い中、水穂さんの世話だけは、誰かがしてやらなければならない。そんなわけで、杉ちゃんは、製鉄所に来訪して、水穂さんの世話をしているのだった。とりあえず、その日も、水穂さんに、いも切干と、おかゆのご飯をたべさせて、さて、今日も完食してよかったなあとか、そんなことを言っていると、製鉄所のインターフォンのない引き戸がガラガラっと開いて、今西由紀子がやってきた。

「あけましておめでとう。水穂さん。」

「ああ、由紀子さんね。今日は、一体どうしたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ。お正月だから、水穂さんの顔を見に来たんです。何だか、早くお話しできたらいいなって。其れで、今日は、いち早く水穂さんに会いにきました。」

と、由紀子は嬉しそうに言った。由紀子さんは、直ぐに、うれしそうな顔をする。なので、本当に会いに来てくれてうれしいという気持ちが、よくわかる人だった。

「そうなんだんね。幸い、ご飯も食べてくれたし、初日の滑り出しは好調だったよ。初めよければすべてよしっていうし、これでは、今年も大丈夫だろ。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうなのね。よかった。水穂さんが元気でいたら、私もうれしい。」

と、由紀子は、にこやかに言った。水穂さんは、一寸横になってよろしいですかと聞いたので、由紀子は急いで、水穂さんを、布団の上に横にならせてやった。

「まあ今日は、穏やかなお正月だねえ。のんびりしてて、これはいいや。蘭のうちは、刺青のお客さんがお年賀もって、ひっきりなしに来訪して、どんちゃん騒ぎになっているよ。まあ、そういう商売だから仕方ないわな。それに比べてこっちは、ゆっくりしたいい感じの正月だな。酒もいらないし、おせちもいらないし、そんなものなくたって、お正月は来るんだな。とにかく、今年は、のんびりと生きような。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。

「そうね。そもそも独り者の私は、何もお正月という実感もわかないけどね。」

由紀子は、杉ちゃんの顔を見て、そういうことを言った。

「ほんと、今年はお正月が来たという実感がわかないわ。ほんと、まだ昨年が続いているみたい。どうしちゃったのかしら。」

「まあ確かに、由紀子さんの言う通りかもしれないね。でもさ、一応、年単位でものを考えることができるということは、すごいことだと思うよ。」

杉ちゃんと由紀子はそういうことを言い合っていると、又玄関の引き戸がガラッと開いた。誰だろうと思ったら、

「こんにちは、右城君いますか?」

と、誰かと思ったら、浜島咲であった。と言っても、着物を着ていたので、本人とわかるのに一寸時間を要したが。

「あけましておめでとう。右城君。ああ、これの事なら気にしないで。これは、通信販売で勝手に手に入れたものよ。」

と、咲はにこやかに言った。

「そうだけど、はまじさん。其れよりも、そのお着物さ、寸法間違えてないか。一寸、お前さんのサイズでは、小さいような気がするんだけど?」

杉ちゃんが咲に言った。

「ええ。そうなのよね。さっき、近くの神社で御朱印もらったんだけど、着物を着たおばさんに、変な風に着るなと言って、怒られちゃったわ。それでは、着物も着たくなくなっちゃうわねえ。」

確かに、咲が言った通り、咲が着ている着物は、身丈が一寸短いような気がした。

「はまじさんさ、その着物、腰ひもをウエストの一番細いところでしめてるんじゃないか?」

杉ちゃんがいきなりそういう事を言った。

「ええ、本にはそう書いてあったから、その通りにしてるけどそれが何か?」

「だから、全部の着物がそうなるとは限らない。一寸身丈が短いというものは、腰骨の近くで締めるんだ。一寸苦しいようであれば布製の紐じゃなくて、ゴムベルトでやってみろ。其れであれば、ちょっとおは処理が得られるかもしれないよ。」

と、杉ちゃんが言った。杉ちゃん、着付けの事も詳しいのねと、由紀子は驚いてしまった。

「まあ、どっちにしろ、通販で売っているような着物は、全体的に小さいことが多いから、おは処理はあきらめるとか、裄は多少短くてもいいとか、そういうことを考えた方が良いかもしれないけどね。もし、それが嫌なら、僕が寸法直ししてあげてもいいけどね。」

