第37話 乱入者
当初懸念されていた、イミト達襲撃者による交渉の反故も行われることなく、人質となっていた生徒たちは、ぞろぞろと教師たちが構えている通路の方へと歩みを進めていく。
その表情は生徒それぞれであるが、共通しているのは窮地を脱することができたという安堵が如実に表れているという点であった。
ただ、そんな状況下の中、
本当であれば、すぐにでもペンダントを見せて、もう一度話がしたい――そんな思いがあった花音であるのだが、この場をかき乱して自分以外の生徒まで危険に巻き込むわけにもいかず、悔しさを静かにこらえる表情のまま、他の生徒たちと同様の人流に乗って、玄関ホールを後にするのだった。
そして粗方人流が終わった頃、再び緊迫した状況が始まろうかという時、その場の空気を破壊するような、非想定の事態が突如として飛び込んでくる。
そのイレギュラーともいえる出来事に、解放された生徒たちを受け入れ続けていた
「ちょっと、危ないわよ! こっちに戻りなさい!」
だが、火中の栗を拾うかのような行為であることは百も承知なのであろう、その小さな勇者は背後を振り返ることもなく、前だけを向いて呪文の詠唱を開始した。
「この地に宿る力を糧に、我が腕にてその業を振るわん――現世に出でて彼の者を貫け――
人の流れを逆走しながらホールの中央へと飛び出してきた存在。
それは、あどけなさの残るようで、自信に溢れた強気な顔をした少女――
比奈乃は、名乗り口上もすることなく、これがアイサツとばかりに無数の魔法の弾を放ち、アカツキを狙って攻撃を仕掛ける。
「アカツキっ!」
何者かが近づいてくるという音が聞こえている時点で、おおよその見当はつけていたらしく、イミトはアカツキの名を呼んだ。
すると、まるで示し合わせたかのような絶妙なタイミングで、アカツキも事前に行っていたのであろう、呪文の詠唱を終え、迎撃の魔法を見舞う。
「――悪鬼を裁け、光の刃よ」
詠唱の完了と共に、瞬時に宙に浮かび出た、数多もの光の刃。
それは迎撃と呼ぶには、誰の目にも過剰な戦力であり、実際比奈乃の放った光弾を触れた瞬間からかき消していく。
だが、比奈乃はそれでひるむことなく、アカツキに向けてビシッと指をさすと、怒りを含んだ口調で自らの意思を述べる。
「ふん、中々やるじゃない。でも、この学園の魔法使いは、
突然の比奈乃による宣言に、一瞬ではあるが静まり返るホール内。
それは決して意図が汲み取れないからなどという理由からではなく、イミトやコテツといった襲撃者側にとって、何の意味もなさない戯言に等しいからであった。
その思考はアカツキも同じらしく、比奈乃からの次の句がないと悟るなり、留めていた光の刃を一斉に、無言で稼働させる。
「きゃっ!」
軍の部隊が斉射でも行っているかのような、アカツキの集中的、壮絶な魔法。
それを比奈乃は、防衛本能からくるものであろうか、寸前のところで魔法の障壁を展開して、軽減を図る。
しかしながら、アカツキの法外的な魔法の威力を相殺するには至らず、比奈乃の身体は、大きく吹き飛んでいった。
「東条字さんっ!」
自らの学園の生徒の身に起きた驚愕の展開に、志乃の叫びが矢のように放たれる。
その声に共鳴するように、付近に居た生徒たちから悲鳴が上がり、現場は軽いパニックともいえる事態に陥り、混沌とした空気が漂い始める。
にもかかわらず、それ以上に悪い方へと事が進まなかったのは、吹き飛ばされた当事者――比奈乃が再び立ち上がることができた為であった。
「……素人にしては、やるじゃない。でも、魔法には技術が必要なの。どんなに強い魔法を唱えられようと、使いこなせなかったら二流よ」
比奈乃の口調は相変わらず強気なものだったが、その身体は決して万全といえるような状態ではなかった。
