第19話 本当の居場所

「あのさ、クリスはイリスの本名を知ってるの?」


 記憶を封印したのはクリスだ。ということは、知っている可能性も。


「いや、知らない。私は記憶を封印しただけで。名前までは……」

「そっか……」

「だが、封印した記憶は一度だけ取り戻す機会があるはずだ」

「「えっ」」


 同時に声を発した僕とイリスは、揃ってクリスに視線を向ける。


「どうしたら取り戻せるのさ!」


 詰め寄る僕のことをクリスは手で制すると、ゆっくりと口を開いた。


「封印した名前は、姫様がニ十歳になった時。知る権利が与えられるようになっている」

「ニ十歳って……あと四年も……」


 僕は期待しすぎていたせいで、膝から崩れ落ちた。

 四年。それまで僕は、ただ待つことしかできないのか。


「クリス。それは歴代の王女たちもニ十歳だったのですか?」

「いいえ。それは違うと思います。基本的にアリアスでは、現行の王女が亡くなられた後、次の王女を決めるので。その時々によって違いはあるかと……姫様の時は、お母様がご存命の時に、事前に相談させてもらいました」

「そうですか。お母様が決めたのですね……」


 イリスが僕に視線を向けた。


「ヒカル。今は耐える時なのかもしれません。四年後。私がニ十歳を迎えた時、考えましょう。焦る必要はありません」


 イリスの笑みを、素直に受け取れない自分がいた。何か引っかかっている気がする。

 そもそもこの世界に来て、僕はもっと危ない状況を想定していたはずだった。一刻も早くアリアスを救ってほしい。僕の世界に来たイリスは、その強い思いをぶつけてきていた。

 でも、目の前のイリスは焦る必要がないと言ってる。

 おかしい。何かがおかしい。


「あのさ、今思ったんだけど」

「何でしょうか?」

「僕はイリスの力でこの世界に来たんだ。それなら僕を四年後に飛ばすことだって、できるんじゃないかな?」


 転移魔法をイリスは使える。別の世界に連れてきたのだから、時間の移動だってきっと……。


「ヒカル……何を言ってるのでしょうか。私は、あなたを連れてきた覚えはありませんよ」

「いや、僕をアリアスに連れて来たのはイリスなんだ。ただイリスはどうしてか知らないけど、僕の世界での記憶を失ってるみたいで……」


 説明を試みるも、イリスは首を傾げてしまった。どうしても納得いかない顔をしている。

 そう言えば以前もこんな表情を見た気がした。たしか……そう、時計塔で話した時だ。イリスは僕に聞いてきた。本当に同じ夢を見たのかと。それに加え、勲章をあげた記憶がないとも言っていた。

 どうしてこう何度も話が噛み合わないのだろう。僕が覚えているのに、イリスが覚えていない。普通じゃあり得ないこと。

 もう一度、僕はこの世界にどうやって来たのかを思い出してみる。

 僕はイリスの転移魔法でアリアスに来た。その時にイリスがやったことは、魔法円を描いて、その中心に大切な鍵だと言っていた小瓶を置いて、呪文を唱えて……。

 瞬間、僕は思い出す。

 小瓶のラベルに、書かれていた文字を。たしかそこに書いてあったのは……。


 ――お主は来る場所を間違ったみたいじゃな。


「……嘘だろ」


 繋がった。


 点だった情報が、僕の中で一つの線になる。リーマスの言葉は、そういう意味だったのか。


「ヒカル? どうしましたか」


 僕はイリスの声に反応するように、ゆっくりと立ち上がる。そしてイリスとクリスに向け、線になった情報を言い放った。


「イリスは僕をアリアスに連れて来てくれた。でも連れて来る時に、何かしらあって僕の世界にいた時の記憶を失くした。だからイリスは僕の話に首を傾げている。ずっとそう思ってた。でも、その考えは間違ってたんだ」


