第3話 絆の崩壊
放課後。教室はいつも以上に喧騒に包まれていた。クラスメイトの大半が、教壇近くでイリスのことを取り囲むように群がっている。
海外からの転入生。容姿も整っており、金色の綺麗な長髪が目立つ彼女。何より素敵な笑顔で皆に接するイリスは愛嬌たっぷりで、ついさっき会ったばかりなのが嘘のように、既にクラスメイトと打ち解けていた。
「どういうことなの?」
「咲……」
そんな中、聞きなれた声が僕の耳に届く。懐かしく感じたのは、まともに話さなくなってから、もうすぐ一年が経つからなのかもしれない。
「私、イリスさんのこと知らなかった。いつ知り合ったの?」
咲の真っ直ぐな視線に、僕はたまらず視線を逸らそうとした。しかしついさっき同じように視線を逸らした自分を思い出し、何とか踏みとどまる。
「イ、イリスさんも言ってただろ。ばあちゃんと交流があったって」
「質問に答えて。イリスさんといつ知り合ったの?」
具体的なことは僕にもわからなかった。だってイリスは、僕の夢の中でしか存在しない人だと思っていたから。
「きょ、去年の夏休み。ばあちゃんが突然海外の友達を連れてきて、その時に初めて……イリスさんと会ったんだ」
苦し紛れの回答しかできず、僕は息苦しさを覚えた。こんなわかりやすい嘘、ましてや僕のことをよく知っている咲が、すんなりと信じるわけもなく。
「嘘。私、知ってるよ。光のおばあちゃんは、海外に行くことに興味がなかったって」
「興味がなくても、海外に行くかもしれないだろ」
「それならもし海外に行ったとして、そこで友人を作ったのなら、写真の一枚くらいあってもいいと思う。でも、私はそんな写真見たことがない。光の家でアルバムとか色々見せてもらったことがあったけれど、イリスさんのおばあさんやイリスさんが写ってる写真なんて一枚もなかった」
まくしたてるように話した咲が、僕の肩に手を置いた。
「絶対何か隠してる。ねえ、本当のことを教えてよ」
咲が僕との間合いを一気に詰める。ここまで強く当たってくる咲を、初めて見たかもしれない。だからこそ咲の真剣な眼差しが、僕の胸を締め付けた。
夢の中で会いましたって素直に言うべきなのか。でもそんなこと言っても信じないのは目に見えている。むしろ信じる方がおかしいと、僕自身でさえ思っているわけで。
僕が何も答えられないでいると、咲はしびれを切らして口を開いた。
「光、本当に変わった。昔は隠し事なんて絶対しなかった。どうして変わっちゃったの?」
変わった。
咲の言葉が僕の心の奥深くに突き刺さり、わずかな傷をつける。
それがきっかけだった。僕の中で何かが弾け、溜まっていた感情の奔流が、傷口から堰を切って溢れ出した。
「……変わったのは咲の方だろ」
「えっ」
「高校生になってから、僕はずっと咲との間に距離を感じてた。その距離を埋めるために、自分なりに努力してきたつもりだったけど……去年の夏以降、咲は僕を避けるようになった。変わらないでいようって言ったのは、咲だったのに……」
「違うよ、光。私はね、ずっと変わらずにいたかった。あの時、聡君と三人で約束したことは今でもずっと思ってる。でも、先に変わったのは光の方で……」
咲の目に、うっすらと涙が溜まっているのがみえる。どうして泣きそうになっているのか、僕には全く理解できない。それに関係が変わったのは、僕のせいだと咲は言いたいらしい。
ふざけるな。
その事実が、言葉にしようと思っていなかった本音を引き出した。
「そうやって涙を見せれば許されると思って。女の子だからって、泣けば周囲の同情を買ってもらえるって思ってるのか」
「ち、ちが――」
「だいたい咲が僕との距離を開けたのは、僕と関わっていると自分の株が落ちると思ってるからなん――」
パンっと大きな衝撃が僕を襲った。眼鏡がずれて、僕は一時的に視界を失う。徐々に広がる痛みに、僕は殴られた頬を反射的に手で抑えた。
殴られて当然だ。それくらい酷いことを、たった今僕は咲に言ってしまったのだから。
ずれた眼鏡をなおし、僕は咲へと視線を向けた。
周囲の喧騒がやんでいる。イリスを取り囲んでいたはずのクラスメイトの視線は、いつの間にか僕達へと向けられていた。
「もう……もういい!」
咲は手に持っていた小袋を僕へと投げつけると、そのまま走って教室を出て行った。
突然の出来事に、教室全体が言葉を失う。皆が話すのを躊躇う中、ゆっくりと僕に近づいてきたのは聡だった。
「光……お前がここまで最低な奴だとは思わなかった」
「聡……」
「どうして咲がずっと光と話さなかったのか。今の光には絶対にわからないだろうな」
床に落ちた小袋を拾った聡は、それを僕に手渡してから教室を後にした。
聡の行動を皮切りに、皆が素早く帰り支度を始める。
「磨石、酷くない」
「マジでキモイんだけど」
「咲ちゃん大丈夫かな」
「高岡君、本当に格好良かった」
帰り際に教室に響く言葉の数々。そのほとんどが僕に向けられた非難の言葉であり、咲と聡を擁護する言葉で。
手渡された小袋を見つめる。しかしその小袋が何なのかすら、僕にはわからなくて。
「何だよ……何がわからないだよ」
聡に言われた言葉に腹を立て、小袋を思いっきり床に投げつけようとした。
「ヒカル!」
そんな僕の行動を止めたのは、イリスだった。僕はゆっくりと手を下ろし、小袋をズボンのポケットに乱暴にねじ込む。
「……何だよ」
「学校案内、お願いできますか?」
屈託のない笑みを見せて手を握ってきたイリスの行動に、僕は面を食らう。
一瞬、何を言われているのかわからなかったが、先生に頼まれたことを直ぐに思い出す。
「その前に……名前」
「えっ? イリスですけど……」
「そうじゃなくて。どうして僕の名前を知ってたんだよ」
まずはこのことを聞かないといけないと思った。本当に僕の知っているイリスなのか。理由を聞けば直ぐにわかるはずだから。
「……ヒカルはわかってるはずです」
「わかってるって……」
「どうして私が、ヒカルのことを知っていたのか」
イリスは僕から手を離すと、近くの空いていた席に座る。そして僕に視線を向けたまま、一言も喋らなくなった。どうやら僕が答えるまで口を開けないらしい。周囲を見渡すと、さっきまで教室に残っていた生徒はほとんど居なくなっていた。テスト終わりで久しぶりに羽を伸ばす人、部活動に向かう人など、ようやく訪れた日常を満喫するために、それぞれの放課後を過ごすのだろう。でも、僕には目の前の彼女を案内する役目がある。安息を手に入れる為に、解決しなければいけない問題がたくさんあるのだ。
深呼吸をする。そして目の前のイリスが、本当に僕の知っているイリスだと確信できる言葉をぶつけた。
「夢の中で会ったから」
僕にはそう答えるしかなかった。だって僕にとっては真実であり、唯一イリスと繋がっていると思えることだったから。
馬鹿にされてもいい。これで信じてもらえないなら、僕はイリスの学校案内を放棄するだけ。
しかしそんな僕の不安は、イリスが満面の笑みを浮かべて言った言葉に一蹴された。
「はい、正解です」
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