第17話 漆黒の森の長、リーマス
「右、左、右、左……あーもう、遅い!」
ロゼッタは頬袋をパンパンに膨らませ、僕に熱い激を飛ばしてくる。
「ちょ、ちょっと休憩させて……」
「ダメよ。ヒカルはもっと身体を鍛えないと。あと百回はやってもらうわ」
ロゼッタの発言に、僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。
スクイラル杯を終えた僕は、アリアスに隣接する漆黒の森にいる「リーマス」というリスに会いに行くはずだった。でも僕とロゼッタは、未だに漆黒の森に向かえずにいる。
「それにしても。ロゼッタの尻尾がないと、漆黒の森を進めないなんて」
ロゼッタ曰く、リスの尻尾には多くのマナが宿っているらしい。その尻尾は魔力探知にも使われているらしく、主に敵から身を守るために使われているとロゼッタが言っていた。そんな尻尾の特性を上手く使って、今回はリーマスを探し出すつもりだったのだけど……。
「本当……私は絶対にあの女を許さない」
「まあまあ。コレットだって、悪気があったわけじゃないからさ」
ロゼッタをなだめようとするも、機嫌は一向に良くならない。
「だいたいね。どうしてあの時、ヒカルは止めてくれたってなかったのよ!」
「それは……まさか本当に尻尾が取れるとは思ってなくて」
一週間前。ロゼッタを愛でていたコレットが、大切な尻尾を取ってしまったのだ。だから僕達は尻尾が完治するまでの間、こうして剣の稽古に励んでいるのだった。
ロゼッタは僕を睨み付け、頬袋を膨らませながら言った。
「嘘つき。尻尾のこと、姫様に教えてもらってたくせに」
「……ごめん」
頭を下げた僕をみるなり、ロゼッタは腕組みして言った。
「素振り、あと二百回だから」
「あのーさっきよりも増えてる気がするんですけど……」
「文句ある?」
「……ありません」
地面に置かれた剣を手に取り、しぶしぶ素振りを始める。
風を切る音が耳に響き渡る。剣が陽光に当たるたび、キラリと輝きを放つ。その輝きが目に入るたび、僕はどうしても複雑な気持ちを抱いてしまう。
もしもこの剣で、誰かを倒さないといけない状況が来たら。
スクイラル杯は木剣だった。だから何の躊躇いも無く、木剣を振り下ろせた。でも、この剣は違う。人の命を簡単に絶つことができる真剣。僕にそんなことができるのだろうか。
「遅い! また遅れた。真剣にやってる?」
「や、やってるから」
痛い所を突かれた僕は、頭を振って今すべきことに集中する。
退魔の剣を僕が持つ意味。イリスとクリスの期待に少しでも応える為に。
今はこの剣に見合う自分になろうと、僕は必死に剣を振り続けた。
「ヒカル、尻尾が治ったわ」
「良かった。これで漆黒の森に行けるわけだね」
次の日。ロゼッタは自分の尻尾に顔をすりすりして、笑みをみせていた。
それもそのはずだ。リスにとって、尻尾は無くてはならないものなの。マナを保管しているだけでなく、寝る時に枕にしたり、雨や雪を防ぐための傘に使ったり。普段の日常生活の中でも、尻尾は大活躍しているとロゼッタは言っていた。
「まったく。魔法がなかったら、一生尻尾無しで生きることになってたわ」
自分の身体の一部がなくなる。よく考えてみれば、とても恐ろしいことだ。
「ごめん……」
「もういいわ。そもそも魔法でくっつくことはわかっていたのだから。まあ私の価値ある尻尾を代償に、ヒカルの剣術を向上させた。そういうことにしておくわ」
「うん……」
「それよりも、早く姫様の依頼を成し遂げちゃいましょう」
ロゼッタの笑みを見て、気持ちが楽になった。
気を取り直し、僕とロゼッタはようやく漆黒の森へと足を踏み入れる。
暫く道なりに歩いていく。徐々に周囲が闇に包まれていく。先程まで、この森にも陽光が届いていたはずなのに。
そして歩き始めて五分もしないうちに、周囲は完全に光を失った。
これだと前に進むことができない。戻ろうにも、既に来た道も闇に飲み込まれている。
「ちょっと待ってなさい」
焦る僕とは違い、ロゼッタは落ち着いていた。肩に乗っているロゼッタは、自らの尻尾を手に持つ。そして念を込めるように、目をつぶって呪文を唱えた。
「シーク リーマス!」
するとロゼッタの尻尾が、急に光を帯び始めた。
もしかして、尻尾の灯を頼りに進んで行くのかもしれない。
そう思った僕の考えは、どうやら間違っていたらしい。次第に僕の目にも、ロゼッタの魔法の効果が見えてくる。
「光が……一本の線に……」
漆黒の世界に、一本の道筋が誕生した。おそらくこの光を進んでいけば、リーマスの元に辿り着けるのだろう。
「これの為に尻尾が必要だったのよ……うん、案外近くにいるみたいね。早く行きましょう」
「うん」
ロゼッタに頷き、僕は生み出された光の線を辿っていく。周囲は相変わらず暗いまま。唯一の灯りは、ロゼッタが作り出した光の線のみ。