「杉ちゃんしっかり宣伝しているのね。」

由紀子は、一寸、ため息をつく。

「それより、今日の本題を教えてよ。」

杉ちゃんはすぐに言った。

「ああ、そうだったわねえ。之なのよ。実はね、今日、百貨店に行って、そこに入っているリサイクル着物ショップで、5000円のハッピーバッグを買ったのよ。」

咲はそういうことを言った。

「へえ、今は、着物でも、福袋があるんですか?」

と、水穂さんが、そういうことを言った。

「ええ、リサイクル着物店では、結構福袋が、販売されているらしいわ。通信販売はちょっと苦手だけど、こういう店舗販売だったら、中にはいいものを売っているかもしれないかなと思ってね。買ってみたんですが。」

と、咲はそういう話を始めた。

「なるほど。何が入っているかわからんないというのがまた楽しみの、お楽しみバッグだね。」

杉ちゃんがそういうと、

「そうなんだけどね。その中に入ってた着物が、どういうものなのか分からなくなっちゃって。これは、お箏教室で仕事をするとき、使うことができるかどうか、教えてもらえないかしら。この着物なんだけど。」

と咲は鞄の中から、着物を一枚取り出した。それは、ピンクの単衣の着物と、モズグリーンの名古屋帯、そして、黄色の絞りのない帯揚げと、赤い帯締めが入っている。

「これ、いつ着れるものなのかしらね。お箏の教室には、使える着物なのかしら?」

咲は杉ちゃんに聞いた。

「えーと、そうだねえ。これは生地としては、紬の生地で、江戸時代までは、お百姓さんの野良着として使われた着物だ。だからお箏教室という場所にはふさわしくない。其れよりも、一寸気楽な食事会とかそういう時に使うといい。」

と、杉ちゃんが、その着物を触ってみて、そういうことを言った。

「じゃあ杉ちゃん、これは今の季節には着られるの?」

又咲が聞く。

「はい、着られないよ。裏が付いてないからね。裏がある袷の生地であれば冬には着られるが、この着物は単衣の生地なので、夏用だ。着るとしたら、そうだな、五月のお尻か、六月の頭くらいかな。其れに、この帯。確かに名古屋帯だけど、これも裏がない。なので、これも夏用。麻の帯だから、この帯は真夏用だ。絽とか、紗とかそういう時に、着用する。帯揚げとか、帯締めとか、そういうものはあまり季節を問わずにつけられるが、、、。まあ、いずれにしても、この着物と帯は、夏の暑く成ったときに、着用して行くものです。だから、今の季節には着られない。まあ、もうちょっと待ってから着てくださいね。」

と、杉ちゃんは解説した。

「それじゃあ、今の季節では着られないの?じゃあ、ずっと、しまいっぱなしにして、夏まで待てってこと?」

咲が言うと、

「まあ、そうなんだよ。でもいいじゃないか。着物というものは、音楽と一緒でさ。多少難が在っても着れるというのがいいところ。だから、今年も夏がやってきたら、しっかり着てみるといいよ。」

と、杉ちゃんは、にこやかに笑って言った。

「そうねえ。まあ、そういうところが、日本の文化ともいえるのかもしれないわ。そういうあまりはっきりしないところ。でも、季節感とか、そういうことはちゃんとしているわね。まあ、私はそう思うことにするわ。お稽古ごとには着られないっていうけど、それ以外の事に使えばいいんだもの。お稽古以外にも、着物を着れるようになってよかったわ。」

咲はそういっている。

「まあ季節感は間違っているけど、それでも使えないことはないということで、之にて一見楽着ね。それでは、今年の夏が来るまで、待とうかな。」

「よかったね。はまじさん。最近のやつは、そういうことを説明しても、直ぐに着られないんじゃいいやだなあというわけで、着ないで捨てちまうか、売りに出しちゃう奴が多いからな。」

と杉ちゃんがそういうことを言った。確かに最近は物は簡単に手に入るが、それで簡単に捨てることもできてしまう。それが難しい人もいるが。

「まあ、いくらハッピーバックの中身とはいえ、私は、うちに来てくれた着物だから、大事にすることにするわよ。今日は、杉ちゃんに、おしえてもらってよかった。やっぱり、着物をことは、知っている人に聞くのが一番いいわね。杉ちゃんがいてくれてよかったわ。」

咲は、にこやかに言って、はあとため息をついた。それを見た由紀子と水穂さんは、何だか一寸、こういう問題を持ち込まれてはいやだなあという顔をしている。

「ねえ杉ちゃん。詳しく教えてほしいんだけど、その、普通の着物と、紬っていう着物はどこが違うの?もし、二つ着物があって、どちらか紬なのか見分けなきゃならない場合、どうしたら、判断できるのかしら?一寸教えてくれる?」

