第36話 交渉の余地
「あの輩が言っていることは本当なのかね、
直前に放たれた魔法の一撃を、間一髪のタイミングで回避できた教師たちの集団の中で、学園長は相変わらずの動揺した様子で、魔法科の教師である
対する志乃は、慌てて距離を取った為であろう、今にもずれ落ちてしまいそうな程に大きく傾いた黒ぶちの眼鏡を、慌てて掛け直しながら、なおも驚愕の表情を浮かべてホールの方角を見据えながら、独り言をつぶやくかのように答える。
「あの呪文が本物かどうかについては、私も原文を暗記しているわけではないので断定はできませんが……あの複雑な呪文の羅列と魔法の威力から考えても、間違いではないと思います。でも、だとしたらどうやって会得したのか……」
「志乃君、昔あった、魔法博物館の襲撃事件とかは……」
「あれは窃盗目的の事件で、もう犯人が捕まってるじゃないですか。もし学園長の言う通りだとしたら、その現場に子供を連れて行って、系譜を得た上で今まで潜伏していたことになるじゃないですか!」
「そ、そうか……」
「そんなことより、この状況をどうにかしないとですよ。警察はまだ到着しないみたいですし、何より人質となっている生徒の数が多すぎて、手の出しようが――」
どうにか打開策を見出そうとする教師陣であったが、その後も妙案といえるようなものは出てくることもなく、ただただ時間ばかりが過ぎ去っていく。
そして、ついにヒステリックな言葉すら出なくなってしまった頃、とある人物が静まり返った教師たちの間を、ゆっくりと、迷いない足取りで進んでいった。
もちろん、教師たちがその存在に気付かないはずもない。
彼の目的が何なのか理解できない志乃は、強引にその人物を呼び止め、尋ねた。
「ちょっと
志乃の言葉に、生徒会長――宮澤
「彼らと交渉をしてこようと思います。さすがに僕が人質となるのなら、向こうも無下に断らないでしょうし――」
「宮澤君⁉ 貴方、本気で言っているの⁉ 学園きっての魔法の才を持つ貴方が人質になるなんて、もしもの事があったら――」
「――だからですよ。恐らく、僕でなければ人質となった生徒たち全員を救い出すには足りない……」
「だとしても、もう少し様子を見てからでも……」
執拗に海斗の行動を引き留めようとする志乃の姿に、海斗はすべてを察しているかのように、穏やかな顔をしたまま首を横に振る。
そして、この状況にそぐわない爽やかな笑みを浮かべて、決意の硬さを示した。
「大丈夫です。それに、もう決めたことですから」
「宮澤君……」
それ以上志乃の言葉に反応することなく、海斗は一人、まっすぐ玄関ホールへと向かい歩いていく。
他方、多数の人質を抱えながら、自らの持つ魔法の兵器的威力を誇示したにも関わらず、堂々たる足取りで近づいてくる人影に、イミト等の注意が集まるのは自然なことでもあった。
「――その顔、世間を騒がせる天才魔法使いさんのようだが、一体何の用だ?」
一触即発の危うい空気感が漂っていた玄関ホールであったが、意外にもイミトの海斗に対する反応は、至って理性的であった。
というのも、それは海斗の知名度に起因する特殊な事態だからであり、これが一般の生徒であったり別の人間であったりしたなら、別の結果になっていたのは間違いない。
そんな、千載一遇と呼んでも差し支えない、貴重な機会に、海斗は足を止めると、真っ直ぐに首謀者であるイミトを見据え、臆することなく、ホール全体に響き渡るような大声で、交渉を始めた。
「人質の交換を行いたい。この僕――宮澤海斗が人質となる。だから現在捕まえている人質たちを解放してほしい」
海斗の申し出に、一瞬ではあるがホール内にざわめきが起こる。
その最中、人質を見張っていたメンバーの一人、コテツはイミトに決断を尋ねる。
「どうする? 無策での提案とは思えないが……」
猜疑心を抱きながら、海斗を見やるコテツであったが、それをイミトは首を横に振り、受け入れの姿勢を見せる。
「いや、大丈夫だ。最高のカードを受け取らない選択はない。それに、あの野郎に何かされたとしても、最悪すべてを消してしまえばいいんだからな」
イミトはコテツへそう伝えると、改めてイミトやその向こうにいるであろう教師陣にも聞こえるよう、わずかに声量を上げて、告げた。
「いいだろう、その要求は受けてやる。ただ、回答の期限は今のままだ」
「わかった。それじゃあ、早速人質の解放を――」
「……やってやれ」
イミトの指示により、人質となっていた生徒たちが少しずつではあるが解放されていく。
一方、海斗はそれらの列とすれ違う様にイミトの元へと足を進めていく。
無言で行われる、人質の交換。
足音だけが響く玄関ホールには、異様な緊張感があふれ、入れ替わりが完全に終了するまで、その場にいる誰一人、口を開くことはなかった。
その後、海斗は後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされた状態で、人質として数人の見張りに囲まれるのだった。
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