 僕の言いたいことが理解できないのか、イリスとクリスは首を傾げている。


「クリスに質問だけど、転移魔法って存在するよね?」

「……ああ。確かに存在する。存在するが――」

「使うと、代わりに何かを犠牲にする必要があるんじゃないかな?」

「……どうしてそのことを」


 驚くクリスに頷くと、僕はイリスへ視線を向けた。


「僕はイリスにこの世界に連れて来てもらった」

「でも私は……」

「うん。イリスにその記憶がない。でも、記憶がなくて当然なんだ。そもそもイリスは、僕を連れて来てないのだから」


 あまりにも理解しかねる僕の発言に、ずっと黙っていたロゼッタが口を開いた。


「ちょっと。あんたいったい何を言ってるのよ。連れて来たと言ったくせに、今度は連れて来てないとか。ふざけるのも――」

「ヒカル。それってまさか……」


 どうやらイリスは、僕の言いたいことに気づいたらしい。

 誰が僕をアリアスに連れて来たのか。その真実を僕は言い放った。


「僕は未来のイリスの力で、この世界に来ることができたんだ」


 そう考えるしかなかった。これならイリスが色々と覚えていないことにも、説明がつけられる。それにリーマスの言っていた一言で、この考えに確信を持てた。


「僕の住んでいた世界で、イリスはアリアスに行くために必要な準備をしてた。まず最初に、転移魔法のために必要な魔法円を描いて。次にイリスは、犠牲となるための物を魔法円の中心に置いたんだ」

「犠牲となる。それって何でしょうか?」


 イリスの問いに、僕は口を開くのを躊躇った。だってこの事実を言ってしまったら、誰も喜ばない未来しか見えないから。

 俯いた僕は目をつぶって、どうするべきなのか考える。

 言うべきなのか。言わないべきなのか。でも、言わないと何も解決しない。これは起こってしまったことなのだから。


「犠牲になったのは……クリスの命だった」

「……冗談ですよね、ヒカル。クリスの命が犠牲にって……」


 イリスは呆気にとられた顔で、僕を見つめてきた。


「本当なんだ。魔法円の中心に置かれた瓶には「chris」のラベルが貼られていた。たぶんその中に入ってたのは、クリスの――」

「冗談はやめて!」


 イリスの声が、部屋中に響き渡る。イリスは耳を抑えて、その場にしゃがみこんでしまった。


「姫様……」


 クリスがイリスの肩を抱く。イリスはクリスの胸に飛び込むと、声をあげて泣いていた。

 イリスを守るようにギュッと抱きしめたクリスは、僕へと視線を向ける。


「ヒカルの話は理解した。ヒカルは未来の姫様の手によって、このアリアスに来た。でも、本来連れて行くはずだった未来のアリアスではなく、我々のいるアリアスに来てしまった。まずはそれで間違いないな?」

「……うん」

「それでヒカルは、本来行くはずだった場所に行きたい。それはおそらく四年後。姫様が名前を取り戻さないといけなくなった未来。そこに行くために、ヒカルは私に犠牲になってほしい。違うか?」

「それは違う! クリスには生きてもらいたいと思ってる。だって僕にとってクリスは……この世界で初めて会った人で、僕にとって大切な存在だから。でも……」


 クリスの顔を見れず、僕は視線を逸らした。

 クリスを犠牲にしたくない。でも犠牲にしないと、転移魔法は使えない。拙い頭で精一杯考えるも、今の僕にはクリスを救う未来を思い描けない。


「ヒカル。お前は姫様を救う勇気はあるのか?」

「ある。僕はイリスを助ける。そのために、僕はこの世界に来た」


 真っ直ぐな視線を向け、クリスの問いに答えた。


「わかった……姫様。私が転移魔法をかけます。私の命を犠牲にして」

「な、何言ってるの……そんなこと絶対に許しません」

「しかし姫様。未来の姫様は私の命を犠牲にしてまでも、ヒカルを連れて来たのです。どちらにしろこのまま何もしなければ、四年後に窮地に陥った挙句、私は命を落とすのかもしれません。それなら一刻も早く動き、対策を施した方が賢明な判断と言えるはずです」

