第12話 黒マントの男

 コロシアムに入った瞬間、目の前に広がる景色に感嘆の声を上げていた。アリーナをぐるりと囲むように、階段状の観客席が配置されている。すでに客席は人で埋め尽くされており、人々の喧騒や熱がアリーナにも伝わってくる。

 こんな目立つ場所で、僕はこれから戦わないといけない。深く深呼吸をして、気を引き締める。今日は否が応でも透明になることを許されない。


「それではこれからルールの説明をする。今回説明をしてくださるのは、アリアスの王女イリス様!」


 進行役の偉そうな兵士の声と共に、先程までの喧騒が嘘のように静まり返った。皆がコロシアムの観客席上段、一箇所だけ外に張り出している場所へと視線を向ける。

 視線の先に黄緑のドレスを身にまとったイリスが現れる。皆の視界に入った瞬間、ドッと歓声が上がった。まるで地面が揺れていると錯覚するような震えに、イリスがアリアスでどれだけ信頼されているのかを僕は実感する。


「今日という日を迎えられ、私自身とても光栄に思っております。今年のスクイラル杯は私にとって特別な大会です。これからのアリアスを、今以上に愛に溢れた国にするため。そして、引き続き戦争の惨禍を起こさないようにするためにも。私と一緒に戦ってくださる殿方を見極め、皆の安心と安全を守れる騎士を決めたいと思っています」


 一度言葉を切ったイリスは、周囲を見渡すと話を続けた。


「今年のスクイラル杯ですが、例年と大幅に変わった点はございません。開始の合図とともに、参加者全員が手にしている木剣で戦ってください。なおこのコロシアムに入った参加者には、既に防御魔法がかけられています。この防御魔法によるシールドが木剣による攻撃によって破壊された瞬間、敗退が決まります」


 説明を聞いた参加者は、それほど驚いた様子を見せていなかった。おそらく生まれた時から開催されているスクイラル杯を、観客の立場から見てきたから。

 でも僕は違う。この世界に来て初めて剣で戦う。周りにいる参加者ほど、このスクイラル杯を熟知していない。これから始まる大会。サバイバルを勝ち抜かないといけない。そう意識をするだけで、身体が震えてきた。

 そんな僕の震えなどお構いなしに、イリスの話は続く。


「ただ、例年と違う点が一点あります。皆も知っている通り、今年は私が十六を迎える年。そのため今年の大会に限り、最後まで防御魔法の効果を残した二人を決め、その後一騎打ちによって優勝者を決めます。そして優勝者は……」


 イリスが言葉に詰まる。静まり返ったコロシアムに妙な空気が流れる。僕はイリスの言葉を今か今かと待つ。

 僕は知っている。イリスが優勝者に求めていることを。

 周囲を見渡していたイリスと目が合った。イリスも僕の存在に気付いたことを合図するようにゆっくりと頷く。そして声高らかに言い放った。


「私の専属騎士になってもらいます」


 イリスの発言に、会場にいる皆のボルテージがさらに上がる。先程まで楽しそうに話していた、参加者全員の目つきが変わった。何が何でも一番になる。そんな空気が、アリーナを徘徊し始める。

 観客の歓声がおさまる気配がない中、イリスはお辞儀をすると皆の前から姿を消した。そしてイリスに代わるようにして姿を見せたのは、先程まで進行役を務めていた偉そうな兵士。


「さあ、参加者の諸君。今から一分間の猶予を与える。アリーナ内の好きな場所で待機して、開始の合図を待て。私が十秒前からカウントをとる。カウントがゼロになった瞬間、スクイラル杯の開始だ」


 その言葉を最後に、偉そうな兵士は僕達の視界から見えなくなった。

 僕は周囲を見渡す。この円形の闘技場で、有利に戦う方法を考えないといけない。参加者は皆、この日のために少なからず剣術の鍛錬を積んでいるはず。単純に戦ったら、何もしていない僕の負けは目に見えている。

 とりあえず僕は壁際に近寄って、背中を預けた。これで後ろから不意打ちをされる心配はまずないはずだ。改めて周囲を見渡してみる。他の参加者も、僕と似たような行動をとっている人が多かった。やはり、背中を取られるのが不味いと思っているのかもしれない。

