第6話 通学路

 早朝。

 人が流れ、活気を生み、町が本格的に動き出す前の、まどろみと目覚めの狭間を漂っている時間帯。

 美晴ヶ丘みはるがおか学園へと通じる、商店がまばらに開き始めたショッピングモールを抜けて、花音かのんはすっかり着慣れたセーラー服姿で、寝ぐせだけを何とか整えた、くせっけのショートヘアで通学路を進んでいく。

 しかし、花音の周りには同様に登校をしている生徒の姿は見られない。

 それは、本日の花音は日直の仕事がある為、普段よりも早めの時間に登校をしているので、当然のことであった。

 日は登り、周囲も明るくなってきて、場所によっては太陽の姿までしっかりと確認できる程の時間帯ではあるが、それでも目に見える限り、同じ学園の生徒は仕方ないにしても、会社へ向かうビジネスパーソンの姿すらほとんどない。

 というのも、美晴ヶ丘学園の立地は、商業地域やビジネス街から離れた位置にある他、住宅地が近くにあるわけでもないからである。

 そんな通学路であるから、花音自身も自分以外の人の姿があるとは思っておらず、お気に入りの流行歌を口ずさむなど、幾分気を緩めながら足を進めていた。

 それ故、突然に声をかけられたりしようものなら、驚きの声を上げてしまうのは当然の結果と言うほかない。

「あら、御厨みくりさんじゃない。今日は早いけど、日直?」

「ひゃっ!」

 まるで、バラエティ番組のフリが入るかのように、背後から掛けられた女性の声に花音は不意を突かれた小動物のように小さく飛び上がる。

 そして花音はすぐさま後ろを振り返り、声の主を確認すると、見覚えのある顔に安堵の息を吐いた。

「なんだ、設楽したらさんか」

 直前まで奏でていた鼻歌を聞かれたことに対する気恥ずかしさからか、花音は若干顔を赤らめながら、少し声のトーンを落として、鞄を手にキョトンとした顔で佇むクラスメイトを見やる。

「なんだとは心外ね。もしかして三条さんじょうさんとかの方がよかったのかしら?」

 眼前で花音に息をつかれ、声の主――設楽したら慶子けいこは、やや不満気な顔で、警戒を解いたばかりの少女へと意地悪そうな声色で詰めた。

「えっと、そういうわけじゃなくて……これはそういう意味じゃなくて、知ってる人でよかったというか、何というか……」

 適切な言葉が頭に浮かばなかったのか、花音は忙しなく手を動かしながら、誤解のない説明をしようと試みる。

 だがしかし、その様子は傍目にもパニック状態であることが丸わかりであり、その様に慶子本人もすぐさま吹き出し、笑ってしまう。

「もう、冗談よ。だから、そんな慌てなくていいから、落ち着いて、御厨さん」

「……本当?」

「嘘をついても仕方ないでしょう? 偶然とはいえ、こうして会えたわけだし、一緒に登校しようと思って声をかけたのだけど……どうかしら?」

 若干身体を屈めて、柔らかな物腰で語り掛けてくる慶子に対し、花音は幾分落ち着きを取り戻したらしく、安心した様子でこくりと頷いた。


「御厨さんも大変よね。結構プレッシャー掛かってるんじゃないの?」

「へっ? どうして?」

 二人並んで歩く道中、ふと掛けられた慶子の言葉に、花音はその意味を汲み取ることができず、聞き返す。

「だって、まだ見つかってないんでしょう? 魔法の系譜……自分だけが使えないっていうの、絶対つらいって思うし」

「それは……確かにつらいけど、自分ではどうしようもないことだし、今はただ待つしかないかなって」

 花音は苦笑いしながら言葉を返すが、その声は笑ってはおらず、むしろ寂しさを感じさせるものであった。

 そして、自らの心情を悟られまいとしてか、花音は慶子が返答をするより早く、次の話題を振る。

「それより、私はそんなだけどさ。設楽さんて本当にすごいと思う。魔法の成績もクラストップだし、勉強の他にもクラス委員まで務めて完璧にこなしちゃうのって、尊敬しちゃうよ。私なんかとは全然違うステージに居るんだなぁって思う」

 自虐気味に慶子を褒め称える花音であったが、対する慶子はその言葉に頬を緩めることもなく、むしろ表情を引き締め、至って真面目な様子で自らの思いを返した。

「それは違うわ、御厨さん。確かに私は周りと比べて魔法の成績もいいし、色んな仕事をこなしているわ。でも、それは与えられた環境の中で頑張っていった結果でしかないの。そもそも、御厨さんは勉強の方は頑張っているのだし、魔法の方は頑張ろうとしても、それができる環境にないのだから、できることをやらずに自堕落に毎日を過ごしているような輩と比べれば、ずっと素晴らしいのだから、自信を持ちなさい」

「設楽さん……」

 予想外に自らを肯定してくれたことに、花音は静かに驚き、その横顔を見つめる。

 ただ、慶子の口から続けて出てきた言葉は、それまでの内容とは一転、私情私怨が多分に含まれた、決して好意的とは言い難いような内容であった。

「それに比べて、あの丸山まるやまったらないわ。勉強も真面目に取り組んでいる様子もなければ、提出物も期日ギリギリ。御厨さんの爪のあかを煎じて飲ませてあげたいほどだわ。いえ、でもあいつのことだから、逆に喜びそうで癪ね。まったく、頭の回転はそこそこあるんだから、真剣に授業を受ければいいのに……」

 慶子の口から次々と漏れ出てくるじゅんに対する不平不満。

 最初こそその圧力に反応に困っていた花音であったが、次第にその原因に気付き、穏やかに微笑む。

「設楽さん、なんだかんだ言って丸山君のことしっかり見てるんだね」

「なっ、そ、そんなことないって。何変なこと言ってるのよ、私はクラスの全員を見た上で、特にあいつが問題児で困ってるから、そう言ってるだけで――」

 慌てて否定する慶子であったが、そこから発せられたいかなる言葉も、その感情的な対応から、意味をなさない。

 それを一向に変化のない花音の態度から、つぶさに察知した慶子は、方針を急転換し、勢いに任せて話を強引に切り上げた。

「とっ、とにかく、私はあいつのことなんて何とも思ってないから、そこだけは勘違いしないでちょうだい! ほら、ぼーっとしてないで、歩くわよ!」

「あっ、ちょっと、設楽さん⁉」

 逃げるように一人ずんずんと先へ進んでいく慶子。

 その後を追うように、花音は小柄な体躯を上下させながら、跳ねるように駆ける。

 そんなやり取りを挟んで、二人の登校風景は花音が追い付いたことで再び元の緩やかな歩行へと戻っていく。

「あれ? あの子……」

 このまま何事も無く続くと思われた、平穏な時間。

 そこに終止符を打ち、声を上げたのは花音であった。

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