第44話 幸福再起

おさ……どうして……俺は……」

 花音かのんの歌が終了した直後に訪れた、数秒の沈黙。

 その空気を打ち破ったのは、呆けた様子で涙をこぼし、その場に崩れ落ちたイミトの独り言にも似たつぶやきの声であった。

 当人すらも心の奥底に仕舞いこんで、忘れてしまっていた感情を、抑えることもなく噴出させたイミトからは、戦意は既に失われ、その様はさながら自責の念に囚われる少年のようにも見える。

 また、戦意を喪失させ呆けていたのは、イミトだけではない。

 現存する最強の魔法を扱う相手に対し、に全身全霊をかけて魔法を放っていた生徒会長――宮澤みやざわ海斗かいとも攻撃の手を止め、魔法を発する気配すらなく、その場に佇む。

 海斗と対峙していた若き魔法使い――アカツキもまた、胸の奥底より湧き上がってくる、喜びや楽しみといった感情に抗いきれず、争うことも忘れて、どこか満足そうな微笑みを浮かべ、その瞳を閉じた。

 魔法同士の衝突していた、爆心地ともいえるエリア以外でも、人々があらゆる行動を休止させる現象は、花音の声が聞き届けられる範囲全体に広がっており、襲撃者や学園の教師陣、遠方より様子を見ていた生徒たち、そしてホールの外から事態を見守っていた警察隊までもが、高揚感にも似た幸福感を覚え、呆け続ける。

 もちろん、その歌を最も近い距離で聞いていた自称天才魔法使い――東城字とうじょうじ比奈乃ひなのも、自信に満ち溢れていた自身の記憶が脳裏に呼び起こされ、寸前までの落ち込んでいた表情は見る影もない。

 そんな、まるで宇宙的な力でも働いたのではないかと思われるような、エリア全体を包み込んだ、幸福による制圧ともいえる、不可思議な現象。

 それが何者かが放った魔法によるものであるなどとは、誰一人疑うこともなく、漠然と白昼夢でも見ていたかのではないかという、感想を抱く程度であった。

 それは当事者である花音も例外ではない。

 歌の終わりと同時に訪れた、静かなる争いの終息に、花音は気配の変化こそ感じて顔を持ち上げ、周囲を見回すも、どうしてそのような事態に陥ったのか理解できず、首を傾げる。

 そんな中、一番に我に返り、自らの取るべき行動を思い出したのは、使命感に燃える警察隊のメンバーの一人であった。

「おい、今がチャンスだ! 犯人の捕縛を開始する!」

 突如として発せられた、まさに鶴の一声。

 それを受けて、警察隊のメンバー全員が息を吹き返したように、洗練された動きで駆け出し、一斉に玄関ホール内へと飛び込んでいく。

 一方襲撃者たちはというと、外部から飛び込んでくる男たちの姿こそ視認できてはいたが、抵抗する意思は復活していないらしく、瞬く間に捕縛、組み伏せられ、それまでの反発が夢であったかのように、あっという間に壊滅した。

 警察車両へと連行される犯人たち。

 その中にはイミトやコテツ、アカツキといった主要メンバーといえる顔ぶれがしっかりと確認でき、花音の目にも事件が終わりを迎えたのだとわかった。

 しかし、その胸中は決して晴れやかではない。

 それは、花音自身が一番に救いたかった人物の様子がおかしかったからに他ならない。

「――アカツキちゃんっ!」

 警察隊の一人に抱きかかえられながら、花音の眼前を通過していこうかというアカツキの肢体は、深い眠りについているかのように力なく垂れており、その顔も両目を閉じて息をしているのかどうかも怪しい程、顔色が悪い。

 それが、強力な魔法を自らの体力の限界を考えずに乱発したことによる過労及び昏睡状態であることは予想がついた。

 だが、だからといって声を掛けずにはいられるかというと、心情的にもそうはいかないもの。

 花音の呼びかけに対して、一切の反応を示さなかったことからも、アカツキの容態が決して軽いものではないのは明らかであったが、医師でも看護師でもない、ただの高校生である花音が、現在の彼女に対してできることは何もない。

 結果的に、花音は遠目に彼らの姿を見送った後、満足に安心することもできず、複雑な心境のまま、青々とした空を見上げ――そのまま意識を失ったのだった。

 幸い、花音自身は壁に寄り掛かっていた為、意識のないまま転倒し、頭を打つといった事態を回避することができた。

 結果的にではあるが、それらの要素が重なったこともあって、多数いる生徒の中で花音にのみ注意が向くといったことはなかった。

 それから数分後。

 花音の歌を聞き、すっかり呆けていた教師や生徒たちも、眠気が抜け去ったかのようにいつもの調子を取り戻し、学校の空気も賑わいでいく。

 その後の警察の発表においても、魔法の使い過ぎによって体力を消耗した犯人を、警察隊が長年の経験から一瞬の隙を突いて捕らえた為であると報じており、花音の歌声については、公的に語られることはなかった。

 ただ、魔法という観点においても、第三者による介入があったのではないかと考察する者もおらず、一番近くで聞いていた比奈乃ですらも、確信を抱けていなかったことから、不幸中の幸いか、本事件に関するマスコミの取材は、花音の元へ届くことはなく、すべて生徒会長の海斗の元へと集中するのだった。

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