第23話 洋菓子店
「あっ、そうそう。ここだよ、アカツキちゃんっ!」
アカツキとともに歩くこと数分。
だが、アカツキから返ってきた反応は、頭上に疑問符が浮かんでいるような、煮え切らないものであった。
「……ここ?」
「うん、地図の場所も合ってるし、店の名前もちゃんと『アラモード』って書いてあるよ」
手中のメモを見せ、合致している様を確認させようとする花音であったが、アカツキのリアクションは薄い。
別段、花音が嘘をついているだとか、外観が特殊であるだとかいう事実はない。
ごくごく平凡な、どちらかというとオシャレな、通りに面する壁の一部はガラスが張られ、内部の様子が確認できるようになっている、洋菓子店の装いである。
他に目に入るのは、店の入口に飾られている、決して派手ではないが、フランス語か何かなのだろう、草書体的なデザインでつづられた、店名の看板くらいであるが、それをじっと見つめながら顔をしかめるアカツキの姿に、花音は一つの仮定に行きつく。
「あぁ、これでアラモードって読むの。メモにはカタカナで書いてあったからわかりづらかったのかもしれないけど、名前は同じだから大丈夫だよ」
「これで、アラモードって読むの?」
花音の言葉に、感心した様子でアカツキは再度店の名前を読み上げる。
その様子を微笑んで見守りながらも、花音はアカツキの手を取り、入店を促す。
「ほら、早く入ろう? そのお友達っていう人たちも、アカツキちゃんのこと待ってるんでしょ?」
「――あっ、そうだったね。ありがとう、花音ちゃん」
差し出された手を取り、花音と共に洋菓子店『アラモード』の店内へと入っていくアカツキ。
ただ、入店してからのアカツキの所作も、決して滑らかというわけではなかった。
明るい笑顔と、真っ白なユニフォームで出迎える店員への対応もそこそこに、アカツキは強張った表情と、どこかぎこちない動きで、ショーケース内に並ぶ、さまざまな種類のケーキへと視線を巡らせ始める。
その力のこもった動きに、見ているだけの花音も自然と身体に力が入り、妙な緊張感さえ抱き始めてしまう程だった。
そんな異様な二人に、先に店内で買い物をしていた女性客たちも、よそよそしく距離を取り、逃げるように外へと去っていく。
だが、当事者の二人はそんな周囲の状況にまで気が回っておらず、まるで石膏像にでもなったかのように、言葉を発することも辺りを見回すこともなく、ただじっと、色とりどりのケーキたちの放つ、甘くも華やかな雰囲気に酔いしれる。
「――あの、お客様? いかがいたしましょうか?」
放っておいたら、そのまま数時間は同じ場所で立ち続けるのではないかという程に、まったく動きのない少女たちに、カウンター内に立つ店員もさすがに声を掛けねばと思ったのか、やや抑えた声量で、貼り付けたような朗らかな表情と共に、用件を尋ねる。
「あっ、そうだった。えぇと……ショートケーキください。2つ」
店員の声に、ハッと我に返ったようなリアクションを取った後、アカツキは指を2本立てて、まだぎこちなさの残る口調で注文をする。
「ショートケーキですね。こちら、ノーマルなものと季節のフルーツを使ったものとありますけど、どちらにしましょう?」
「えっ?」
店員の言葉に示されるように、ショーケース内には、ショートケーキの乗ったプレートの隣に、期間限定というポップを伴って、苺の代わりに橙色をした柑橘系のフルーツがふんだんに使われているショートケーキがきれいに並んでいた。
それらを目にしてアカツキも心を揺らすものの、すぐに頭を横に振り、改めて店員へと自らの意思を伝える。
「あの……安い方で」
「……はい、かしこまりました。2つで640円になります。今、御用意しますので少々お待ちください」
アカツキの口調から、店員も事情を察したらしく、それ以上の詮索を避けるように会計の処理へと入る。
「これでお願いします」
新たに現れた店員が持ち帰り用の箱を作りケーキを詰める傍ら、アカツキはレジを担当している店員へ、財布を取り出すなどという手順を踏むことなく、拳の中から直接、歪な折り目のついた一枚の千円札を釣銭用のトレイへと置いた。