 そんな中、アリーナのど真ん中から動かない人物が一人。目を凝らしてみると、黒いマントを羽織った小柄な男。配布された木剣を片手に、その場でひたすら素振りを繰り返している。よほど剣の腕に自信があるのだろうか。仮面に素顔が隠れていることもあって、不気味さがにじみ出ていた。


 ――ヒカル、聞こえますか。


 突然、聞き覚えのある声が僕の脳内に響く。


「……イリス」


 ――よかった。繋がりましたね。


「うん……あのさ、イリス」


 ――何でしょうか。


「本当に勝てるのかな?」


 不安なんて昨日は克服したと思っていた。でも、当日になると克服できていないことがわかる。これから始まる大会に緊張しないわけがなくて。未だに拭え切れていなかった不安が、心の奥底からにじみ出てきた。


 ――言ったはずです。ヒカルには勇気があります。だから絶対に勝てます。


 勇気があれば何でもできる。果たして本当にそうなのだろうか。勇気だけではどうにもできないことだってあるはずだ。イリスはそれをわかって僕に言っているのだろうか。それに、僕のどこを見て勇気があると言ってくれるのだろうか。


 ――私はヒカルが勝つことを信じてます。だからヒカルも……私を信じてください。


「……うん。わかった」


 深呼吸をする。そして改めて思う。今の僕には、イリスを信じる以外の道はないのだと。


「十、九、八……」


 カウントダウンが始まった。周囲を取り囲む観客のボルテージは今が最高潮だ。歓声が鳴りやまない中、僕はもう一度深呼吸をする。

 とりあえず落ち着こう。まずは身を守ることだけに意識を集中させる。


「三、二、一……決闘開始!」


 偉そうな兵士の声と共に、参加者の数名が声を荒げて走り出す。周囲を見渡すも、僕の元へ突撃してくる参加者は見当たらない。


「いきがってるんじゃねぇ」

「俺が叩き潰してやる」


 そんな中、罵声を飛ばしながら二人の参加者がアリーナ中央に突撃していく。そこにいるのは、仮面を被った黒マントの男。狙われるのは必然だった。誰もが警戒を高める中、ずっとアリーナ中央で木剣を振り続けていたのだから。

 参加者の一人が、一足先に黒マントの男と対峙する。


「死ねぇぇぇぇぇぇ!」


 躊躇うことなく剣を振りかぶった参加者は、そのまま黒マントの男へと振り下ろした。

 しかし黒マントの男はするりと身体を捻り、いとも簡単に攻撃をかわす。

 そして決着は一瞬だった。気づいた時には、参加者は地面に倒れていた。


「うそだろ……」


 見えなかった。いつ黒マントの男が倒したのか。僕はこの目でずっと見ていたはずなのに。

 目の前で起きた出来事に、一緒に飛び込んでいったもう一人も当然足を止めていた。


「何だ。こいつ……」


 最初の威勢が無くなったもう一人の参加者は、一歩ずつゆっくりと後退していく。しかし黒マントの男が、その隙を見逃すわけがない。

 地面を蹴った黒マントの男は一瞬で参加者の懐にもぐりこむと、右手の木剣を左下から右上へと振り払った。攻撃された参加者は一撃でシールドを壊され、ゆっくりと地面へと倒れ込む。


「つ、強い……」


 圧倒的な強さを目の当たりにして、僕は開いた口が塞がらなかった。

 おそらく黒マントの男は魔法を使っているはずだ。そうでなきゃ、一撃で相手のシールドを壊せるはずがない。本当にあんな奴に、僕が勝てるのだろうか。


 ――ヒカル、避けて!


