第11話 スクイラル杯

 スクイラル杯、当日の朝。

 窓から差し込む陽光で、僕は目を覚ました。ゆっくりと身体を起こし、両手を大きく伸ばす。いつもと変わない朝を迎えたせいで、僕はアリアスにいることを完全に忘れていた。

 女の子が、騒がしく部屋に入ってくるまでは。


「ヒカル! 本当なの?」


 乱暴に開けられたドアの方から駆け寄って来たコレットに、主語のない言葉を問いかけられる。


「ちょっと待って。いきなり本当って言われても、僕もよくわかんないから」


 落ち着くように促すも、キラキラと目を輝かせたコレットは止まらない。


「聞いたの! ヒカルがスクイラル杯に出るって。さっき朝のマーケットに行ったら、その話題で持ち切りだったの」


 グイグイ迫って来るコレット。元気で溌剌とした彼女は、本当に僕とは正反対だ。昨日会ったばかりなのに、遠慮せずに踏み込んでくる。


「わかった。話す、話すからまずは落ち着いて」


 何とかコレットを落ち着かせ、ベッドに座らせる。まるでおあずけを言い渡された犬のような反応が、少し可愛いと思った。


「実は昨日、イリスと会ってたんだ」

「そうだったんだ……」


 コレットは急にしゅんとしてしまった。


「こ、コレット?」

「……な、何でもない。ちょっと想像してたの」

「想像?」


 両手を振って大丈夫アピールをしたコレットは、首を傾げる僕に理由を説明してくれた。


「だってお姫様と会って話せる機会なんて、滅多にないことでしょ。もし私がお姫様と会ったら、何を話すのかなって……」

「あ、そっか。たしかにそうだよね」


 コレットの言い分は僕にもわかる気がした。僕の世界で言えば、総理大臣と一対一で会話をするようなものだから。


「それで、ヒカルはお姫様と何を話したの?」

「スクイラル杯について話した」


 スクイラル杯。その言葉を聞いた瞬間、コレットの目がキラキラと輝くのがわかった。


「やっぱり噂は本当なんだね!」

「うん。推薦枠で出ることになった」

「すごーい。それってお姫様に、騎士になってほしいって言われたってことだよね?」

「う、うん」

「本当にすごいよ。ヒカルがアリアスの騎士になる。もしそれが実現すれば、ヒカルが話してくれた夢の話を再現することになる。同じ夢で結ばれていた二人が、現実でも一緒になろうとしてるなんて」


 ロマンチックな妄想に、コレットはどっぷり浸っていた。僕はそんなコレットに向けて、苦笑を浮かべた。


「僕には力なんてないし、優勝できるかわからないけど……とりあえず最後まで諦めずに頑張ってみるつもり」

「大丈夫。ヒカルなら絶対に優勝できるよ。だって二人の話を聞くだけで、これだけ胸が高鳴るんだもの」


 笑顔のコレットを見てると、気持ちが楽になった。こうして無邪気に応援してくれるだけでも、今の僕にとっては本当に心強い。


「コレット、ヒカル君。朝食ができたよ」


 威勢の良いバレッタの声が聞こえた。それと同時に、美味しそうな匂いが鼻腔に届く。


「お母さんが呼んでる。早く行こう」

「うん」


 僕とコレットは階段を駆け下り、一階へと向かった。



 城下街の西側にあるコロシアム。この場所がスクイラル杯の会場になっている。バレッタの朝食で力をつけた僕は、二人に見送られて会場へとやってきた。周囲を見渡すと、既に多くの人々がコロシアム周辺に集まっている。

 流石、一年に一度のお祭りだ。周囲には食べ物を扱った屋台に加え、武器や防具を取り扱った店舗等が、コロシアムまでの道沿いに軒を連ねていた。


「スクイラル杯の参加資格を持っている者は、こちらで受付を済ませるように」


 人々の喧騒の中で、ひときわ大きな声が聞こえてきた。声のする方へ視線を向けると、複数の兵士が参加者と思しき男性達を誘導している。

 とりあえず、僕もエントリーしないといけないのだろうか。推薦枠としかイリスから聞いていなかった僕は、とりあえず列の最後方に並ぶ。

 列の並びを見る限り、ざっと三十人くらい。それが多いのか少ないのか、僕にはわからなかったけど、学校のクラス全員が敵になると考えると十分多い気がする。

 男性達は顔見知りなのか、ギスギスした雰囲気は一切感じなかった。むしろ笑顔で談笑している人がほとんどで、大会だということを忘れさせるくらい。

 徐々に列が進んでいき、僕の番になった。視界に入ってきたのは、椅子に座った女性と両隣に立っている兵士二人。机に置かれていた紙の上でペンを動かしながら、女性が声をかけてきた。


「名前は?」


 その凛々しい声に、思わず息を呑んだ。まるで男性のような圧を感じる声に、僕はこの人は強い人だと思った。


「……もう一度だけ聞く。名前は?」

「あ、えっと……光です」


 僕の声を聞くと、女性はゆっくりと顔を上げた。青色の瞳が印象的な女性。目尻が鋭く、凛とした印象の表情は、声と絶妙に合っているなと思う。


「ヒカル……たしか推薦枠の出場だったな。姫様から話は伺ってる」


 そう女性が答えた瞬間、周囲の喧騒が一気に静まり返った。そして直ぐにひそひそと話す声が僕にも届く。


「おい、聞いたか」

「ああ。あれが噂の」

「本当に黒髪だな」

「推薦枠って、ふざけた真似を」


 聞こえてくる声は、僕を一切歓迎するものではなかった。当然だ。アリアス人でもない僕が、イリスの推薦で出場するのだから。

 でも、僕だって譲れないことがある。このスクイラル杯だって通過点に過ぎないのだ。僕の目的はただ一つ。ダーゲンのたくらみを防ぎ、アリアスを救うこと。だからこそ周囲に惑わされず、イリスとの約束を果たすことだけを考えよう。

 深く深呼吸をした僕は、新鮮な空気を取り入れて気持ちを新たにする。すると目の前に座っていた女性は、ゆっくりと立ち上がると、僕の肩に手を置いた。


「姫様の期待に、是非とも応えてくれ」


 そう言い残した女性は兵士二人に「後は頼んだ」と告げると、コロシアムの中へと消えていった。残された兵士が、慌ただしく次の男性の身元確認を始める。そんな最中、僕は先程までいた女性が気になって仕方がなかった。初対面のはずなのに、どこかで会った気がしたから。肩に残る感触が、僕にそう告げている。

 いったい誰か。思い出そうとするも、該当する人物は一人もいない。アリアスに来てからそれなりに関係を持った人なんて、手で数えるくらいしかいないのに。それにこの世界に来てまだ二日目。どこかで会っているなら、絶対に覚えている自信が僕にはある。


「気のせい……だな。うん、気のせいだ」


 頬を叩き、モヤモヤを吹き飛ばす。エントリー場の近くに置いてあった木剣を手に取り、僕は素振りをする。剣の振り方なんて習ったことなどない。それでもゲームやアニメで形だけは何度も見たことがある。今の僕には当然高度な技はできない。できるだけ、それっぽくやるしかない。


「エントリーされた皆様は、コロシアムに入ってください」


 兵士の声を合図に、男性達が入口に吸収されていく。その流れにのるように、僕もゆっくりと歩き出した。

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