第10話 時計塔の誓い

 夜の城下街は昼とは真逆の顔を見せていた。日中は人々の喧騒で騒がしいこの場所も、夜になると人の姿はなく、物寂しい雰囲気が漂っている。

 電気がないこの世界は、街灯と呼べるものがほとんどなく、街の大部分が漆黒の闇に包まれていた。そんな街中を、ランタン片手に僕は歩いて行く。正直、コレットがランタンを渡してくれなかったら、道に迷っていたのかもしれない。それくらい周辺は暗く、月の光も周囲の家から漏れる光も心もとなかった。


「確かこの道を抜けると広場に……」


 開けた場所に出た。視線の先には時計塔がみえる。城下街で唯一灯りに照らされていた時計塔は、まるで闇夜に浮いているようだった。

 時計塔の前までやってきた僕は、中に入るため扉の前に立つ。普段からロープが張られているみたいで、立ち入り禁止の看板が付いていた。

 僕はその看板を無視して、ロープをくぐり抜けてからそっと扉を開けた。扉のきしむ音が時計塔の内部に響き渡る。内部は真っ暗だったので、手元のランタンを前方にかざしながらゆっくりと進んでいく。

 静寂に包まれた空間に響く足音。自分が鳴らしている音のはずなのに、周囲が静かすぎるせいで、より一層不気味さが際立っている。


「イリス、来たよ。どこにいるの?」


 静寂に耐え切れなかった僕は、ここにいるはずのイリスへ向け声を張った。しかし返事は一切なく、代わりに僕自身の声がこだまする。


「いないのかな? それとも……」


 僕はランタンで階段を照らした。外から見て、この時計塔は五階ぐらいの高さがありそうだった。もし僕がここに来るのを待っているのなら、見晴らしの良い場所にいるかもしれない。

 階段を上り、上層階へと向かう。すると今まで僕の足音や呼吸音しかしてなかった空間に、少しずつ歯車がかみ合う音が響いてきた。それに加え、チクタクとゆっくり動く振り子の音も聞こえてくる。ゆっくりと時を刻む音に導かれ、僕は階段をさらに上っていく。

 すると三階に辿り着いた時、突然僕の目の前に宙を浮く球状の光が現れた。驚く僕などつゆ知らず、青白く煌々と輝く光は部屋の中を高速で動き回ったかと思うと、壁際にかけられたハシゴの所で動きを止めた。暫く制止した光はその場で上下に三回動いてから、やがてハシゴがかかっている上の階へと消えた。

 まるで僕についてこいと言っているような動き。間違いない。イリスはこの上にいるはずだ。

 確信を覚えた僕はランタンを片手にハシゴへと向かう。そして光が消えていった空間を、かかっているハシゴを使って上っていく。途中、振り子がある部屋などを通り過ぎ、そして僕は開けた空間へと顔を出した。


「イリス……」


 文字盤のある方と対の位置にイリスはいた。僕をここまで導いてくれた光は、イリスの手元へと消えていく。床に足をつけた僕は、背中を向けたままのイリスの元へと向かう。


「あ、あの……」

「ヒカル。先程はごめんなさい。でも、あなたと二人で話すにはこうするしかなかった」


 イリスは振り向くと、僕を見据えてから口を開いた。


「アリアスの王女、イリスです」


 ガラス張りの窓から大きな月が見えている。時計塔から見る月は、外にいた時とは違ってとても明るく、室内にいるイリスを煌々と照らしていた。その不思議な光景に、僕は口をポカンと開けたまま見惚れるも、首を横に振って我を取り戻す。


「ぼ、僕はヒカル……って、もう知ってるよね」

「……ヒカルに聞きたいことがあります」

「聞きたいこと?」

「ヒカルは……本当に夢を見たんですよね?」


 イリスの質問に違和感を覚えた。この話は僕の住んでいる世界で、さんざんしてきたはずだ。それなのにイリスは、僕が同じ夢を見ていることを知らないような聞きかたをしてくる。


「……うん。見たよ。イリスと同じ夢を。だから僕はここにいる」


 僕の答えに対して、イリスは安堵の表情を見せた。


「ヒカルを見た時、夢で会った人だとすぐに思いました。見たことない服装に、黒縁の眼鏡。あなたは夢で見たヒカルそのままでしたから。でも、一つだけわからないことがあった」

