二章

第6話 行商人タリス

 光源が消え、ようやくまともに目を開けられるようになった。僕は周囲を見渡して状況把握に努める。何処かの建物の中みたいだ。上を見上げると天井の一部が崩壊しており、その隙間から光が差し込んでいる。なんでも部屋と同じくらいの大きさだけど、明らかにさっきまでとは違う場所にいることがわかった。


「アリアスに来たのか?」


 僕は身体の状態を確認する。特に変わった点は見当たらなかった。服装は変わらず制服姿のままだし、胸元にはついさっきイリスから貰ったリスのバッチがついている。


「そうだ。イリスは……」


 周囲を見渡すも、僕以外に人の姿はなかった。どうやらイリスとはぐれてしまったらしい。


「とりあえず、アリアス城に行かないと」


 数歩先にあったドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。

 外光の眩しさに、僕は思わず目をつぶった。薄暗い場所にいたから、余計に眩しさを感じる。それでも手で光を遮りながら、僕はゆっくりと目を開けた。


「……凄い。……本当に来たんだ」


 目の前に広がる光景に、興奮で震えがとまらなかった。

 視線の先に広がるのは、何処までも果てしなく続く平原。普段見慣れている信号や電柱などは一切なく、車や電車も走っていない。僕の住んでいる場所では、見ることができない光景にワクワクが止まらなかった。


「よし、行くか」


 声を出し、気を引き締めた僕は平原へと一歩を踏み出した。

 とりあえず歩きながら、周囲の状況を把握するしかない。今の僕はアリアスの世界について、無知の状態に等しいのだから。とりあえず夢で見た部分的な記憶を頼りに、探索をしていくしかなかった。


 そして歩き始めて数時間後。


「疲れた……ちょっと休憩しないとマズイな」


 疲労がたまり、僕はいったん平原に腰を下ろして大の字で寝そべった。

 どれくらい歩いたのだろうか。

 歩き続けたのは良いが、未だに目的地であるアリアス城は一向に見えてこない。

 心地よい風が頬を撫でる。葉擦れの音が、疲労感を何処かに飛ばしてくれる気がした。リフレッシュした僕は、これからのことを考える。

 そもそも僕が知っているのは、夢の中で見たアリアス城やダーゲンの姿くらい。アリアス城がどの位置にあってどの方角にあるのか、具体的な場所については何も知らない。そんな状況で、僕はただやみくもに歩いていたのか。太陽が煌々と輝く中、日差しを遮る建物が一切ないこの大平原を。


「……何か飲みたいな」


 当然汗をかいたのだから、喉が渇くのは必然だった。しかし今の僕は、水分補給できるものを何も持っていない。家から持ってきた水筒は、教室の鞄の中にある。


「そうだ自販機……ってここにあるわけないよな」


 数時間歩いたのにも関わらず、一度も自販機を見かけなかった。それにたとえお金を持っていたとしても、この世界で日本円が使える保証はどこにもない。


「異世界の洗礼って奴か……」


 大きな溜息を吐いた僕の視界に、雲一つない空が映る。

 今何時だろうか。この世界に来る前は、たしか午後三時過ぎくらいだったはず。それならもう夜になっていてもおかしくないはずだ。

 でも未だに太陽は出ている。まだまだ沈まないぞと主張するように、燦然と輝いている。


「よう、兄ちゃん。大丈夫か?」


 突然聞こえた声に、ビクッと身体が反応した。咄嗟に身体を起こした僕は、荷馬車を引いた人を視界に捉える。


「人だ……人がいる!」


 あまりの嬉しさに、真っ先に僕は荷馬車の元へと駆け寄った。


「見ない顔だな……旅人か?」

「えっと……まあ、そんなところです」

「それにしても、このクソ広い平原に手ぶらで挑むとは。兄ちゃん、命知らずな男だな」

「いや、元々はこんなつもりじゃなかったんですが……」

「まあ、よくわからんが頑張れよ。それじゃ」


 荷馬車を走らせようとする男を、僕は必死で止めた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「何だ兄ちゃん? 俺は急いでるんだ。これから昼過ぎまでにアリアス城に行かないといけないんだ」

「えっ! アリアス城に行くんですか?」

「そう言っただろ。兄ちゃん……大丈夫か?」


 男の言葉に、僕は思わずガッツポーズをしたくなった。この世界に来て初めて会えた人が、アリアス城の場所を知っているなんて。


「あの、僕もアリアス城に行きたいんですけど。アリアス城ってここからどれくらいかかりますか?」


 僕の問いに、男は腹を抱えて笑い出した。


「えっ……と……」

「いやーごめんな兄ちゃん。まさか歩いてアリアス城に行こうとしてたとは」


 目尻に溜まった涙を拭いた男は、僕を見て言った。


「さっき言ったはずだぜ、兄ちゃん」

 未だに頭がポカンとしていた僕は、男の言葉を思い出す。

 男が言っていたのは、昼過ぎまでにアリアス城へ行かないといけないと。それに急いでいるとも言っていた。ってことは……。

 血の気が一気に引いた僕の顔を見た男は、笑みを見せた。


「どうやらわかったみたいだな。まあ歩きだと、着くのは夜になるだろうな」


 ガハハと笑いながら荷馬車を出そうとする男。すかさず僕は、荷馬車の前に立って両手を広げた。こんな好機をみすみす手放すわけにはいかない。


「兄ちゃん。俺は今仕事中なんだ。悪いけどもう付き合ってられない。さっさとどいて――」

「お願いします。僕も荷馬車に乗せてください」


 とりあえず頭を下げて、誠意をみせるしかないと思った。僕はまだこの世界につい知らないことだらけ。そんな中この広い平原を彷徨ってたら、干乾しになるのも時間の問題。だからこそ、この世界に住んでいる人に頼るしかなかった。


