第19話 迎え

「――魔なる力の奔流よ、我が言葉の導きに従い、来たれ!」

 放課後、図書室の奥にある魔法書庫の小部屋では、魔法学教諭である橘川きつかわ志乃しのの監督の下、御厨みくり花音かのんがいつものように、呪文の冒頭部を読み上げる。

 しかし、毎度のことながら、周囲の空気感が多少厳かな雰囲気に包まれはするものの、花音の手元から魔法が発せられることはなかった。

 その様子に、志乃も頬に手を当てながら、困惑した様子で眉をひそめる。

「この段階の呪文も、かなり珍しい部類なはずなのだけど……おかしいわね。ここまで見つからないとなると、やっぱりどこかで飛ばしてしまった可能性が高いわね。でも、この魔法書の呪文をすべて試すのが先ね。本当に珍種の魔法を受けている可能性もあるわけだし――」

「……そう、なんでしょうか? でも、私、本当に親類以外の魔法に触れた心当たりがなくて……」

 心配そうに言葉を添えながらも、花音は志乃の方へと向き直りつつも、テーブルの上に置かれた、古めかしい装丁の魔法書を見やる。

 そんな花音の心中を察してか、志乃は強引に声色を明るく染め上げ、開かれた魔法書をパタンと閉じると、花音の両肩に優しく手を乗せた。

「大丈夫よ、御厨さん。さすがに最初から全部確認していくなんてことは考えてないわ。ちょっと調べるのに手間はかかるけど、現存する魔法の系譜っていうのも、余程の旧家でもない限りは、地域ごとにある程度決まっているものなの。もしかしたら、御厨さんの地元にしか定着していない独特の系譜もあるかもしれないから、もしこの本がダメだった場合、そっちの方を見てみましょう」

「……はい、ありがとうございます」

 志乃が元気づけようと気遣っていることをわかってか、花音も落ち込みそうになっている心情を押し隠しつつ、小さく頭を垂れる。

 ただ、その声に覇気はなく、彼女が落胆しているのは傍目にも明白であった。

 誰かが悪いというわけでもない、だからといって、誰もどうすることもできない問題を前に、両者の間に気まずい空気が漂い始める。

 そして、どちらとも何も言葉を発さなければ、そのまま室内の空気が重苦しくなるであろうという、そのタイミングで、何者かの気配がまっすぐ書庫の方へと近づき、勢いよく扉を開け放った。

「失礼しま~っす! どう、花音? 調子の方は――」

かおるちゃん! それにまなみちゃんも!」

 軽いあいさつを伴って、何のためらいもなく書庫内へと入り込んできた女子二人組を確認するなり、花音は喜びを含んだ声を上げた。

 花音の反応が返ってくるなり、薫も軽く手を上げ応えると、今度は付き添っていた志乃の方へと顔を向け、尋ねた。

「それで、どうですか? 調べ始めてから結構時間が経ってますけど、まだかかる感じですか?」

「そうね……呪文と系譜のすり合わせは、ペースとしては問題ないのだけど、適合したものが見つかってないっていうのが、厄介なところね。まぁ、それでも地道に一つずつ探していくくらいしか、私たちにはできないから……やるしかないわね」

 志乃は薫に対してそう答えると、机の上に置かれた魔法の書の表紙を優しく撫で、抱え上げた。

 そして、改めてこの場に満ち始めた、優しくももどかしい、水飴のような空気感を振り払うように、志乃は花音を促す。

「はい、今日はここまで。お迎えも来たことだし、三条さんじょうさんたちと一緒に帰りなさい」

「えっと……はい……」

 志乃の言葉に背中を押され、のそのそと立ち上がる花音。

 その時、不意に壁際にある書棚の方から、仲良しコンビの片割れ――西野にしのまなみの呼び掛ける声が届いた。

「あの、もしかして、これも呪文が載ってる本ですか?」

 三人が話に集中している間に書棚を見ていたのであろうまなみの声に、皆の視線が一気にその場へと集まる。

 そこにあったのは、書棚の前に立つお団子頭の少女の姿と、その指先にある、現在志乃が抱えているものとよく似た装丁の、これまた古めかしい魔法書であった。

 それらが同一のものではないということは、背表紙等に見られる装飾の一部が金色で縁取られるなどしていることからも明白であるのだが、まなみの発言に対する志乃の回答は、渋いものであった。

「えぇ、それも呪文が載っている本で間違いないわ。ただ、そこにあるのは一般には広まっていない希少な魔法ばかりなのよ」

「広まっていないって、どういう意味ですか?」

 志乃の説明に、今度は花音が疑問を投げかける。

 その問いに、志乃は嫌な顔をすることなく、ただ一つ、コホンと咳ばらいをした後に理由を語り始めた。

「その本に載っている呪文はどれも特殊で協力な魔法使いの系譜のものなのだけどね、何かしらの理由で系譜が途絶えて、現存を確認できていないものばかりなのよ」

「そうなんだ……でも当然か。すべての系譜の家系が現在まで残るなんて保証はないわけだし、中には潰える所もあるはずよね」

 薫の漏らした言葉に、志乃は小さく頷くと、魔法書を抱えたままの腕で、手を叩き注意を集め、忠告する。

「ほら、用は済んだでしょ? いつまでも残ってたらダメよ。ここの書庫は用が済んだらすぐに閉めないといけないんだから。私もこの後にやる仕事が山ほど残ってるし……」

 後半、仕事に関する愚痴を吐きながらも、志乃はまなみと入れ違う様に書棚へと向かい、手にしていた魔法書を元あった場所へと戻そうとして、その動きをピタリと止める。

「あっ、そういえば……」

「そういえば――何ですか?」

 意味深に声を漏らした志乃に、餌に食いつく魚のように薫は素早く反応を示した。

「いえ、大したことじゃないわ。ただ、魔法博物館には高位の魔法に関する品が展示されてたってことを思い出しただけよ。でも、今は一般に公開もされてないし……」

「――それって確か、襲撃事件があったからでしたっけ?」

 補足するように言葉を繋ぐまなみに、志乃は神妙な顔のまま、頷く。

 しかしそれも、ほんの一瞬のことで、すぐに柔和な教師の顔へと表情を切り替えると、書庫に残る生徒たちを追い出しにかかる。

「その通り。でも、犯人は金銭目的だったみたいだし、もう捕まっているわ。年数的にも御厨さんはまったくの無関係なのは確定してるから、変な期待をしても無駄よ」

「なーんだ。花音が凄い魔法使いだったら面白かったのに」

「……残念だわ、色々な意味で」

 志乃の言葉に、渋々といった様子を見せながらも素直に従う薫とまなみ。

「世の中そう都合よくできてはいないのよ。ほら、御厨さんが待ってるんだから、早く行きなさい」

「わかってますって。だからそんな急かさなくても――」

「三条さんも西野さんも、そう言うなら口よりも足を動かしてくれないかしら?」

 志乃とやり取りを続ける二人の様子を入口付近で眺めながら、花音は自分の荷物を手に取り、帰宅の準備を整えると、志乃に促された二人と合流したタイミングで改めてその場に居直り、志乃に向けて頭を下げた。

「あの、それじゃあ今日はありがとうございました。失礼します」

「はい、また明日」

「またね~」

 まだ図書の整理等の作業が残っているのだろう、書棚の前から離れずにいる志乃に見守られながら、三人は魔法書庫を後にするのだった。

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