第41話 希望の歌
眼前を
彼女らの前方では、刑事が連れてきた武装した警察部隊の面々が、防壁を作るように玄関ホールを見張っており、今すぐ危機に陥るといった恐れもない。
校舎脇のスペースということもあって、さすがにベンチなど身を休めることのできるものはなかったが、それでも校舎の外壁に寄り掛かって座ると、丁度ひさしが影で覆ってくれるため、思いのほか過ごしやすい。
さっきまで人質として捕まっていたのも、実は夢だったのではないかと思ってしまうほどの、長閑な風景に、花音の思考も、どこか高揚感のような浮ついた感覚を抱いてしまう。
ただ、花音がそのまま呆けた状態に陥らなかったのは、学園の敷地全体にまで広まっていた魔法を発動する際に生じる、名状しがたい不可思議な緊張感が、意識の端で思考を繋ぎ止めていたせいであった。
決して近くはないが、それでも確かに感じる、魔法と魔法とがぶつかり合う際に生じる、身を通じて心まで震わせようかという違和が、さざ波のように幾度も繰り返される。
そのせいか、花音の隣で壁に寄り掛かる満身創痍な少女――比奈乃も、時折身を震わせ、何かに怯えるように、そして悔しさを滲ませながら、どう表現していいかわからない感情を、耳を澄ませなければ聞き取れない程の小さな声を漏らしていた。
花音は、志乃から託されたということもあるが、それ以上に比奈乃の助けになることがあればとの思いから、彼女の口から紡がれる、弱弱しくも素直で悲痛な心情へと耳を傾けたのであった。
「……どうして、勝てないのよ。絶対、おかしいって……あんなの……だって、アタシの魔法、制御もしない全力だったのに……それが、アタシより年下で、どうしてあんなに違うのよ……もう、どうしたらいいのよ……」
苦悩、迷走、嫉妬、そして絶望。
それらの感情に突き動かされてか、比奈乃の声は次第に大きくなっていき、その両目には涙が浮かんでいた。
通常の比奈乃であったなら、花音という存在がすぐ側にいるという状況下にで、そんな顔を絶対に見せることはないはずである。
それでも比奈乃が本音を見せてしまったのは、花音に心を許したからという、心温まるような理由などでは決してなく、花音の存在を認知できないほどに、敗北というショックが彼女の心を疲弊させていた為であった。
遠くに聞こえる魔法による衝突音と閃光。
それらから比奈乃を守るために何ができるか、花音は一人考える。
気休めの言葉は意味をなさず、彼女の成長に繋がる技術を持ち合わせているわけでもない。
自分より年下の比奈乃にも、魔法の実力は遠く及ばないどころか、できることがあるのかも怪しいレベル。
それでも、何かできることがあるはずだと、花音は必死に頭を働かせ、過去の自分がされて嬉しかったこと、支えになったことを思い出そうとする。
そして自身の記憶を、より深いところまでさかのぼったところで、とある人物の言葉がふと、花音の脳裏に蘇ったのであった。
『――本当に困ったことがあった時は、この歌を歌うといいわ』
一体どこで聞いたのか、誰から聞いたのか、ハッキリと思い出すことはできなかったが、その言葉は花音の記憶の中に確実に存在しており、不思議とその歌い出しまで容易に思い浮かべることができた。
この歌を奏でてあげられたなら、喜んでくれるのではないだろうか。
喜んでくれるまではいかなくとも、一時的にではあってもこの辛さを和らげてあげることができるのではないか。
子供染みた考えかもしれないが、それを承知の上でも、花音は誰かにすがることもできずに悔いている比奈乃を救いたかった。
故に、花音はその歌を口ずさむ。
「こんなにも世界は美しいのに、人はどうして泣くのでしょう――」
花音の柔らかな歌声が、陽だまりで作ったカーテンをその場に覆いかけたように、周囲を温かく包み込む。
すると、それまで感じていた、魔法を発動する瞬間に生じる、気を張るような独特な空気感が一気に消え失せる。
それは、決して大きな歌声ではない。
にもかかわらず、花音の歌は周囲にいるあらゆる人の心の内へと染み込み、意識させることなく共存し、その人の最も近い場所で寄り添う。
「あなた……」
優しく頬を撫でるような歌声に、比奈乃の意識が現実へと引き戻され、その視線が花音へと向けられる。
ただ、花音の意識は既にそこにはなかった。
最初は、比奈乃の心を癒してあげられたならという、それだけの理由で始めたことであった。
そのはずなのに、花音が歌を紡げば紡ぐほど、その思いはより広く膨れ上がり、より多くの人を、この歌を耳にしたあらゆる人を救ってあげたいという思いへと昇華していたのだった。
そして、今も花音はその歌を奏で、人に幸せを与えるべく、聞いた記憶もまるでないはずの歌詞の続きを描き出していた。
「――どれだけつらい孤独に墜ちても、世界は寄り添ってくれるから、息を吸って、心広げて、少しだけ前を見て休もう――」
流行りの曲でも、往年の歌謡曲でもないにも関わらず、まるで自分の持ち歌であるかのように、記憶の中の楽曲をよどみなく滑らかに歌唱し続ける花音。
一見、ただ元気づける為に歌っているだけに映るその行為であるのだが、それを最も近い場所で聞いていた少女――比奈乃だけは、その違和感に気付いていた。
普段聞いている歌とは違う、心の奥から癒してくれるような、不思議な心地よさ。
それは毛色こそ違うが、まるで魔法を詠唱している時の感覚とどことなく似ていてこそばゆさに身じろいでしまいそうなほど。
ただ、比奈乃自身もそんな魔法など見たことも聞いたこともない為、確信を持つこともできず、かといって花音の歌を遮ってまで尋ねるといった真似をする気にもなれず、結局傍観するという形で、花音の歌の行く末を見守ることにしたのだった。
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