第26話 コンビネーション

 慶子けいこの手元から放たれた、強力なシュート性のボールは、その勢いを落とすことなく、一直線に逆サイドへと飛んでいく。

 それは、誰もがボールはコート外に出て、攻守が交代するものだと思い、気を緩めるには十分すぎる軌道であった。

 そんな中、ひとつの人影が助走から高く飛び上がり、暴れ馬のような球威を保ったボールを、中空で、しかも片腕で見事に手中に収め、着地する。

 攻撃側とはいえ、ボールに体の一部を触れさせてはいけないので、もちろん自身の魔法によってコントロールを維持し続けているのは言うまでもない。

 シュート性の強力な弾道、それも慶子の放った渾身の一発を受け止めたのだから、そのパフォーマンス的なアクションに、歓声が上がるのは当然のことだった。

「さすが、かおるちゃんっ!」

 慶子からのキラーパスともいえるボールを受け取った薫は、黄色い声を浴びせかけてくる観客席には、軽く目を配る程度に留め、すぐさま駆け出し、ゴール前まで飛び出すと、ハンドボールの選手のように力強くジャンプをした。

 守備側にて後衛を務めているはずの生徒も薫の行動は予想外だったらしく、思い出したように薫のシュートコースを消すよう動こうとするも、出だしの遅れは致命的であった。

「そらっ!」

 腕を振るように薫の手から放たれたボールは、魔法の推進力を得て、3年生チームのゴール、しかもその上部の隅へと突き刺さる。

 キーパーを務めていた生徒も魔法で弾こうとするが、元々の魔法の威力に耐えられなかったのか、はたまたタイミング的に間に合わなかったのか、微妙に軌道をそらすことはできたものの、枠外へとずらすまでには至らなかった。

 瞬間、審判の長いホイッスルが鳴り、2年生チームが得点したことが、会場全体へと知らされる。

 湧き上がる歓声。

 震える空気に、一瞬ではあるがコート内の空気から緊張の色が薄まる。

「マジか……まいったな……」

 先制点を奪われたことに、3年生チームのリーダーである片山かたやまりつは、乾いた笑いを浮かべながら、頭を掻く。

 その様は、一見余裕を保っているように他者の目に映るが、その内情は手がかりのない難題を前にしたかのような、途方もない空虚さが広がっており、いかにそれを打開しようかと、必死に思考を巡らせているのに違いない。

 一方、ワンアクションでゲームを動かし、先制まで持って行った薫の周りには、仲間の生徒たちが集まり、喜びを分かち合う。

 そんな中、セオリーを無視したパスを放った者と、それを受け取りゴールを決めた者は、互いに目を合わせ、笑いあう。

「パスを出すにしても、さすがにあのボールは強引すぎるわよ」

三条さんじょうさんならできるって思ったからよ。おかげで、こうして結果に表れたわけだし――」

「確かにできないことはないけどさ、さすがに負担が大きすぎるわ。次からはやるにしても、もっと威力をセーブするなり、ボールの軌道をいじるなりしてよ?」

「そうするわ。今回はちょっと甘えすぎたところもあるし……残りの時間も、頼んだわよ」

「オッケー。そっちこそ、後半バテたりしないよう注意してね。設楽したらさんに抜けられると戦力的にも結構厳しいんだから」

「その辺は、わきまえてるわ」

 慶子と薫という、普段から積極的に絡むタイプではない組み合わせ。

 しかしながらそのコンビネーションは、二人の素質の高さもあって、絶妙と呼んで差し支えないものであった。

 美晴ヶ丘みはるがおかにおいて、優秀な生徒が入学あるいは頭角を現すことは数あれど、同じ年に複数の才能あふれる人材が集まることは稀である。

 それは、偶然なのか、はたまた何かの因果によるものなのか、母体数が少なすぎる故に検証もままならない問題であるのだが、それでも現在の2年生がその数少ない事例に該当するのは事実であり、その恩恵を全力で享受するように、薫と慶子の2名がその才をいかんなく発揮するのは、現3年生が脅威を覚えるのに十分すぎる理由であった。

「さ、次は守備だから気合入れて守るよ」

 チームの中心に立ち、薫がメンバー全員に改めて気合を入れる。

 対して3年生チームはというと、結果に対して不満こそ抱いているものの、現状を甘受し、意識を仕切り直して試合に臨もうという心持ちがチーム全体の雰囲気から見て取ることができた。