不思議なことに、僕は全く不安を感じなかった。この光の線には、安心させる魔法でもかけられているのだろうか。暗い闇の中で一際強く輝きを放つ光は、僕の歩みを後押ししてくれた。
「そういえば、ロゼッタはこの森の出身なんだよね?」
「ええ。そうよ」
「ならロゼッタの家族や友達も、この森のどこかに住んでるってこと?」
「ええ。正しく言うなら、住んでいた。ね」
「それって……」
ロゼッタの言いたいことがわかった僕は、口元をきゅっと結んだ。
俯く僕に対してロゼッタは、病み上がりの尻尾を使って僕の頬を叩いた。
「あんたね。リスについて何もしらないでしょ。そもそもリスの寿命は短いのよ。特に使い魔にされなかったリスは、七年くらいしか生きられない。だから私の知ってる人はいなくて当然なのよ」
「そ、そうなんだ……」
「まあ私やスノウのような使い魔になったリスは、長く生きられるみたいだから。安心していいわよ」
胸を張るロゼッタは僕の肩から降りると、地面を蹴って走り出した。
「ヒカル。もうすぐ着くわ。私についてきて」
「う、うん」
ロゼッタに引っ張られるように、僕も走り出す。
暫く走っていると、前方でロゼッタが足を止めていた。ようやく追いついた僕は、肩で息をして呼吸を整える。
ロゼッタが止まっていた理由。それは考えなくてもわかった。目の前にずっと見えていた光の線が、途切れていたから。
「いつ以来だろうか。ワシの元に人が来るのは」
突然聞こえてきた声に、僕は咄嗟に剣に触れる。
「もしかして、ワシを殺しに来たのか?」
暗闇から聞こえる声。近くにいるはずなのに、真っ暗で何も見えない。
「ロゼッタ。光を出して」
「わかったわ」
尻尾を持ったロゼッタは、呪文を唱えた。
「リフラス!」
するとロゼッタの尻尾から、四方八方に光が飛び散った。光が僕とロゼッタ、そして声の主を照らす。
僕は眩しくて細めていた目をゆっくりと開く。すると目の前に、一匹のリスが現れた。
「リーマス様。お会いできて光栄です」
「えっ」
偉い人の前で猫を被ったロゼッタに、僕は開いた口が塞がらなかった。
「いいから。とにかくヒカルも頭を下げなさいよ」
「う、うん」
小声で囁くロゼッタの横に並んだ僕は、片膝をついて頭を下げる。
「慣れないことをするでない。二人とも頭を上げなさい」
言われた通りに顔を上げ、僕は改めてリーマスに視線を向ける。見た目からは、何百年も生きている風貌に思えなかった。でも、リーマスはリス。動物だ。見た目で何歳か判断するのは間違っている。
「あの、リーマスさんに聞きたいことがあって」
「わかっておる。言い伝えについて、聞きたいんじゃろ?」
「はい」
「その前にワシも一つ聞きたい。お主はブルーローズを知っておるかの?」
「はい。何でも一つ願いを叶えてくれる、奇跡の花。ですよね?」
「そうじゃ」
「でも、そもそもブルーローズ自体、存在するのかわかっていないんじゃ……」
「いいや。ブルーローズは確かに存在する」
僕は初めて知る事実に驚きを隠せなかった。誰も在り処を知らないと思っていたから。
「ど、どうして存在するって言えるんですか」
「それはな……ブルーローズはワシが作ったからじゃ」
「えっ」
リーマスは驚く僕のことなど気にも留めず、話を続ける。
「マナを抑制する。そう決めた先代の王女は、魔法を生み出したワシに相談をもちかけてきた。民の不安をどうにかしたい。その強い意志に打たれたワシは、禁則魔法の制定とマナを抑制する話に協力した。その話の中で生まれたのがブルーローズ。ブルーローズとは、王女から奪ったマナを封印するための器なのじゃ」
イリスが言っていた封印の儀とは、まさしくこのこと。封印したのがリーマスだということが、僕の中ではっきりとわかった。
「ブルーローズは王女のマナを蓄えていった。そしていつしか膨大なマナを蓄えたブルーローズは、こう言われるようになったのじゃ」
「……奇跡の花」
「そうじゃ。今やブルーローズのマナは、圧倒的な力に膨れ上がっておる。もしその力を手に入れた者は、願いの一つや二つ……いや、世界を支配するだけの力を手に入れることになると言ってもいいじゃろう」
世界を支配する。その言葉を聞いて、僕の脳裏に一人の悪者がよぎった。
ダーゲン。そもそも彼はブルーローズがあることを疑っていなかった。イリスや王族の人達が知らない事を、ダーゲンは知っていたのだ。そう考えると、当然ダーゲンはブルーローズを使って、世界を我がものにしようとするに違いない。
だからこそ、ダーゲンにブルーローズを渡してはいけない。そうさせない為に、僕はイリスにマナを取り戻してもらうつもりなのだから。
「もしイリスがブルーローズの力……マナを取り戻したら。どうなりますか」
リーマスは険しい表情で僕に告げた。
「膨大なマナの力をとどめることができず、暴走した力が王女自身を飲み込むことになるじゃろう」
