第11話 計画

 その夜、アロイスはリアーヌに沢山のことを教えてくれた。歓びのあまりに涙が流れることもあるということ。アロイスを受け入れたことは何度もあるのに、心が少しだけ近づいたというだけで、震えるほどの悦びを身体が覚えるということ。これまで声を堪えていた分を埋め合わせさせるかのように、唇を開かせようとするアロイスの、ほんの少しの意地悪さ。蕩けた声も顔も、さらけ出すのは恥ずかしいのに、彼の抱擁はすべてを包み込んでくれるようで。


 これほどの幸せがあることを、リアーヌはこれまで知らなかった。




 そして──しばらくの後、寝台の上には慎ましい静寂が降りていた。


「アロイス様──」


 夜はとうに更けたし、身体も心も疲れ切っていたけれど、リアーヌとアロイスはまだ眠りに就いていなかった。めくるめく快楽を分かち合ったあとの気怠さが心地よくて、夢の世界に去ってしまうのが惜しいのだ。

 指同士が絡まり合う温もりをこの上なく愛しく感じながら、リアーヌはふと呟いた。


「フェリクス様をお招きしてお茶の会をしたいですわ。今日のお礼をしたいですし。アデル様も──侍女なんかとしてではなくて、お客様として……」

「良い考えですね。フェリクスは……申し訳ないことに、どうもまだ割り切れていないようですが……」

「気にしていませんわ、私」


 フェリクスが彼女を見る時の鋭い目を思い出して、リアーヌはくすくすと笑った。渋い顔のアロイスの頬を撫でて、宥めながら。夫と身体を寄せ合って幸せな余韻に浸る一方で、彼女は他のことに気を取られている。


(フェリクス様なら、わ)


 一応は公妃であるリアーヌよりも、真っ先にアデルを気遣ったくらいだ。アロイスの想い人と知った上での招待なのだから、裏があるものだと疑って、フェリクスはリアーヌの一挙一動を見張っていてくれるに違いない。それなら、毒をやすいだろう。


(私は、アデル様に嫉妬して毒を使おうとして、誤って自分が飲んでしまうの。そんな愚かな死に方なら、お父様だってシェルファレーズを責めたりできない……!)


 アロイスに嫌われきっている訳ではなかったと分かったからか、リアーヌの心は穏やかで思考は済んでいた。怯えることもなく冷静に計画を練り、なすべきことを頭の中で整理することができている。それも、アロイスに対しては微笑んだままで。


(《黒の姫》と呼ばれた私が、最後に望外なご縁をいただけたわ……だから、良かったのよ)


 計画の目途が立ったから、だろうか。アロイスの腕の中に抱かれて脱力したリアーヌを、今度こそ心地良い眠気が誘う。毒のことも父の陰謀も死の恐怖も、今は忘れて眠ることができそうだった。




 茶会は、数日後に決まった。折よく晴れた日になりそうだったから、リアーヌは前日から庭園に席を並べさせ、花で飾った。婚礼の翌日に、アロイスとアデルの逢瀬を見てしまったあの庭だ。城の奥に位置するだけに人の行き来は少ないけれど、でも、皆無ということはない。屋内に席を設けるよりは、多くのを作れるだろう。大公兄弟と公妃と、シェルファレーズでも指折りの貴婦人が同席する場で騒ぎが起きたとなれば、野次馬も寄って来ることだろうし。


「リアーヌ様、お招きいただきありがとうございます! もうお加減はよろしいのでしょうか?」

「はい、フェリクス様に守っていただきましたから。ですから、ぜひともお礼をしなければと思いましたの」


 侍女として仕えてくれている時は地味な衣装のアデルも、今日は客人として太公夫妻の前に出るに相応しく着飾っている。野外の席ということで、髪は結わずに下ろした略装ではあるけれど、衣装の生地や仕立ての質は確かなものだ。そして、衣装が見事であるからこそ、それに負けないアデルの気品ある容姿と立ち居振る舞いが映える。やはりこの方は美しいと、リアーヌは心から目を細めた。