「私は何があっても許しません。だってクリス……あなたは私にとって……」


 イリスはクリスの胸に顔を埋めた。震えが止まらないイリスを、クリスが強く抱きしめる。


「姫様にここまで思われる存在になれて、私は本当に幸せ者です。でも、四年後の姫様はたしかに決断したんです。私を犠牲に、ヒカルを連れて来る決断を。一国の王女としての務めを全うしたんです。ですから……姫様。どうかお許しください」


 クリスの目から、一滴の涙が零れ落ちた。その美しさの中に詰め込まれた想いを、目の当たりにした僕は思う。

 クリスを犠牲にすることは、絶対にしたくないと。

 でも、いったいどうすればいいのか。今一度、僕は考えを巡らせる。

 僕がアリアスに来た理由。イリスの強い思い。その思いに応えれば、咲や聡との間に抱えた問題を解決するための答えに近づける。そう思ったから。

 でも今はそんな思いなんて、本当にどうでもよかった。

 純粋にイリスの力になりたいと思っている。だって僕がこの世界にいられるのは、クリスの犠牲あってのことなんだ。その事実を知った今、軽い気持ちでアリアスを救おうなんて、僕はこれっぽっちも思っていない。

 これは使命なんだ。クリスの命を犠牲にせず、アリアスを救うということが。

 ふと脳内にリーマスの言葉が蘇ってくる。

 たしかリーマスは言っていた。一度成功したことに頼らず、別の成功方法を模索しろと。

 そもそも、僕は転移魔法について詳しく知らない。一度イリスが使った場面に遭遇しただけだから。


「クリス、聞きたいことがある」

「……何だ?」

「転移魔法の犠牲って、絶対に命じゃないといけないの?」

「……いや。命を犠牲にしなくても、転移魔法は使える」


 良いことを聞けた。


「なら、クリスの命じゃなくても――」

「いや。そもそも犠牲の重さは、距離や時間に比例すると言われている。おそらくある程度マナを持っているウィッチでなければ、犠牲も無意味なのだろう。しかもアリアスと別世界からの転移となれば。私の命を犠牲にするしかなかったのも、想像に難くない」

「でも、今回は同じ世界の転移だ。時を超えるだけなら、命以外のもので代用だって」

「絶対に無理です」


 冷めた声が響いた。落ち着きを取り戻したイリスが、僕に向けて話を続ける。


「そもそも転移魔法は、攻撃魔法と同じく禁則魔法の一つに当たります。そう定められた理由は、命の犠牲を伴うから。それは揺るがない事実です」

「でも、未来のイリスは僕を連れて来た。禁則を破って連れて来たんだろ?」


 イリスは口をきゅっと結んでしまった。


「あのさ、クリスの言う命以外の犠牲って何なのさ?」

「それは……転移先に根強く結びつくものを捧げることだ」

「結びつくもの……」

「おそらく未来の我々は、ヒカルの世界に結びつくものを何一つ持っていなかった。だから命を犠牲にするしかなかった。命はこの世で一番重い犠牲。転移魔法の代価としては、申し分ないからな。もし四年後に行きたければ、その年代に根強く結びつくものを捧げる必要がある。でも、そんなもの持ってるわけがない。だって未来にあるものなんて、手に入れることなんてできっこないのだから」


