第9話 来歴

「起立、礼、――着席」

 クラス委員の号令に従い、2年A組はいつものように頭を下げ、そして自らの席に着く。

 教壇に立っているのは、いつもと変わらず魔法学担当教師の志乃しのであり、彼女もまたいつも通り、教科書を開いて前回の復習から授業を開始しようとする。

「前回は、魔法の呪文とその系譜について授業を行いましたが、その復習をしていきたいと思います」

 視線を下に向け、ずれ落ちそうになった、トレードマークともいえる大きめの黒ぶち眼鏡を元の位置へと戻すと、志乃は小さく咳払いをして、前回の授業内容を語り始める。

「皆さんも実感していると思いますが、魔法というものは自身の系譜と呪文が一致しないと発動すらしない、大変気難しいものです。その為、これまでは魔法の系譜は各地域の呪術師や神職など、限られた血統にのみ受け継がれてきたことからも、広く伝わることはありませんでした」

 私語や物音も上がっていない、朝方の教室に響き渡る、志乃の声。

 それは生徒たちのテンションが完全に上がり切っていないということもあるが、それよりも志乃の声が心地よく耳に流れ込み、眠気を誘う程よい温かさを含んだ空気と相まったが故の結果ともいえた。

 その後も、志乃のよどむことなく続く魔法学の講義は続き、真面目な授業の空気感を形作っていく。 

「現在、魔法という存在は科学技術の発展に伴い、社会の基軸として利用しようという風潮が主流となってきていますが、素養自体が血縁――具体的にいうと遺伝子に起因するせいで、その数は決して多くはありません。それでも、以前に比べれば大分増えましたが、人権の在り方から考えても、これ以上に魔法を扱える人物を増大させるのは難しいということになりますが――」

 普段であれば、そのまま授業に集中し、流れ去っていくであろう、特段変わったこともない日常の一コマ。

 ただ、今日の花音に限ってはその例外であった。

 花音は机上に出した筆記用具の陰に隠れるように、花を模した、小さく可愛らしいペンダントを置いて、それを時折小さな指でつまみ、見る角度を変えながら、一人思いを馳せる。


 花音の小さな指の間で動く、不格好ながらも努力の色がしっかりと見える、アクセサリー。

 その製作者は、自らをアカツキと名乗った、屈託のない笑顔を浮かべる、純真という言葉がぴったり似合う、少女である。

 花音自身、彼女がどのような環境で、どのような生活を送っているのか、わかってはいない。

 しかしながら、花音たち美晴ヶ丘みはるがおか学園の生徒たちのように、学校に通って、勉強をして、部活動に汗を流し、青春を謳歌する、などというような毎日を送れていないことは、明白である。

 花音は視線を手元のペンダントから、左手に臨む窓ガラスへと移し、その向こう側に広がる澄み渡った青空をぼんやりと見つめる。

 そんな花音の頭の中にあったのは、アカツキという少女の身の上についてである。

 現在、当たり前のように学校に通っている花音であるが、アカツキたちのような一部の環境にある子は、その当たり前すら難しい。

 それが、どんなに可能性と才能に溢れた存在であったとしても、それを見出されることもなく、社会の表に出ることなく消えていく。

 そう考えると、いかに自分という存在が恵まれているのか、そして未だに魔法が使えずにいるということに、不甲斐なさを覚え、花音は切なげに目を細める。

 もしかしたら、アカツキも学校に通えていたなら、魔法の素養が見つけられたりする可能性もあったのかもしれないと思い、震える花音の指先では、不格好なペンダントが忙しなく弄り回されていた。

 暗くなる思考とネガティブな現状。

 それらによって、花音の感情はもろくも崩れ落ちそうになる。

 しかし、寸前でこらえられたのは、記憶の縁に残った、アカツキの嬉しそうな表情が、不意に花音の脳裏にフラッシュバックしたからであった。

「……そう、だよね。あんなに一生懸命なんだから、私だけが後ろ向きになってちゃダメだよね」

 口元だけで紡られた、小さな小さな花音の決心。 

 それは暗闇に満ちた部屋を、ライトが明るく照らし出すように、沈みかけていた気分を瞬時に前向きへと塗り替える。

 ただ、そんな花音の心情の浮き沈みの変化を察知できた者は、この場にはいなかった。

 集中の切れた生徒も中にはいたが、それでも教室の最前列の、最も窓側の席に座っているショートヘアの女子を、ピンポイントで注視し続けるなどといった真似をしているはずもなく、結局花音も再度授業へと、自然と溶け込むことに成功したのだった。

「――そして、魔法の素養のある者は呪文の冒頭の文言を唱えるだけで、意識をせずとも自然と最後まで詠唱できるのは、経験したことある人なら知っていると思いますが、これも遺伝的な要因によるものと考えられています。原理的には不明な点もまだまだ多くありますが、この特性を利用して、呪文から系譜を特定するといったことも可能なわけで、現に利用されています」

 志乃の講義に、心当たりのある生徒が数名程、感心した様子で声を漏らす。

 決してリアクションとしては大きいものではなかったが、志乃はさして気にすることもなく、反応があったということのみを確認して、教科書の次のページへと視線を向ける。

 瞬間、そのタイミングを見計らっていたかのように、教室上部に位置するスピーカーより、授業終了の旨を告げるチャイムの音が流れ始めた。

 その音に反応して、志乃は手を止め、顔を上げる。

「あら……それじゃあ、今日はここまでにしましょうか。クラス委員の方、挨拶をお願いします」

 いつものように、クラス委員の慶子が号令をかけ、生徒たちは礼をする。

 そして、ずっと止めていた呼吸を、やっとの思いで再開するかのように、場の空気が動き、にぎわい始める。

 それは花音も同じであり、そっと手にしてたアクセサリーを人知れずスカートのポケットに隠すと、何事もなかったかのように、休み時間の喧騒の中、友人たちの会話の中に交じっていくのであった。

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