第9話 実家から届いたもの
謎の集団による襲撃を逃れたリアーヌたちが王城に帰ると、門のところでアロイスが待ち構えていた。フェリクスが出した報せが、馬車を追い抜いて城に届いていたらしい。
「リアーヌ姫! ご無事でしたか!?」
「は、はい……とても、怖かったです……」
アロイスが腕を広げたのは抱き締めてくれようとしているのだと察して、リアーヌは慌てて隣にいた乳母のオレリアにしがみついた。アデルもすぐ傍にいるというのに、彼女を差し置いてアロイスの気遣いを受ける訳にはいかないのだから。
宙に浮く形になった手の行き場を、アロイスは一瞬悩んだようだった。アデルに向かったとしても、リアーヌは咎めるつもりはないのに。でも、結局、小さな溜息と共にアロイスはフェリクスに声をかけた。
「……この場では人目がある。報告は奥で聞こう」
リアーヌがアロイスの執務室に入るのは、これが初めてのことだった。これまではシェルファレーズの領内の視察に忙しくて、政務を手伝うどころではなかったから。あるいは、リアーヌは信用されていなかっただけかもしれないけれど。物珍しくて本棚や机上の書類をきょろきょろと見渡していると、アロイスは確認中だったらしい書類を裏返してしまったから。
「襲撃者は全て捕らえたか」
「いえ、残念ながら。馬術がやたらと巧みで──食い詰めた盗賊とも思えないのが厄介ですね」
「行方を追うのはもちろん、周辺の街や村にも注意を促さなければならないな」
真剣な面持ちでアロイスとフェリクスの兄弟が語るのを聞きながら、リアーヌはオレリアの柔らかな腕に
(訓練を受けた兵というなら、やはりガルディーユの……?)
フェリクスが報告したところによると、あの襲撃者たちは傾斜の険しい山中に潜んでリアーヌたちを襲う機会を窺っていたようだということだった。並みの技量なら馬に乗った体勢を保つのも難しい足場の悪さにも関わらず、シェルファレーズの兵にも気づかれずに姿を隠して行動することができるのは、確かに只者とは思えない。
「公妃の一行を狙った理由については吐かせられたか」
「それは、まだです。とはいえ、城内に内通者がいる可能性はないでしょう。公妃殿下が毎日のように遊び歩いていたのは誰もが知るところですから。警護された馬車に当たりをつければ追跡することも可能でしょう」
「リアーヌ姫は視察をされていたのだ。だが、誰もが狙うことができるというのはそうかもしれないな……」
フェリクスの青い目がリアーヌをちらりと見た。遊び歩く──夫を支えることもしないで呑気なものだ、と。言外の言葉が聞こえた気がして、リアーヌはオレリアの影で
「あ、あの、私のせいでアデル様が危険なことに……申し訳、ございませんでした」
「なぜアデルのことでリアーヌ姫が謝られますか。何も、お気に病まれることはございません」
フェリクスと同じく、アロイスが第一に案じているのはアデルのことだろうと思ったのに。アロイスとフェリクスは揃って同じ色の目を見開いた。彼女がこのように殊勝なことを口にするとは、ふたりとも考えていなかったのかもしれない。大公兄弟は怪訝そうに視線を交わし──フェリクスの方が先に気を取り直したのか、軽く肩を竦めて皮肉っぽく笑った。
「まあ、ガルディーユのお陰で、シェルファレーズには物が溢れると同時に人の出入りも多くなっておりますから。その中に不審な者が混ざっていたということなら、公妃殿下にも責任の一端はあるのかもしれませんが……」
「フェリクス、黙れ。リアーヌ姫には関りのないことだ」
「仰せのままに、兄上」
兄に叱られたフェリクスは、拗ねたようにそっぽを向いてしまった。でも、リアーヌにしてみれば関りのないこととは思えない。父が差し向けた刺客かも、などとは証拠もなしに言い立てることはできないし、フェリクスもそこまでは思い至っていないのかもしれないけれど。
(まだ……お伝えすることはできないわ……)