 普通に聞いていれば、クリスの話に僕は絶望していたのかもしれない。やっぱりクリスを犠牲にするしかないと。

 でも僕には確かに見えたんだ。この絶望という闇を打ち砕く、希望の光が。

 考えすぎなのかもしれない。でも、もし未来のイリスがそこまで考えて僕に託してくれたのだとしたら。


「あるよ、クリス。四年後に根強く結びつくものが」


 僕は胸で輝く二つの勲章のうち、一つを手に取る。

 このリスを模った勲章は、間違いなく四年後のイリスからもらった勲章だ。

 僕の提案に、クリスは目を丸くする。イリスもはっとした顔を見せていた。


「これがあれば、クリスの命は守れる。そうだよね? クリス」

「……夢みたいだ。まさかこんなことが……姫様、ヒカルの勲章にマナを感じますか?」

「……ええ。ずっと感じてます。私の強いマナを。でも、そういうことだったなんて……」


 僕はまた未来のイリスに守ってもらったのかもしれない。初めて会ったあの時に、託してくれた勲章。それがこんなところでも役に立つなんて。

 未来のイリスが、クリスの命を犠牲にした。最初はそんな悲惨な運命を信じたくなかった。でも、今ならわかる。こうして過去のアリアスに来た僕が、クリスの命を救う。それを信じていたのかもしれない。


「クリス。この勲章を代償に、僕に転移魔法をかけてほしい。元々僕は、未来のイリスに助けを求められていた。だから僕は、行くはずだった場所で自分の役割を果たしてくるよ」


 勲章を手渡した僕の前で、クリスは涙を流していた。


「わかった……ありがとう、ヒカル。私はヒカルに命を救われたのかもしれない」

「違うよ。クリスの命を救ったのは、未来のイリスだよ」


 イリスに視線を向ける。イリスも涙を浮かべていた。


「僕がいない四年間。イリスのこと、守ってほしい」

「……ああ。約束しよう。私の命に代えても、姫様を守ると」

「いや、命に代えちゃだめだって」

「……それもそうだな」


 僕とクリスは声を出して笑った。部屋の空気が明るさを取り戻していく。

 そういえば、クリスが笑ったところを初めて見たかもしれない。でも、その笑みは確かに見覚えがあった。

 出会った時からクリスはいつも笑っていたのだ。タリスがそうだったように。


「ありがとう……ヒカル」


 立ち上がったイリスは、僕に向けて頭を下げた。


「お礼を言うのはまだだよ、イリス。四年後、マナを取り戻した時が勝負なんだから」

「……はい!」


 マナを取り戻した時、イリスが圧倒的な力に飲み込まれないように。僕ができることは、イリスを最後まで守り抜くこと。


「ヒカル。準備はいいか?」


 魔法円を書き終えたクリスが、僕に意思確認をしてくる。


「うん。大丈夫」


 頷いた僕を見たクリスは、魔法円の中心に勲章を置いた。瞬間、魔法円が光を放ち始める。あの時、なんでも部屋で見た光景が僕の目の前に広がっている。


「まったく世話がやけるわね」

「ろ、ロゼッタ!」


 駆け寄って来たロゼッタは、僕の右肩まで上ってきた。


「姫様。私もヒカルと一緒に行くわ。リスの一匹くらい、大丈夫よね? クリスさん」

「ああ。問題ない」


 僕は肩に乗るロゼッタに視線を向ける。ロゼッタは器用に手でピースサインを作って僕に応える。


「ヒカル。ロゼッタを頼みますね」

「……うん。わかった」


 魔法円の中から、イリスとクリスが離れて行く。そしてクリスが詠唱を始めた。

 瞬間、一段と輝く光が僕とロゼッタを包み込む。中央に置かれた勲章が、重力に逆らって浮上していく。


「ヒカル!」


 イリスの方へ視線を向ける。イリスは満面の笑みを浮かべていた。その笑顔に、僕は親指をピンと立てて応えてみせる。

 クリスの詠唱が終わった瞬間、目の前に浮かんでいた勲章が急激に光を放った。そしてその光は、一瞬で僕とロゼッタを包み込んでいく。

 僕は目を閉じ、転移の瞬間を待つ。記憶が徐々に薄れていくのがわかった。

 目を覚ましたら、四年後。僕の世界に来てくれたイリスとの再会。

 そして最後に、イリスの声が脳内に響いた。


 ――ありがとう、ヒカル。四年後、アリアス城で会いましょう。

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