「おお、いいよ。紬というのはな、まず初めに、絹だけど、普通の生糸みたいな光沢をもたないんだ。

ほら、羽二重なんか見ればわかるけどさ、ああいうのは、スワロフスキーみたいに、てかてか光っているじゃないか。でも、そういう光り方がないんだ。其れとあと、くず糸っていう、質の悪い絹糸で作ってあるから、そのくず糸特有の、太い節というものがある。其れが食い込んでいるように織られてる。これが、見分け方の決め手かな。あと、羽二重によくある、友禅とか、そういう複雑な技法がなく、単純な模様で染められている。まあ、最近の牛首紬なんかは、加賀友禅とコラボを組んで、染めている着物も多いので、友禅の技法をつかった着物も多いんだけどね。」

と、咲と杉ちゃんは、そういう話を始めた。杉ちゃんの着物の話を開始すると、非常に長くなることを、由紀子は知っている。由紀子が、まったくなんで、そういうことを話すんだろうと、思っていると、水穂さんも、もう疲れてしまったような、そんな顔をして、布団をかけなおそうとした。由紀子は急いで、掛け布団をかけなおしてやった。杉ちゃんと咲はまだ話をしている。

「それではな、紬の種類ってのはな、いろいろブランドがあって、ブランドごとに、順位が変わってくるということも、話しておこうな。大島紬、結城紬、塩沢紬なんかが有名なので聞いたことあると思うけどね。大島紬は、武士から農民まで浸透していた、珍しい紬だし、結城紬は、庶民の紬としては、最高峰。塩沢紬は、とっても軽くて柔らかいから着やすいよ。この三つの紬の順位は、」

「ふむふむ。ブランドだけでも、順位があるのね。それではどの紬が一番順位が高くて、どれが、一番低いのかしら?」

「二人とも、もうやめて!水穂さんも疲れてる!」

杉ちゃんと咲が、そういう話をしていると、由紀子は高い声で言って、それを止めた。と同時に、水穂さんが少しせき込んだので心配になってしまったのである。

「ほら、水穂さん、苦しい?ほら、しっかり、吐き出して。」

由紀子は、急いで水穂さんの背中をさすった。

「ああ、すまんすまん。水穂さん疲れちゃったよね。ごめんよごめんよ。僕、しゃべりすぎると、もう終わらないでしゃべっちゃう癖があるからな。悪い癖だ、すみませんね。」

と、杉ちゃんが、頭をかじって、そういうことを言った。

「あたしも失礼したわ。てっきり右城君の事、軽く見ちゃった。まあ、昔ほど、怖い病気ではないから、大丈夫よね。まあ、でも、着物の事は、よくわかったから、私もう帰るかな。ありがとうございました。」

咲は急いで、よいしょと立ち上がって、じゃあごめんあそばせと言って、そそくさと、部屋を出ていった。そういう風に、直ぐにさっさと立ち上がって逃げていけるのが、健康な人間のやれることである。「ほら、水穂さん、しっかり。苦しいでしょうけど、頑張って。」

由紀子は、天童先生のような、ハンドパワーが使えたら、いいのになと思いながら、水穂さんの背中をさすってやることを繰り返した。

「まあ、気にしないでくださいね。僕たちは、ただ着物の勉強をしていただけなんでだからね。着物の説明をすると、どうしても長くなっちまうんだよな。まあそれはしょうがないよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑って言うが、由紀子には、何だか水穂さんの事を軽んじているような、そういう事をしているような気がしてしまうのであった。

「どうして、杉ちゃんも浜島さんも、、、。」

と言いかけたが、杉ちゃんのほうは、明るく口笛をふいているので、杉ちゃんには通じないかと思って、由紀子はそれ以上言えなかった。其れと同時に、水穂さんが、ううと呻き声をあげて、やっと中身をはきだしてくれた。由紀子は急いで、水穂さんの口元に、タオルをあてがって、赤い液体を拭いてやった。

「ほら、薬。薬を飲んで休みましょう。」

と、由紀子は急いで、水穂さんに鎮血の薬を飲ませ、まだ苦しがっている水穂さんの背中をさすってやることを繰り返すのだった。杉ちゃんのほうは、さて、晩御飯をつくってくるか。と言って、台所へ車いすを、動かして行ってしまった。同時に、水穂さんの薬が効いて、やっと苦しがっているのをやめてくれた。そして、静かに眠ってくれて、由紀子はやっと、安心できたのであった。