不用意な情報を与えて混乱させまいということなのか、父への手紙に書いたことを打ち明けて叱責されるのが怖いのか。自分でもどちらの想いが強いのか分からないまま、リアーヌは言葉を探して指先をあてどなく絡め合わせた。
「でも……あの、私が後をつけられてしまったかもしれないということですから……」
「それは、私の不手際です。貴女のせいではございませんし、二度とこのようなことがないように警備を見直しましょう。私こそ、恐ろしい思いをさせてしまって、お詫びを申し上げなければなりません」
アロイスから見れば、大変な時に訳の分からないことを言い立てる面倒な女でしかないだろうに。彼は辛抱強く、リアーヌに微笑みかけてくれた。あまつさえ肩を抱いてくれそうになったから、リアーヌは再びオレリアの後ろに逃げなければならなかったけれど。
またも宙に浮くことになった手を、アロイスは困ったように数秒眺めてから身体の脇に戻した。何かもの言いたげにアデルの方を見たようだったけど──彼女がどんな表情で愛する人に応じたのかは、リアーヌの立ち位置からは見えなかった。そっぽを向いたままのフェリクスといい、シェルファレーズの人々の間で、リアーヌはどうにも居場所がない。
アロイスも、リアーヌを持て余して、追い出すことに決めたのかもしれなかった。次に彼が笑顔を纏った時、視線で執務室の扉を示していたから。
「とにかく……今日はお疲れになったでしょう。部屋に戻ってお休みなさると良い。そうだ、ちょうど父君からの手紙が届いておりますから」
「お父様から……!?」
そして彼が告げたことは、確かにリアーヌに何もかもを放り出させる力があった。父の関与を疑う襲撃があった日に、父からの返信が届くなんて。
「で、では……申し訳ありませんが、失礼させていただきます。あの……今日お世話になった方たちや、犬や羊に何も悪いことがありませんように。問題がなければ、私の名前でお見舞いを差し上げたいですわ」
それだけを早口に述べると、リアーヌは慌ただしくアロイスの執務室を後にした。父の手紙を、一刻も早く確かめたかったのだ。
私室に戻ると、オレリアはリアーヌに良い香りの茶を淹れてくれた。この茶葉も輿入れに際して持ち込んだもので、シェルファレーズの侍女たちは珍しがるから皆に分け与えたりもしている。
「リアーヌ様、大公殿下にはもっと甘えられてもよろしいのに。乳母をいつまでも頼ってくださるのは、それは、嬉しいことなのですが」
「そうね……でも、恥ずかしいから」
慰めと労わりと、少しばかりの喜び──乳を分け与えた娘がいまだに甘えてくることへの、だろう──を絶妙に混ぜ合わせた微笑みのオレリアに、リアーヌは曖昧に相槌を打った。乳母の存在を頼もしく思うのは嘘ではないけど、先ほどはアロイスの手を拒むための盾にしてしまった部分の方が大きいから、かつ打ち明けることもできないから気まずいのだ。
「お早いお返事でしたこと。陛下も、リアーヌ様を心配なさっているのでしょう」
「ええ、ありがたいことだわ。──ええと、ひとりで読みたいから外してもらえるかしら」
「かしこまりました。どうぞ、ごゆっくり」
何も疑った風もなく、オレリアや召使たちが退出してからも、リアーヌはしばらく父からの書簡を机に置いて睨みつけるだけだった。誰も見ていないことは分かっていても、手を触れるのがどうにも怖いと思ってしまう。
(お父様は、どう思われたかしら……)
