第45話 日常

 学園創立以来、最悪ともいえる大事件が起きてから一週間。

 花音かのんたち事件の当事者は、学園側の配慮もあってか、以前と何ら変わらぬ平穏な生活を再び送ることができていた。

 実際は、生徒会長である宮澤みやざわ海斗かいとによるメディアに対する采配が見事だったからという裏事情もあるのだが、その真実を一般の生徒たちが知るわけもない為、一概に学園側が上手く調整したということになっている。

 どちらにしろ、生徒たちは一方的に巻き込まれた被害者であるため、事件の対応に関する詳細に興味などないというのが正直なところなのであろう。

 そして、本件の一番の功労者である花音も、他の生徒たちと同じように、いつもの教室のいつもの座席で、放課後の教室で一人、机上に置かれたノートの切れ端にペンを走らせつつ、友人の帰りを待ち続けていた。

「ねぇねぇ、聞いた? この前の事件の魔法使いの子、無事だったみたいだよ!」

 教室の前の戸を勢いよく開け放ったかと思えば、そのまま一直線に花音の座席まで駆け寄りながら、さらりとしたショートヘアと豊満な体形をした、いかにも気が強そうな女子生徒――三条さんじょうかおるは興奮した様子で、自らが知り得た情報を花音へと伝えようとする。

「うん、私もさっき志乃しの先生から教えてもらったから」

 花音はそれまで続けていた作業の手を止め、薫へと向き直る。

「あちゃあ……もう知ってたか。ま、当然って言ったら当然か。今日も志乃先生と系譜探ししてたもんね」

 薫は残念そうにリアクションを取って見せるが、それが心からのものでないことは、その声色から明らかであった。

 それは薫自身の性格によるものも要因として挙げられるが、やはり薫自身にとって主要な目的ではなかったことが一番の理由であろう。

 そうして二人が言葉を交わしているところへ、仲良しグループの最後のピースが、マイペースな足取りで開けっ放しになっていた教室の戸から訪れる。

「それだけじゃないみたいよ。この記事によると、その子――病院での療養が終わり次第、ウチの学園に編入するんだとか」

 小柄な体躯を覆い隠してしまいそうな程に、新聞を大きく広げながら、お団子頭を揺らし、補足的な情報を読み上げながら近づいてくる西野にしのまなみに、花音は思わず驚きの声を発する。

「えっ⁉ それってアカツキちゃんがウチの学校に来るってこと?」

「記事を読む限り、そういうことなんでしょうね。私もここに書いてること以外はわからないから何ともいえないけど。どう? 気になるなら読んでみる?」

 相変わらずの抑揚の薄い話し方と表情で、花音の席まで到達したまなみは、手にした新聞を手渡す。

 花音はそれを素直に受け取ると、まなみの開いていた頁を、食い入るように視線を走らせる。

 そこに書かれていたのは、直前にまなみが口にしたようなアカツキに対する行政の対応の他、襲撃事件の主犯であるイミトたちの処遇についてだった。

 アカツキに関しては、当人の幼さに加え、事件時に使用していた魔法の希少性と危険性の両方の観点から、信頼を置ける人物の下で保護しつつ、適切な使用を促すために教育を施すべきとの結論が出たらしく、心身の療養が完了次第、特待生として美晴ヶ丘みはるがおか学園に編入するとの旨が描かれていた。

 一方、イミトたちに関しては、現在裁判の準備が行われているが、犯した事件による影響の大きさや凶悪性から、有罪は免れないだろうとの見解が記されていた。

 また、執拗にイミトたちが訴えていた、社会からドロップアウトしてしまった人々に対する救済の措置についても、本事件の騒動からメディアで問題視され、人々の関心を呼んだことから、社会におけるセーフティネットの整備が議会で話し合われたりと、彼らの要望が受け入れられた結果となった。

 しかし、それらの記事を目にした花音の心境は複雑であった。

 社会がもっと、皆が住みよい構造へと変化してくことは好ましいことではある。

 ただ、その動きはもっと早く実現できたのではないだろうか。

 彼らが声を上げた時点で動き出すことができていたら、こんな哀しい事件は起こす必要もなかったのではないだろうか。

 何故なら、アカツキが、イミトが、彼らが求めていたものは――特別な権利ではなかったのだから。

 そうして花音が記事に没頭する中、薫は読む邪魔をしてはいけないと思ったのだろう、幾分声のボリュームを落としながら、まなみに対して話し掛ける。

「まなみも情報が早いね。ていうか、その新聞どうやって手に入れたのさ? 朝はそんなの持ってきてなかったじゃん」

 薫の指摘に、まなみは丸眼鏡を静かに持ち上げると、口元を緩めて、指でVサインを作って答える。

「けーちゃんから貰った」

「あー、納得。あの人いつも新聞読んでるもんね。それにしっかり新聞を束ねて資源ごみにリサイクルなんてキャラでもないし……って、そうじゃなくて!」

 そこまで口にしたところで、薫は思い出したように大声を上げ、花音の閲読を切り上げさせる。

「今日は久々に部活が休みだからさ、3人で一緒にスイーツ食べに行こうって思ってたんだ。というわけで、新聞は後々! 私が先に行って席取ってるからさ。だから花音もまなみも、なるべく早くお願いね!」

 有無を言わさぬ口振りで、薫は一方的にそうまくし立てると、自身も座席から鞄を手に取り、スポーツバッグを肩に掛け、疾風のように廊下へと飛び出していった。

「ちょっと、薫ってば……まったく。花音もなるべく早く来てよ。あんまり待たせると薫がかわいそうだからね」

 まなみは呆れた様子で肩をすくめるが、その顔は普段よりもどこか楽しそうであった。

「うん、わかった。今準備するね」

 花音も手にしていた新聞を畳むと、鞄の中へと仕舞い、席を立とうとする。

「――あっ!」

 瞬間、ふと机上に残ったノートの切れ端の存在を思い出すと、花音はそれを慌てて手に取り、これまた鞄へと詰め込もうとする。

 一歩間違えばクシャクシャになってしまいそうな、新聞と共に鞄に詰め込まれたノートの切れ端には、どこか見覚えのある少女たちが、降りしきる光の粒の中、楽しげな表情で手を取り合っている、スノードームのデザイン画が描かれていた。

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