第18話 隠された真名

「……そうですか」


 アリアス城に戻った僕とロゼッタは、リーマスから聞いた事実をイリスに打ち明けた。


「私がマナを取り戻すには、本当の名前を思い出すこと。それが必要なのですね」


 持っていたティーカップを置いたイリスは、僕に目を向ける。


「うん。だからイリスに思い出してほしいんだ。本当の名前を」


 イリスは表情を曇らせ、僕に向かって頭を下げてきた。


「ごめんなさい。私はずっとイリスとして生きてきました。イリス以外の名前と言われても、心当たりは一切ありません」

「そっか……」


 そう簡単に上手くいくわけがない。それはある程度、想定していたことだ。直ぐに思い出せるのなら、既にアリアスに何かしら影響が出ているはずなのだから。


「それに……正直迷っています」

「迷ってるって……もしかして、イリスはマナを取り戻さない方がいいって言うの?」


 イリスは僕から視線を逸らした。そんな態度されると、聞かなくてもわかってしまう。


「ヒカルから話を聞く前は、取り戻す決心を固めていました。私がマナを取り戻して、そのマナを人々のために使う。それが平和につながると思っていましたから。でも、リーマスさんの話が本当なら。マナを取り戻すことが、世界の破滅につながってしまいます。そのリスクを、私は一国の王女として見過ごすわけにはいきません」


 イリスの言うことは決して間違っていない。だからこそ、僕は何も言い返せなかった。アリアス城に戻って来ても、未だに僕は代案を思いつけずにいる。


「あのさ、イリスはお父さん……国王様に育てられたの?」

「いいえ。私は当時、お母様に仕えていたクリスに育てられました」

「クリスに……それなら、クリスなら何か知っているかもしれないってこと?」

「そうですね。クリスに聞いてみる価値はあると思います。たしかクリスは、コポリの指導中でしたね」


 イリスは窓辺に視線を向けると、そこにいたロゼッタへと声をかけた。


「ロゼッタ。クリスに部屋に来るよう、伝えてきて」

「わかりました、姫様」


 ロゼッタはイリスに敬礼すると、部屋を出て行った。


「さて、クリスが来るまでの間。私もヒカルに話しておきたいことがあります」

「話?」

「ええ。コポリについてです」


 イリスは先程よりも浮かない表情を作り、口を開いた。


「実は、コポリがクリスの指導を受けてから一週間以上経つのですが。ヒカルとの戦いで見せていた強さが、どこかに失われてしまったみたいなのです」

「それって……魔法の力を授かった状態でも?」

「ええ。アリアスの騎士部隊の中には、女性だけで組まれたチームがあります。通称「ウィッチ」と呼ばれる魔法専門の部隊です。そのウィッチのメンバーに補助魔法をかけてもらい、剣と魔法を組み合わせた稽古をつけてもらっているのですが……直ぐに倒れてしまうのです」


 補助魔法をかけていれば、普段よりも体力は上がるはず。それは僕自身がスクイラル杯で実感していた。でもその補助魔法を受けているのに、コポリは倒れてしまう。


「そういえば、前にコレットが言ってた。コポリは昔から体力がなかったって」

「ええ。コポリは昔から身体が弱くて、ろくに運動のできない身体だったと聞いています。でも彼はスクイラル杯に選抜された。実際に彼はヒカルと見事な対決を成し遂げました。ですので、その問題を克服されたのだと思っていたのですが……」

「姫様。入ります」


 ドアをノックする音と共に、クリスの声が聞こえた。


「入っていいですよ」

「失礼します」


 イリスの部屋に入ってきたクリスは、僕を見つけると頭を下げた。つられて僕も頭を下げる。


「クリス、コポリの調子はどうでしょうか」


 イリスの問いに、クリスはゆっくりと首を横に振った。どうやら、また倒れてしまったのかもしれない。


「コポリには一時間ほど休憩を言い渡しています。今朝も体調不良と言って、しばらく部屋から出てきませんでした」

「そうですか……未来の主力騎士の成長に期待するのは、もう少し時間がかかりそうですね」


 イリスは笑みを見せるも、その表情はどこかとても悲しそうに見える。


「それでですが。私に用とは何でしょうか」


 イリスが僕を見つめる。その視線に後押しされるように、僕はクリスにもリーマスから聞いた話を全て伝えた。


「そうか……」


 聞き終えたクリスは俯き、硬い表情を晒していた。


「だからクリスに聞きたいんだ。クリスはイリスの本当の名前を知ってるの?」


 僕の問いに、クリスは暫く口を開かなかった。

 何か隠している。そう誰もが思うほど、長い沈黙が続いた。


「クリス?」


 流石におかしいと思ったイリスが、クリスに問いかける。クリスはその声を聞いて、ようやく重い口を開いた。


「姫様……私は姫様に謝罪すべきだと思います」

「謝罪?」


 表情が暗くなるイリス。クリスの発言に、僕も耳を傾ける。


「私は、姫様が王女になる前の記憶を封印しました」


 封印。その言葉に、僕は驚きを隠せなかった。


「封印って……何故そんなことをしたのですか?」


 語気の強まるイリスに、クリスは口を開いた。


「イリスを名乗るためには、本当の名前を忘れないといけなかったからです」

「それって……言い伝え通りにするため?」

「はい。おっしゃる通りです」


 王女を受け継ぎし者 マナ抑制されし マナ自覚した暁 マナ解放されし

 本当の名前。つまり真名を忘れないとイリスのマナを抑制できない。だからこそクリスは、イリスの真名を封印したのだ。これも全てはアリアスの王女がマナを失う。そのための仕組みを、リーマスが作ってしまったから。


「私だって本当はしたくなかった。しかし姫様の記憶を封印しないと、アリアスがブルーローズのマナによって滅んでしまう。それに姫様の命もかかってる。そうなってしまう以上、私は姫様の名前を封印するしかありませんでした」


 クリスは再度イリスに頭を下げた。


「……もういいです。頭を上げなさい、クリス」


 クリスは頭を下げたままだった。どんな思いで、クリスがイリスの名前を奪い取ったのか。それを考えるだけで、僕は胸が痛くなった。


「ブルーローズ。まさか民のことを思って抑制されたマナが、このような苦しみを生むことになってしまうとは。私達王族は、間違った選択をしていたのですね」


 イリスがクリスの頭を撫でた。


「ひ、姫様……」

「クリスは私を思って真名を封印してくれたんです。それに王女の護衛を務めてきたウィッチの中には、クリスと同じことをせざるおえない人がいたはずです。戦争もなく、長い間ずっと平和を維持できているのは、ウィッチやクリスのおかげといっても過言ではないでしょう」


 イリスがクリスの頭を持ち上げる。二人の目が合い、そしてイリスは笑顔で告げた。


「本当にありがとう。クリス」

「姫様……」


 クリスの頬に涙が伝った。僕はそんな光景を見て、改めて思う。

 問題を解決するには、ブルーローズのマナをどうにかするしかないと。

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