第32話 父からの手紙
翌朝、リアーヌが目を覚ますとアロイスは既に着替えを済ませていた。朝も彼女が手伝わなければならなかったのに、寝坊をしてしまうとは失態だった。だって、抱き合って、夫が無事に生きている幸せに浸りながらの眠りは甘く深く、その温もりと心地良さにいつまでも包まれていたくなってしまうのだ。
「アロイス様──」
遅れて寝室から出たリアーヌを、アロイスは晴れやかな笑顔で迎えてくれた。頬の傷もふさがってきて、彼の表情を妨げることがなくなったのは喜ばしい。
「おはようございます、リアーヌ姫。急ぎの書簡が来たものですから、先に起きておりました」
確かにアロイスは、書簡を広げて顎に手をあてていた。とはいえ、ならば扉越しに彼に声を掛けた者がいるはずで、その声にも、彼が寝台から抜け出すのにもリアーヌが気付かなかった失態には変わりない。忸怩たる思いで、リアーヌはまだ結っていない髪をなびかせ、彼の傍に駆け寄った。
「急ぎの──では、ルメルシエでしょうか」
ロランはいまだシェルファレーズの王城の一角に幽閉されている。ルメルシエに引き渡すにしても、先方の了解が必要だろうし、護送にあたってはあちらから人手を送ってもらう必要があるかもしれない。万が一、王族を不当に拘束したと責められる可能性もないではないし。不安と緊張に眉を寄せたリアーヌに、でも、アロイスは笑顔のまま首を振った。
「いいえ。ガルディーユ王──父君からのものです」
「まあ、お父様が──私ではなく、アロイス様に……!?」
アロイスが示した書簡の中身を見れば、確かに見慣れたリアーヌの父の筆跡が並んでいる。義理の息子の機嫌を窺い、娘の様子を尋ね──そして、訪問の打診をしている。
「リアーヌ姫は、ベルトラン公爵の件で父君にご相談なさっていたでしょう。それで心配になったということのようです」
「ああ、父にも報告しなければならないところでした。……でも、ロラン様のことは詳しく書いた訳ではなかったのですけれど」
シェルファレーズがルメルシエに送った報告はごく内々のものだから、他所に漏れるとは思えない。漏らしてはならない醜聞でもある。そしてリアーヌは、ロランを代理にした以前の婚礼に問題はないのか、と尋ねただけ。国王たる父が、国を空けて性急に嫁いだ娘を訪ねる理由としては、弱いだろうに。
首を傾げるリアーヌの髪を、アロイスは微笑んで指先で梳いた。
「それだけ貴女のことを心配なさっているのでしょう。それに、ルメルシエの乱や──貴女の前のご夫君について、不審を抱いておられたのかも」
「そう、でしょうか……」
アロイスの言葉の、後半については頷ける。父は優れた為政者だから、ルメルシエの状況から何かしら読み取ることができたのかもしれない。だからこそ、ロランの名前だけでも不穏な気配を感じ取ったのかも。でも、だからといって世継ぎでもない、既に──何度も──嫁いだ娘のために国を空けるなどということがあるのだろうか。内心首を傾げながら、リアーヌはアロイスが広げる書簡を覗き込んだ。
「あの、どうなさいますか? 急なことですから、ご迷惑かと思うのですが──」
一国の王を迎えるとなると、準備も気遣いも並大抵のことではないだろう。書簡をすべて読み通しても、とにかく急いで、ということが伝わるばかりで父の目的は今ひとつ知れない。娘から断った方が、とリアーヌは匂わせてみたけれど、アロイスの笑顔は変わらなかった。
「義理の父上をお迎えするのに、迷惑なことなどありませんよ。今から調整すると、雪が降り始める季節になってしまうかもしれませんが。まあ、それはそれで風情があるというものでしょう」
「ああ……この国は冬が早いのですね……」
リアーヌの感覚からするとまだまだ夏なのだけど。山の高みに位置するシェルファレーズでは、確かに朝晩は寒いと感じることもある。昨晩も寝室には暖炉に火が入っていたものだ。ならばなおさら、父やその供の者たちに寒さや雪の不便さを味わわせなくても、と思うのだけど──
「それに、貴女は父君とお話なさった方が良い。……どうやら、お互いに話せていないことが多いようですから」
アロイスの優しい青い目に見下ろされて諭されて、リアーヌは目を瞬いた。父の訪れを歓迎しなかった理由に、気付かされたように思えたから。
リアーヌは、ずっと父を疑ってきた。かつての夫たちの死に関わっているのではないのかと。娘の幸せを願うのは上辺だけで、実は彼女を利用しようとしているだけではないのかと。恐らくそれは違うのだと、アロイスは丁寧に説明してくれたけど──父を恐れるような想いが、彼女の奥深くに巣食っていたのではないかと思う。でも、誤解ゆえに父を遠ざけるのは間違いだ。
(アロイス様からお聞きするだけではなくて……お父様から、きちんと何を考えていらっしゃるのか教えていただかないと。それに──)
「はい。そうですね……私は、父に謝らないといけません。その機会を与えていただけるなら、とても嬉しいですわ」
リアーヌは、父への手紙に偽りを書いて送ってしまった。これまでの結婚でも、父への疑念は実家への手紙の文章をよそよそしくさせていた。父の真意は実際に会って確かめるとして、少なくとも彼女の態度については謝罪しなければならないだろう。
神妙に述べたリアーヌの強張った頬に、アロイスは優しく口づけを落とした。青い目が、彼女の目の前で微笑んでいる。
「それだけでなく、
「まあ、アロイス様……!」
今朝は、アロイスの体調はだいぶ回復しているのだろうか。彼の唇は昨夜ほどの熱はないようだった。けれど、触れられたところは火が付いたように熱く感じられて、頬を抑えながら、リアーヌは小さく叫んだ。彼女の驚きも恥じらいも、アロイスは穏やかな笑顔で受け止めてくれる。
「笑って幸せだと言ってくだされば、父君も安心されるのではないでしょうか」
「ええ、きっと。……ありがとうございます」
思えば、父は最初から娘の幸せを望んでいてくれたのだ。リアーヌが信じようとしなかっただけで。それなら、アロイスと並んだ姿を見せるのは何よりの親孝行になるのかもしれない。夫が、父との関係まで気遣ってくれるのが嬉しくて──つい、リアーヌの腕は持ち上がり、アロイスを抱き締めてしまう。
(もう、朝食もまだなのに……)
朝のうちからはしたない真似をしてしまって、呆れられていないか心配で。恐る恐る、アロイスの顔を見上げる。でも、リアーヌの不安に反して、彼もそっと抱き締め返してくれた。
「朝食が済んだら、
「はい……はい!」
朝食が並べられない召使たちを見かねたオレリアが咳ばらいをするまで、リアーヌはアロイスと抱き合って甘い時間に浸っていた。
父への返信には、ガルディーユ王の来訪を歓迎するとのシェルファレーズ大公の意向に加えて、ロランがこの国で何をしたかの説明も書き添えた。恐らくは父にとっても予想外の情報だったのだろう、ガルディーユとシェルファレーズの間で慌ただしく書簡が行き交い、訪問の日程が決められた。
そして、アロイスが予想した通り、リアーヌの感覚ではかなり早い時期に初雪が降った。父を乗せた馬車は、雪がちらつく中、白くなった道に轍の跡を残しながらシェルファレーズの王城へと至る道を上ってきたのだった。
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