 イリスの声が聞こえ、僕は咄嗟に足を前へと踏み出した。

 ガンッ。

 鈍い音が後方で響く。後ろを振り向くと、さっきまで僕がいた場所には二人の木剣が重なっていた。


「ちっ、しくじったぜ」

「次は逃がさない」


 二人の参加者が体勢を立て直し、不気味な笑みを向けてきた。

 二人との距離を取った僕は、木剣を構えて対峙する。

 危なかった。イリスの声がなければ、僕は確実に木剣の餌食になっていた。敵は黒マントの男だけではない。そんなことわかっていたはずなのに。

 木剣を握る手に力が入る。腰を低くして、目の前にいる二人の動向に全神経を集中させる。そんな僕の脳内にイリスの声が響いた。


 ――ストレッグ!


 瞬間、両足が重さを失ったかのように軽くなったのがわかった。


「これは……」


 ――脚力強化魔法です。これで相手を攪乱して、仕留めてください。


「……わかった」


 木剣を構え直した僕は、動き出しのタイミングをうかがう。目の前の二人との距離はおよそ三メートル。この距離を一気に詰めて、相手の防御魔法を破壊できれば僕の勝ち。

 大丈夫。イリスから力をもらったんだ。今の僕ならきっと勝てるはず。


「うらあああああ!」


 声を上げて一歩前へと踏み出した僕は、突然の変化に驚きを隠せなかった。

 まるで僕以外の全ての時間が止まっているような錯覚に陥る。そう思うのも当然で、明らかに僕が動いている時間と、周囲の時間の流れに差があった。

 僕が二人の背後に回っても、未だに二人は動き出さない。脚力強化によって、僕は誰よりも速く動ける力を手に入れた。

 勝てる。この力があるなら、僕にも。

 木剣を振りかぶる。その時ようやく僕の存在に気付いた二人は、唖然とした表情を晒していた。


「な、なんで……」

「どうして後ろに……」


 二人が防御態勢に入る前に、僕は素早く木剣を振り下ろす。そして直ぐに木剣を下方から斜めに払い上げ、二連撃のダメージを一人に与えた。


「グッ」


 ダメージを与えた相手のシールドにヒビが入った。あと一撃で倒せそうだ。


「ふざけるな!」

「くそっ!」


 なりふり構わず、二人は木剣を僕へと振り下ろした。僕は二人の攻撃をいとも簡単に避けると、二人を嘲笑うかのように再び背後をとる。

 そして、剣を振り下ろしたことによって前かがみになった二人を、背後から木剣で叩きのめす。二人は防御態勢を取ることができず、僕の攻撃をもろに受けた。

 既にダメージを与えていた相手のシールドが破壊される。そしてもう一人のシールドも、木剣で二回切りつけた瞬間に消滅した。


「よしっ!」


 初めての勝利に僕は気持ちが高鳴った。

 本当に勝てた。イリスの言う通り、この力があれば誰にも負けない。ポンコツだった僕でも優勝できるのかもしれない。

 自信を得た僕は、周囲を見渡す。残っている参加者はどれくらいだろうか。気になる相手がいるアリーナ中央に視線を向ける。しかしそこには黒マントの男の姿はなかった。

 いったい何処に行ったんだろうか。周囲を見渡すも、僕が今いる場所から見える範囲には姿がない。でも、アリーナの至るところで今も戦いが繰り広げられている。探せばきっとみつかるはずだ。

 アリーナの壁際沿いにそって、僕は走り出す。イリスの力で誰よりも速く動けるようになった。授かった力で自信を得た僕は、走りながら周囲の様子をうかがう。そんな僕の目に、ようやく黒マントの男の姿が入った。


「えっ」


 開いた口が塞がらなかった。僕以外の皆が止まって見えるはずの空間で、黒マントの男が僕と同じ速度で動いていたから。

 それでもすぐにその状況を僕は飲み込む。最初からわかっていたはずだった。黒マントの男も補助魔法を受ける権利があることを。今更驚くことではない。


「クソっ!」


 悲鳴と共に、黒マントの男と対峙していた参加者のシールドが破壊された。

 瞬間、コロシアム中に笛の音が鳴り響いた。走るのをやめた僕は、周囲の様子をうかがう。


「残った二人は、一度アリーナ中央に集まるように」


 言われて気づく。三十人くらいはいたはずの参加者は、僕と黒マントの男の二人だけになったのだと。

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