第18話 特別コーチ

 やっとの思いで遠方まで転がっていったボールを拾い上げ、自分のポジションまで戻ってきた花音かのんであったが、そこにあったのは、皆が守備位置についているという試合中のの光景ではなく、コーチから指導を受ける時のように、ホームベース付近に皆で集合している光景であった。

「あっ、御厨みくりさん! 早く早くっ!」

 集団の中の一人が、花音の存在に気付き、声を掛ける。

 その呼び込みもあって、花音は気遣って近寄ってきてくれた、共に外野を守っていたクラスメイトの子の後についていく形で、小柄な身体で広いグラウンドを駆けていった。

「はぁ……はぁ……お待たせ……」

 荒くなった呼吸を整えながら、花音はゆっくりと集団の輪の中へと入っていく。

 ひと際小さい花音の身体は、脇に寄ってくれたクラスメイトたちのおかげで、比較的スムーズに通ることができ、そして中心にいるその人物の顔を確認することができた。

「あっ、かおるちゃんだっ! 助っ人に来てくれたの?」

 予想外の人物の登場に、花音は驚きと喜びを織り交ぜた様子で声を跳ね上げる。

 そんな感情を素直に露出させた花音の姿に、新たにやってきた、ショートカットに長身、そして豊満な体つきをしたクラスメイト――三条さんじょう薫は笑顔を返した。

「そう。やっぱり、やるからには友達のいるチームに勝ってもらいたいじゃん? というわけで、先生から特別に許可をもらって、ソフトボールの臨時コーチにやってきたってわけ」

「そうなんだ……でも、薫ちゃんてスポーツ万能だし、ソフトボールの方にも出てくれたらいいのに」

「そうそう、三条さんが入れば百人力だって。うまくいけば三年生にも勝てちゃうかもだし!」

 自らの希望を告げる花音の言葉に、その場に居たメンバーも同調して、薫のチーム参加を切望する態度を見せる。

 すると、薫は困ったように笑うと、首を横に振った。

「そうしたい気持ちはあるんだけどね。私の参加する種目って、誰でもできるスポーツってわけじゃないからさ。悪いけど、今回は皆で頑張ってもらうってことで、お願い」

「なーんだ、期待したのに。ま、最初からわかってたけど」

「だったら誘ったりしないでよ。ちょっと悩んじゃったじゃないの」

「あはは、ごめんね。三条さん」

 友人たちと楽しげに話を交わす薫。

 その様子をじっとうかがいながら、ちょうど会話が途切れたタイミングを見計らって、花音が声を掛けた。

「ねぇ、そういえば薫ちゃんが参加する種目って『マジックボール』で合ってたっけ? 私、あんまり見たことないからよくわからないんだけど?」

「うん、合ってる。『マジックボール』ね。簡単に説明するなら、スティックの代わりに魔法を使った、ラクロスって感じかな? 具体的なルールの説明をすると長くなるから省くけど、見てもらえばわかるよ」

「そうなんだ。じゃあ、大会本番の試合、楽しみにしてるね」

 その時、グラウンドの反対側からサッカーボールと共に、男子生徒の声がやかましく響いてきた。

「ごめーん、そっちに行ったボール、取ってくれるか?」

 声に気付き、一同が背後を振り返る中、薫は速やかに集団をすり抜けると、大きくバウンドして迫ってくるサッカーボールをきっちり両手で受け止める。

「甘えんな、男子。特に丸山まるやま! 部活の時、最後までボール追いかけて拾ってるの知ってるんだからな。まず、ボールを寄越した謝罪が先だろうが!」

 薫の通る声に、サッカーに勤しんでいた男子生徒たちの空気が、若干不穏に染まる。

 そんな空気感に耐えかねてか、薫から名指しまでされた当人――丸山 じゅんは、険しい顔をしながら、女子の集団へと向けて駆け寄ってくる。

「……悪かったって。ほら、ボールくれよ」

 若干の照れくささがあるのか、それとも集団から放たれる圧迫感によるものか、純はすぐ近くまで寄ることはできず、手を伸ばしてボールを求める。

「……あんたも、頑張ってよ、球技大会」

 それだけ言葉を連ねると、薫は手にしたボールを純の胸元に目がけて、投げつける。

 その勢いの強さに、純も取りこぼすまいと、慌てて腕でボールを胸中へと抑え込んだ。

「力強すぎだって。三条……お前、こんだけ強い球投げられるんなら、体力もあるんだし、ソフトボールに転向した方いいんじゃねぇの?」

 吐き捨てるように放たれた、純の愚痴にも捉えられる言葉。

 しかしそれを、薫は聞き逃さなかった。

「はぁ? ちょっと聞き捨てならないわね。それじゃあ、魔法の方がスポーツよりも楽みたいじゃない」

「いや、実際楽だろ? 突っ立って呪文唱えるだけなんだからさ――」

 瞬間、突沸した水のように、薫は怒りの感情に身を震わせ、怒号を発した。

「呪文を唱えるだけって、そんなわけないでしょう! 魔法ってのは、アンタが思っている何倍も体力を使うものなのよ。アンタが言う、ただ突っ立って、呪文を唱えているだけの時間でも、ランニングするのと同じくらい疲れるんだから! わかったら、もう私の前でそんなこと、口にしないでちょうだい!」

「お、おう……悪かったよ、気を付ける」

 熱波のように押し寄せた薫の気迫に満ちた言葉に、さすがに純も気圧されてか、素直に謝罪の言葉を述べた。

 そして、居たたまれなくなったのだろう、今度こそ踵を返し、純は自分たちのテリトリーへと逃げるように駆けて行ったのだった。

 その様を粗方見送った後、薫は軽く手を叩いて、静まり返った女子生徒たちの注意を引き、そして張り詰めた空気を温め直すように、笑顔を浮かべ、呼び掛ける。

「はい、それじゃあ一言多い問題児がいなくなったところで、練習を再開しましょうか。もちろん、向こうで休んでるまなみも。ほら、まなみもこっちに来る!」

「えっ、私も? ……もう、わかったって。せっかく休めると思ったのに……はぁ」

 不意な薫の呼びかけに、露骨に嫌な顔をするまなみであったが、それでも薫の言葉を無視することはできなかったらしく、ゆるいお茶会から渋々離脱し、相変わらずお茶を嗜んでいる啓二けいじに見送られながら、とぼとぼと薫たちの居る方へと歩き始める。

 その一連のやり取りによって、一同の間に、元の明るい雰囲気が広がっていく。

「よし、それじゃあ練習再開! ビシバシ教えていくから、覚悟しておいてね!」

「え~っ、ビシバシはしなくていいって~」

 薫の宣言に、不平を漏らす女子生徒たち。

「ほらほら、文句を言わない。時間がもったいないんだから、練習するよ」

「は~い」

 背中を押しながらそれぞれのポジションへと、笑顔で移動を促す薫に、生徒たちも嫌々ではあったが、おのずと動き始める。

 そして、遅れて参加したまなみも交えて、ソフトボールの練習が再開される。

 薫の気合の入った掛け声と、グラウンドを駆ける複数の足音が、練習の雰囲気に活気を与える中、軽快なバッティング音が、ひと際大きく鳴り響いた。

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