小刻みに震える脚や、気張った表情、発する言葉の端に生じる不自然な間に、腕を抱えたままの姿勢。
そのせいか、全身の随所にみられる擦り傷の赤い跡すらも、痛々しく見えてくる。
それでも比奈乃は闘う姿勢を崩すことなく、次なる呪文を唱えようと呼吸を整え始めた。
瞬間、光の刃が比奈乃の身体へと直撃し、小さな少女の肢体は魔法の勢いそのままに、再び吹き飛ばされた。
「……ど、どうして……呪文の詠唱はなかったはず……なのに……」
わずかに上体を起こしながら、苦しそうに疑問を口にする比奈乃。
その答えを告げたのは、当人のアカツキではなく、意外にもイミトであった。
「お前も魔法を使える者ならわかってるはずだ。魔法と詠唱の回数は必ずしも同じではない」
イミトの言葉に、それを聞いていた志乃の表情が強張る。
一方の比奈乃もイミトの伝えようとしている事の意味を知り、絞り出すように言葉を発する。
「もしかして……でも、あの威力を?」
「その通り。アカツキの魔法は伝説の系譜だからな。一度の詠唱で、高威力の魔法を何度も繰り出すことが可能なんだよ」
まるで自分のことのように、勝ち誇った笑みを浮かべ、嬉々として饒舌に言葉を紡ぐイミト。
その横では、意識を集中しているのか、それとも感情を圧し潰しているのか、アカツキは相変わらずの表情を貫いていた。
そんな誰の目にも絶望的な状況では、並大抵の者では心も折れ、再起すらままならないものである。
しかし、比奈乃は違った。
それは彼女の性格によるものなのか、強い意志によるものなのか、判別こそできないものの、現に比奈乃はその場に居直り、立ち向かう姿勢を見せる。
瞬間、比奈乃の周囲の空気が変化した。
魔法を放つ際に放たれる、独特の空気感とはまた違った、フィールドというよりも詠唱者当人から発せられるオーラのような、神秘的かつ威光的な気配。
そのあまりにも唐突な状況の変異に、その場に居る誰もが息を呑む。
「……認めない」
比奈乃の口から漏れた、短い意思。
その後、比奈乃は自ら補強するように、更に言葉を、思いを、感情を続ける。
「アタシは認めない! ここで、こんなヤツに負けるなんてありえない! だってアタシは、世界一の魔法使いになるんだからっ!」
目を見開き、手を突き出し、少女はその鬼気迫る形相で自分よりも幼くありながらも才を有する存在を睨んだまま、再度呪文の詠唱を開始した。
「この地に宿る力を糧に、我が腕にてその業を振るわん、水火木金土天光陰、全世全界、一撃の必殺を約束されし、黄金の光よ――」
これまでに比奈乃が使用してきた、どの呪文よりも長く、速く、淀みない詠唱が、音として奏でられていく。
その行動に一番の驚きを覚えていたのは、彼女の姿を近くで目にし、指導してきた志乃であった。
「東条字さん、いつの間にあんな……それも、高速詠唱だなんて……」
強力な効果を持つ魔法を唱えるには、相応の体力と呪文の長さが必要――それは、この世界の常識であるが、実用的とは言い難いものである。
伝説の魔法使いが使っていたような、元より詠唱文字数の多い魔法であるのなら別ではあるが、そうでない魔法使いが実戦にてそれを行おうとするなら、方法は限られる。
一つは、無詠唱にて魔法を発動すること。
そしてもう一つは、呪文を高速で読み上げることである。
高速詠唱は、単純かつ確実な方法であるが、途中で噛んでしまったり息継ぎの間を間違うと不発に終わるなどといった、技術的に見ても高度な手法であり、故に魔法使いでも使用する者も多くはいない。
だからこそ、比奈乃が高速詠唱で魔法を発動させようとしたことに、志乃は驚き、身を乗り出したのだった。
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