 フェリクスもアデルの姿に見蕩れているようで、リアーヌに顔を向けるまでに名残惜しげな間があった。


「──臣下としては当然のことです。格別のお心遣いをいただくことではありませんのに」

「まあ、そんな恩知らずなことはできませんわ。それに、最初にご挨拶したきりでろくにお話もできていませんで──だから、良い機会だと思いましたの」


 にこやかにお辞儀をしたリアーヌを、フェリクスは何か不気味なものを見るような目で眺めていた。性悪な女が見え透いた演技をしていると思ってくれているなら、良い。フェリクスが警戒するほど、リアーヌの計画が成功する可能性は高まるのだから。


「お茶は私がお淹れしますわね。アデル様がお好きだと仰ってくださった葉ですの」

「まあ、公妃様お手ずから、光栄ですわ。──大公殿下は、リアーヌ様のお茶は初めて?」

「淹れてもらう、ということではそうだな。だから今日の席があって良かったな」


 アデルと話す時のアロイスは、やはり口調も態度も砕けているようだった。ふたりの親しさを間近に見て、リアーヌはなぜか指先が冷えるのを感じた。心臓がどきどきとするのは──上手く毒を入れられるかどうか、緊張しているからだろう。指先が震えて手元が狂うようなことがあってはならないから、リアーヌは湯を満たしたポットに手を添えて温めようとした。


「例の賊ですが──捕らえた者を取り調べてはいますが、口を割りません」


 茶の香りが広がるうららかな庭で、殿方たちの話題は不釣り合いに剣呑なものだった。つまりは先日の襲撃について。その時に助けられたことへの御礼、ということでの招待だから、当然と言えばそうかもしれないけれど。


「そうか。尋問に耐えられること自体が只者ではないな……。逃がした者が他の村を襲ったという報告もないし」

「やはり公妃殿下を狙っていたのですかね。それか、アデルか……?」


 フェリクスの視線が、ちくりとリアーヌを刺した。お前の差し金ではないのか、との牽制なのがよく分かる。リアーヌはちょうど茶器ひとつずつに茶を注いでいるところだったから、こぼすのを恐れて目を上げることはできなかったけれど。茶と──それに、も。日焼けが怖いという口実で、リアーヌの今日の装いは長い袖の衣装だった。袖口を飾るレースに例の小瓶が隠すのも、こっそりと蓋を緩めるのも。練習を重ねてはいるけど、実行に移すとなると何が起きるか分からないから、怖い。


「あら、何の花かしら。良い香り……」

「茶葉自体にも香りがついているようですね。さすが、ガルディーユのものは優雅ですね」

「え、ええ……ロンゴリアの港から、海渡りの品を取り寄せましたの。花の季節に、相応しいでしょう……?」


 ほら、アデルとアロイスは不意に漂った芳香に気付いてしまった。毒の恐ろしさを隠すためなのか、瓶の中身は意外と強い、甘い香りを持っていたのだ。ほかにも花が咲く庭でのこと、茶葉も乾燥させた花弁を混ぜた香りの強いものを選んだけれど、不審に思われるだろうか。フェリクスは──唇を結んでリアーヌを凝視している。兄との会話に気を取られることなく、彼はちゃんとリアーヌを見ていてくれただろうか。気付いていないならいないで、彼女自身が筋書きを正すことはできるけれど。


(でも、フェリクス様から言っていただけた方が良いけれど……)


 視界の端にフェリクスの挙動を窺いながら、リアーヌは一同に順に茶器を配った。茶器のそれぞれに異なる花の模様を描いているから、どれに毒が入っているかを見誤ることは、決してない。


「アデル様。お待たせいたしました」

「ありがとうございます、リアーヌ様」


 アデルが微笑んで茶器に伸ばす──それを止めるべきか、いつまで待つか。数秒にも満たない間、リアーヌは真剣に悩んだ。でも、彼女が声を上げる前に、アデルの手は茶器に届く前に遮られた。フェリクスの手に、よって。


「待て、アデル。飲んではいけない」


(やった……!)


 腰を浮かせて険しい声を上げたフェリクスは、リアーヌの内心の快哉などもちろん知らずに彼女を睨んだ。


「茶会など怪しいと思って見ていたが──これにだけ、淹れていたな……!? アデルに一体何をする気だった!?」

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