「わからないこと?」

「どうしてアリアスの勲章をヒカルが持っているのか。それだけは、どうしても私には理解できないことでした。勲章をあげた覚えが、私にはなかったですから」


 イリスは俯くと、窓の方へと視線を移した。


「でも、ヒカルの持っている勲章は確かに私があげたものでした。だからこそ私はこうして話すことを決めました」

「どうしてイリスは自分があげたってわかったの?」


 記憶が無いのにわかる。その原理が僕には理解できなかった。

 イリスは視線を僕へ向けると、胸元についている勲章にそっと手を伸ばした。


「この勲章には、私のマナが纏わりついていたから」

「マナって……魔法力みたいなもの?」

「ええ。そう思ってもらって問題ありません。その勲章には、ヒカルを守るための魔法がかけられています。マナを見て、私が施した魔法だとわかりました」

「ちなみにそのマナって、イリスにはどんなふうに見えてるの?」

「色づいています。緑色に。まるでオーラを纏うように」


 僕にはイリスの言うことが全くわからなかった。実際に勲章を見てみるも、イリスの言うような色など一切みえないから。

 そんな僕の気持ちを察したイリスは、見えない理由を教えてくれた。


「ヒカルは魔法を使えませんから、当然見えないはずです。色を見ることができるのは、魔法をかけた本人だけ。私がこの場所からヒカルに話しかけることができたのも、ヒカルが私のマナを纏った勲章を持っていたからです」


 実際にパレットで聞こえたイリスの声は、僕にしか聞こえていなかった。魔法だとは思ったけど、イリスが前もって僕のために色々と施してくれていることは知らなかった。

 胸元の勲章を包み込むように握りしめる。もしイリスが勲章に魔法をかけていなかったら。僕は目の前にいるイリスと、こうして話せなかったのかもしれない。


「ヒカルも言ってましたけど、アリアスを守るためにはダーゲンを止めないといけません。ですが、私一人では到底太刀打ちできない相手。だからこそずっと思ってました。いつの日かヒカルが来て、ダーゲンの魔の手から、アリアスを守ってくれるはずだと。それが今、現実になろうとしています。ほんと、奇跡です」


 笑みを見せるイリスに、僕はゆっくりと首を横に振った。


「奇跡なんかじゃないよ。僕は、イリスの強い思いに動かされたんだ。ここにいるのは、イリスが諦めずに、僕と向き合ってくれたから」

「……そうですね」


 イリスはどうにも納得いかない表情をしていた。

 当然だ。僕の考えが正しければ、おそらくイリスは僕がいた世界での記憶を失くしている。そうでなければ勲章をくれたことや、僕を連れてきたことだって覚えているはず。


「ダーゲンを止めるために僕がするべきこと。それを話すためにイリスに会いに来たんだ。僕は何をすればいい?」

「……では、明日アリアスの闘技場で行われるスクイラル杯に出てください」

「スクイラル杯……何なのそれ?」

「スクイラル杯は生まれて十六になるアリアスの男性の中で、国から選抜された者だけが参加を許される歴史ある大会です。大会を通じて参加者の中から国の騎士になる人材を見極め、認められた者には名誉ある騎士の勲章が授けられます」


 そういえばタリスが言っていた。この大会はアリアスで育った男性が頂を目指すと。


「ただ今年の大会は例年とは違い、私が十六を迎えて行われる最初の大会。私が学びの園を卒業し、本格的に国事を務めていく年の大会にもあたります。そのため今大会の覇者は、アリアスの王女である、私専属の騎士に任命されるのです」

「要するに、僕がその大会に出場して優勝してほしいってのがお願い?」

「はい。ヒカルにはぜひとも優勝してもらいたいのです。そうすれば、こうして人目を気にすることなく話せるので」


 イリスの言いたいことはわかった。わかったけど……。


「いや、絶対に無理だって。そもそも僕はアリアス生まれじゃないし、選ばれてもない」

「大丈夫です。ヒカルには、推薦枠で出てもらいますので」

「推薦枠って……それにその大会って、剣で戦うんだよね?」

「そうです。ただ本物の剣だと危険をともなうので、木剣で戦ってもらいます」

「それでも無理だって……だって大会は明日だよね。僕は剣で戦ったこともないんだよ。流石にぶっつけ本番で大会なんて……しかも優勝なんて、どう考えても無理があるって」


 僕は正論を言ったつもりだし、誰だって思うはずだ。僕が今からやろうとしてることは、無謀なことだと。

 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、イリスは自信に満ちた表情で言った。


「大丈夫です。私に策がありますから。余程の強者が現れない限り、ヒカルは間違いなく優勝して、私専属の騎士になります」


 イリスの自信はいったいどこからくるのか、僕には全く理解できない。


「もしかして、王女の権力を使ってとか?」

「そんなことはしません。大会の意味がないですから」


 イリスは僕に視線を向けると、そっと胸に手を添えて言った。


「私がヒカルをサポートします」

「サポート……もしかして、魔法?」

「はい」

「それって、不正行為じゃないの?」

「不正行為ではありません。魔法のサポートを禁止することは、大会の規定には書いてありませんから。実際に昨年の大会でも、魔法のサポートを受けて勝ち進んだ騎士もいます」