「……360円のおつりになります」
店員は若干引きつったような表情をしながらも、それを何とか平静の仮面で覆い隠し、機械的に会計処理を済ませると、ケーキの入った箱を手渡した。
「お買い上げ、ありがとうございました」
「うん、ありがとう、お姉さん」
おつりと一緒に商品を受け取るなり、あいさつと共に頭を下げる店員に背を向けてアカツキは嬉しそうに出入口へと向かって歩き始める。
「あの、失礼します」
足早に去っていくアカツキに、花音は店員へと一礼した後、慌ててその後を追う。
ガラス戸が開き、通りへと出るなり、見間違いようのない後ろ姿を確認し、花音は駆け足でその横へと並んだ。
「頼まれたものは買えたみたいだけど、どうだった?」
「うん、花音ちゃんのおかげだよ。ありがとう」
「ちょっと、そんな大きく手を振ったらケーキが倒れちゃうって」
「あっ! そうだった。危ない危ない」
無事ケーキを買うことができた喜びから、つい動きが大きくなってしまうアカツキであったが、花音の注意によって、ピタリと動きを止め、途端に慎重な動きへと変わる。
その様に、花音は吹き出して笑う。
「そこまではしなくて大丈夫だよ。ちなみにケーキはお友達と一緒に食べるの?」
それは、ほぼ確認するような感覚で放たれた花音の言葉であったが、アカツキより返ってきたのは、予想の外にあった言葉であった。
「ううん、2つともお友達のだよ。兄弟なんだ。本当はみんなでケーキを買って、みんなで食べたいんだけど、お金は大事だし、贅沢はできないから……」
「――っ!」
どこか気恥ずかしさを感じさせる、諦めの色を含んだ笑顔。
それを真正面から受け取ってしまった花音は、すっかり気が緩んでいたことから適切な言葉が思い浮かばず、何も言葉を返すことができなかった。
ただ、無言を貫くというわけにもいかないので、何とかして次の句を絞り出そうと試みる。
「……大変なんだね。帰り道、気を付けてね」
「うん、ありがとう。花音ちゃん。またねっ!」
決して最適とはいえない無難な言葉を述べ、複雑そうな顔をする花音に対し、アカツキはケーキの箱を持つのとは逆の手――とはいっても手には未だにケーキを買った時のおつりを握りしめたままではあるが、それを振って花音へと別れを告げる。
そして去っていくアカツキの背中を、小さく手を振って見送っていた花音であったが、アカツキの後ろ姿が人混みの中へと見え隠れするようになったところで、ため息と共に手を下ろした。
「……どうして、私なんだろう」
誰に向けたわけでもなく、花音の口から吐き出された言葉はすぐさま喧噪にかき消される。
しかし、いつまでも通りの途中で立ち止まり、通行を邪魔するわけにもいかないので、花音はある程度心の整理をつけたタイミングで、踵を返し、再び通りを歩き始める。
瞬間、人混みの中を掻き分けるように、近づいてくる二名の警察官の姿を確認する。
神妙な顔つきから、それがただの見回りでないことは花音にもすぐに理解できた。
もしかしたら、彼らはアカツキのことを探しているのかもしれない。
そんな最悪の事態が花音の脳裏をかすめる。
かといって、花音にできることがあるわけでもない。
できることといえば、今すぐ背後を振り返り、警察官たちがアカツキのことを発見しない、そんな現実を切望することくらいであった。
軽く息を吐き、歯を噛みしめ、少しだけ心を落ち着けて、花音は警察の動向をじっと追う。
すると、幸いにも警察はアカツキが消えていった方向へは向かわず、通りから無数に生える脇道の方へと姿を消していった。
「……よかった。そうだよね、考えすぎだよね」
自らが想像した、最悪の展開に向かわなかったことに、花音は心から重荷が外れたかのような清々しくも、晴れやかな感覚を抱く。
そして、その心の底から浮かび上がるような感覚に従って、花音は軽やかな足取りで、モールでの残りの休日のひと時を楽しむのであった。
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