第16話 体育

 晴れ渡る青空の下、美晴ヶ丘みはるがおか学園の校庭には、体操服姿をした二年生の男女がそれぞれ列を作りながら、体育の授業を担当する教師の登場を、ゆるい空気感を醸しながら、待ち続けていた。

 ただ、その場にいる生徒たちの顔ぶれは、普段教室で授業を受ける面子とは大きく異なっており、具体的には魔法を唱えられる生徒の姿が、きれいに抜け落ちている。

 それも当然で、美晴ヶ丘学園では、一般学科の生徒と魔法科の生徒とで、体育の授業における履修内容が大きく異なるからである。

 異なるといっても、その違いは想像するに難くはなく、魔法を扱える生徒は魔法の実技を、それ以外の生徒は運動を主としたカリキュラムをこなすといったものとなっている。

 それ故、校庭に姿を見せている生徒たちの中に、慶子けいこかおるといった魔法科に所属する生徒の姿はない。

 唯一の例外は、未だに系譜すら確認できていない花音かのんであるのだが、当人も周りの生徒たちも、その振り分けに慣れてきているということもあり、別段気まずい空気になるなどといったこともなく、至って和やかに待ち時間を過ごしていた。

「おぅ、集まってるか?」

 まるで、友人同士の集まりにやってきたかのような気軽さで声を掛けながら、その人物は若干私語が増えてうるさくなりつつある生徒たちの元へと、近づいていく。

 まず目につくのは、くたびれた白衣と、眠たそうな眼に口周りに残る薄い髭の跡、寝ぐせが立ちっぱなしの髪に、銀縁の眼鏡。

 白衣の裾から伸びている足の先には、長いこと履き続けたのであろうことが容易に想像できる、底がだいぶすり減ったサンダルとグレーのソックスがのぞいている。

 体格自体は、決して細くはないが、筋肉質であるというわけでもなく、年齢も青年から中年に差し掛かろうかという印象を受ける顔立ちであった。

 体育教師の格好というものに、明確な基準というものが存在するというわけではないが、彼の格好は体育教師としては傍目にもイレギュラーであることに違いはない。

 何より、左手に提げているポットの存在は、とてもではないが、これから指導を行う人間のものとは思えない。

 ただ、そんな男性教師の登場に、青天の下待ち続けた生徒たちは、歓喜の声を上げた。

「あっ、けーちゃんだっ!」

「ということは……もしかして、無木谷むきたには休み?」

「やった。今日は楽できる……」

 思い思いの言葉を、一切の配慮もなく口に出す生徒たち。

 そんな彼ら彼女らに、けーちゃんと呼ばれた白衣の教師――南山みなみやま啓二けいじは感情的になるでもなく、気怠そうな顔のまま、湧き上がる若い声を追い払う様に右手を振り、落ち着くよう促した。

「ほら、お前ら……授業始めるから、静かにしろ。出欠取り終わったら好きなだけ騒いでいいから――」

 啓二の言葉に、ざわついていた生徒たちはすぐに大人しくなり、周囲には静穏が広がり始める。

 そして、多少雑さはあるものの、列を作り並んでいる生徒たちの顔ぶれを粗方確認した上で、啓二は軽く息を吐き、自身がこの場に居る理由を告げた。

「よし、静かになったな。俺が来た時点でわかってると思うが、本日、体育教師の無木谷が体育教師の会合で出払っているため、俺が代わりに授業を見ることになった。授業の内容も言付かっている。えぇと……ちょっと待て」

 話を一旦中断させると、啓二は白衣のポケットを漁り、手の平に収まるサイズのメモ用紙を取り出すと、そのまま読み上げた。

「えー、今月行われる球技大会の練習を各自行うようにとのことだ。組み分けはもう決まってるって聞いてるが、あってるか?」

「はい、合ってます」

「あぁ、そうか。まぁ、知らないって言われても、俺に決める権限なんてないし、考えるのも面倒だから、どうでもいいんだが。ま、とりあえず欠席の生徒もないみたいだし、後は各自で道具を準備して、勝手に始めておいてくれ。あ、一応準備体操はしておくんだぞ」

 そう言うと、啓二は自らの仕事は終わったとでもいうかのように、そのまま校庭の隅に置かれた、背もたれ付きの、洒落た流線形のデザインをしたベンチへと向かう。

 その後を追う様に、解散して整列を崩した生徒たちの間から、丸眼鏡と髪を団子状にまとめた女子生徒――西野にしのまなみが一人抜け出し、遠のいていく白い背中へと声を掛けた。

「南山先生、私ちょっと体調がすぐれないので今日は見学したいんですけど」

「んあ? ……あぁ、いいからいいから。俺の方で出席扱いにしとくから、言いに来なくていいって」

 啓二は一旦足を止め、声を掛けてきたまなみに対して軽率に返事をすると、すぐにまた背中を向け、そのままベンチへと進み、ポットを脇に置く形で腰掛ける。

 すると、まなみもその隣に、何食わぬ顔をしてちょこんと座る。

 ベンチからは校庭全体の様子が広く知ることができ、男子生徒がサッカーを、女子生徒がソフトボールを始める準備を漫然と進めている様子が、つぶさに見て取れた。

 その光景をぼんやりと眺めながら、啓二は持参したポットでお茶を淹れ始める。

 立ち上る緑茶の香りが、心を穏やかに、より深い癒しと安寧を与えてくれる。

「ほら、熱いからこぼさないよう気をつけろよ」

「いつもすいません」

 手渡されたお茶の入ったカップを、何のためらいもなく、すっかり慣れた様子でまなみは受け取る。

 その後、啓二は自分用のお茶をカップに注ぐと、どこからともなく、折り畳まれた新聞を取り出し、出来立ての味わいを一口楽しみながら、見出しの記事に目を通す。

「警察による、住所不定者の摘発強化を指示……ねぇ。何を今になって強行しようとするんだか……面倒事が起きたら、対応するのは現場だっていうのに……」

 でかでかと記された摘発強化の文字に、啓二は眉間にしわを寄せる。

 ただ、その表情がいつまでも続くことはなかった。

 その理由は、他でもない、すぐ隣からの差し入れであった。

「まぁまぁ、先生。怖い顔をしないで、これでも食べてまったりしましょうよ。ここで私たちが何を言っても、思った通りに世の中が動くなんてことないんですから」

「おっ、いつも悪いな。今日は……海苔せんべいか。よく見つけてきたな。それじゃあ、遠慮なくいただきます」

 差し出された袋から、海苔せんべいを一枚手に取ると、啓二はそのまま口へと運ぶ。

「――あぁ、やっぱりお茶にはせんべいだな」

「和菓子もいいですけど、せんべいはせんべいの良さがありますよね」

「それな」

 それは、休日の公園の一コマでも見ているかのような、和やかな空間であった。

 そんな教師と生徒による、ささやかなお茶会を後目に、残りの生徒たちは各々の参加する球技の練習に、少しずつ力を入れていく。

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