第32話 幕間2
夜も更け、道行く人々も自らの住まいに帰り、街も眠りに入るであろう頃合い。
住宅街の末端に位置する、点在している外灯からも見放された、真っ暗闇の広がる地域。
その中でも比較的大き目な造りをしている、二階建ての空き家の、そのリビングであった場所では、幾つもの人影が、部屋の中心にあるテーブルを囲むように、集まっていた。
テーブルといっても、前の持ち主が残していったものらしく、卓上に乗せられたロウソクの火が、埃を被っていた跡をうっすらと照らし、また、狭い室内に集まっている面々の姿を、何とか確認できる程度に映し出していた。
布を被ったソファの上には、厚手の外套にブーツ姿の似た装いの女性が二名。
それとテーブルを挟んで向かい合う位置にある、適当に段ボール等を積み、並べただけの、即席の椅子には、アカツキが腰を下ろしている。
部屋の入口付近のがらんとした空間には、十代後半から二十代と思われる若い男が数名と、ドアの前には相変わらずの肉体で壁を作るように、コテツが腕を組みながら立っていた。
そして、外部からの視線も気になる窓際においては、ロウソクの明かりが外へ漏れ出ないよう張られた、厚いカーテンの前では、これらの面子を統率する組織の首領――イミトがその時をじっと待ち続ける。
その場にいる皆が、同じように、顔をうつむけ、不安と緊張とが入り混じったような表情で、一言も発することなく、まるで生贄の時を待つかのような、異様な静けさが場を支配していく。
無論、普段は明朗で奔放な顔を見せているアカツキであっても、今回においては例外ではない。
時間でも止まっているかのような、息苦しささえ覚える、重く、埃っぽく、ほのかに火の臭いが温度を伴って鼻につく空間。
そんな中で、ロウソクの火だけが時間が止まっていないことを証明するかのように、時折小さな灯火を揺らしながら、その芯を溶かし続けていた。
「――そろそろか。思ったより集まったな」
不意に口走ったイミトの言葉を合図に、止まった時間が動き出すように、一同が顔を上げる。
ただ、その表情はどれも決して穏健とはいえず、皆が何かしらの事情を抱えているかのように、険しく、真剣な面持ちで次のイミトの言葉を待った。
「今日集まってもらったのは他でもない。以前より計画していた作戦を、明日実行する上で、必要な情報を共有する為だ」
「……本当に、やるのか?」
イミトの言い放った会合の表題に対して、集まった面々を代表するように口を開いたのは、部屋の対極ともいえる場所に一度っていた大男――コテツであった。
コテツの声に、イミトは一度目を閉じ、再度考えを巡らせるが、すぐにまた目を開くと、重々しく肯定の言葉を返す。
「あぁ……もう、時間切れだ。この前の件、皆も知ってるだろう? 未来ある同士が命を絶った、忌々しい出来事を――」
神妙な雰囲気が漂っていたリビングの空気が、瞬時に凍り付く。
それは、同じ組織に属する仲間が、社会の不条理に圧殺されてしまった事実を想起したことに他ならない。
そんな心情を察した上で、イミトは改めてこれからの動向に対する正当性を主張していく。
「警察による一斉摘発などというものがなければ、彼らはその選択をすることはなかった。いや、そもそも摘発というものが適正に行われていれば、何も問題はなかったはずだ。国家権力の言葉に従い、保護され、消えていった仲間たちのことを覚えているだろう? 結局、誰一人戻ってはこなかった。新天地で頑張っているという噂すら聞かない……当然だ。消されたんだ、社会に不都合な異物として。だから逃げるしかなかった。でも、逃げ切れなかった……生きていれば、一緒に、アカツキの買ってきたケーキを食べていただろうに……」
イミトの必死に感情を押し殺しながら伝えようとする姿に、アカツキも仲間の死を思い出して顔をしかめ、膝の上においた拳を震わせる。
「……アカツキちゃん、仲よかったものね」
ソファに座っていた女性の一人が、慰めるように、優しくアカツキに声を掛ける。
その一言に、アカツキは両目を潤ませ、今にも涙腺が決壊してしまいそうな状態にまで追い詰められるが、それをギリギリのラインでこらえられたのは、彼女の心の内に、ある決意があったからでもあった。