身の回りの出来事を進んで祖国に伝えていたのも、それに対する返信を受け取って喜んでいたのも、せいぜいが二番目の夫が亡くなるまでのことだった。夫の早すぎる死が二度も続いて、彼女自身も多少は大人になって知恵をつけて、さすがにおかしいと思うようになったから。彼女の手紙が、何か伝えてはいけないことを漏らしてしまっているのではないかと疑って、三度目の結婚をしていた間は手紙の間隔を空けたし、書く内容も当たり障りのないことにしたつもりだった。もしかしたら、婚家の人々も密かに彼女と祖国の間の通信を見張っていたかもしれない。──でも、それでも三番目の夫までも非業の死を遂げてしまった。リアーヌが彼の顔を見ることさえ叶わぬままに。内乱の只中だったとはいえ、護衛に囲まれていたはずのルメルシエのクロード王子に、どういう訳か凶刃が届いてしまったのだ。
「──っ」
とはいえ、手紙を読まずにいることは不可能だし、何より内容が気になってしかたないのだ。リアーヌは思い切って封蝋を破り、震える手で折りたたまれた手紙を広げた。異国に嫁いだ長い年月で、すっかり見慣れた父の手跡が、そこには綴られている。
──そなたが弱気を漏らすのは珍しく、困惑している。今度こそ幸せを掴んで欲しいと父は願って尽力したつもりだが、シェルファレーズ大公の身辺までには思いが及ばなかったことは申し訳ないと思う。とはいえそなたはまだまだ若く美しく、シェルファレーズにもたらす益も大きい。品位を失わず冷静に振る舞いなさい。そうすれば、必ずシェルファレーズ大公も心を動かすだろう。父からの口添えはかえって大公を頑なにさせかねない。酷かもしれぬが、もうしばらくは、そなたひとりで耐えることを望む。
「……これ、だけ……?」
父の手跡は、辛いときはオレリアに頼って云々と続いていた。それと、嫁ぎ先での振る舞いについて、そなたはよくよく承知しているだろうが、と添えながらの忠告めいた教訓を幾つか。新婚の娘が漏らした泣き言に対して親が返すものとして、ごく常識的な、模範的とさえいえる内容だった。そうであって欲しいと、リアーヌも望んでいたはずなのに──いざ、よく知る父の手跡がそのような内容を連ねているのを見ても、すぐに信じ切ることはできなかった。
(でも……では、今日のことはただの偶然なの? たまたま、私かアデル様を狙う者がほかにもいた? そんな人がいるの……!?)
父からの返事を受け取ってなお、こんなにも気が落ち着かないなんて。あまりにも出来過ぎたような偶然なのか──それとも、父は娘に全てを明かすつもりなどないのか。いっそ何か欺かれているような落ち着かない思いで、リアーヌは紙をめくった。すると、紙の間から小さな瓶が転がり落ちた。濃い琥珀色のガラスに、細やかな装飾が施されている。中にはとろりとした液体が入っているようだった。
「これは──」
ガラス瓶のひんやりとした感触を指先に感じながら、思わず呟きを漏らしながら。リアーヌは父の手紙の続きに目を走らせる。なぜだか分からないけれど、嫌な予感がしてならなかった。
──そなたの心が穏やかであることを切に願う。その一助となるように良い
「くす、り……!?」
瓶を放りだしそうになって、リアーヌは慌てて指を固く握りしめた。冷たかったガラスはすぐに体温で温まり、そして掌の中で燃えるように熱く感じられるようになる。
(憂いを忘れさせる……口にしてはいけない……)
どれほど目を凝らしても父の手跡には乱れなく、かつ具体的なことは記されてはいない。でも、幾つかの表現から、リアーヌは恐ろしい提案を読み取ってしまう。毒を用いて、彼女を悩ませる者を片付ければ良い、と。
「私……私は……っ!」
手紙と瓶を抱き締め、室内を見渡す。もちろんリアーヌのほかに手紙を読んだ者も、彼女の悲鳴を聞く者もいない。それでも、リアーヌは身体の震えを止めることはできなかった。
(やっぱり! やっぱりそうだったの……!)
父がこのようなことを言ってくるなら、かつての夫たちもきっと
「気付いては……いたわ……」
そうでなければ良いと、ずっと願っていたけれど。でも、動かぬ証拠を手中にしてしまっては目を瞑り続けることはできなかった。
椅子に座り込んで
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