「それって……」
「マナをコントロールできず、力が暴走した挙句、世界は破滅へと向かっていくじゃろう」
無情な宣告を受け、僕は言葉にならない悔しさを覚えた。
マナを取り戻せば、ダーゲンを止めることができる。そう思っていた。でも、マナを取り戻しても、その力の大きさに敗れてしまうのなら。結局、アリアスに平和は訪れないってことになる。
「……リーマスさん」
「なんじゃ」
「隣国のブリノスの王子であるダーゲンが、ブルーローズを狙っています。どうすれば、ダーゲンを止められますか」
もしマナを取り戻さないとしたら。いったいどうやってダーゲンを止めるのか。僕に思いつかなかった答えを、リーマスに聞く。
「とにかく、王女をそのダーゲンという男に近づけないこと。言い伝えの後半部分を思い出すのじゃ」
「言い伝え……マナ自覚した暁、マナ解放されし」
「うむ。もし王女が本当の名前を思い出した時、ダーゲンという人間が近くにいたら。膨大なマナを奪い取られる恐れがある。それこそ、世界の終わりが近づくかもしれぬ」
「えっ」
リーマスの発言に、僕は衝撃を受けた。
「なんじゃ?」
「本当の名前って……イリスは本名じゃないってことですか?」
「そうじゃ。イリスとは、アリアスの王女として名乗るべき名前。本当の名前ではない」
なら、イリスの本名はいったい……。
「ヒカルよ。今のお主がすべきことは、王女を守り、名前を取り戻させないことだと言いたい」
リーマスの言い分は、僕を納得させるものではなかった。
「違う……それは違うよ!」
僕はリーマスの考えに反発した。
「もし僕がリーマスの言う通り、ダーゲンからイリスを守れたとしても。次の王女が、また同じ運命を背負うことになる。それじゃ、意味がないんだ」
イリスが望むこと。それはアリアスの平和だ。この世から悪を消すことなど、不可能な事なのかもしれない。でも、悪者を捕らえることはできる。それに悪者が狙おうとしている武器や力を、どうにかすることはできるはずだ。
もし魔法が使えたら。
最初は魔法に対してワクワクを覚えた。でも、もし魔法の存在が人々を苦しめるのなら。魔法なんて、無い方がよかったのかもしれない。
「お主に覚悟があるなら、解決策は自分の手で見つけるしかない。ワシは質問に答えた。後はどうするか。全てはヒカル。お主が決めることじゃ」
「僕が……」
「成功だけにとらわれると、一度成功したやり方に頼ってしまう。しかしそのやり方に依存すると、視野が狭くなってしまうのじゃ。視野が狭くなる。それはいざという時に、可能性を狭める要因になりかねない。だからこそ、時には別の切り口から成功を導きだすことも大切なのじゃ。はたしてお主にそれができるかの?」
正直、何を言われているのかわからなかった。でも、僕の意志は決まっている。
アリアスを救う。そのために僕はこの世界に来たのだから。
「ああ。やってやる」
「そうか。なら最後にヒントをやろう……どうやらお主は来る場所を間違ったみたいじゃな」
「来る場所……それってどういうこと?」
僕の問いに対して、リーマスは笑みを見せると尻尾を振った。
次の瞬間、リーマスの身体が光りを放つ。その眩しさに、僕は思わず目をつぶった。やがて光が消え、目を開けた時には。既にリーマスは、僕の前から姿を消していた。
「ヒカル……」
「行こう。ロゼッタ」
「行こうって……これからどうするのよ」
「どうするもこうするも、やることは一つしかないよ」
「一つって……もしかしてマナを開放する気じゃないでしょうね」
ロゼッタを無視しながら、僕は暗闇をひたすら進んで行く。
「姫様やアリアスに住む人々の命がかかってるのよ。そう簡単に決められることじゃ――」
「わかってるよ!」
歩みを止めた僕は、俯いて握り拳を作った。
ロゼッタの言いたいことはわかってる。たった今、リーマスにも言われたのだ。マナを取り戻さないことが、最善の一手だと。
でも、それは違う。そう思う気持ちが、僕の中には確かにある。
「……何もしないままは、もう嫌なんだ」
前の僕なら、リーマスの意見を素直に受け入れていたのかもしれない。
誰にも迷惑をかけず、リスクも回避できる。それに何年か経てば、そのうち良い案も浮かぶ可能性だってなくはないのだ。
でも、それは絶対に駄目だと今なら言い切れる。
僕は一度、間違いを犯した。だから身に染みている。透明のままでいることは、一番愚かで間違っている選択なのだと。
「リーマスさんから聞いた話を、イリスに話す。そのうえでどうするか。僕の気持ちを伝えたうえで、イリスに決めてもらう」
「ヒカル……」
アリアス城に戻る道中。僕とロゼッタが会話を交わすことは、一度もなかった。
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