第31話 公園

「色々あったけど……でも、楽しかったなぁ」

 まだ若干ヒリヒリとしている額を軽く撫でながら、花音かのんは寮まで続く通学路を、感慨に浸りながら歩いていた。

 全身に広がる疲労感は、間違いなく球技大会によるもの。

 通常であったら、慣れない運動によって、花音の身体はクタクタに疲れ果て、余計なことを考えるだけの余裕もないところであるのだが、そうならなかったのは、不本意とはいえ保健室のベッドで休息を取ることができたからであろう。

 ただ、花音当人にそんな意識はまるでなく、ただ年相応の少女としての、刹那的かつ情動的な思いに心を委ね、青春という日々の一頁を、じっくりと味わっているだけであり、その足取りも心なしか弾んでいるようであった。

 というのも、普段と比べて、現在歩んでいる住宅街の道路に人の気がほとんどないからに他ならない。

 いつもの帰宅時間は、午後の授業や、時には教師の志乃しのと魔法書庫にて居残っての作業がある為、昼間の比較的遅い時間帯になることが多いのだが、今日に限っては、球技大会が行われていたこともあって、帰宅のタイミングが通常よりも大分早くなっているのである。

 そのため、平素であればすれ違うであろう人々との邂逅を、偶然ながら回避できているのであった。

 とはいえ、棚から牡丹餅がごとく、不意に湧いて出た余剰の時間を手にすると、花音の心にも寄り道という選択肢が、自然と生まれてくるもの。

 特段目的もないものの、何かしらの刺激を求めて、浮足立った花音の軌跡は、ひらひらと舞うように、手近な公園の中へと向かっていくのだった。

「――あれ? あそこに居るのって……」

 何気なしに回した花音の視線は、子供の姿もなければ、人目を惹くような大きな遊具もない、ほぼ広場といって差し支えのないような公園の隅にある、休憩用のベンチの上でピタリと止まる。

 見覚えのある顔つきと、ぼさぼさの髪。

 以前とは別物であるが、決して新品とは言い難い、遠目にも古着なのだとわかる、大分ぼやけた色合いをしたワンピース姿。

 おおよそ見当はついてはいた花音ではあったが、確信を持てるまでには至らず、しっかりと顔がわかる距離まで、まっすぐ足を進める。

 そして、双方の距離が顔をしっかりと認識できるほどにまで近づいた時になって、花音の足はようやく仕事を終えた。

「あっ、やっぱりアカツキちゃんだ。どうしたの、こんなところで?」

 ベンチに腰掛けていたのが自身の思った通りの少女であると確信するなり、花音は喜びをストレートに表した笑顔で、アカツキへと話しかけた。

「……あっ、花音ちゃん」

 アカツキは下向いた、どこか物憂げな顔をゆっくりと持ち上げると、花音に対して力ない笑みを浮かべてみせる。

 今まで見てきたアカツキの姿は、どれも元気みなぎる活発なものであったと記憶していた花音は、そのあまりの変わりように、ただならない事情を感じ、その心中を推し量るように、慎重に言葉をかける。

「ねぇ、どうかしたの? ちょっと元気がないみたいだけど……」

「……えっと、それは……」

 心配して声を掛けてきた花音に、アカツキは一時は表情を明るく染め上げるものの、すぐに我に返ったように、暗くしぼませる。

「ううん、大丈夫。これは私たちの問題だから、花音ちゃんは気にしないで」

 傍目にも明らかな、無理やり作った強がりの笑顔。

 そこからアカツキの花音に対する、気を遣わせたくないという思いが十分に伝わってくるが、それ故に花音の何とかしてあげたいという思いを、結果的に助長することになったのであった。

「でも、だからって放ってはおけないよ。私たち、友達でしょう?」

「友達……そう、だよね。友達……」

「そうだよ。私がしてあげられることはないかもだけど、それでも話を聞いてあげることくらいはできると思う。だから、一人で抱え込まないで。人に話すだけでも気が楽になるって聞いたこともあるし――」

 熱心に語り掛けてくる花音の姿に、アカツキも気を許したのか、どこか吹っ切れたような顔を見せると、一旦視線を空へ逃がした後、ゆっくりと自らの身の上を話し始めた。

「実はね……私、今度仕事をすることになったんだ。私の仲間が用意してくれたものなんだけどね……」

「何か、不安でもあるの?」

「うん、本当に、私にできるのかなって思って。一度決めちゃったら、簡単にはやめられないみたいだから、それで……」

 自らの胸の内を、さらけ出すように口に出していくアカツキ。

 その姿をすぐ近くから見ていた花音の脳裏には、初めて出会った時の、懸命に、そして純真に手作りの小物を売っていた彼女の姿が思い起こされていた。

 そんなアカツキの姿を知っていたからこそ、花音もまた、思いを着飾ることなく、アカツキが仕事をするということに対する素直な思いを、過ぎ行くそよ風に乗せて、告げる。

「大丈夫だよ。アカツキちゃんならきっとできる。それだけの力があるんだよ。だからきっと、その仲間の人もアカツキちゃんに仕事を用意してくれたんだと思うよ」

「そう……かな?」

「そうだよ。それにさ、やってみた後で、本当にダメだって思ったら、その時に頭を下げて謝ればいいんだよ。だから、まずは挑戦してみるといいと思うな」

 やや感情的に、見方によっては多少息巻いているようにも映る花音の姿勢に、アカツキは憑き物が取れたかのような、自然な笑みを浮かべ、朗らかにうなずく。

「――ありがとう。そうだよね。私だから声を掛けてくれたんだもの。やってみることが大事だよね。花音ちゃんのおかげで、やっと心が決まりそうだよ。ありがとう、花音ちゃん」

「ううん、気にしないで。私もアカツキちゃんが仕事をしているところ見たいから、落ち着いた頃に、また教えてよ」

「……うん。また会えたら、その時にするね。ばいばいっ!」

 そう言い残すと、アカツキはすぐさまベンチから跳ねるようにして立ち上がり、花音に対して軽く手を振ると、そのまま一直線に公園の出口に向かって駆けていった。

「ばいばい。がんばってね、アカツキちゃん!」

 大きく手を振り、遠ざかっていくアカツキの背中を見送る花音。

 その胸中は、彼女が一歩踏み出せたことやそれを後押しできた満足感が広がっていたのだが、同時に理由のわからない胸騒ぎも覚えていた。

「……なんだろう、慣れないこと、したからかな?」

 若干高鳴る心臓の鼓動と、静寂が掻き立てる焦燥感。

 それらを何とか落ち着かせようと、花音はポケットの中にひそめていた、不格好なペンダントをそっと握り、心の安寧を求め、彼女は大丈夫だと自分に言い聞かせるように、今はもう何もない公園の入口をじっと眺め続けるのだった。

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