「……悪いな、兄ちゃん。俺は無償で人を乗せようとは思ってないんだ。何か金目の物でもくれない限り、俺は取り合わないつもり……って兄ちゃん、ちょっと!」


 男の異変に気付いた僕は、顔を上げようとした。瞬間、男の両手が僕の両肩を掴む。


「な、何ですか?」


 突然の行動に動揺を隠せなかった。まさか襲われるのか。そんな恐怖が脳裏をよぎる。しかし男は何か攻撃をしてくるわけでなく、ただずっと僕のことを見つめていた。

 いったい何がしたいのか。行動の真意について考えようとした矢先、男が口を開いた。


「兄ちゃんの胸元についているのって。まさか……」

「胸元……ああ、これですね。これは……貰いものなんです」


 イリスの名前を出すのはやめた。イリスはこのアリアスの王女。むやみに名前を出さない方がいいだろう。


「いや、貰いものって……兄ちゃん、これが何かわかって言ってるのか?」

「リス……ですよね?」

「そうじゃない。いいか、俺が言いたいのはこのバッチを持っている意味についてだ」

「そう言われても……」


 改めてバッチをつけてある胸元を見る。イリスから貰ったお守りみたいなものだ。正直、僕にはこのバッチが何を意味しているのか全くわからない。


「あーもういい。説明してやる。このバッチはな、アリアスを守る王国直属の騎士に渡される勲章なんだ」

「勲章……これが……」


 イリスに貰ったときから高級そうなものだとは思っていたけど、まさかそんな名誉ある逸品だとは思ってもいなかった。


「勲章を授かったということは、非常に優れた剣術を持っていると認められたみたいなものだ。それにその勲章は、アリアスで生まれた男どもなら誰もが憧れる頂でな」

「は、はぁ……」


 男の熱弁を僕は口をポカンと開けて、ただ聞くしかなかった。


「まあ、それは置いといて……王国の騎士様なら話は別だ。アリアス城まで乗せてやってもいいぞ」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。むしろ勲章持ちからの依頼を断ったら、罰が下るかもしれない」

「あ、ありがとうございます」


 男に頭を下げた僕は、改めて胸元につけたリスの勲章を視界に捉える。

 イリスは言っていた。少しは助けになるものだと。でも、少しどころではないことが今の僕には身に染みてわかる。

 視界に男の手が映り、僕は顔を上げた。


「自己紹介、まだだったな。俺はタリス。行商人をしてる」

「ヒカルです」


 タリスと握手を交わす。少し複雑な気持ちだった。

 実際に僕は王国の騎士ではないし、勲章だって僕が凄い剣術を見せて授かったわけではない。なんだかタリスを騙しているような気がして、申し訳ない気持ちが沸々と湧いてくる。


「ヒカルは荷台に乗ってくれ。狭いけど、文句言うなよ」

「言わないですよ。タリスさんは命の恩人ですから」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。荷台にあるビール飲んでもいいぞ」

「僕、未成年なんで」

「それじゃ、瓶に入ってる牛乳でも飲んどけ。喉、渇いてるだろ」


 タリスはそのまま馬の方へ向かうと、ポケットから人参を取り出した。すると人参に反応した馬が、直ぐにバクバクと食べ始める。

 正直、喉が渇いていることをタリスに言われるまで忘れていた。荷台を覆っていた布切れをどかすと、瓶に入ったビールや酒、ワインなどが入った木箱が綺麗に並べられている。丁度一人分の隙間を見つけた僕はそこに腰を下ろした。そんな僕の行動を見ていたかのように、馬がヒヒーンと声を上げると、荷馬車はゆっくりと動きはじめた。

 ようやくアリアス城に向かうことができる。これでようやくイリスとも会えるはず。

 安堵した瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。慣れない世界に一人でいたこともあり、知らないところで気を張っていたのかもしれない。それでも、最初に出会ったタリスが良い人で本当に良かった。


「牛乳、いただきますね」

「おう、飲め飲め。美味いぞ」


 タリスのご厚意に甘え、僕は木箱から牛乳瓶を一つ取り出して、さっそく口をつけた。グビグビっと牛乳を飲むたびに喉が鳴る。渇ききった喉が、瞬時に潤いを取り戻す。


「ぷはー。う、美味い」


 キンキンに冷えてはいなかったけど、それでもこんなに美味しい牛乳を飲んだのは初めてだった。濃厚な甘さが口に広がり、少し臭みのある独特な匂いが喉から鼻腔に抜ける。後味もいつも家で飲んでいる牛乳に比べて、スッキリしていることに僕は驚いた。

 これならいくらでも飲んでいられる。僕は半分に減った牛乳を一気に飲み干した。

 異世界に来てから初めての飲食。それがこんな穏やかな空間で取れるとは思ってもみなかった。元々アリアスは、イリスが言っていたような緊迫した状況なのかと思っていた。だけどそんな雰囲気は今のところ微塵も感じられない。上を見れば雲一つない蒼穹が広がっており、身の危険を感じることなど皆無と言っても相違ない状況だ。

 目蓋が急に重くなる。荷馬車の揺れが心地よくて、眠気が襲いかかってきた。

 タリスの話だと、アリアスに着くまで数時間はかかるはず。休める時に休まない……と……。

 僕はそのまま睡魔に負けて、ゆっくりと目を閉じた。

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