 不正でないことはわかったけど、一つ疑問に思うことがある。


「でも、アリアス人は魔法を使えるんだよね? ってことは、全員が魔法を使って戦うってことになるんじゃ……」

「ヒカルは知らないと思いますが、この世界で魔法を使えるのはアリアスの女性だけですよ」

「えっ……でも、タリス……行商人はアリアス人なら使えるって……」

「おそらくヒカルは昔の話を聞いたんだと思います。ヒカルの言う通り、はるか昔は性別問わずに魔法を使えていたそうですから」

「それなら、なんで男は魔法を使えなくなったんだ?」


 魔法という素晴らしいものが使えるのなら、誰だって使い続けたいはずだと思うのに。


「色々と理由はあると伝え聞いていますが、一つは自己顕示欲です」

「自己顕示欲……」

「魔法に頼りきっていた歴史を積み重ねていく中、ある時を境に男性の中に自己顕示欲が芽生え始めたそうです。それは魔法で何でも簡単にできる力ではなく、剣を振ることによって己の力を誇示する欲のこと。剣と剣がぶつかり合って勝利を掴む。それこそが男性にとっての真の力を示すことになる。魔導士から騎士への遷移。そんな歴史的背景を経て、男性は魔法を使わなくなりました」

「それじゃ、今は女性だけが魔法を使ってるってこと?」

「ええ。私が通っている学びの園は男性禁制で、この世界に唯一ある魔法魔術学校です。ですが、女性の誰もが魔法を使えるとは限りません。学びの園で鍛錬を積み重ね、魔法を使うことが認められた者だけが、魔法を使えるのです」


 イリスは先程出していた光の球を出して見せた。その輝きは、まるで蛍のように煌々と強弱をつけながら輝いている。


「なら、イリスは選ばれた者ってことだね」

「そうなりますね。私の場合は、魔法そのものは使えていたと思いますが……」


 イリスが表情を曇らせると、宙に浮いていた光がイリスの手の中へと消えていった。


「とにかく。スクイラル杯は男性限定の大会。ですので魔法が使われるとしても、補助魔法が中心になります」

「補助魔法って?」

「身を守るための防御魔法や、攻撃するために魔法で一時的に筋力を上げたり、俊敏に動けるようにしたりする魔法です。もちろん怪我をした時の治癒魔法も、補助魔法に入ります」

「ふーん。攻撃魔法は使わないの?」

「攻撃魔法は、アリアスで決められている禁則魔法に当たります。禁則魔法は決して使えないわけではありませんが、使う場合は何かしら代償を支払う必要があるので。これが男性に自己顕示欲が芽生えた、ある時ではないかと言われています」

「ちなみにその代償って……」

「攻撃魔法の種類にもよりますが、一番重い代償は人命とされています」


 人命。その言葉を聞いた僕の身体は震えていた。誰かを魔法で攻撃するだけで、命を落とす可能性があるのだ。そんな危険を犯してまで、攻撃魔法を使いたいとは思わない。


「ですので男性が魔法を使わなくなり、使えなくなるに至った理由の一つに、自由に攻撃魔法を使えなくなったこともあげられています。実際に学びの園では、攻撃魔法について触れることはあっても、使い方は決して習いませんし」


 今のアリアスが平和そうに見えるのは、攻撃魔法という武器を捨てたからなのかもしれない。


「でもさ、僕がイリスの補助魔法で勝ったところで、アリアスの男達は認めてくれないと思うんだけど」


 アリアスの男が魔法を使わなくなり、頼ることもしないのなら、その魔法を使って勝ち進もうとする僕は、邪道な戦い方をすることになる。そんな僕が優勝したとしても、周囲の男どもから反感を買うだけな気がする。