「大丈夫大丈夫。これから切り替えて1点取りにいこう」

 数度、手を叩きながら、律はチームの士気を盛り立てる。

 その声に応じるように、3年生のチームメンバーも各々気合を入れ直し、それぞれポジションに着いた。

 双方が決めたポジションに着くと、改めて皆が呪文を唱え始め、場の空気が切り替わる。

 神妙なようでいて、昂りを覚える、どこか浮ついた感覚。

 感情的になってしまいそうなのに、それをさせない不思議な緊迫感が、再び周囲に広がり、審判がボールを手渡す、その瞬間を待ちわびる。

 そして、皆が呪文を唱え終えたタイミングで、審判がコートの中央に足を運び、律へとボールを手渡し、ホイッスルを吹く。

 タイマーが動き始め、律の手からボールが浮かび上がる。

 攻撃側へと回った3年生たちは、皆が一斉に敵陣へと駆け上がり、その挙動に守備についた2年生たちも、数名がマークを見失ってしまった。

 ただ、それにも動じずにいるのは慶子であり、ゴール前の最後の防壁――2名で構成される後衛の1枚として目線のみでボールの行方に注意を払っている。

 対して、薫はというと3枚ある中衛の1つとして、細かくステップを踏みながら、すぐにでも距離を詰められるようタイミングを計りつつ、律たちが攻撃してくるのを待ち続けている。

「中衛3に後衛2か……結構厚みのある守備だな」

 律は軽い口調でそう漏らすと、隣に待ち構えている女子生徒へとボールを受け渡す。

 2年生チームが敷いていたポジションが、深く引いたものであることもあって、パスは容易に通り、そこへ誰かが詰めてプレッシャーを掛けてくるといったこともない。

 おかげで、攻撃側は安全圏にいる限り、ボールを奪われるというリスクを考えずに戦術を練ることが可能となっていた。

 しかし、それが有利な状況であるかというと、そういうわけでもない。

 度々、攪乱かくらん目的で中衛と後衛の間に3年生が動き回って揺さぶりかけるが、守備側の生徒たちは自らの立ち位置から大きく外れることなく、常にボールの位置に注意を配っていた。

 マジックボールは、ボールを奪ったからといって、すぐさまカウンター攻撃を仕掛けられるような競技ではない。

 守備側のチームは、攻撃側のチームにボールを保持させなければいいのだ。

 それは、ゴールを外させるといった行為に限らず、コート外にボールを飛ばす、あるいはパスのボールを弾いてキャッチさせないという戦法も取ることが可能ということでもある。

 相手の懐に入り込んだとしても、密度の高い守備陣の合間を縫って、味方にボールをパスすることは、試合経験の多い3年生であっても容易ではない。

 魔法による妨害が可能という点が、よりパスの難易度を上げ、攻めを慎重にせざるを得ないのだ。

 だからといって、2年生チームの組んだこの布陣が一番というわけでもない。

 後ろに引いた守備形態にも、もちろん弱点は存在する。

 それを、律が知らないはずもなかった。

「さぁ、これは決まるか――なっ!」

 数度、パスを回して揺さぶりをかけた後、再び自らの手元に戻ってきたボールを、律は間髪入れずに、唐突にゴール目がけてロングシュートを放った。

 まるで数分前に慶子が放った一発を彷彿とさせるような、力強い弾道が今回はまっすぐにゴールへと向かって飛んでいく。

「あっ、くそっ!」

 突然の出来事に、薫も完全に反応しきれず、とっさに放った魔法も、シュートの軌道を変えるには力不足であった。

 深く引いた守備の弱点――それは単純明快であり、遠距離からの、妨害すら弾き飛ばす程の強力なロングシュートであった。

 シュートの威力、タイミング、そしてコース。

 その手応えに、律を含め、その場にいた攻撃側の選手すべてが得点を確信する。

 ところが、そのボールは何か硬い物にぶつかったかのように、不意に空中で軌道を変え、ゴールの枠外へと逸れてしまった。

 騒然とする会場に、場違いとも思えるような、攻守交替を告げる審判のホイッスルが鳴り響く。

 その中心に居たのは、不敵に笑う黒髪のポニーテール――設楽慶子であった。

 慶子は、唖然とした様子の律をまっすぐに見据えると、幾分機嫌よさげに口を開く。

「この布陣だったら、そうくるってことは読めてたわよ」

 勝ち誇ったかのような慶子の言葉に、律も顔をしかめる。

「……くっ、まだこれからだ。3年を甘く見るなよ」

 そう言い残して、律は再び守備側のポジションへ着くべく、自陣へと戻っていく。

 その後ろ姿を目にしながら、2年生チームは明確なリードを作れたことに、より大きく盛り上がってく。

「よし、このまま勝つよっ!」

「おぉーっ!」

 薫の声掛けに、朗らかに応えるチームメイトたち。

 その様子を横目に、慶子は審判からボールを受け取るべく、コートの中央へと足を進めたのだった。

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