そんなアカツキの様態を知ってか知らずか、イミトは話を主題へと戻す。
「――とにかく、だ。このままでは、いずれ俺たちも潰されてしまう。だったら、もう行動に起こす以外、道はない!」
高々に、力強く、怒りをそのままぶつけるように、イミトは自らの、心の底からの思いを言い放つ。
その心からの叫びに、一番に応えたのもコテツであった。
「俺たちは仲間だ。何があろうと、お前についていくぜ」
「コテツ……感謝する。他のみんなも、こうして集まっている時点で気持ちは同じなんだろうが、一応、最後の確認をさせてもらいたい」
そこまで口にすると、イミトは再度、室内を見回し、ロウソクの明かりにぼんやりと映し出される同士の顔を一人一人した上で、改めて息を吐いた。
「明日の襲撃は、大変に危険なものだ。命の保証はない。恐らく、十中八九、死ぬことになるだろう」
まるで呪文を唱えるように、イミトは強引に落ち着けた声で、抑揚を抑えつつ、言葉を連ねる。
その様子を、皆はどこか穏やかな、それでいて程よい緊張感を保っている、そんな表情で見守っていた。
命を落とすとの文言が放たれたにも関わらず、そのような顔をしていられたのは、彼ら自身の中に、揺るぎない覚悟があったからに違いないであろう。
そんな彼らにとって、次にイミトが口にする言葉は容易に想像がついたし、無粋ともいえるものであることもわかりきっていた。
それでも、イミトの言葉を受け入れ続けるのは、彼の持つ優しさを無下にしたくないという感情を、皆が共通して持っていたからなのかもしれない。
そして、イミト自身も、漂う雰囲気から思いを感じ取りながらも、最後まで言の葉を連ねる。
「――無理強いはしない。怖いと思ったら抜けてくれて構わない。だが俺は、コテツとアカツキと、たとえ3人になったとしても、計画は実行するつもりだ」
そう口にするなり、イミトは今にも溶け入りそうな宵闇の中、アカツキの隣まで歩みを進め、目線が同じ高さになるよう、身体を屈めた。
「ごめんな、アカツキ。俺たちのワガママのせいで……本当なら、俺かコテツがその役割を負えたらよかったんだけどな……」
互いの吐息すらも感じられそうな、近しい距離。
そこで伝えられた、愛という言葉をそのまま声にしたような、イミトの想いが満ちた温かな言葉に、アカツキは首を何度も横に振って答える。
「ううん、私にしかできないこと――なんだよね。だったら、私やるよ。だって、みんなが居たから、私は今日まで生きてこれたんだし。恩返しだと思えば、私、怖くないよ」
死地へ赴くと言うのに、悲壮感を一切感じさず、そればかりか感謝の気持ちを表したアカツキの言葉に、イミトは言葉に詰まる。
また、その言葉に感化されたのか、話しかけるタイミングが偶然揃ってしまったのか、それまで清聴していた仲間たちも、堰を切ったかのように胸中の想いを吐露し始める。
「大丈夫、アカツキちゃん一人につらい思いはさせないから」
「そうそう。私たちの居場所はここだけなんだから。早いか遅いかの違いよ」
「拾ってもらった命だ。俺たちの犠牲で他の連中が助かる可能性があるなら、やらない選択肢はないだろ?」
「俺達でも、誰かの為にできることがあるって、教えてくれたからな。断る理由がねぇよ」
無謀としか呼べない、欠陥だらけの作戦。
にも関わらず、皆は一切のためらいもなしに、賛同の言葉を放ってくれている。
その事実に、イミトの胸の内は、感謝の思いで溢れ、耐えきれず唇を微かに震わせる。
それでも、組織をまとめる長としての責務からか、イミトは私情を突き破るようにすっくと立ち上がり、そして――言った。
「皆、ありがとう。明日は当初の予定通り計画を実行する。残りの時間、皆、悔いが残らないように過ごしてくれ」
誰からともなく発せられた拍手の音が、室内を温かく包み込む。
皆の拍手に優しく抱き留められながら、イミトはそっと目を閉じ、明日の計画について思いを巡らせるのだった。
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