それから、しばらくたって、道路を移動していた蘭は、バラ公園の中を通りかかると、公園の池の前に座って、由紀子が何か考えているのが見えた。

「由紀子さん。」

と、蘭は、彼女に聞いた。

「一体どうしたんですか。そんなところで、座り込んで考え事しているなんて。」

由紀子は、そういわれて後ろを振り向いた。

「私、なんだか、杉ちゃんたちというか、水穂さんにとっていらない存在なのかと思ってしまったんです。」

と、由紀子は、小さな声で蘭に言った。

「いらないなんて、そんなことありません。由紀子さんがいてくれるだけで、水穂は喜んでくれると思います。由紀子さんのように、無条件の愛情を示してくれている人物がいたというだけで、水穂は生きようという気持ちになってくれると思います。」

蘭は、にこやかに言った。

「ええ、そうなんですけど。今日、杉ちゃんや、浜島さんが話しているのを見て、私は、もう必要ないのかなあと思いました。水穂さんは、杉ちゃんたちと、楽しそうに話していたけど、なんだか疲れているみたいで、ずっと浜島さんたちの話を聞いているのもかわいそうな気がしてしまったんです。だって、彼は、ただでさえ、重い病気を抱えているのに。そして、聞かなきゃいけないって、人より一倍不安というか、負担のようなものを強いられているのに。」

「ええ、まあそうではあるんですけどね。」

蘭は、そういうことをいって、由紀子の話に相槌を打った。

「蘭さん、そういうことを言ってくれるんだったら、杉ちゃんたちも、何かしてくれませんか。何とかして、水穂さんをもっと大事にしてほしいと呼びかけてくださいよ。蘭さんは、お金だってあるんだし、権力のある家庭の出身なんでしょう。だったら、水穂さんをもっと大事にしてくれるように呼びかけることくらい、簡単ですよね。だから、それを使うことだって、できるんじゃないですか。あたしには絶対できないことを、蘭さんがしてくれることができるのなら。」

「由紀子さん。」

蘭は、そういう由紀子に、自分にもそれはできないということがどうしてもできなかった。

「蘭さんは、お金もあるし、経済力もあります。其れを使って、水穂さんを何とかしてくれることくらい、出来るのではないですか。そういことだって、できる人は、どんどんやってくれればいいじゃないですか。」

由紀子は、半分涙を流しながら、蘭に言った。

「私だって、水穂さんが抱えている事情だって知っています。それを商売にするために、水穂さんには生きてほしいと思っているわけじゃないんです。私は、水穂さんが好きだから。だから生きてほしいということとを、伝えたいんです。それだけの事です。本当にそれだけの事。私は、それだけの事を願っているだけなのに、水穂さんには、どうしても通じない。」

「わかりますよ。由紀子さん。其れはわかりますよ。でも、僕たちは、南京錠を破るということはどうしてもできないんですよ。それは、非常に難しいことだって、わかるじゃないですか。僕たちも、他人という人間にしかないんです。だから、水穂の深いところまで、カバーしてやることは、僕だって、したいですけど、、、。どうしてもできない!」

蘭は、由紀子の前でいつの間にか自分も涙をこぼして泣いていた。

「結局、他人がしてやれることは、それしかありません。僕も、由紀子さんも、直接水穂にかかわっているわけではありませんから。しいて言えば、凍えたら、すぐに駆け付けてやれるような、そういう関係ではありませんから。其れは、もう仕方ないんですよ。」

「でも、愛していれば、それはまた別のものになりますよね。」

由紀子は、蘭の言葉を聞いてそういうことを言った。

「別のもの?」

蘭が言うと、

「ええ。愛していれば、又変わると思います。女性というのは、そういうためにいるんだって、どこの文献にも書いてあるじゃありませんか。其れは、誰でもそうだと思います。私は、女性である以上、そういうことを信じています。」

と、由紀子は、まるでわかっているように言った。

「由紀子さん、いきなり抽象的なことを、なんで言うんですか。」

と、蘭は言うが、由紀子は何か決断を固めているようなところがあった。由紀子は、自分と同じ女性であることを、誇りというか、何か信じたいものがあった。其れは、ずっと、いつまでも続いていくことだろうと、由紀子は思った。






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凍えるほどにあなたをください 増田朋美 @masubuchi4996

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