 しかしイリスは、そんな僕の疑問を笑顔一つで一蹴した。


「別にいいじゃないですか」

「べ、別にって……」

「ずっと思ってました。アリアスの男性は、何でも己の力だけでどうにかしようとする。昔は男性だって魔法を活用していたのに。いつの間にか、魔法は邪道という空気がアリアスの男性の間に広まってしまいました。私はそれが気に入りません。なので、ヒカルが補助魔法を駆使して優勝すれば。たとえ攻撃魔法が使えなくても、補助魔法で誰かを助けられる唯一の人種であるアリアス人の素晴らしさを、男性にもわかってもらう良い機会になるはずです」


 イリスは僕の方に右手を向けた。そしてゆっくりと口を開く。


「スターム!」


 瞬間、両腕がとても軽くなった気がした。腕を見てみるも、見た目ではその変化はわからない。


「これって……」


「腕力強化の魔法です。試しにここにある棚を持ち上げてみてください」


 イリスが指定した場所には高さ二メートルはある棚があった。見たところ、一人では持ち上げることが難しそうだ。当然、ポンコツな僕は持ち上げることすらできないはず。

 でも今は、イリスに力を与えてもらった。この力さえあれば僕にも……。

 棚に近づいた僕は、両腕をまわしてゆっくりと持ち上げてみた。


「うわっ……えっ、す、すごい」


 目の前の棚はまるで重さを忘れたかのように、ほんの少しの力で軽々と持ち上がった。


「持ち方にもよりますが、片手でも簡単に持ち上げられますよ」


 そう言われた僕は棚の底に片手を入れ、持ち上げてみる。するといとも簡単に棚が持ち上がった。


「すごいや。これが魔法の力なんだ」

「ええ。しかしこの力は永続ではありません。強化魔法をかける人とかけられる人は、ある程度近くにいないといけませんので」


 改めて僕は自分の腕に視線を移す。見た目は相変わらず細い腕のまま。いったいこの細い腕のどこに力が眠っているのかと、誰もが思うはずだ。


「イリス様! どこにいらっしゃるのですか!」


 突然、時計塔の外から声が響いた。棚を元の位置に戻した僕は、イリスと共に窓から外を見下ろす。数人の兵士が、イリスの名前を叫びながら走り回っていた。


「……私を探してますね。おそらくですが、黙って城を抜け出したからだと思います」

「えっ、黙ってきたの?」

「はい。こうでもしないと、ヒカルと二人で話せなかったので」


 イリスは窓から離れてハシゴの近くまで歩くと、僕の方へと身体を向けた。


「それではヒカル。私はもう行きますね。明日はよろしくお願いします」

「……うん。どうなるかわからないけど、イリスの力があるなら大丈夫だと思う」

「きっと勝てます。たとえ私の力が無くても、ヒカルには誰にも負けない勇気がありますから。勝って私の専属騎士になってもらいますからね」


 イリスは僕にお辞儀すると、ハシゴを降りて行った。

 コツコツとハシゴを降りる音が消えていくのと同時に、歯車の音が聞こえてきた。先程までイリスと一緒に話していたからだろうか。イリスの声しか耳に届いていなかった気がする。

 僕は壁に背中を預けて、地面に腰をおろした。腕にかけられた魔法は既に消えている。力が抜けた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。


「スクイラル杯か……」


 自分の手のひらに視線を向ける。何度見ても細くて簡単に折れそうな手にしかみえない。でも、明日はこの手に剣を持って戦わないといけないのだ。

 本当に勝てるのだろうか。イリスの前では意気込んだくせに、僕は今不安を感じている。

 ぎゅっと拳を作った僕は目をつぶり、この世界に来た理由を思い出す。

 アリアスを救いたい。そう強く望んでいたイリスの強い思いに、僕は動かされた。

 それだけじゃない。確かにイリスは僕に言ってくれた。アリアスを救えば、聡や咲の真意を教えてくれると。わからなかった答えを知るためという理由もある。

 高校生になって、僕は大きな過ちを犯した。その事実はもう変えることができない。だからこそ僕は、これから先の未来で、失ったものを取り戻したいと思っている。

 真実の答えを見つける為にも。僕はイリスを助け、アリアスを救うしかないんだ。

 ゆっくりと目を開けた僕は腰を上げる。どうやらイリスを見つけた兵士達は、もういないみたいだ。

 不安は既に僕の中から消えていた。僕には強い味方がいる。この国の王女が僕をサポートしてくれるんだ。だから明日の試合だって、きっと大丈夫。

 立ち上がった僕は、決意を胸に時計塔を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る